「お前は誰だ」と言われて婚約破棄されそうになった話
「ガーネット、僕は君との婚約を破棄したいと思う」
人払いをした城の応接室。私の婚約者であり、この国の第一王子でもあるゼオは私の目を見てまっすぐに言った。彼のくっきりとした碧い目には、強い決意が浮かんでいる。
「ゼオ様、いきなりどうされましたの? わたくし達、今まで婚約者として仲良くやってきたではありませんか」
「今までは……ね」
ゼオは長いまつげをふっと伏せた。
私をいきなり城に呼びつけたと思ったら、婚約破棄ですって? いかんいかん、非常にまずい。それだけは阻止しなきゃ。
「おほほ、ゼオ様、戯れはおよしになって」
私がゼオに触れようとすると、彼はバシッと私の手を払った。
「触るな! ……お前は誰だ? 僕の知るガーネットはそんな笑い方をしない。なんだよ、『おほほ』って……」
あーミスった。ゼオがすごい怪訝な目でこちらを見てる。頑張って誤魔化さなきゃ!
「うふふ。何と言いましょうか、わたくし先日大けがをした影響で記憶があやふやでしょう? それで以前とは少し雰囲気が変わってしまったと、家族や使用人からも言われるんですの。でもなるべく早く記憶を取り戻すように努力いたしますし、ゼオ様におかれましては気長に待っていただけたらと——」
するとゼオは私の話を遮るようにして言った。
「記憶があやふやなだけなら、僕だって婚約破棄を言い出したりはしない。でも、君はまるで以前とは別人じゃないか。ちょっとした仕草も、喋り方も、笑い方も、貴族令嬢らしい所作も何もかもが別人だ。君はガーネットじゃない。……僕はね、お前はガーネットの体に入り込んだ悪霊か何かだと思っているんだよ」
ゼオはジャキ……と重い音とともに、腰に差していた剣を引き抜いた。
なんで騎士でもないのに城の中で帯剣してるのかなって思ってたよ!
私を刺すためじゃん!
「ひぇぇ、ゼオ様! 落ち着いてください! 私は悪霊なんかじゃありません!」
「では、お前は誰だ⁉」
人払いをした応接室の中、ゼオの怒りに満ちた声が響く。彼は私の喉元に剣をつきつけ、きつく睨みつける。
ああもう、これ以上は誤魔化しきれない。
「あうう……私の話、信じてくれますか? 本当に、悪霊じゃないんです……でも、貴方の婚約者のガーネットでもないんです」
私はぽつぽつと、先週からの出来事を話した。
◇
1週間ほど前のこと。
私はひどい頭の痛みとともに目を覚ました。
見覚えのない豪華な部屋、「ガーネット様が目を覚ました!」と喜ぶ人々、私の事を娘と呼ぶ知らないおじさん。その全てが私にとって全く見覚えのないものだった。
私は日本人のはずだ。それなのに、どうして西洋風の名前で呼ばれ、そして中世ヨーロッパ風の服装の人々に囲まれているのだろうか。
重い体をひきずり、ベッドの近くにあった姿見に自分を映して、思わず悲鳴が出た。
「きゃああ! 誰よこれ⁉」
鏡に映っていたのは、薄緑色のロングヘアの、幸が薄そうな女の子だった。歳は高校生くらいだろうか。
私は日本でOLをしていた26歳だ。どう考えたって、こんな見た目じゃない。
私が鏡の前で口をパクパクさせていると、周りの人からお医者様と呼ばれるおじさんが言った。
「大けがのせいで記憶が混濁しているのでしょう。きっとすぐに元のガーネット様に戻りますよ」
ところがどっこい、それから数日経っても私はガーネットとしての記憶を取り戻すことはほとんど無かった。唯一、暴漢に襲われて大けがを負い、意識が途切れる間際のことだけは鮮明に覚えている。突如視界を切り裂いた黒い爆風と、頭部に走った鋭い痛みと言いようのない恐怖は体に深く染み込んでいるようで、記憶から消えることはなかった。
代わりに思い出したのは、日本にいた頃に仕事の帰りに車に轢かれそうになった記憶だけ。暗い夜道で迫りくるヘッドライトの強烈な光、それが私の見た最後の景色だ。
おそらく、私は日本で死んで、そして魂がガーネットという貴族令嬢の体に入り込んでしまったらしい。流行りの異世界転生というやつか?
