⑦白と黒 4
「はぁ!はぁ!はぁ……!ここまで来れば大丈夫なはず」
顔に装着していた狐の面をずらし、ユーリウスは枯渇しかけていた肺に酸素を大きく取り込んだ。
ついで近づいてくる複数人の足音に身を低くして自分を追いかけてくる輩から身を隠した。
「……行ったかな?」
遠ざかる足音を確認し、昨日男性から貰った狐の面を再度装着すると狭い家と家の隙間から頭を出し左右を確認する。
「ヨシっ、誰も居ない」
周りに誰も居ない事を確認し終えるとそのまま頭を引っ込めて、また狭い家と家の隙間を縫う様に歩き道から少し奥まった場所まで移動した。
「ここなら大丈夫でしょ」
そこには木で出来た四角い箱が数個と、竹簾が何本か立てかけてあった。ユーリウスは人一人がやっと通れるようなその狭い場所で積んであった箱を下ろし並べる。そして箱と箱の隙間に座り込み、更に竹簾で自身を隠すように被せた。
「とりあえずこれなら誰が覗きこんできたとしても分からないでしょ。ふぁぁ、眠い……少し、寝よう……考えるのはその後、で………」
大きな欠伸が連続で出る。眠い目を擦りながら身体を小さくし、言葉が途切れるのと同時に静かな寝息が徐々に騒がしくなってきた雑踏にかき消されていった。
ユーリウスが深い眠りから覚めたのは数時間後。肌を刺す冷たい空気と異常に騒つく人々の声で目が覚める。
「うっ!身体が……グギギっ」
狭い隙間で縮こまって寝ていたせいで硬くなってしまった身体をやっとのことで引き摺り出し、狭い隙間を縫って通りへと抜け出る。もちろん狐の面は被ったまま周りに警戒しながら人々が集まっている場所へとユーリウスも向かった。
ただ、周りの人達が何を言っているのかは言語が違い過ぎて理解出来なかったが人の流れる方へと流れていき、そしてある店の前で止まった。その店は木造の二階建てで玄関前が大きく広げてあり、地味な色の暖簾の隙間の奥でチラチラと人が動き回っているのが見えていた。一体何が始まるんだろうと首を傾げながら待っていると、人々の騒めきが一際大きくなった。皆の視線が向く方へ、ユーリウスも視線を向けるその先には道の遠くの方から派手な布や花で飾られた牛車がゆっくりと近づいてくる。
その車は四方を薄い布で何重にも覆い隠す様に巻かれていた。
「偉い人でも乗ってるのかな?」
牛車の前後には武器を持った護衛と使用人が追随している。次第に牛車はゆっくりと店の前で止まり使用人の手によって覆い隠されていた薄い布が開けられた。
(誰も乗ってない、って事は誰かを迎えに来たのかな?)
ユーリウスの正面の店には何て書いてあるか分からない文字の看板が掲げてある。(読めたら良かったんだけどな)なんて思っていれば店の入り口であろう暖簾の向こう側が騒がしくなり始めた。一体誰が出てくるのか、ユーリウスも周りの人々と見守っていると暖簾がスッと両サイドに開けられ奥から随分と着飾った女性が出てきた。
不思議な形に結いあげられた艶やかな黒い髪には金細工の飾りと光の反射でキラキラと輝く石、髪の両サイドには紅や白の小花がゆらゆらと歩く度に揺れている。
着ている服装もユーリウスの国では見た事がない。幾重にも重ねた華やかな布を纏い、精緻な模様の帯び留めにも負けず劣らずの雰囲気を醸し出している。女性にしてはスラっとした高い身長に細い首筋、その上に乗っかる小さな顔と真っ赤な小さな唇。
「うっわ!綺麗な人だな〜」
ユーリウスですら見惚れてしまう美貌を面をずらし眺めていると、女性の節目がちに視線を落としていた瞳が一瞬だけこちらを見た気がした。
「えっ?今……こっち見た?」
瞬きほどの出来事にユーリウスは気のせいだろうと切り捨てる。昔、騎士団の凱旋の時に特定の人物を見たわけでもないのに黄色声で騒ぐ民衆がいた事を思い出した。「あれって、こんな感じなのかな?フフッ」
あの時の状況と酷似していて思わず苦笑いをしてしまったが、車に乗り込むその女性をユーリウスも周りにいる人々と共に見送った。
「………あれだと歩いた方が早そうだけど?」
