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訪れ  作者: 夜音森 想
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 シーナの予想通り、三ヶ月も過ぎるとハーヴェイは研究室への泊まり込みを余儀なくされた。


「君は夜中になると変身するんだったよね?」

 仕事中、ネイハムは徐にハーヴェイに尋ねた。

「はい。夜明けまでは見苦しい姿でいること、どうかお許しください。見た目は変わりますが、業務に支障を来すようなことはありませんので。ご理解いただければと思います」

「そうか。夜更けが楽しみだなあ」

 ネイハムは笑った。

「え?」

「呪いで変身なんて滅多に見られるものじゃないからね。うん、実に楽しみだ」

「はあ……」

 見世物ではないのだが、どうもネイハムは悪意があるのかないのか分からない。


 そしてハーヴェイの変身が始まると、研究室の魔法使いたちは持ち場を離れてまで、入れ替わり立ち替わりでハーヴェイを見学しにやって来た。

「おお、これが……」

「実に興味深い……!」

 ハーヴェイの周りには人集りができた。中には素晴らしいとまで言う者もいた。ネイハムだった。

「ハーヴェイ、凄いな君は!」

 ネイハムは何故か握手してきた。

「はあ……」

 長年苦しんできたというのに、何故か羨ましそうな顔で見つめるネイハムにハーヴェイは苦笑いするしかなかった。


 研究者というのは、どこか一般人と違う考え方でないと務まらないものなのかもしれない。

 そう自分を納得させようとする間にも、ネイハムは笑いながらハーヴェイの顔をべたべたと触っている。忙しいから泊まり込むのに、仕事が中断されているのは大丈夫なのか。とは、さすがに言えなかったが。


「今やっている研究が済んだら、ちょっと調べてみようか」

 一通り触って満足したネイハムは、上機嫌でそう言った。

「それは是非! お願いします」

 ハーヴェイは、ここにいる能力者たちが呪いを解いてくれるなら、暫く好奇の対象でも構わないと思った。



 そして夜明けを迎えたことを確認したハーヴェイは、いつものように魔法をかけて元の姿に戻った。するとネイハムはハーヴェイをじっと見つめ、

「変身前と後の変わりようは、天と地ほどあるな」

 と、呟いた。ハーヴェイが苦笑して、

「散々女性に逃げられました」

 と、言うと、ネイハムは大きな声で笑い出した。


「そうか、そうか。あの顔では当然だろうな。いや、済まん。色男が女に逃げられるというのは、どんな時でもやはり爽快なものだな」

 謝っておきながら、より失礼な発言をしている。ハーヴェイは唖然とした。エクレナと出会う前だったら恐らく腹を立てていただろう。ハーヴェイは胸に手を当て、ひっそりとエクレナに感謝した。しかし、ネイハムの顔を見るとあっけらかんとしていて悪気はなさそうだった。この男はどうも掴みにくい。


「ハーヴェイ、そろそろ終業だ。今日の結果をまとめておいてくれ」

 ネイハムはハーヴェイに呼びかけた。

 笑っていたかと思えばいつの間にか作業台の方に移動し、紙の束を積み上げている。夜通し行った調合や実験の記録を研究者が各々記したものが、ただ乱雑に置かれた状態だった。ネイハムの班の分だけでもかなりの量がある。


「はい。いつまでにでしょうか」

「今日の結果なんだから決まっているだろう。明日の仕事が始まる前だ」

「分かりました」

 実験道具の後始末と掃除は終業後の助手の役目だ。その後に手をつけるから、休んでいる暇はないな……とは思ったが、ハーヴェイは早く研究室の一員として認められたい一心で黙々と作業に徹した。

 幸い彼は引き蘢って呪いを研究していただけあって、根詰めての作業はそれほど苦ではなかった。助手なので殆どの仕事が雑用だったが、ハーヴェイは毎日充実していた。


   *


 そんなある日、仕事が一段落するとネイハムはハーヴェイに声をかけた。

「ハーヴェイ。君の呪いについてなんだが」

「はい」

「背景について聞きたいんだが、禁忌の魔法は人の命や未来を大きく左右するものに限られる。君は一体何をしようとしたんだ?」


 ハーヴェイはネイハムの眼から視線を少し下にずらした。人は己の愚行に触れる時、躊躇いを覚えるのか無意識に眼を逸らしてしまうものだ。


「早くに亡くしてしまった父を呼び醒ますことができないかと思い、手を出しました」

「……浅はかだな」

「仰る通りです。僕はまだ子供で、何故禁じられているかなんて考えもしませんでした。本を見つけた時は寧ろ、そんな魔法があるのなら使わないのはおかしい。それくらいの気持ちでした。父が戻れば母も歓ぶと思ったんです」