周りの人の話を総合すると、どうやらガーネットは先日馬車で移動中に金銭狙いの暴漢に襲われ、死の淵をさまよったらしい。ガーネット以外の同行者は全員死亡したという。
おそらく、ガーネットもそこで死んだのだ。彼女の体と魂の繋がりが切れてしまったところに、運悪く私の魂が入り込んでしまったということじゃないかなぁと思っている。
以前と様子が変わってしまったガーネットを、彼女の家族や使用人たちはいぶかしんだ。
けれどガーネットが残していた日記のおかげで、おおまかな人間関係や人柄、身近な人の好みなどは把握することができた。それでこの数日、なんとか凌いできたのだ。
どういう訳かこの世界の文字も読めるし、みんなの言葉も分かるのだ。それは明らかに日本語ではないのだけれど。
このままなんとか誤魔化しながらガーネットとして生活していけるかな……と思っていたけれど、甘かった!
ゼオだけは誤魔化しきれなかったみたい。
◇
私がこの一週間のことを話し終えると、ゼオは私の喉元に剣を突きつけたまま言った。
「やはりお前は悪霊ではないか! 僕の愛するガーネットはどこだ⁉」
「知りませんって! 暴漢に襲われた時に死んだんじゃないですか? 私だって急に知らない世界に来ちゃって戸惑ってるんですよ!」
「僕のガーネットを返せ! ああ、かわいそうなガーネット。彼女の魂はきっと悲しみに暮れているに違いない。僕が寄り添ってあげれたら、どれだけいいか」
「あ、ガーネットは全然ゼオ様に寄り添ってもらわなくて大丈夫だと思いますよ」
「貴様ッ、悪霊の分際で知ったような口を聞くな!」
ゼオの剣がもう私の首を刺しそうになっている。けれど、これは事実なのだ。
「だって、ガーネットの日記に書いてありましたもん。『ゼオ様ってばナルシストすぎて無理、婚約解消したい。王妃とかなりたくないし』って」
「嘘だ! 適当なことを言うなァ!」
「嘘じゃないですよ。ほら、ガーネットの日記を持ってきたんですけど、見ます?」
私はガーネットの髪色と同じ、薄緑色の表紙の日記をずいっとゼオに差し出す。万が一ゼオとの会話が成り立たなかった時の保険として、日記を持ってきていたのだ。
ゼオは日記と私を交互に見比べたあと、恐る恐るそれを手に取った。
パラ、パラ、と日記をめくる音だけが部屋に響く。ガーネットの日記は割とどこのページにもゼオに対する不満が書いてあるので、どこから読んでも私の主張に食い違いがないことが分かってもらえると思う。
「嘘だ……そんな、そんな訳が……」
ゼオはページをめくる度に悲壮感を増していく。
かわいそうだけど、分かってもらえて良かったと思う。ガーネットも若くして死にたくなかったと思うけど、ゼオと縁が切れたのは良かったかもしれない。だって王妃とか大変そうだし。
「分かってもらえましたか? ガーネットの本音」
「くっ……こんなもの、信用できるか! どうせ貴様が捏造したものだろう⁉」
「あのね。捏造したんだったら、数か月前の園遊会の様子についてとか、ゼオ様が騎士団の練習に参加した話を2時間以上一方的に語ってた様子とか、こと細かに書けると思いますか? ていうか、ガーネットの日記を読む限りだと、ゼオ様って一方的に自分の話ばっかりしてますよね。彼女の話に熱心に耳を傾けたことがどれだけありますか? 普通の女の子がそんな相手に嫁ぎたいと思います? あーあ、ガーネットかわいそ」
私が心のままに喋ると、ゼオはしゅるしゅると小さくなっていった。もう残基ゼロって感じ。
ガーネットの中身が私という別人であることが王子本人にバレ、さらにここまでコテンパンに言ってしまった以上、これはもう婚約破棄コースまっしぐらに違いない。
ガーネットの実家は昨年当主である父が死んでしまったため、後ろ盾が非常に弱い。だから王子との婚約が破棄されれば、家まるごと傾きかねない。
いや、それよりも私に限って言えば、婚約破棄コースからの断罪コースもありえる。不敬すぎて死罪、とか国外追放、とかも全然ありえる。ヤバい。
