くまのなかで、ぼくはまってる
むかし、ぼくにも名前があった。
それがどんな音だったかは、もう思い出せないけど――
誰かがそれを呼ぶたびに、胸の奥があったかくなったことだけは、まだ覚えてる。
雨の日、校庭の隅でひとりぼっちだったとき。
先生の声がうるさくて、頭が真っ白になったとき。
家に帰るのが怖かったとき。
そのとき、この着ぐるみに出会ったんだ。
最初はただ、もふもふで可愛いだけのクマだった。
でも気づいたら、着ていた。
着て、泣いて、うずくまって、そして……
気がついたら、ぼくはクマのなかにいた。
不思議と怖くなかった。
だって、ここは誰も怒らないし、何も求めてこない。
呼吸もしなくていい。宿題もない。
“良い子”じゃなくても、だれかの“期待”にならなくても――
ここでは、ただの「ぼく」でいられる。
でも、時々思い出すんだ。
あの日、ぼくの手を握ってくれた子。
一緒に泣いてくれた子。
その子が、もし今も疲れていたらと思うと、
ぼく、ここを離れられなくなった。
⸻
だから、ぼくは「待つこと」を選んだ。
自分が戻るよりも、誰かを迎えるクマになるほうが、いいと思ったから。
ぼくのこの毛皮が、誰かの涙を受け止められるなら、
ぼくのこの目が、「だいじょうぶだよ」と言えるなら――
それで、いいんだ。
⸻
たまに、こうして、着ぐるみの中に誰かが入ってくる。
がんばりすぎた大人、忘れられた子ども、迷子になった心。
ぼくはそっと、包み込む。
そして耳元で言うんだ。
「ここは、きみが泣いていい場所だよ」
「きみが、きみのままでいられる場所だよ」
⸻
ぼくは、もう名前を持たないけど
ここにいる
今も、ここで
きみを、待ってる。
この物語は、「疲れた大人」と「忘れられた子ども」が出会う、ひとつのやさしい居場所について描いたものです。
世の中には、うまく泣けないまま大人になってしまった人がいて、
誰にも気づかれないまま、静かに壊れていく声があります。
そうした声を、もし誰かが「受け止められたら」と思ったとき、
ふと浮かんだのが、このクマの着ぐるみでした。
ふわふわで、何も言わず、ただ黙って隣にいてくれる存在。
それはぬいぐるみのようでいて、本当は**誰かの心の中に残された“かたち”**なのかもしれません。
物語の中で、少年は「クマになること」を選びました。
それは“逃げること”でも、“諦めること”でもなく、
誰かを包み、祈りを受け取る者になるという選択でした。
読んでくださったあなたにも、
「ここでは泣いていいよ」と言ってくれるクマが、
どこかでそっと待っていてくれますように。
そしてもし、あなた自身がそのクマになる日が来たなら――
どうかその目で、優しく笑ってあげてください。
次に来る、誰かのために。