声を失った婚約者が望んだものは。
私の婚約者、アメリアはある日を境に声が出せなくなった。
医者によれば心の問題だと言う話だった。
未来の王太子妃としての重圧と、嫉妬に狂った女性たちの嫌味皮肉を浴び続けた結果だろうと、後に理解した。
もっと早く彼女の負担に気付いていれば、と悔やんだが、そう思えるようになったのは彼女が声を失ってから。
私にできる事と言えば声が出ない彼女に寄り添い、支えてやる事くらいだった。
「アメリア」
ある日。
私達が通う王立学園の中庭で私達は休息をとっていた。
離れた場所で囀る小鳥たちを眺めていたアメリアは、名を呼ばれて振り向く。
「付いている」
昼食を食べていたアメリアの口にの端にソースが付いていて、私はそれをハンカチで拭う。
アメリアは目を瞬かせたあと、恥ずかしそうに視線を逸らし、それから声なく笑った。
「エルヴィン殿下」
そこへ、離れた場所に控えていた従者が近づいてくる。
「先程、本日の予定の変更の報せが」
麗らかな日差しに過ごしやすい気温。
そして心地よさそうにしているアメリアの笑顔。
「少し席を外す。ゆっくりしていてくれ」
こんな中で堅苦しい話をする事に気が引けた私はアメリアから離れ、従者から話を聞く事にする。
彼女の姿が見えなくなる場所まで移動した後、従者は放課後の政務に関する予定の変更を伝えた。
「分かった」
短く答え、すぐにアメリアの下へ戻ろうとする。
しかしそこで従者は顔を曇らせながら囁いた。
「殿下……その、アメリア様の事ですが」
視線だけを彼へ向ける。
「……王宮に使える者や貴族の中には、未来の王太子妃としては相応しくないのではという声が増えてきており……国王陛下のお耳にも届いているとか」
私は溜息を吐く。
従者の言葉に返事をする事を避け、そのままアメリアの下へ戻ろうとすれば、従者がさらに続けた。
「殿下のお気持ちは理解しております。しかし現在、心を病んでいらっしゃるお方が王太子妃となり今よりも多くの視線にさらされるようになることが本当の幸せと呼べるのかどうかは……どうか慎重に検討すべきかと」
アメリア様の為にも、と従者は言った。
私とアメリアの婚約は幼少の頃より続いている。
今更別の女性と、等とは考えられなかったし、私自身が誰よりも近くから彼女を支えてやりたいと思っていた。
しかし……王族が、王太子ともあろう者が恋慕に現を抜かす事が許されない事も、感情に振り回されるべきではない事も理解している。
そして……こうして私が共にいる事が、本当は彼女を苦しめている事にもなってるのではという懸念は、私の胸の内にもひっそりと隠れていた。
「……わかっている」
従者は私を思って発言してくれていると理解していた。
そしていつかは向き合わなければならない問題だという事も。
だから私は小さく言葉を返してから、アメリアの元へ戻ろうとした。
***
「ど、どうしましょうお父様、王子様の様にお美しいですわ!」
「こら、アメリア! の様、ではなく、エルヴィン殿下はれっきとした王子殿下であられるんだ」
アメリアは思った事が顔と声にすぐ出てしまうような、純粋で無邪気な少女だった。
また、天真爛漫でもあり、私と共にいる時も兎に角庭園や庭を走り回る事が多かった。
大人も含めた大勢が私の顔色ばかりを窺う中で、私を振り回す存在はアメリアくらいのもので、彼女の予想できない言動の数々は見ていて飽きなかったし……何より、王族である私ではなく、『エルヴィン』という個人として、私を見てくれているような気がした。
彼女の、すぐ林檎のようになる顔が好きだった。
変に私を意識して突然奥手になったり、嬉しすぎると目が潤んだりするところも、私を呼ぶ様々な声音も、全てが好きだった。
きっとアメリアは、世界で一番私を見てくれている。
そんな彼女を手放すなど……ましてやあの笑顔が他の異性のもとへ向けられるかもしれないなどとは、考えたくもなかった。
しかし彼女の気持ちはどうなのだろうか。
もしアメリアが今の立場を苦しんでいるのならば、彼女の心の傷に気付く事さえできなかった私に引き留める資格もあるまい。
一度、きちんと話をしてみなければ。
そう思い、アメリアの元へと速足で向かった、その時――
「――貴女は殿下のお傍に相応しくありませんわ!」
そんな声が聞こえた。
アメリアの前には数名の令嬢が立っており、皆が揃って鋭い視線を彼女へ浴びせている。
「声も出せないのに、殿下のお傍に居続けようなどと……王太子妃という立場に目がくらみ、これから忙しくなる一方である殿下の足を引っ張るおつもりですか?」
「まぁ、事実だとすれば何とも卑しい」
アメリアの顔が曇る。
私は急いでアメリアのもとへと向かった。
「アメリア」
「ッ、殿下……!」
対立した令嬢たちが私を見て顔を強張らせる。
私はアメリアの前に立ち、令嬢たちを睨みつけた。
「話は聞こえていたが、少なくとも貴女方に指図されるような事ではないな」
「し、しかし……っ、声を出せないお方が政務を全うにに熟す事が出来ないという声は既に多方面から上がっておりますわ」
視線だけをアメリアへ向ければ、彼女の瞳が大きく揺らいでいるのが分かった。
「それに関しても――」
これ以上、彼女に聞かせたくはない話を私は切り捨てようとした。
その時――
「え、エルヴィ、さま……」
私は腕を抱かれる。
ハッとしてみれば、アメリアが小さく震えながら私を見ていた。
「な……っ」
令嬢たちは驚いた。
勿論、私だってそうだった。
「エルヴィン様」
アメリアが再び私の名を呼ぶ。
それが、決定打だった。
私は目頭が熱くなるのを感じながらも令嬢たちへ向き直り、笑みを浮かべる。
「……どうやら、貴女方の心配には及ばないようだ。王族の婚約者を愚弄した件については後程報せを送るとして……お引き取り願おう。これ以上王族の怒りを買いたくなければな」
走り去る令嬢たちの姿が見えなくなった頃。
私はすぐにアメリアへ向き直る。
「ッ、アメリア、声が……っ」
「エルヴィン、様」
久しぶりに出した声はとても掠れていた。
そしてアメリアは何度目か、私の名を呼んでから――はらはらと涙を零す。
「――いた、い……」
「アメリア……?」
「ずっと、おそばに……いたい、です」
その言葉が、どれだけ私の心を動かした事か。
彼女は知らないだろう。
気が付けば私の頬をいくつもの雫が伝っていた。
「……ああ」
私はアメリアを抱き寄せる。
「当たり前だ。私はずっと傍に居る。だから君も――私の傍に居てくれ」
それから私達は涙にぬれた顔を見つめ合い、笑い合ってから……深い口づけで愛を誓い合ったのだった。
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