二
約束通り、翌々日にハーヴェイは再びエクレナの許を訪れた。
「ライザは大きな町だよね。一度来たくらいじゃ、まだ何が何処にあるのかさっぱり分からないから、魔法がないと迷ってしまうかもしれない」
ハーヴェイが苦笑しながらそう言うと、エクレナはくすりと笑って、
「じゃあ今日は町を案内しましょうか」
と、言った。
「眼が見えなくても大丈夫なの?」
「生まれてからずっとこの町に住んでいるんだもの。見えなくても、もう慣れたものよ」
エクレナは少し得意気に言った。
ハーヴェイは感心して案内を頼むとエクレナは杖を持ち出し、ハーヴェイを連れてライザの町を歩き出した。
馬車が通った時、ハーヴェイがさりげなく車道側に回ったことにエクレナは気付いたが、ハーヴェイは何も言わずにやり過ごすので、その紳士的な振る舞いを尊重しエクレナも何も言わなかった。
「ここがいつも買いに行くベーカリー。いい匂いでしょう」
「エクレナが買いに行くの?」
「そう。匂いで何のブレッドか大体分かるわ」
エクレナは笑った。
「隣は仕立屋。妹の花嫁衣装は母が作ったんだけど、生地はここで買ったの」
「へえ。お母さんは裁縫が得意なんだね」
「ええ。私も刺繍は得意なんだけど……」
暗くなるので、今はもうできないという言葉は濁した。
「こっちに行くと市場」
段々人が増えてきたが、エクレナの足取りは軽かった。
「賑わってるね」
ハーヴェイが見渡すと、突然横から大きな声がした。
「エクレナ!」
エクレナが立ち止まると、若い女が二人駆け寄ってきた。
「ちょっと、ちょっとエクレナ! こちらは、だ、誰?」
ハーヴェイの方をちらちらと見ながら、背の高い方の女がエクレナの腕を掴んだ。
「紹介して!」
そばかすのある方の女が続いた。二人ともハーヴェイを見て興奮しているようだった。
「こちらはハーヴェイ。魔法使いなの」
エクレナはハーヴェイの方を見上げると、
「ハーヴェイ、こちらはブレンダと、リンジー。ブレンダは町長の娘で、リンジーはこの先の雑貨屋の娘なの」
背の高い方をブレンダ、そばかすのある方をリンジーと、エクレナは手を向けて紹介した。
「初めまして。ハーヴェイです」
ハーヴェイは品よく微笑しながら挨拶をすると、二人は同時に溜め息を吐いた。
「初めまして。私たちはエクレナとは古い付き合いなの。それで、ええと……エクレナとハーヴェイは、どういうご関係なのかしら?」
ブレンダがハーヴェイの方に尋ねた。
唐突に関係を訊いてくるなんて、随分不躾な女だとハーヴェイが驚いていると、エクレナが口を開いた。
「関係ってそんな、まだ知り合ったばかりでね……」
遠慮がちにそういうと、ブレンダとリンジーは小さく鼻で笑った。
「そうよね。まさかエクレナがこんな美形と男女の付き合いがあるとは思えないし」
「魔法使いなんでしょう? ねえ、どんな魔法を使えるの?」
エクレナを馬鹿にした二人の態度が気に入らなかったハーヴェイは、リンジーの質問を無視した。
「知り合ったばかりではあるけど、僕たちは結婚を前提に付き合っているんだ」
ハーヴェイが出し抜けにエクレナの肩を抱いて言い放ったので、エクレナは驚いて杖を落とした。
「結婚!?」
「嘘でしょ? エクレナ」
ブレンダとリンジーは、予想だにしなかった展開に眼を白黒させながらエクレナに尋ねた。
「え、ええと……」
エクレナがしどろもどろになっているので、ハーヴェイは耳元でそっと囁いた。
「この場はとりあえず、僕に話を合わせて」
エクレナはハーヴェイの香水の馥郁とした香りと、耳に掛かる吐息にどぎまぎしながらも辛うじて声を振り絞り、本当はそうなのと言った。
「嘘! だってエクレナよ? 眼が見えないのよ。あなた本気なの?」
ブレンダは納得いかないようにハーヴェイに問い掛けた。リンジーも頷いている。
この女たちは何が言いたいのだろう。ハーヴェイは段々腹が立ってきた。
ハーヴェイは杖を拾ってエクレナに握らせると、不機嫌そうに二人に視線を送った。
「本気だよ。もういいかな。二人の時間を邪魔しないで貰いたいんだけれど」
すると二人は気圧され、渋々道を開けた。
ハーヴェイは「それじゃ失礼」と言ってエクレナの肩を抱いたまま足早に立ち去ろうとした。エクレナが二人に向かって申し訳なさそうに、
「あ、じゃあ二人ともまたね」
