四
ハーヴェイはすっかりエクレナに心を奪われていた。それは彼女が見た目に左右されないからではなかった。
言い寄ってくる女性の扱いは大方心得ていたが、エクレナのような女性は初めてだった。年上の包容力を見せたかと思えば、少女のように膨れる。見えていないとはいえハーヴェイが触れても、うっとりすることもなく涼しい顔をしている。
最初は調子が狂った。だが彼女といると不思議と安心するのだ。会えない日は何度も溜め息を吐き、気が付くとエクレナのことばかり考えている自分に赤面した。こんな経験は今まで一度もなかった。
エクレナは美しい女性の持つ華やかさも、艶麗なしぐさも持ち合わせてはいなかったが、そんなことはどうでもよかった。本気で人を愛するということはこういうことなのだろうか、とハーヴェイは胸を焦がした。
ハーヴェイがエクレナに会いにライザに赴くと、時偶ブレンダとリンジーに出会すことがあったが、ハーヴェイはその都度社交辞令でうまく躱した。
最初は魔法で遠くに追いやろうかと思ったが、エクレナの言葉を思い出してそれは止めた。
ブレンダたちはハーヴェイが足繁くエクレナの許に通うことで、二人の交際が嘘ではなかったことが決定的となり、ハーヴェイを興味の対象から外したようだった。
ライザの町では盲目のエクレナに美形の恋人ができたと噂になったが、ハーヴェイは歩き辛さから次第に人目を避けてエクレナを町から連れ出すようしたので、噂はそれほど長くは続かなかった。
*
ある日ハーヴェイは、静かに二人きりになれる森にエクレナを連れ出すと、奥に向かって歩き出した。
手を引かれながらエクレナは、いつもよりハーヴェイが速歩であることに気が付いた。
「ハーヴェイ、今日は歩くのが速いみたい。何かあった?」
ハーヴェイは驚いて歩みを止めた。全くの無意識だった。
「ごめん、気が付かなかった」
「ううん。大丈夫なんだけど、何かあったのかなって」
エクレナは不思議そうにハーヴェイの顔の方を向いている。ハーヴェイはその場で一度深呼吸すると、意を決したようにエクレナの手を両手で握った。
「エクレナ、僕は君といると、とても安らぐんだ」
唐突な発言に驚いたが、その内容にエクレナはすぐに笑顔になった。
「そう言われると嬉しい。ありがとう」
「エクレナとずっと一緒にいたいんだ」
ハーヴェイは真剣に伝えた。
「つまり、君と結婚したい。年下だし頼りないかもしれないけど、眼が見えなくても僕が支えになる。いや、なりたいんだ」
想いの強さを表すかのように、握った手に力を込めた。
「ハーヴェイ……」
エクレナは正直なところ、ハーヴェイと結婚することはないと思っていた。結婚願望はあったし、母親からハーヴェイの話を聞いた時は将来を心配する両親のことを第一に考え、そこに愛がなくとも嫁ぐつもりだった。呪いで姿が変わろうとも、眼の見えぬ自分には関係はないと思った。
しかし、何人もの女性が逃げ出したというのだから姿のことだけでなく、きつい性格で気難しいのではないかという点は心配だった。ところが実際に本人と話をしてみて、拍子抜けした。実体は幼さの残る傷ついた普通の青年だったので、なんだか放っておけなくなった。
エクレナはハーヴェイの優雅な振る舞いや時々みせる強引さに、どきりとすることはあっても、盲目の自分に対する他意のない行為だと思っていたので強く惹かれることはなかった。
しかし、初めてハーヴェイが変身した姿をエクレナに曝け出した後、状況が少し変わった。ハーヴェイは警戒心がなくなり、エクレナに懐くように接するようになった。それを受けエクレナは徐々に絆され、必要とされることに歓びを感じるようになった。
その内にエクレナも強くハーヴェイを求めていることに気が付いたが、自信を持てずにいた。女性慣れしている彼が、美しくもなければ何の取り柄もない自分を本気で好きになるとは思えない。心の傷が癒えてしまえば、きっとこの人は去る。恋愛感情を持ってはならない。そう自分に言い聞かせるようになっていたのだ。
エクレナは顔を上げると、心から微笑んだ。
「ありがとう、とても嬉しい。私もハーヴェイとずっと一緒にいたい」
ハーヴェイはエクレナの長い沈黙に気が気でなかったが、返事の内容に顔を輝かせると反射的にエクレナを強く抱き締めた。
「よかった。断られたら、立ち直れなかったかもしれない」
ハーヴェイは、ほっとしたように呟いた。するとエクレナは照れ隠しに、
「じゃあ嘘をついて、最初は断ってみればよかった」
