1.新しい季節
穏やかな陽の光を浴び、石畳の隙間から、かすかな温もりと湿った土の匂いが立ち上る。
冬の寒さに耐えていたライラックやチューリップが、色鮮やかな花弁を綻ばせていた。
「すっかり春ね」
庭園の花々に、季節の移り変わりを感じる。
この家に嫁いできた頃は、秋バラやダリアが咲き誇っていたのだもの。すでに季節が二つも過ぎていったということは、あれからもう半年以上経ったのかと感慨深くもあり、あんなにもいろいろなことがあったのに、まだ一年にも満たないのかと驚きもあります。
「……なんと言っても期間限定の結婚だったはずが無期限になったもの」
あの頃の自分を思い出すと、何ともいたたまれない気持ちになるけれど、すべてはお父様のせいだと思うことにしている。
不幸慣れして頑なだった私と、嫌われることに慣れて自虐的だった旦那様でしたが、『目指せ、老夫婦!』という共通の目標を掲げ、少しずつ、私達なりに幸せな家庭を築けていると思うのですが、どうなのかしら。
旦那様……ではなく、グレン様は自分の感情を表に出すのが苦手ですし、ご飯も愛情も、ほんの少ししか与えられなくても馬車馬のごとく働いてしまうから。
「ミッチェ母様!」
「おまたせー!」
あら、もう授業が終わったの? 思ったよりも長く物思いに耽っていたようです。何だか乙女脳が活発になっているのかと呆れてしまいます。
「春だからかしら?」
「なにが~?」
コニー様……ではなく、コニーは耳聡いわね? 気をつけねば。
「何だか、新しいことが始まる気がしただけですわ」
「ほんと? 何だろ、王都に行くから?」
「ミッチェ母様の社交界デビューよね?」
あ、現実を突きつけられました……。
そうですね? とうとう、伯爵夫人としてのお披露目です。
「ミッチェ母様、まだそんなお顔をしているの? いい加減、覚悟しなさいよ」
「……だって、貧乏子爵家の地味で可愛げがないと言われていた私が伯爵夫人なんですよ?」
「その言い方をしたら私達が怒ると分かって言っているのかしら」
だって仕方がないではありませんか。十八年間言われ続けてきた言葉は、なかなかに強い呪いに変わるものなのです。
「ミッチェ母さま、かわいいよ?」
「そうよ。そもそも、お祖父様より私達の方が審美眼が上に決まっているでしょう?」
かっこいいですね、フェミィ様。私も一度でいいからそんなことを自信満々に言ってみたいわ。
「……ありがとうございます、フェミィさ、いえ! フェミィ!」
敬語はだめ、敬称もだめ。
この二つは私にはハードルが高くて、いつもお叱りを受けている。
「ミッチェ母様は変なところで不器用よね?」
「でも、ぼくはミッチェ母さまの絵、すきよ? おもしろいもん!」
「……喜んでもらえてうれしいわ」
人には不得手なものが一つや二つあるものです。誰にも迷惑をかけてはいないのでいいと思うの。
「あ、ほら。ノーランが来たわ。ミッチェ母様が言った、新しいことが来たのかも!」
「あ~~ったしい~、あったらっしい! っ何かい~いこ~と来~たっかなっ♪」
コニーとフェミィの移動は相変わらず駆け足が多め。最近、夫人らしい服装をポーラとジョゼに勧められている私は、付いていくのが大変で困る。
やっぱり、来客がないときは、以前の服に戻してくれないかしら。
せめて、華奢な靴ではなく、ブーツを履かせてほしい!
「ミッシェル様」
「どうしたの? ノーラン」
「旦那様がお呼びです。至急、ご相談したいことがあるそうです」
まあ、珍しい。わざわざ呼び出すということは、子ども達には聞かせたくない内容なのかしら。
「ユーフェミア様とコンラッド様は、お部屋にお飲み物を用意してありますよ。なんでも、料理長の新作で、いちごを使っているようです」
「本当? 私、いちご大好き!」
「僕も好き! いっぱい食べられるよ!」
さすがはできる執事ノーラン。うまく子ども達の意識を他に向けたわね。
「じゃあ、少しだけ行ってくるわ」
「はーい! お部屋でまってるね!」
「いってらっしゃい」
さて、快く送り出されたから行きましょうか。
執務室への道のりは、今では慣れたものです。
扉をノックすると、開けてくれたのはグレン様です。
「呼び出してすまない」
そのまま、中に通されてソファーに腰掛ける。すると、テーブルの上には、鮮やかないちごの角切りが入った透明な飲み物が置いてあります。
「あ、これが噂のいちごの飲み物ですか」
「……うわさ?」
「ええ。さっき、ノーランが子ども達に伝えていましたよ。料理長の新メニューですって」
「ああ」
相変わらず表情が動かない……いえ、眉間のシワは寄るわね。そして、言葉数が少ないのももう慣れました。ですので、気にすることなく、一口頂く。
「ん、シュワシュワしてる……」
甘酸っぱいいちごと、たぶん、はちみつとハーブ。でも、何だか少しシュワッとする!
「グレン様、飲んでみてください。美味しいですよ!」
グレン様は私の勢いに押されつつも、そっと一口含む。すると! パッと目が見開いた。なんならちょっとキラキラしています。
「……うまいな」
「ですよね、何でしょうか。このシュワシュワは」
「領地の北部で湧いている天然水だと言っていた」
「まあ、面白いですね。こんなものが湧くなんて」
「ああ。とりあえず、飲んでみろとしか言われなかったが」
でも、気持ちは分かるわ。飲んだ反応を見たいもの。さっきのグレン様の驚いた顔は新鮮でした。
「あ、ごめんなさい。何かお話があったのですよね?」
つい、美味しくて楽しい飲み物に興奮してしまった。
「……ああ。その……」
言いにくいことなのかな?
「ローランズ侯爵家からパーティーの招待が来た」
「侯爵家、ですか」
わあ、断りたい。一応、王都の社交シーズンのために教師をつけてはもらいましたが、不安だらけです。
「……侯爵は私の兄と……ダイアナの友人なんだ」