と、言うと、ブレンダは面白くなさそうに吐き捨てた。
「どうせ見えないんだから、不細工と付き合っていればいいのに」
ハーヴェイがエクレナを見ると、下を向いていたので表情は読み取れなかった。
何故何も言わないのだろう。腑に落ちないハーヴェイは、後ろは振り向かずに歩きながら小声で呪文を唱えた。すると背後からブレンダが小さく悲鳴を挙げた。
「きゃ! 何よ!」
「返しなさい! 馬鹿鳥!」
何処からか鳥が飛んできて、ブレンダの髪飾りを奪って飛び去ったのだった。
「ハーヴェイ、もしかして魔法で何かしたの?」
悲鳴を聞いてエクレナが不安げに尋ねたが、ハーヴェイはその問いには答えずに歩き続けた。
「ハーヴェイ!」
エクレナがハーヴェイの腕を強く掴んだので、ハーヴェイは歩みを止めた。
「……鳥を使って着けていた髪飾りを外しただけだよ。ちょっと懲らしめてやろうと思って」
ハーヴェイが観念して白状すると、エクレナはハーヴェイを咎めた。
「そんなことをしては駄目。すぐに返してあげて」
「だって君は侮辱されたんだよ? 何とも思わないの? 大体何なんだあの二人は。失礼にも程がある。古い付き合いだとか言っていたけど、友達ではないよね? 友達ならあんな態度はしないはずだ。何故エクレナは何も言わないんだ」
ハーヴェイが息巻いて矢継ぎ早に質問をするので、エクレナは困った顔をした。
「きっとハーヴェイが美形だから、嫉妬しちゃったのよ。根は悪い子たちじゃないの。お願い、返してあげて」
ハーヴェイは何故あの二人を庇うのか納得はいかなかったが、エクレナが懇願するので仕方なくまた呪文を唱えた。すると髪飾りを銜えた鳥は旋回し、持ち主の頭上に髪飾りを落としていった。
「返したよ」
「よかった。ありがとう」
エクレナは、ほっとしたようだった。ハーヴェイはお礼を言われて複雑な気持ちになった。
「エクレナは、気にしないの?」
ハーヴェイがトーンを落としてもう一度尋ねると、エクレナはまた困った顔をした。
「……昔、見えないことで二人に迷惑をかけたことがあってね。身体に不自由な部分があることは、経験しないと分からない人の方が多いわ。それは仕方ないことだと思う。だけど嫌な思いをしたからといって仕返しや逆恨みをしては、自分を貶めるだけ」
「……」
ハーヴェイは己の子供染みた行為を反省した。無言のハーヴェイに気付いたエクレナは慌てて言い添えた。
「でも、ハーヴェイが怒ってくれたのは嬉しかった。ありがとう」
エクレナは優しくハーヴェイの手を握った。
「だけど、もう仕返しなんて子供みたいなことは駄目よ。あなたの品位を下げるだけ。それに魔法で人に害を及ぼすことは、法律で固く禁止されてるでしょう」
エクレナは子供を諭すような口調で言った。
「……ごめん」
「うん。素直で宜しい」
エクレナはいたずらっぽく笑った。
相手が年上だからだろうか。ハーヴェイは酷く自分が幼く感じた。女性を前にしてそう感じるのは初めてのことだった。
「さあ、行きましょう。案内の続きをするわ」
「うん」
市場に入り、エクレナは順に並ぶ店を案内をして歩いた。馴染みの店では店主の方からエクレナに声を掛け、彼女はそれに笑顔で応えた。場所と声で正確に相手を認識しているようだった。
「お父さん」
エクレナは魚を売っている店の前で立ち止まると、接客が終わった男に向かってそう呼び掛けた。
「おお、エクレナ」
髭を蓄えた男はエクレナに向かって破顔した後、隣に佇み自分を見ているハーヴェイに気が付いた。
「エクレナ、こちらは?」
「ハーヴェイ。一昨日、訪ねてきてくれた魔法使いの」
「ああ……」
父親が得心すると、ハーヴェイが挨拶をした。
「ハーヴェイです。初めまして。僕はこの町をよく知らないので、今案内をしてもらっているんです」
にこやかにそう言うと、エクレナの父親はハーヴェイの上品な香気と優雅な雰囲気に呑まれたようで、口籠った。
「あ、ああ。大したものはない町だけど、ゆっくり見ていっておくれ」
生魚の匂いに包まれた店に、別世界が訪れたような感覚だった。
「じゃあ、仕事頑張ってね」
エクレナが小さく手を振って歩き出すので、ハーヴェイはもう一度父親に笑顔を向け別れの挨拶をした後、エクレナに続いた。父親は想像以上のハーヴェイの姿に、二人が去った後も、しばし呆然と佇んでいた。