今後の自分の境遇を想像して背筋がひんやりと冷えた頃、私達のいる応接室にゼオの家臣と思しき長身の青年が飛び込んで来た。
「ゼオ様……ガーネット様とお話の最中かと思いますが、少しよろしいでしょうか」
青年は額いっぱいに冷や汗を浮かべて、チラチラと私の方を見る。
「構わぬ。何かあったのか?」
「それが、面会の予定もないのに急に他国の使者が城に押し入ってきたのです。城の者に暴力を振るう訳ではないのですが、かなり怒っていて、我々では埒が明きません」
「ほう。それで僕の力を借りに来た訳だな? 今、父上と母上は隣国へ外遊中だ。留守を任された僕こそがその問題解決にふさわしいと言う訳だろう? ふふ、宰相たちの手にも余る案件なのだろうが、僕が華麗に解決して——」
「あ、違います。力をお借りしたいのはガーネット様の方でして」
青年は眉をハの字にして私を見る。まるで捨てられた子犬のようだ。
「なぜ僕ではなくガーネットなんだ」
「それが……他国の使者というのが、獣人族なのです」
◇
私は青年の後に続き、今いる応接間から別の応接間へと場所を移す。そこに獣人族の招かれざる使者がいるという。
彼らの待つ応接間へと入ると、赤のふかふかとした見た目のソファに、ヌメヌメとした見た目の男たちがどっかりと座っていた。
男たちは両生類だか爬虫類だかよく分からないのだが、服の裾からのぞくゴツゴツとした皮膚の表面がうっすらぬめっと光っていて、一目で私達と同種族ではないことが分かる。獣人族の中でも、水際を好んで住んでいる少数部族のようだ。
彼らの向かいに座っていた宰相は、すっかり困り切った顔で汗を拭いていたが、私の顔を見るなりぱあっと顔を輝かせた。
「ガーネット様! ……とゼオ様もいらして下さったんですね。これは心強い」
明らかにオマケ扱いをされたゼオは、すこしムスッとしている。
「どうされたのですか?」
「それが、急に獣人族の使者の方がお見えになったのですが、あいにく城に獣人族の言葉を操れる者がおりませんで……彼らがひどく怒っているのは分かるのですが、何に対して怒っているのか見当がつかないのです」
獣人族は隣国に住んでいるのだが、彼らとは文化も生活様式も、また言語もかなり異なる。普段は通訳士を介してコミュニケーションを図るのだが、どういう訳かいま城には通訳士が一人もいないという。
「通訳士が一人もいないだと? ベケルは? シラクは? 同時に休みを取るなんてことはありえないだろう?」
城には面会はなくとも、各国から外国語でしたためられた文書なども多く届く。滞りなく様々な事務をこなすためには、この世界において通訳士の存在は欠かせない。下町ならまだしも、他国とのやりとりも多い城においては重要な職なのだ。
ベケルとシラクはそんな城で長く働き、周囲からの信頼も厚い通訳士だ。
「それが、ベケルもシラクも数日前から行方不明なのです」
「なんだって?」
私とゼオは思わず目を合わせた。
「2人とも連絡がつきません。いいえ、2人以外にも通訳士のスキルを持つ全ての者が、連絡が取れないか、病に臥せっている状態でして」
「どういうことだ……?」
「こういう状況ですので、異種言語を理解できるガーネット様が来てくださって本当に助かりました!」
宰相は冷や汗をふきふき、まるで救世主が登場したかのように私を見た。
何を隠そう、あまたの美しい令嬢の中からガーネットが王子であるゼオの婚約者として選ばれた背景には、異種言語に長けているからという背景がある。
なんというか、ゼオはあまり勉強が得意ではないようで、その頭の弱さを補える妃候補が望まれていたそうだ。
ガーネットは運動や裁縫などはてんでダメだが、勉強だけはすこぶる得意だったようだ。特に外国語が大好きで、学校で習わないマイナーな言語までも数多くマスターしている。もちろん獣人族の言葉や、少数部族のきつい訛りなども日常会話程度なら分かる。中身が私に代わってしまっても、その能力には変わりがないようだ。