「……」

「しかし、結果は……却って母を悲しませることとなりました」

 やや自嘲気味に言った後でハーヴェイは、はたと顔を上げた。また皮肉の類いを言われるかと思ったが、意外にもネイハムは黙ってメモを執っていた。


「なるほど。では今度はその魔法の工程について聞こうか」

 ネイハムが思いのほか真面目な表情だったので、ハーヴェイは一瞬返答が遅れた。

「確か……」

 その魔法の本はすぐシーナに処分されてしまったので、やり方などはもう明確に覚えていなかった。ハーヴェイは身振り手振りを交えながら記憶を辿り、なんとか最後まで説明した。


「ふむ。材料については少し曖昧なんだな。まあいい。子供がやれるくらいだ。複雑なものなどないだろう」

 ネイハムはメモを終えると、手帳を閉じた。


「参考になりそうな文献をいくつか探し出しておく。ここの蔵書を片っ端から一冊ずつ読んでいたんじゃ、何年かかるか分からんからな」

 ネイハムはハーヴェイが毎日終業後に書庫に籠っているのを知っていたようだ。

「あ、ありがとうございます!」

 ハーヴェイは心から感謝した。



 それから三日後、ネイハムは帰る間際にハーヴェイに一片の紙切れを渡した。

「書庫に入ってそこに書いてある呪文を唱えれば、本の方から勝手に降りてくる。それを読めば何か手掛かりが掴めるかもしれん。まあ、保証はないがな」

「お心遣い、感謝します!」


 ハーヴェイは紙片をありがたく頂戴すると、早速書庫へ赴き呪文を唱えた。

 すると天井まである書架から次々と本が舞い降りてきた。僅か十数秒の内に閲覧用テーブルの上には分厚い本ばかり三十冊程が積み上げられた。

「よし」

 ハーヴェイはそう言って気合いを入れると、席に着いて本を読み始めた。



 そうしてハーヴェイは夕食時に帰宅することが難しくなり、毎日夜遅く帰るようになった。帰宅後はすぐに休んでしまう上に休みの日まで書庫へ通っていたので、家族とは殆どすれ違いの生活になった。

 シーナは不安に思ったが、エクレナは懸命なハーヴェイを温かく支えた。



 そして半月ほど経つと「明日からは暫く帰れない」とハーヴェイから宣言があった。

 翌日から泊まり込みの作業が連続して四日に及んだ。新しい魔法の開発に着手したためである。

 開発には多大な時間と労力がかかる。実験を繰り返し、成果を確認しなければならないからだ。ハーヴェイの父もかつて歩んだ道だった。


 五日目の朝方帰宅したハーヴェイは、何故か疲れた様子は見せず、寧ろ興奮しているようだった。

「——もうすぐ、呪いが解けるかもしれない」

 ハーヴェイは武者震いが起きそうなのを必死で押さえ込んで言った。

「え!」

 シーナとエクレナが同時に声をあげた。

「今日はとりあえず休むよ。明日からまた、頑張らないといけないから」

 疲れた様子は見せなかったが、やはり疲れていたのだろう。ハーヴェイは翌朝まで丸一日眠り続けた。



 それから帰ったり帰らなかったりの日が続き、ハーヴェイはあれ以来、特に呪いの話はせずに日々が過ぎ去った。

 シーナとエクレナが呪いの話を忘れかけた頃、その日はやってきた。

「今夜二人に確認して欲しいんだ。呪いが解けたかどうか」

 夕食時に帰宅したハーヴェイは、帰るなり息を切らしてそう言った。


 ついに来た。

 シーナもエクレナも思わず構えた。呪いにかかってから十年余り、いよいよハーヴェイの呪縛が解ける時が来たのかと。


   *


 時計の針が深夜零時を差す頃、ハーヴェイの変身が始まる。三人は居間で一緒に過ごすことにした。

「色々調べた結果、呪いを解くのは第三者ではできないことが分かったんだ。自分自身で打ち勝つことが大事なんだと思う」

 城の研究室にはハーヴェイよりも優秀な魔法使いが集まっている。彼等を以てしても、呪いを解くに至らなかった。しかし、ハーヴェイはネイハムの協力で得られた文献を参考に、ついに核心まで辿り着いたのだった。


「必要な材料は結局、全て僕自身にあった。少しの血液と髪の毛と、苦痛に耐え得る肉体と精神」

「苦痛……」

 エクレナはハーヴェイが城で何を行ったのか心配になった。

「大丈夫だよ。済んだからここにいるんだ」

 ハーヴェイはエクレナの手を握り、不安にさせないため具体的には語らなかった。

 

 夜更けが近づく。

 シーナとハーヴェイは何度も時計を眺めた。エクレナは時計の針の音が、厭に大きく感じた。皆口数が少なかった。


 十一時三十分……、四十五分……、五十五分……。


 刻々と時間が迫って来る。シーナは固唾を呑んで見守った。ハーヴェイはソファに腰掛け、隣に座っているエクレナの手を握っていた。エクレナは鼓動が速くなるのを感じた。


 零時を廻った。


「……」

 皆押し黙った。


 無言のまま五分が過ぎた。エクレナはハーヴェイの歓喜の声をひたすら待っていた。

 