と言ったので、ハーヴェイが驚いてエクレナの身体を離すと、エクレナはくすくすと笑い出した。
ハーヴェイは苦笑すると、もう一度エクレナを抱き締めた。
そうしてハーヴェイとエクレナは結婚した。
式はハーヴェイの家の前の丘で、晴れた空の下咲き誇る花の香りに包まれて行うことにした。ライザの町では以前噂が立ったこともあり、噂好きの住人に変な関心を持たれては嫌なのでこちらで式をできないかと、エクレナの両親から打診されたのだった。
エクレナは事情を知らなかったが、何も見えないので室内よりも香りや風を感じられる屋外の方が却ってよかった。
「もう終わった?」
「終わったよ」
支度が終わったかどうかハーヴェイが確認しに来たので、着替えを手伝ったシーナは席を外し、一足先に表に出た。
「エクレナ、綺麗だよ」
ハーヴェイは純白のドレスに身を包み、鏡の前に座っているエクレナの手を取ると、跪いて口づけた。
「ありがとう」
エクレナは微笑んだが、シーナが施してくれた化粧も、母の手製のドレスに身を包んだ自分の姿を見ることも叶わない現実が少し寂しかった。
そしてハーヴェイもいつにも増して美しいのだろう。エクレナは切なくハーヴェイの顔の方を見つめた。
「どうかした?」
「ううん、何でもない。私、幸せよ」
エクレナはハーヴェイに強く抱きついた。
こんな自分を愛し貰ってくれる相手に巡り会えたのだ。それ以上何を望むというのか。エクレナは眼を閉じて自分を戒めた。
「うん、僕も」
同じくハーヴェイも今、エクレナの眼が見えないことを寂しく感じていたが、見えないことで結ばれたのだという思いの間で揺れていた。
ハーヴェイはエクレナの腰に手を回し、二人同時に立ち上がると、呟いた。
「エクレナ、魔法をかけるよ」
「——何の魔法?」
思いがけない言葉にエクレナは顔を上げた。
「今日が永遠に焼き付く魔法」
ハーヴェイの返答にエクレナは瞠目した。心の中に焼き付けて忘れはしない。それを魔法と呼ぶのなら、とても素敵な話だと微笑んだ。
ハーヴェイはエクレナを抱き締めたまま何か呪文を唱えると、そのままエクレナの唇に優しく口づけた。
参列者はお互いの親族と、ハーヴェイの家に薬を買いにやって来て、居合わせた客のみの小さくひっそりとした式だった。
シーナは時折涙を拭った。エクレナの母親はずっと泣いていたので、それをいたわる父親の方は泣くに泣けず、堪えざるを得なかった。エクレナの妹と弟も自分たちの家族を連れて祝福した。
居合わせた客の中には、花婿の方が遥かに美しいので地味で垢抜けぬ花嫁が不釣り合いに見える者もいた。しかし、幸せそうな二人を見て不粋な思いをすぐに恥じた。
風薫る、美しい春の丘での結婚式だった。
*
エクレナはハーヴェイの家で暮らし始めた。
慣れるまでハーヴェイが壁などにぶつからないよう回避の魔法をかけてくれたのもあって、エクレナはよく働き、ふた月ほどで薬を買いに来る客の相手もできるようになった。
結婚後のハーヴェイは憂いが薄れ、客を避けることがなくなったため以前よりも女たちを魅了した。
常連客には愛想よく世間話をするようにまでなったので、女たちはこぞって話す機会を争った。姿が見えなければエクレナに所在を尋ね、すぐに戻る気配がなければ落胆した。
しかし、眼の見えぬエクレナが真摯に働いている姿を見ると、彼女から奪い取ってまでハーヴェイとどうにかなりたいと思う者はいなかった。
穏やかに毎日が過ぎていった。
ハーヴェイは魔法がなくても色々と動けるようになったエクレナを見て、ある晩食事の手を止めてこう言った。
「前から考えていたんだけど、エクレナもここでの暮らしに慣れたことだし、僕は城つきの魔法使いの元で助手として働こうと思うんだ」
城つきの魔法使いとは、その名の通り城について国の治安や医療への貢献のために、魔法の研究・開発及び記録などに従事する。優れた功績者ならば、王の計らいで時に政治に関わることもある。
当然誰にでも勤まるものではなく、高い魔法の能力を持ち合わせていることと、成人した男性であることが条件だった。
ハーヴェイは元の姿に戻るため日々研究は欠かさないし、十二歳で禁忌の魔法に手を出したくらいだ。元々魔法使いとしての能力は高い。
「もし採用されれば、給料も高いし、暮らしも楽になるよ」
「今の暮らしで私は充分だけど、ハーヴェイがやりたいのなら歓んで賛成するわ」
エクレナは言った。
「でもお前、何日も帰ってこれないことだってあるだろう」
シーナが懸念した。
彼女の夫、つまりハーヴェイの父親は、もともと城つきの魔法使いだったので、ある程度の内情は知っている。
