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③黒と白 3

「痛ててて……」

 その異国の少年は闇夜でも分かる程のキラキラとした黄金の髪色をしていた。

 木の上から落ちた時に尻でも打ったのだろうか、仕切りに尻を(さす)っている。

「ここは?僕は一体どこに飛ばされたんだ?」

 キョロキョロと辺りを見回している様子を見る限り、迷子だろうか?だが、子供の異国人とは珍しい。

 ふむふむと菊次郎は座り込んだままの少年と目を合わせる様に、少年の正面へと座り込んだ。

「えっ?!あっ、何?」

(子供だが随分と言葉が上手い)

 わたわたと慌てている少年を他所に、思考する。菊次郎の知る異国人は片言でたまに何を言っているのか分からない時があるが、この子供はこの土地に住む人間となんら遜色がない程スラスラと喋っている。

(だが、その也では……)

 何かを探す様に着物の中を弄る(まさぐ)、指先が何か硬い物に触れた。そう言えば……懐から面屋の親父に貰った狐面を取り出し、少年へと差し出す。

「えっ?くれるの?僕に?」

 菊次郎はコクリと頷く。

「ありがとう。でも、良いのかな?見ず知らずの人に貰っちゃっても……」

 ぽんぽんと少年の肩を叩き、菊次郎は頭の上で両手で丸を作った。

「………あはっ、君面白いね。僕の名前はユーリウスって言っても僕の言葉分かるかな?ちょっと人を探していてね、色んな人が集まる場所に行きたいんだけど……」

 人の集まる所。つまりは自分()と同じ異国人が集まる場所だろう。それなら港方面に行くべきだと目星をつけ、ここから南下するよう指で指した。

「こっちに行けって?分かったありがとう……えーと、また何処で会えたら名前教えてね」

 立ち上がり、笑顔で駆けて行く異国の少年を見送り菊次郎は陰間茶屋へと戻って行った。


 次の日。


 それはもう盛大な人混みの中、一台の派手な()()が陰間茶屋の前に佇んでいた。

「……時代遅れもいいとこだろッ!!」

 ドンッと拳を畳に打ち付ける。その衝撃で小さな化粧台がガタガタと揺れた。

「こらこら、菊。ジッとしておいで綺麗な顔が台無しだよ」

 隣の部屋の間仕切りの暖簾をたくしあげ、菊次郎の部屋でコロコロと笑うのは20代を少し越えたばかりの青年。

 仕草や喋り方は女性の様に柔らかい、隣人の彼は普段は歌舞伎役者の女形だ。ちなみに、昨日の縁日の寺奥の舞台で舞っていたのは彼である。通常であれば役者として舞台に上がり出し始めたら、こんな場所とはさっさとお別れしたいと思うのが常だが、舞台に立てる様になった今でも陰間茶屋に居続けるこの彼は少し変わっていた。

「はぁ〜、私が育てた子が……とうとう、嫁に行くなんてね。1人寝が寂しくなるわ」

 紅差しの筆を持つ手を下ろし、しなりと悲しみを表す仕草は流石だが今は笑えない冗談だ。

「明日には帰ってくるから、あんたは大人しく寝てなよ?調子悪いんだろ?最近の風邪は厄介だって聞いたし無理せずに横になっときな」

 菊次郎は準備が終わると店の正面入り口へと歩いて行く。いつもよりも重い着物を持ち上げて颯爽と店の正面へと姿を現せば集まった野次馬達の歓声が響渡った。

(いったい、幾ら積んだんだか……)

 派手な装飾を施された牛車の他に、派手な装いを着た久慈郎の使用人達が狭い道幅の中例を組んで待っていた。顔が引き攣りそうになる中、菊次郎は野次馬達の中に昨日の黄金の髪を持つ少年を見つけた。顔にはちゃんと狐面を付けていて隙間からこちらをポカンとした顔で見ている。

(たぶん、あの様子じゃ俺だと分からないだろう)

 今はもう、祭事の時にしかお目にかかれない時代遅れの牛車に乗り込んだ菊次郎はゆっくりと成瀬久慈郎の待つ屋敷へと向かった。

 狭い廓や界隈を幅広な牛車でゆっくりと進んでいく。牛の歩く速さは遅く、早足で歩けば牛車なんか簡単に追い越して行ける。野次馬達も何処ぞの花魁でも乗っているのかと、興味本意で牛車の中を覗きこもうと飛んだりしているが薄い紗幕で覆われていた為に影しか見えないだろう。

(はあ〜、屋敷には着いて欲しくはないがこれはこれで早く着いて欲しいと思うのは奴の策略か?それとも唯の嫌がらせなのか?)

 先日、据え膳で寸止めされた事でも根に持たれたか?などとあれこれ考えていれば到着の合図が外から聞こえる。


「……着いたか」




 屋敷の離れで久慈郎は1人、月見酒と洒落込んでいた。白い小さなお猪口に酒を注ぎ煽る様に飲む。既に何本呑んだか分からない程の徳利が部屋の中に転がっていた。

 何本呑んだ所で酒に酔う事が出来ない体質の彼はただただ、その雰囲気だけを楽しむ。

「久慈郎様、菊様が到着したそうです」

 襖1枚隔てた部屋の向こう側から屋敷の主人に客人が着いたと声がかけられた。

「そうか、そのままこちらの離れに通せ」

 襖越しでも良く通る声に、使用人の彼は了承の旨を伝え客人を迎えるべく小走りで本邸へと急いだ。

 成瀬久慈郎。彼の屋敷は廓や界隈、大須から東に向かった民家も店もなく異様な静けさの漂う広大な森の中に一軒聳え立つ様に建っていた。

 周りを囲む塀は町中で見かける武家屋敷などよりも高く、簡単に中を覗く事は出来ない。つまりは、中に入ってしまったら逃げるにも苦労するという事だ。

「菊様、久慈郎様が離れでお待ちです。こちらへ」

 そう言われ使用人の後を付いて歩く事、どのくらいたっただろう。迷路の様な本邸から離れの屋敷に足を踏み入れたは良いが、一向に目的の部屋にはつかない。もしかして、俺が分からないとでも思ってグルグルと屋敷内を歩かされているだけでは?それなら一言、言ってやらねばと思った所で前を歩く使用人がピタリと止まり。他とは明らかに違う襖の前で使用人は一度こちらを振り返る。