私はヌメヌメした獣人に簡略的な挨拶をすると、早速本題に入った。
「ゲココ……ゴロロケケケグルウカ%$*#$——?(本日はどのようなご用件でお越しになったのでしょうか?)」
「グルルカ! ゴククッカ&%$**@——!(国境付近で、警備にあたっていた我々の同胞が多数殺害されたのだ! 近くにはお前たちの国の紋章入りの武器が落ちていた! これは許されざる行為である!)」
「なんですって……⁉」
固唾を飲んで様子を見守っていたゼオが、少し苛立った様子で口を開く。
「ガーネット、獣人族の使者は何と言ってるんだ?」
私はすかさず獣人族の言葉を翻訳した。
「うちの国の紋章入りの武器で獣人族を攻撃? そんなことはありえない。紋章入りの武器は全て騎士団のものだ。しかし彼らは今外遊中の王たちの警護にあたっているか、国境から遠く離れたこの城の敷地内で訓練しているかのどちらかだ。武器の管理は厳しいと聞いているし、簡単には持ち出せない。獣人族の国との国境まで持ち出して、ましてや彼らを何人も殺すだなんてありえない——と彼らに伝えてくれ」
私はゼオの言葉をそっくりそのまま獣人族に伝えた。しかし、ゼオの言葉は火に油を注いだようで、獣人族たちはその大きな眼球をギョロギョロと動かしながら激昂した。
「グルルッカ! ゴアルルゲココ&##$:@&%⁉(そんなはずはない! 逃げていく犯人グループを目撃したが、お前達の国の服を着ていたぞ!)」
私達の国は、周辺国家の中でも民の見た目が特徴的だ。男女ともに服の裾が長く、年間を通して寒いため誰もかれもブーツを履いているのだ。おまけに皆肌の色が白く、髪の色素も極端に薄い。周辺国家の民と比べても、服装も人種的な特徴も大きく異なるのだ。
おそらく、そういった見た目の特徴と、武器の紋章のふたつを理由に獣人族の使者は城へやってきたようだ。
「グルルッカゲエコ……クカカゲコカ$*@&%$——(今日は亡くなった同胞の補償を求めに来たのではない。開戦の通告書を持ってきたのだ! 我々が無事に国に帰れば10日後に開戦、我々が万が一国に戻らなければ即時開戦すると国王は決断されたのだ!)」
獣人族は私たちの間にあるテーブルに、開戦通告の紙をバシンと叩きつけた。
「かかか、開戦⁉ 戦争するってことですか⁉」
私が思わず声をあげると、ゼオたち他の人間もビクリと肩を震わせた。
使者がずいぶんと腹を立てているのは分かったが、まさか開戦を告げられるとは思っていなかったのだ。
この国はもう100年ほど平和を維持している。戦争なんて何世代も前の出来事だ。ここで開戦だなんて、しかも国王の不在時にそんなことを言われたらたまったもんじゃない。なんとしてでも阻止しなくては!
「ガーネット、獣人族の使者たちは何か勘違いしているのではないか? 父上だって戦争など望んでいない。ここにいる国の重役たちも、みな平和を望んでいるのだぞ!」
ゼオはまっすぐな瞳で言った。私もそうであってほしいと思う。
けれど——実際のところはどうだろうか?
戦争をすれば儲かる人間は必ずいる。開戦すれば甘い蜜を吸える人間が必ずいる。日本だって異世界だって、どこでも私欲のために戦争をそそのかす人間はいる。そんな奴らにとって国民の平和や安全などどうでもいいのだ。
「ガーネット、獣人族を説得できるのは君だけだ。頼む、この国の平和を守ってくれ……!」
ゼオは懇願するように私を見る。でも、私だって元の世界でも20代だし、ガーネットに至ってはまだ成人もしていない少女だ。そんな少女に国の命運を託さないでほしいんですけど。
本来ならベケルやシラクなど、経験豊富な通訳士が対応に当たったはずだ。どうして私なんかが——と思ったところで、ふと気が付く。
待てよ。ベケルもシラクも、その他の通訳士も全員行方不明か急な病で臥せっているそうだ。おまけにガーネットも先日暴漢に襲われて死の淵をさまよった。どういう訳か、通訳ができる人間ばかりに不幸が降りかかっている。これは果たして偶然なのか——?