ゆ〜っくりと進み出した牛車にユーリウスはびっくりするも、その意図は何となく分かる気がする。あの牛車を用意した人物は自分の財力でもアピールしたいのだろう、それかあの女性を見せびらかしたいのかもしれない。まぁ、牛車の中の女性をもっと良く見ようと数人の野次馬が代わる代わる覗き込んだりしてその度に護衛から注意されているのだからその目論みも達成したと言えるだろう。
「でも、あんな美人なら僕もちょっと分かるかも……」
目が合った気がしたあの一瞬、妖しい夜を思わせるあの瞳に吸い込まれそうになった。あの女性は危険だと自分の中の何かが警告している。けど、もう会う事もないだろう。
散り散りになり始めた道の真ん中でユーリウスは考える。さて、この後どうするべきかと。だが、視線の端に自身にとっては見慣れた色が視界に入り込んできた。
「あれは……」
ユーリウスは話しかけるべくその色を持つ人物の方へと足の向きを変えた。
「はっ、は……くしゅんっ!!……ズズズ」
ユーリウスは牢屋にいた。
冷たい石壁に灯りも寝具も何もない部屋に押し込められて数日。
「うううっ〜寒過ぎるっっ」
冷え切った身体を自身で包み込み、いつからあるのか分からない臭くて汚れた藁束を身体に巻きつける。
臭いけど無いよりはマシ!ではあるが状況は最悪だ。冷たい足先を擦りあわせる。靴は気づいたらいつの間にか無くなっていた。ここに入れられる時にでも盗られたのだろう、他に盗られた物はないか確認したが他は無事だった。そもそも大した荷物も持たずに飛ばされたのだからほぼ手ぶらではあった。首から下げ服の下の魔石は今はただの石ころ、それと薄汚れてしまった狐の面が一つ。ユーリウスはどうしたもんかと溜息を吐いた。
あの美人な女性を見送った後、ユーリウスにとっては見慣れた髪の色をした人に話かけたのまでは良かった。
その人も、僕と同じ騎士団の服を着ていた。色や形は違ったけれどどこかの国の騎士団だと思い話かけてみたものの、話す言語が全然分からなかったのだ。
見た目も茶金の髪に茶の瞳、一般的に良く見る容姿だったのにも関わらず言葉が通じない。ならば辺境伯の騎士の証である紋章入りの短剣を手にした瞬間、向こうの顔色が変わり突然怒り出したのちに何故か追いかけられ数日間の空腹と寝不足で川に落ち、そして捕まった。
ユーリウスは自分の冷えた指先を見つめる。
「魔法も使えないし……どうしたら良いんだろう」
魔法は勿論最初にここに飛ばされた時に一度試してみたが、うんともすんとも言わなかったので諦めてはいた。ただ魔法とは別の何かを感じるのでその何かが分かれば良いのだがそれが全く分からない。大きなため息と共に1人ごちていると、同じ牢屋に入れられていた1人が鼻息荒くユーリウスの側まで近づいてくる。が、気づかない振りをしながら縮こまっていると。肩を強く掴まれ、石壁に叩き付けられた。
「痛っ!」
男は何か叫んでいるがサッパリ分からない。ただ、もの凄く怒っているのは分かるんだけど……。このやり取りも牢屋に入れられてから何度目か分からない、最初は理解しようと頑張ってみたが男の目的が分かった時点で相手にする事をやめた。
「何?無視したから怒ってるの?だってしょうがないじゃん?何いってんのか分からないし。それに僕、そうゆー趣味ないから」
そんなユーリウスの蔑視混じりの視線に男は気づいたのか、倒れ込んだままのユーリウスの胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした瞬間。
「ガン!ガン!ガン!」
と、牢屋の格子を叩く音でストップする。何事かと音のする方に顔を向ければ一人の牢番が木の棒で格子を叩いていた。こちらに向かって棒切れを指していることから、喧嘩は辞めろとでも言っているのだろう。だが、もう一人別の牢番がやってきて紙を突きつけ僕等に何かを言っている。そうこうしてる間に牢屋の外に槍を手に持った数人がやってきて牢屋の鍵を開けた。