「こちらのお部屋で屋敷の主人、成瀬久慈郎様がお待ちです」

 案内され、中に入ると何もない畳と襖だけの空間、ただ全面に貼られた襖絵は異国の絵があしらってあった。その絵は素人が見ても素晴らしいと思う程、精緻で繊細なタッチで書かれた羽の生えた人々の絵、そして異空間の様なこの場所のこの先からは別の国に続いているのではないかと思わせる。


「久慈郎様、菊様をお連れ致しました」


「入れ」


 使用人が両手で襖を開ける。

 開けた瞬間、咽せるほどの甘い花の匂いが菊次郎の身体の隙間を通り過ぎて行く。

「ほう、普段の姿も良いがそれがお前の本職か?」

 部屋の中、1人で酒盛りをしていた久慈郎は開け放たれた縁側から振り返り菊次郎を見て目を細めた。

「まるで、この庭に咲く椿から飛び出てきた椿の精のようだ」

 椿の精?なんだそれはなどと口にはしないが、菊次郎はシズシズと久慈郎の元へと進み。

「本日は、この菊の御指名ありがとうございます。成瀬様」

 揃えた両手を畳につけ、重たい頭が転がらない様そして美しく魅せる様にゆっくりとお辞儀をする。

 魅せる為の全ての動きに久慈郎の視線が纏わりつくのを感じながら、菊次郎は面をあげた。


 そこに居たのは、廓や界隈でも指折りの1人とでも言って良いほどの美しい花魁姿の菊次郎が微笑みを浮かべ座っていた。

「陰間なのが惜しい程、美しい……」

「お褒め頂きありがとうございます」

 少し小首を傾げながら、着物の袖で口元を隠し菊次郎は微笑んだ。

 陰間茶屋は唯の男娼屋ではない。茶屋に来る客は様々だ。性の対象が男であったり、遊女と遊ぶ金がなくて来る者もいれば、女性の客で目当ての男と寝屋を失敗しない為に訪れる者もいる。それに男娼だからと、一夜を共にしなければいけないなんて事もなく、先日の爺さんみたいに孫の代わりや話し相手が欲しくて茶を飲みに来る者、密会場所として使用する者と様々だ。

 菊次郎の場合、普段は茶番をして相手をする事が多いがその容姿と幼い頃から育ってきた環境を生かし本職は女装。

 女装と言っても、人気はやはり遊女で芸妓や花魁が多い。顔も中性的で何処となく妖しい色気のある菊次郎はその界隈では有名であった。有名で尚且つ人気の菊次郎の一晩の値段は遊廓の売れっ子の花魁よりは下だが、陰間茶屋では目が飛び出る程の値段だと噂されている。そんな菊次郎を、派手な装いにした牛車と護衛と使用人数人で自分の屋敷にまで呼びしかも一晩とは。

(本当、幾ら積んだんだ?)

 袖の影から怪訝な瞳で久慈郎の顔を盗み見ていた。

「菊……」

 ふいに名を呼ばれ、自分が見ていたのが気づかれたのかと思い一瞬だけ心臓が跳ねた。が、違うと分かり微笑みを浮かべたまま久慈郎へと視線を向ける。

「なんでしょう成瀬様」

「この庭の、自慢の花を観てみろ」

 言われるがままに菊次郎は正面に開けた庭を観る。先程の咽せ返る様な甘い花の匂いの正体は椿の花。それも、色々な種類が植えられている。

「椿……で、ございますか。雪の降る日はさぞやあの紅い色が映えて美しくこの庭を彩るでしょうね」

「ああそうとも、毎年美しく咲き誇り私の目を楽しませてくれる。ただ……」

 久慈郎はお猪口に入った残りの酒を煽るようにグイッと飲み干し、それを乱暴に投げ捨て代わりに菊次郎を引き摺りたおした。

「美しいだけでは物足りない、私は美しく咲き誇った花をこの手で散らす―その瞬間がもっとも美しいと感じるのだ」

 久慈郎の手が菊次郎の細い首を締め上げる様に掴む。次いで激しく唇を塞がれた、昨日とは違い濃いアルコールの匂いと微かな煙草の味。

 何度も重ね合わせ、静かにそれでいて激しい口付けに互いの呼気も乱れ始める。

 ほんの数瞬だけ視線が絡み合う中、目の端に椿の生け花が置いてあった。手漉き(てす)にでもしていたのだろか?適当に刺さった椿の中から一つを選び久慈郎に差し出した。



「今宵は私に」


 差し出したのは“胡蝶侘助(こちょうわびすけ)”赤と白の斑ら(まだ)模様の椿の花。


「ふん、洒落たことよ」




 ――18××年。日本、冬。この日を境に、菊次郎は姿を消した。

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