私は獣人族の方に向きなおす。
「ゲコゲーコクルルグカプラ%*@@*$%#(1日だけで構いません。私達に猶予を下さい。私達は開戦を望みません。おそらく、裏で暗躍している何者かがいます。私たちはその何者かを捕まえます。もし可能であれば、お力添えください)」
◇
私はゼオや彼の側近とともに元の応接室へと戻った。ゼオの側近は、私の独断により実家が獣人族との国境に近いものだけを選んだ。開戦すれば国境の近くは間違いなく戦火に包まれる。実家が被害を被る可能性の高い彼らなら、黒幕と関わっている可能性は低いだろうと踏んだのだ。
「ゼオ様、獣人族には1日だけ猶予をもらいました。その1日の間に、この騒動の黒幕を見つけなければなりません」
「黒幕……というと、これは仕組まれたことだと言うのか?」
「そうです。王が外遊でいない時期を狙い、更に通訳士やそれに準ずるスキルを持った者を城から計画的に排除したものと思われます。ガーネットが……私が生きているのはおそらく黒幕にとって計算外なのでしょう。もしくは、記憶が混濁しているから通訳も不可能だと思われているのかもしれません。獣人族と言葉でのコミュニケーションができなければ、混乱に乗じてあっさりと開戦できると考えたのでしょう。けれど、黒幕の思い通りにはさせません。いいですか、国の留守を預かるゼオ様がこれを解決するのです!」
「ぼっ、僕にそんなことができるわけ——」
「つべこべ言わずにやるったらやるんだよ! あー、コホン、言葉が乱れましたわ。おほほ。いいですか、作戦は——」
私はゼオに作戦を伝えると、応接間の続き間の扉の向こうへ身を隠し、その扉の隙間からそっと応接間の様子をうかがう。
ゼオが作戦を実行に移してから半刻ほど経った頃。私たちのいる応接間にとある中年の貴族が現れた。
この男に見覚えはない。私がガーネットの体に入ってからは会ったことがない人物だ。男はアシルと呼ばれ、豊かな巻き毛をふわふわと揺らしながら、しかし気だるそうにソファへと座った。
「ゼオ様、国王陛下不在の折にこんなことになり、さぞかしご不安なことと存じます。なんでも、獣人族の使者が突然現れたものの、対応できる通訳士がいなくて話が通じなかったとか」
「ああ、とんでもないことになってしまった……。病に臥せっている君をわざわざ呼び出してすまない」
アシルは城の通訳士の一人らしい。
「いえいえ、構いませんよ。獣人族は大層お怒りだそうで?」
「ああ、そうなのだ。幸い城には外国語に明るいガーネットがいたのだが、彼女は先日の事故でまだ記憶が混濁しているようで、獣人族との話し合いの役には立たなかった」
本当は獣人族と話ができている。こちら側で黒幕を捕まえるための猶予ももらっている。しかし、黒幕をあぶりだすために、あえて私が役立たずだったという設定にしている。
アシルは用心深くあたりを伺うと、少し声を潜めてゼオに尋ねた。
「……獣人族は何を要求しに来たのでしょうか?」
「詳しくは分からないのだが、何やらこういった紙を持参したのだ。アシルにはこれが何か分かるか?」
ゼオは獣人語で書かれた開戦通告書をアシルへ手渡した。すると、アシルは大きく目を見開いてみせた。その様子が少々芝居がかって見えたのは私だけだろうか。
「こ、これは……!」
「アシル、どうしたのだ」
「ゼオ様、大変です。これは開戦通告書です! 彼らは我が国と戦争を始めるつもりなのです! 国王不在の折をあえて狙った、計画的な行動に違いありません。野蛮な獣人族のことですから、いつかこんなことが起こるのではないかと心配しておりましたが……」
「アシル、僕はどうすればいい?」
ゼオがずいぶんんと不安そうに見えるのは、演技が上手なのか、はたまた本当に王子としての責務を果たせるのか不安だからなのか。
「ゼオ様、もう開戦は避けられないという前提で、武器を調達いたしましょう」
「武器を……? まさか、そんな。僕は何としてでもこの戦争を回避したいのだ。アシル、そのための知恵を貸してくれ」
「いいえ、ここで先手を打たなければ、王がお戻りになった頃には獣人族との国境付近は戦火の渦に巻き込まれているでしょう。取り急ぎ武器を国境警備隊に送り、開戦に備えるのです! さすれば、ゼオ王子の迅速な判断に王も感心なさるでしょう」
「そんな……そんな……」
小さく首を横に振るゼオに対し、アシルは悪い顔で囁く。
「わたくしの懇意にしている武器商人がおります。空を飛ぶ新型爆弾などもあるそうです。ゼオ様、ここは戦果を挙げて王のお帰りを待つという手もあります」