槍を持つ彼らは牢屋内の数人の腰にロープを括りつけ、一言何かを言った後連れて行く。勿論、ユーリウスも腰にロープを括られた1人であった。
「さっきより……酷くなってる」
次に連れて来られた場所を見てユーリウスはげっそりとした顔をし、腰のロープを解かれ押し込められる様に新たな牢の住人の一人となった。
連れてこられた新しい牢は寒空の下に一つ、先程いた牢屋とは打って変わり天然の光と新鮮な空気が特徴的だ。さっきまでのジメジメと暗くて臭い場所より清潔感はあるが……。
「寒い……」
遮る物も何もない広場の中央にあるせいか厳しい寒さと、隙間風だ。
そんな寒い場所にある新しい牢には先客が3人。1人はヨボヨボの老人、もう1人は目つきの悪い男が中央でゴロンと寝転んでいる。最後は、全身真っ黒な男が1人、顔はボサボサの長い髪で隠れ、着てる服も真っ黒だ。ただ、服から伸びる手足は長く異常に白い。そして追加投入された僕達は、僕を含めてさっき襲いかかってきた男と、ヒョロヒョロに痩せ細り眼下の窪んだ男に、なんの特徴もない目の細い男が1人。計4人だ。広くもない牢に僕達が加わった事により狭くなった牢で何も起こらない訳はないだろう。
「おい、あんちゃんそこ退けよ」
早速中央に寝転んでいる男に、僕に襲いかかってきた男が喧嘩をしかけていた。ヒョロ男はさっさと牢の隅に寄り縮こまり、もう1人も空いていた隅へと腰を下ろした。僕はキョロキョロと何処に座るのが安全か考え、老人と真っ黒な人の間に腰を下ろした。下は土で座り心地はゴツゴツしているが硬く冷たくはないのでそれだけはましかもしれない。
老人は汚れたモサモサの眉をクイッとあげこちらを見たがすぐに興味は失せたのか、その目はまたモサモサ眉の下に隠された。
かたや真っ黒な人は微動だにしなかった。中央では2人の男達が殴りあいを始めている、言葉は分からないけど自分がこの中で1番強いっ!とか、そんな事で始まったんだろと予想はつく。それにしても眠い。
「ふぁぁ〜……眠いし、お腹空いたし。一体いつになったら戻れるのかな」
こちらの世界に来てからまともに寝ていないのだ、寒さと空腹のせいもあるが見知らぬ同居人達との共同生活で気を張っているせいで浅い眠りを繰り返すばかり。
ユーリウスは大きな欠伸を噛み殺しながらうとうとと睡魔に襲われる。
(今ならもう少しゆっくり寝れるかも……)
その日の夜。
ミシミシと言う木の擦れる音と、誰かの叫び声でユーリウスは目が覚めた。
「ん?……今度は一体なっ」
突然、地面が大きく揺れだす。ここ最近、良く揺れるな〜なんて呑気な事を考えている余裕はない程に今回の揺れは酷かった。
「痛っ!!」
立ち上がりかけたユーリウスはバランスを崩しそのまま牢の格子に頭をぶつけた。
「もぅ、一体なんなのさ!」
自分の頭を撫でながら文句を言うが、それよりも意外と近くからユーリウスの文句に答える声があった。
ビックリして声のした方を見上げる。
「殺しだ」
そう答えたのは全身真っ黒な人。バランスを崩した拍子に彼の前に倒れ込んでしまったらしい。はっとして起き上がる。
「えっ?殺し?」
困惑した顔で問いかければ、後ろを見ろと言わんばかりの仕草で男が顎でクイッとユーリウスの背後を示した。
振り返り、絶句した。
牢の中央には赤黒い水溜りが出来、その真ん中には先客の目つきの悪かった男が今は白目を剥いて死んでいた。
その死に様は身体の中央を綺麗に開かれ、中身も綺麗に取り出され男の横に並べられていた。
瞬間、ユーリウスは酸味のある液体を口から吐く。
「ウッ……グッ、オェッ………」
良かったのか悪かったのか分からないが、数日まともな食事をしていなかったせいで吐いたのは酸味のある液体のみ。
「……はぁ、はぁ」
「…………大丈夫か」
口を拭い、ユーリウスは表情の見えない彼を見上げる。口の中は最悪な程酸っぱい。
「一体、何があったの?」
「……さぁな?俺も知らん」
ユーリウスはもう一度背後に横たわる男を横目でみた。が、すぐに目を背け牢の外に広がる宵闇を凝視した。