途中、エクレナに子供がぶつかりそうになるのをハーヴェイが素早く肩を引き寄せ、回避させることが一度だけあったが、概ねエクレナは不自由なく歩いた。
「市場を抜けると港へ出るの。そこでは、おこぼれを貰おうと猫がたくさんいるのよ」
エクレナは前方を指差した。ハーヴェイがその方向を見ると、人波の隙間から僅かに海が見えた。
「本当だ。潮の香りが濃くなった」
港へ着くと漁夫たちが網を纏めていたり、荷物を運んだりしていた。そのそばには、エクレナのいう通り何匹もの猫がのんびりと寛いでいた。
「人間に慣れたものでね、ちっとも逃げないのよ」
エクレナが立ち止まると、白い猫が一匹擦り寄ってきた。エクレナはしゃがんで猫の頭から背中にかけて撫でてやると、猫は気持ちよさそうに身体を伸ばし、尻尾を立てた。
「少し休憩しましょうか」
「そうだね」
エクレナは猫に別れを告げて立ち上がると、近くのベンチを通りすぎて、そのそばの石造りの階段の隅に腰掛けた。
「ベンチに座らないの?」
ハーヴェイが不思議そうに尋ねると、エクレナは笑って答えた。
「ベンチには人が座っていかもしれないけど、ここなら誰も座らないから」
眼が見えないとそういったことも考慮せねばならないのかと、ハーヴェイは冷たい階段に躊躇なく座るエクレナを見つめた。
隣に座る様子がないので、どうしたのかとエクレナはハーヴェイの名を呼んだ。するとハーヴェイは呼びかけには答えずに呟いた。
「……エクレナは立派だよね」
「え?」
「視力を失っても腐ったりしないで、前向きだ」
ハーヴェイのその言葉に、エクレナは遠くを見るような表情をした。
「……最初はずっと嘆いて暮らしていたわ。だって突然見えなくなるんだもの。見えないなんて信じられなかった。夢なら覚めてと毎日思ってた。でも、夢じゃないの。どんなに嘆いても治らない。気付くと、家族みんなが暗くなってしまっていたの。このままじゃいけないと思って、それからは泣くのをやめたの」
ハーヴェイは黙って聞いていた。
「嘆いて暮らしても笑って暮らしても、同じように時間が過ぎていく。それなら、笑って過ごしたいと思っただけ」
エクレナは膝を抱えた。
「最初から気にしてなかった訳じゃないから、全然立派じゃないわ」
エクレナはハーヴェイの視線を憚るように俯いた。ハーヴェイはここでようやくエクレナの隣に腰掛けた。
「……僕は未だに、本気で人を信用できない」
座るなり、ハーヴェイはそう呟いた。エクレナは顔を上げると、ハーヴェイの方に向けた。
「僕はエクレナと違って、自ら招いて醜い姿になってしまった。でも、許せないんだ。表面的なものしか見ないで勝手に好意を寄せておいて、醜いと分かれば逃げていく。その人間性が僕には許せない。でも本当は独りは嫌なんだ。なのに、近づいてくると避けてしまう。結局僕は、中身も醜いのかもしれない」
ハーヴェイは初めて他人に惑う胸中を披瀝した。
「ハーヴェイ……」
エクレナは素直に本心を打ち明けるハーヴェイに好感を覚えた。母性本能をくすぐるというやつなのだろうか。何とか力になってあげたいと感じた。
「醜いと思えば、本当に醜くなってしまう。やめた方がいいわ。でも、今そうやって悩んで考えるというのは、前へ進むために大事なことだと思う。大丈夫、必ず解決できるわ。自信を持って」
エクレナはハーヴェイの手を握った。それは恋愛感情でなく、家族や同士に向けた激励のような感情であると自分では思った。
「エクレナ……」
ハーヴェイは手を伝って温かいものが内側に流れてくるように感じた。
「焦らないで。私に何かできることがあれば協力するから、遠慮なく言ってね」
エクレナは強さと優しさを交えて、ハーヴェイを励ました。
「ありがとう」
気が付くと、海風が少し冷たくなっていた。ハーヴェイはエクレナの手を握り返した。
「……また、来てもいいかな」
ハーヴェイは少し照れながらエクレナに尋ねた。
「勿論」
エクレナはハーヴェイの含羞に気が付いたが、それは赤裸々に感情を吐露したせいだと思い、微笑ましく感じた。
「エクレナは、何処か行きたいところはあるかな」
「うーん……」
エクレナはしばし考えたが、見えないので特に行きたいところは思い浮かばなかった。
「ハーヴェイにお任せするわ」
「分かった。次までに考えておくよ」
それからハーヴェイは頻繁にエクレナの許を訪れるようになった。