「先に獣人族の国へ攻め入るというのか⁉」
「なあに、少し相手を驚かすだけですよ。ゼオ様、ご決断を!」
「なにがご決断を、よ! ふざけんじゃないわよ!」
私は扉をバーンと開け放ち、ゼオたちの前につかつかと歩み寄る。アシルは私を見て口元を歪めた。
「これはこれは、ガーネット様。先日大けがをなさったそうですが、お加減はいかかですかな」
「おかげ様で記憶は混濁したままだし、気分は最悪よ。そんなことより、黒幕はアンタだったのね」
「はて、何のことやら」
アシルは意地悪い笑みの中に余裕を浮かべる。
「ケロロクロッカプララ―クァ&‘$%**@&(獣人族の皆さま、お入りください)」
私の言葉を合図に、獣人族の使者たちも応接間へと現れる。
実は彼らも一緒に扉の向こうで待機し、ゼオとアシルの様子をうかがっていたのだ。
「獣人族ッ……! 会話がロクに成り立たなかったはずでは⁉」
「まさかぁ。わたくしガーネットにかかれば、彼らとの会話なんて朝飯前ですわ。ところでアシル……いいえ、武器商人アシルーラ。あなたが城で通訳士として働き出す前、武器商人として獣人族の国へと出入りしていたのは、この使者たちが証言してくれましたわ。あなたの懇意にしている武器商人というのは、あなたの実兄のことね?」
アシルは忌々し気に唇を歪める。その表情こそが肯定と受け取っていいだろう。
「通訳士たちが相次いで行方不明になったり病に倒れたりした背景には、彼らに近しい裏切者がいると考えたのです。そう、通訳士の中に裏切者がいるという前提で、彼らの出身地や前職について城の文官たちに徹底的に調べさせました。この短時間でここまで調べあげるとは、さすが国の第一線で働く者たちですわ——。そして、通訳士の中で、戦争に巻き込まれる可能性の高い国境から遠い領地の出身、かつ国の紋章入りの武器を持ち出せるであろう騎士団に親しい者がいる人間を探しました。そんな都合の良い人間がいる訳ないと思ったのですが、あなたがいました。アシル、あなたは騎士団に妻の弟がいますね? そしてその弟は経済的に困窮しているとか」
アシルの唇がわなわなと震え出す。
「だから何だというのだ! 全て憶測ではないか!」
「いいえ、憶測ではありませんよ。先ほど思い出したのです。私が暴漢に襲われて意識を失う寸前、あなたによく似た灰色の瞳と巻き毛の男が、小型の爆弾のようなものを使って私達を襲ったことを。いちはやく異変を察知した私の側仕えが、私を馬車の座席下の荷物スペースに私を押し込んだのです。私は大けがを負ったものの生還し、治癒師にここまで回復させてもらいましたが——馬車に同乗していた者たちは皆死にました」
私は怒りに震えそうになる拳をそっとほどいた。
そしてまっすぐにアシルを見る。絶対に逃がさない。
「アシル、あなたの実兄は爆弾を多く扱う武器商人だそうですね? 彼の元にはすでに騎士団を向かわせています。捕まるのも時間の問題です。素直に事のあらましを吐くとは思えないので、騎士団には自白剤の使用許可を出しています」
「この小娘がぁッ‼ くそっ、クソッ! こうなったら皆殺しだ——」
アシルが懐から鈍い銀色の金属の塊を取り出す。
爆弾だ——と気づいた時には、それらはもう宙に浮いていた。
まずい、あれが床に落ちたらここにいる全員に被害が及ぶ。万事休すか——と思った時、私の背後からにょろりーんと赤くて長細いものが飛び出した。
にょろりんとしたそれは爆弾をしゅるりと掴むと、あっという間にそれを窓の外へと放り出してしまった。金属の塊が窓を超えてバルコニーに触れた瞬間、爆風が応接間を包んだ。
強い風と衝撃が体を包むが、体勢を保てないほどではない。
煙が晴れた頃、ゆっくりと目を開けると、獣人族のにょろりんとした長い舌がアシルの体を締め上げているのが見えた。
「ゲコゲーコプラクァー!(捕まえてくださったのですね!)」
「グカグカゲコカカカ**#$%&@@&——(こいつが黒幕だな? こいつは我らの国に連れて行き、我らの同胞を屠った罰を必ず受けさせる! 五体満足で再び故郷の地を踏めると思うな!)」
何やら物騒なセリフが聞こえた気がするが、そこは気にしないでおく。
何にせよ、おそらく獣人族との戦争は回避できたはずだ。
外遊中の王には急いで帰って来てもらわないといけないけれど、これでゼオが責任を負わされることもないだろう——と思いちらりと見ると、ゼオは手で頭を覆って地面と一体化し、プルプルと震えている。情けない!