 更に五分が過ぎた。



 シーナが最初に口を開いた。

「もう、大丈夫なんじゃないかい……」

 それを聞き、エクレナもハーヴェイの手を握り直して問う。

「ハーヴェイ……?」


 ハーヴェイは空いている左手で自分の頬に触れた。

「……うん、成功だ」

「本当に!?」

 エクレナがハーヴェイの頬に触れる。両手で何度も感触を確かめると、エクレナはハーヴェイに抱きついて泣き出した。

「よかった。ハーヴェイ、よかった……!」

 ハーヴェイはほっとしたように微笑し、エクレナの髪を撫でて宥めた。シーナは緊張の糸が切れたように脱力し、床に座り込んだ。

 ハーヴェイが長年の苦しみから解放された瞬間だった。


   *


 それからハーヴェイは水を得た魚のように、積極的に外に出て他人と交流を持つようになった。

 今までは仕事場に直行し、終わればまっすぐ自宅に戻り城下町で過ごすことなどなかったが、盛り場で酒を飲むようにもなった。もう彼は夜更けを恐れ、深夜に自室に籠る必要はないのだ。


 ハーヴェイの美しさは城下町に忽ち広まり、噂を聞きつけた人々が色んな町から集まるようになった。酒場でハーヴェイは様々な人と飲んだ。言うまでもなくその殆どが女で、毎晩のように口説かれていた。

「私もご一緒していいかしら」

「君の肌は、雪のように白いね。何処の町から来たの?」

「ふふふ、この肌は自慢なの。ここからずっと北のフィノルデンから来たんだけど、ご存じかしら。冬は雪が深く積もってキラキラと光って、夜でも明るくて綺麗なのよ。よかったら今度一緒にどうかしら?」

「家族を置いてそんなに遠くへは行けないかな」

「所帯持ちなの? 意外ね。でもたまにはいいじゃない」

「それなら比較的近い私の町に来ればいいわ。フランドイスは地酒が有名なのよ。たくさんの種類があって、きっとびっくりするわ」

「へえ、いいね。もっと町の話を聞かせてよ」

「なによ、私のところなんてね——」

 そんな会話ばかり繰り広げられていた。



 シーナは懸念していた通りになって不安にかられたが、ハーヴェイとエクレナの間には特に変わったことはなかった。

 毎晩飲んで帰ってきても、やっと解放されたのだ、今まで避けていた人付き合いをするようになったのはよいことだとエクレナは寛大に思っていた。


 しかし、ハーヴェイはその内に仕事のない日も家を空けるようになった。

 やはり帰りは遅く、酒を飲んで戻る。時には朝まで帰らなかった。


 すれ違いの生活。しかも理由は仕事ではない。

 見兼ねたシーナはハーヴェイを咎めた。


「お前、最近遊びが過ぎるんじゃないかい」

「嫌だな、母さん。遊び回っているわけじゃないよ」

「何言ってるんだ、毎晩飲んで帰ってきて。呪いが解けた途端、眼の見えないエクレナを置き去りにするなんて可哀想じゃないか」

「見えなくても、うちのことはもう分かるし——」

「私は気持ちの話をしているんだよ!」

 シーナは声を荒げた。ハーヴェイは驚いたように眼を見開いてシーナを見つめたが、すぐに元の調子に戻って言った。

「まあ、僕も早いに越したことはないと思っているよ」


 謝罪でも弁解でもなく、要領を得ない返答にシーナはもう一度詰問しようとした。

「ハーヴェイ、お前ね——」

 そこに席を外していたエクレナが戻ったので、シーナは話を止めた。急に静かになったのでエクレナは首をかしげた。

「何でもないよ、エクレナ。部屋へ行こう」

 ハーヴェイはエクレナの肩を抱いて居間を出た。ドアが閉まると、シーナは歯痒そうに拳を握り、テーブルを強く一度叩いた。


「エクレナ、ここのところ僕はあまり家にいないけど、分かって欲しいんだ。今、知りたいことがたくさんある。色んな人と色んな話をして、全部吸収したいと思っている。必要なことなんだ」

 寝室に入るとハーヴェイはエクレナの肩を両手で掴んで、そう言った。

「充実しているのね。私なら大丈夫よ」

 エクレナは微笑みを浮かべた。

「よかった」

 ハーヴェイは、ほっとしたようにエクレナの肩から手を離すと、ベッドに腰掛けた。

 エクレナはハーヴェイに背を向けるように窓辺に近寄り、微笑の裏の気持ちを悟られないよう努めた。


 寂しくないと言えば嘘になる。しかし、寂しいと言えばハーヴェイは困るだろう。眼が見えない分、負担にはなりたくない。それに暫く経てば落ち着いて、また早く帰ってくるようになるはずだ。エクレナはそう思っていた。

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