「うーん、でも夜中に顔が変わることは最初に説明しておけば、皆魔法使いだから理解があるはず。大丈夫だよ」
「お城の研究室で、呪いを解く方法が見つからないかしら」
「そこなんだよ。あそこなら優秀な魔法使いが集まっているし、厖大な数の資料があるはずだから、仕事の合間に調べられないかと思っているんだ」
考えが重なってハーヴェイとエクレナは歓んでいる。
シーナはハーヴェイの顔が変わることではなく、エクレナと離れることを懸念したのだが、当のエクレナがハーヴェイに賛同しているので、口を噤んだ。
「エクレナも賛成してくれたし、決まりだね」
「私もうちでの仕事、頑張るわ」
ハーヴェイは安心したように食事を再開した。シーナは消化不良の感があったが、水を差すのも気が引けたので、何も言わずにやり過ごした。
*
翌日ハーヴェイは朝から城へと向かった。城まではここから俊足にした馬を使っても片道二時間ほどかかる。山あいの家はどこへ行くにも距離があった。
ハーヴェイは城下町に降り立つと、馬を繋ぎ城門まで歩いた。その間、例によって何人もの住人が振り返ったが、ライザの町より都会であるため人の出入りが多く不用意に騒ぎ立てる者はいなかった。
城に着くと、入城手続きを済ませるよう門番、兵士、事務方とやり取りをした後、召使いに案内され、やっと研究室に辿り着いた。
「上官殿、助手の試験を受けに来た者をお連れしました」
「入り賜え」
扉の奥からは厳粛そうな男の声がした。
「失礼します」
ハーヴェイが召使いと共に中に入ると、前室のような小さな部屋に上官と呼ばれた年配の男が一人机に向かい、書き物をしていた。頭髪も顎髭も白く、気難しそうに見えた。
「ハーヴェイ=ラドウィックと申します」
ハーヴェイが自己紹介すると、召使いは一礼をして退室した。男は書き物の手を休め、ハーヴェイの顔を見つめた。
「私はこの研究室で人事を任されているファビウスだ。では早速だが、君のことを少し教えて貰おうか」
ファビウスはそう言うと、席に着いたまま左手をハーヴェイにかざし、呪文を唱えた。
するとハーヴェイは金縛りに合い、直立したまま身動きができなくなった。
「……!」
ハーヴェイという人間の情報を、かざした掌にするすると吸い込んでいるようだった。その間ハーヴェイはまばたき以外の自由を奪われ、ただファビウスを見つめるしかできなかった。
「あい、分かった」
右手が下ろされたと同時にハーヴェイの金縛りも解けた。
「君はオーウェン=ラドウィックのご子息か。そして古の呪いにかかっている」
ハーヴェイは息を飲んだ。これほどの魔法を見たのは初めてだった。
「……はい。仰る通りです」
「そう固くならずともよい。何もこの魔法は心の中を読むものではない。あくまで一人の人間の軌跡を読み取るものだ」
「そうですか……。しかし、驚きました。習得するにはかなりの修練を積まねばならぬ魔法なのではないですか」
「まあ、誰でも使えるものではないな。そんなことより君がここへ来た理由は、その呪いを解くためということでよろしいかな」
ファビウスは目線を机に戻し、書き物を再開した。
「第一は自身の成長のためです。父の死後は魔法を独学するしかなかったので、まだまだ未熟な自分を指導して頂きたく参りました。勿論呪いは解きたいですが、自ら招いたことですし、仕事より優先させるようなことはありません」
ハーヴェイは本心を伝えた。
「ふむ」
ファビウスは顔を上げると左手の親指と人差し指で顎髭を撫でた。
「もしやファビウス殿ほどのお力があれば、この呪いは容易く解けると仰るのですか」
ハーヴェイは期待感を抱いてファビウスを見つめた。ファビウスは持っていた羽ペンを机上のペン挿しに戻すと、両手を組み顎を乗せた。
「呪いというものはそう簡単に解けるものではない。まず原因と背景を読み解いていかねばならぬ。複雑に絡み合う糸を一つ一つ丁寧にほどいていくのと同じことだ。残念ながら今までここに仕える者で、呪いを解いたというのは聞いたことがないな」
「そうですか……」
ハーヴェイは落胆した。
「君は自分の力で日中は元に戻ることに成功した。それは幾つの時かね」
「十八です」
「そうか。では君は採用としよう。早速明日から来なさい」
「えっ、しかし、試験があると伺いましたが……」
「君の実力は呪いの件で証明されている。オーウェンの息子ということで身元も確かだ。試験の必要はないと判断した」
「ありがとうございます……!」