「ゼオ様! もう爆発は収まり、アシルは捕まりました! しっかりしてください!」
「おおお、終わったのか? アシルは? 捕まえた? はぁ、ふぅん、よし、父上がお帰りになるまでに応接間の片づけを……あ、誰かの血が落ちてる。僕、血がダメなんだよね」
ゼオはそう言い残すと、顔面蒼白でふらふらと倒れた。
はあ、ダメ王子すぎる。
◇
開戦騒動から数日後。私はふたたび登城し、ゼオと応接間で顔を合わせていた。
「ガーネット、先日は大変助かった。父上も、よくぞあの窮地を切り抜けたと褒めておられた。獣人族との関係も悪化せずに済んで、平和も保たれた。——それで、僕たちの婚約についてだけれど——」
きた! この前の話の続きだ。
騒動で私との婚約破棄はウヤムヤになったと思っていたが、ゼオはきっちり覚えていたらしい。
別にゼオと結婚したい訳ではないけれど、いま婚約破棄されれば父がおらず後ろ盾の弱いガーネットの家はあっという間に没落してしまうだろう。下にいる妹や弟のことを考えても、私はゼオとの婚約を継続した方がいい。
私がガーネットの体に入ってからまだ10日ほど。他の兄弟たちと密な関りがあった訳じゃないし、そんなに情もない。けれど、ガーネットの日記を見る限り、彼女が深い家族愛を持っていたことは分かる。
ガーネットの人生を引き継いだ者として、せめて彼女が思い残すことのないように、彼女の家族たちが安心して暮らしていけるようにしてやりたいと思う。
私は祈るような気持ちでゼオの言葉の続きを待った。
「婚約は——一旦継続しようと思うんだ」
私は内心ホッとする。
「あ、勘違いしないでくれたまえ。僕は君に心を許した訳じゃない。君は僕の愛したガーネットじゃない。でも——国の窮地を救ってくれた君は、悪霊じゃないと思うんだ」
だから悪霊じゃないって最初っから言ってんじゃん!
「でも、婚約の継続には君の努力が必要だ」
「努力——それはお妃教育などをしっかり受け直せ、ということでしょうか?」
「それもあるし、君と僕との関係を構築し直す必要もあるだろう。今度はもっと、相手の話に耳を傾けて、君ともっと信頼しあえる関係を築きたいと思っている。それには、2人で共同作業をするのが一番だと側近に言われて」
「共同作業?」
「辺境の霊峰に竜人族が突然来訪したらしいのだが、あいにく通訳士が出払っていて、対応できるのが君しかいない。僕も同行するから、2人で竜人族と面会しようじゃないか」
「嫌ですよ‼ 竜人族と言えば、獣人族よりも気が短いので有名じゃないですか! 気に食わないことがあったらすぐに首をはねるような人たちと会いたくありません!」
「でも、そんなピンチを2人で乗り越えたら、僕たちの絆も深まると思わないか? 君には……元のガーネットには無かった豪胆さがあって、僕はそれを大変好ましいと思っているんだ」
ゼオはぽっと顔を赤らめた。
「大丈夫、護衛に騎士団も同行してくれるし、霊峰までの旅程はちょっと早い新婚旅行だとでも思って」
コイツ、ガーネットのことを愛してるとか言っておきながら、気持ちの切り替えが早すぎるだろ⁉
しかし不敬になってはいけないのでツッコミあぐねていると、顔を赤らめたままのゼオは嬉しそうに私の手を取った。
「さあ、いざ霊峰へ! 僕たちの新しい日々のスタートだ!」
ガーネットは、ゼオのこういう強引なところが嫌だったんだろうな。今ならゼオの悪口で盛り上がれそう。
私は今後の異世界生活を思いやり、深い溜息をついた。




