61.執事の矜持
ダイアナが謝罪をしたいと言っている。
……我が主のお人好しさに、微笑ましく思えばいいのか、窘めるべきなのか迷ってしまう。
とりあえず話だけは聞いてくるか。
「畏まりました。今から向かえばいいですか?」
「そうね。もうすぐ食事の時間だから、今なら部屋にいると思うわ」
「承知しました」
さて。駄女神が何を企てているのか。
底が浅い女だから、きっと大したことではないと思うが。
「貴方、ミッシェルが好きでしょう!」
馬鹿がいた。お前の反省はどこに行った?
「もう戻ってもいいですか?失礼します」
「ちょっと!答えてないじゃない!」
旦那様の女性を見る目が無さ過ぎて情けないほどだ。
「だれもが貴方の様に恋愛至上主義では無いのです。くだらない質問は止めていただけますか」
「……だって心配なのよ」
「何がです?」
「本当に子供達を任せられるのか。だって彼女はまだ19歳でしょう?これから恋に溺れないとは限らないじゃない!
いつか、やっぱり貴方のことが好きだから別れたいって言い出しちゃったら困るのよ!」
ミッシェル様が恋に溺れる?……ありえない。
それに。
「貴方は私を馬鹿にしているのか」
「そんな、ただ子ども達が心配で、だから」
「だから?私がお仕えする屋敷のものを盗むような出来損ないの執事だと言うのですか?」
本当に腹立たしいな。自分がそうだから他の人間もそうだと?馬鹿にするなよ。
「私達使用人が仕事をする上で大切にしていることが何かわかりますか?」
「……え?えっと、真面目に働くこと?」
「それは当たり前過ぎです。そうではなく、誘惑に負けない事です」
「ゆうわく……」
「はい。貴方は当たり前に過ごしていたでしょうが、屋敷内には数多くの誘惑があります。宝飾品、美術品、調度類だって高価なものばかりだ。
つい誘惑に負けて手を出し、辞めさせられたり、逮捕される者だっています。
もちろん、物だけで無く人からの誘惑だってある。
小遣い稼ぎや、愛人としての生活を夢見て体を差し出す愚か者だっている。
そんな誘惑に負けずに、矜持を持って働くこと。それが私達にとって誇りでもあるのです」
使われる身分であっても、私達なりに誇りを持って生きている。それを馬鹿にしたり貶める資格は貴方なんかにあるはずがない。
「ミッシェル様は私の主です。ですから、あの方に恋愛感情を持つことは私自身が許しません」
人間は理性ある生き物だろう。すべてを捨てて愛に走る?それで痛い目を見た癖にどこまで馬鹿なんだ。
「そもそも、ミッシェル様だって絶対に私を選びませんよ」
「……どうして言い切れるの?」
「ミッシェル様自身、母親が家を出てしまった為に苦労した方です。大切な子供達にそんな思いをさせるはずがない。
いつか離婚を考えたとしても、それは子供達が納得する年になってからでしょうし、はっきりいってお嬢様達がミッシェル様を手放すとも思えません。
ですから、私とどうにかなるなんて100%ありえないんですよ」
「なんなのよ。貴方達は……」
恋愛モンスターに理解してほしいとは思わないな。自分が一番大切なくせに、結局は自分で自分の首を絞めている大馬鹿者に共感されたらたまったものではない。
「じゃあ、もし。もし、子供達がいなかったら?そうしたら恋していた?」
子供達がいないミッシェル様?
「それは魅力が半減するから駄目です。あの方は、お嬢様達と一緒にいる時が一番幸せそうなのです。だからずっとその幸せが続くように、私は精一杯お仕えしたいと望むのですよ」
馬鹿女との話が終わってやれやれと思っていたのに、なぜか今度は旦那様に捕まった。
「……ユーフェミア達が、ミッシェルに本当の母親になって欲しいそうだ」
「おめでとうございます。これでやっと、本当の意味で家族として始められますね」
「……ありがとう。……本当にいいのだな?」
またか。またなのか!
「意味が分かりかねますが」
「お前がミッシェルに惹かれているのが分かるから言っている」
……断定かよ。
「ちゃんと主として大切に致します。ご安心を」
くそっ。そうだよ、偉そうに言ったって本当は彼女のことが好きだ。
アンタじゃなくて、俺がミッシェル様と子供達と暮らせたならって思ったことだってある。
それでも、手をのばしてはいけないと分かっている。ちゃんとお互いの立場を弁えているんだ。
「旦那様はよほど私が疑わしいようですね。どうしたら信用していただけるのでしょう。
まさか、クビになさりたいのですか?」
さすがに少し苛ついてしまう。
「違う。私は……彼女を傷付けてばかりの自分より、よほどお前のことを信用している。お前ならちゃんと彼女を守るだろう。
ただ、彼女が言っていたんだ。きちんと話をして気持ちに区切りをつけるべきだと」
「……それは貴方と元奥様のことでしょう」
「だが、これからのお前達の関係を正しく築く為には必要なのではないか」
……旦那様は何というか。無駄に素直というか、信じた人からの言葉を鵜呑みにし過ぎなのでは?
「いいのですか?もしかして、私が愛の告白をしてミッシェル様がYESと答えてしまうかもしれませんよ?」
「……彼女は子供達を大切にしている」
「はいはい、そうですね!私も旦那様も子供達には敵わないんですよ。
貴方が選ばれたんじゃない。私が選ばれないのでもない。貴方はただの子供達のオマケです」
「……分かっている。だから、これからも驕ることなく、彼女を大切にする。家族としてミッシェルを守るから」
「そうなさって下さい。私は使用人としてミッシェル様をお守りします」
そうして、一度だけミッシェル様をエスコートする権利を得た。少しだけ本音を滲ませたが敢え無く玉砕だ。まあ、確かにスッキリしたかもな。
これからも私は彼女達の幸せを守るべく、この屋敷でお仕えしていくし、でも、いつかは私にも可愛い妻が出来るかもしれない。
そんな未来を思い浮かべながら、それでも、この屋敷を離れることはないのだろうなと思う。
そう思える、この愛に溢れる家族となれた伯爵家に仕えられることに、私はそっと感謝した。