ハーヴェイは跪いて頭を垂れた。
「呪いを解く方法が見つかるとよいな。この奥の部屋にある資料は全て閲覧は自由だが、持ち出しは厳禁だ。心しておくように」
「はい」
「ではここに契約書がある。そこに座ってよく読み、同意できたならサインを。記入したら表にいる侍者に渡し、今日はもう下がってよろしい」
「承知致しました」
ハーヴェイは契約書を受け取ると、言われた通り壁際の机に座り一読した。内容は規約を遵守することと、時間外労働に関することなどで特に難しいものではなかった。サインを終えるとファビウスに断って退室した。
侍者は契約書を受けとると、おめでとうございますと一言添えた。ハーヴェイは笑顔でお礼を言うと、また案内の召使いに連れられ、城を出た。
ハーヴェイは呪いを解くための鍵を一つ手に入れたと自身を奮い立たせた。
家ではエクレナの母親がいつものように痛み止めを買いに来たが、それを見送ってしまうと客足が途絶えたので、シーナとエクレナは揃って昼食を摂ることにした。
食卓に着くとシーナは思った。恐らくハーヴェイなら採用されるだろう。名誉あることで歓ばしいが、問題はあの子の性格だ。好奇心旺盛で少し流されやすい。都会の生活に染まり、あまり家に戻ってこなくなる可能性が否定できない。顔が元に戻ることは望ましいが、もし戻ったなら……。
「お義母様、どうかしました?」
エクレナが無言でいるシーナに尋ねた。
「いや、なんでもないよ。ちょっと考え事しててね」
シーナは慌てて弁明した。
「何かあれば言って下さいね。私にできることなら何でもしますから」
にこやかにエクレナは言う。シーナは思わずエクレナを抱き締めたくなったが、余計な心配をさせるだけなので堪えた。
ハーヴェイは昼過ぎに戻った。ドアを開くと開口一番、結果を報告した。
「やったよ! 早速明日から通うことになった」
「凄い! おめでとう!」
ハーヴェイとエクレナは手を取り、喜んでいる。
「おめでとう」
シーナは自分の不安が杞憂に終わり、この二人がいつまでも変わらず慈しみ合うことを願ってやまなかった。
*
翌日からハーヴェイの助手としての生活が始まった。助手はハーヴェイの他にあと三人雇う予定だと聞いたが、まだ彼等は試験の最中なので研究室には若い魔法使いはハーヴェイ以外いなかった。
研究室はいくつかの部屋に分かれており、まず小さな前室、そこを抜けると天井まで本で埋め尽くされた書庫になっていて、その左隣の部屋が会議室、右隣の部屋が実験室という造りだった。
実験室の中心には大きな釜が四つと釜を囲むように二つずつ、計八つの作業台と椅子が配置され、右の壁には魔法に使う様々な材料が陳列された大型の棚が並び、左の壁には見出しに名称を書いた小さな引き出しの並ぶ棚に、数多の薬草が種類別に仕舞われていた。
実験室では何十人もの魔法使いが、それぞれ忙しそうに仕事をしていた。ここにいるのは皆、選ばれた者たちなのだ。ハーヴェイは自分もその一員になれたことを誇らしく思った。
ハーヴェイはファビウスに連れられ、一人の男の前に着いた。
「君の直属の上司になるネイハムだ。今後は彼に付いて働いてもらう」
「ネイハムだ。よろしく」
ネイハムは研究室の中では比較的若い方だった。痩身で理知的な顔立ちをしている。
「ハーヴェイです。よろしくお願いします」
ハーヴェイは差し出されたネイハムの右手に自分の右手を添え、握手を交わした。
「君のことは色々と聞いている。随分優秀みたいだから、期待しているよ」
ネイハムは笑顔だったが、それが言葉通りの意味なのかそれとも皮肉なのか、ハーヴェイには計り兼ねた。
「頑張ります」
暫くは呪いのことは追いやり、仕事に集中しようとハーヴェイは決意した。
ハーヴェイの帰宅はちょうど夕食時だったので、食事をしながら仕事のことや研究室での話をシーナとエクレナに聞かせるのが習慣になった。
「やっぱり、あそこに集まる魔法使いたちは違うよ。勉強になる」
新たな刺激に胸を膨らませ、仕事に夢中のようだった。
「それに思った通り、気が遠くなるような数の資料があった。仕事に慣れたら少しずつ読み進めて、呪いを解く方法を探してみる」
「頑張ってね」
「うん。エクレナは僕の留守中、大丈夫そう?」
「大丈夫よ」
「エクレナに訊いているんじゃないよ。——母さん」
「うん、よくやってくれてるよ」
「そうか。安心した」
エクレナは本当によく働いていた。しかし、シーナはエクレナは独りじゃ何もできない方が本当はよかったように感じていた。




