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②黒と白 2

「ん?地面が揺れている?」

 菊次郎はキョロキョロと周りを見回すが流れる人々は変わらず涼しい顔をして通り過ぎる。

「気の所為か?」

 最近、夜の仕事が忙しくなりあまり寝ていなかったせいだろう、と菊次郎は止まっていた足を再び前へと動き出す。


 今日は秋の縁日。


 陰間茶屋の近くの寺で縁日があると聞き、足を伸ばした菊次郎。そもそも、縁日だからとはしゃぎに来たわけではない。それ程祭りとしての規模は大きくはないが、参道端には色々な屋台がずらりと並んでいる。この間見かけた季節外れの風鈴屋も端に鎮座していた。

 屋台の光と、等間隔に立てられた松明の炎で辺りは昼間の様に明るい。祭り独特の匂いと人々の楽しそうな声の中、参道を中心に波が割れたかの様に道が開かれた。

 ざわざわと囁く声の中には女性達の花を咲かした様な会話も聞こえてくる。

 シャンシャンと鈴の音を鳴らす楽士達が通り過ぎ、その後ろを白塗りにキリリとキツめの化粧を施した歌舞伎役者が通り過ぎていく。

(………今日は男か)

 通り過ぎて行く役者の1人の顔を見て、化け具合が相変わらず凄いなと感嘆する。今日の縁日のメインは寺の奥にある舞台での舞だそうだ。

 地元有力者達もその舞を観にここを訪れると、小耳にはさんだ。

 歌舞伎役者達の列が奥に進むに連れて波は徐々に元に戻っていく。菊次郎は、目的はないがとりあえず参道奥へと足を向け歩き出そうとした。

「よっ、そこの色男の兄ちゃん。お1つどうだい?」

 所狭しに立ち並ぶ屋台の1つから菊次郎に向けて声が掛かる。その声の主が手に持つのはお面。

「面?」

「兄ちゃん、そこの茶屋の人だろ?その顔でそんな也して歩いていたら木陰に連れ込まれちまうぜ?だからさ、どうだい1つ」

 そんな也とは失礼な、今日は仕事上がりで風呂に入ったばかりの菊次郎は、いつもの黒の着物の上に燻んだ青地の紅葉模様の羽織を引っ掛けていた。長い髪は軽く縛り横に流している。

「どうだいと、言われてもな……」

 持ち合わせがないわけではないが、今後この面の利用価値はない。それにこの先どうなるかも分からないのに無駄な出費は抑えたい所なのだ。

「兄ちゃん、おまけでもう1つ付けるからよ〜」

 屋台の親父がスススッと近寄り、猫撫で声で擦り寄ってくる。なんとも気持ち悪い。近寄られた分だけ菊次郎は距離を取った。

「もう1つって……」

 もう1個あったからと何が出来ると言うんだ。面屋の親父が菊次郎の袖を子供みたいに掴んで来るが無視だ。

 それにそんなに引っ張るな!グイグイと引っ張られ肩に引っ掛けただけの羽織がずれる。

「良い加減にっ」

「おやっ?あんた……その噛み跡、成瀬様んとこのお気に入りかい?」

 面屋の掴む手が離れ、今度は訳知り顔のヒソヒソ声でこちらを伺う様に覗き込み耳打ちしてくる。

 菊次郎は一瞬嫌な顔をするが、袖を引かれ少し着崩れた着物を直しながら再び歩き出そうとした。

「ああ!待ちなよ色男の兄ちゃん!悪い事したお詫びにこのお面は兄ちゃんにやるからさ」

 面屋に渡されたのは狐面。寺で狐とは……。と、思いながらも無料で持って行けと言わんばかりの勢いで渡された。と、言うよりか押し付けられたに近かったが、無料ならばありがたく貰っておく。

「それと、兄ちゃん。あんた気をつけなよ?」

 去ろうとする菊次郎に再び面屋は話かけてきた。周りに聞こえないようさっきよりも更に小声で菊次郎に耳打ちをする。

「気をつけろ、とは?」

 菊次郎が聞く体勢になったことが嬉しかったのか、面屋の親父は背の高い菊次郎に屈めと手振りで示す。これ以上近づきたくはないがしょうがなく腰を屈めてやる、面屋の親父は少し酒を飲んでいるらしく息が少し臭い。………最悪だ。

「なんでも、成瀬様の周りで最近物騒な出来事があったらしくてな」

「物騒な出来事?」

 成瀬久慈郎。彼は『成瀬』の名を持ちながらも一族の中に名前はない。けれど、この辺りに住む人間ならば知っている。風貌が物語る様に彼が異国人との間に出来た混血児だと。その為、彼の周りでは産まれ落ちた頃から物騒な出来事は絶え間なく噂話は尽きるこない程だ。

「兄ちゃんも成瀬様のお気に入りなら分かるだろ?昼間の時分は金払いの良い旦那だが、夜になると人が変わったように攻撃的で残酷な人に変わるとか……噛み癖も最近じゃ本当は人肉と血に飢えて獲物を物色してるからなんじゃないかって巷で噂されてる」

 面屋の親父はブルッと短い手足を自身に巻き付け震えている。自分が食べられているのを想像でもしたのだろうか。

「ほら、成瀬様は異国の血が混じってるだろ?だから余計に……」

 だから余計に信憑性があるのでは?巷ではそんな噂が流れているらしい。異国人が日本に入り始めてまだ日が浅く、ある程度の大きさの都市である三都であってもまだまだ忌避感は避けられない。だからと言って久慈郎を人知れず山奥の寺や家の地下で育てたわけでもなく、むしろ日本人とは違い彫りの深い顔や変わった髪の色、瞳の色で一部界隈では人気でもあると聞く。久慈郎もそんな自分の容姿と、名前と財力を利用し異国人向けの商いで成功をしている。そんな彼は成瀬家内で自ら成り上がった。と、世間では噂されていた。

 実際のところは不明だし、興味もない。

 菊次郎は面屋の話を上の空半分程で聞いていたが、次に出てくる言葉に反応した。

「それで、成瀬の旦那。とうとうヤッちまったらしいんだ」

「……死人が実際に出たと言う事か?」

 無意識のうちにぐっと拳に力が入る。

「ああ、これも噂だが江戸の方の遊廓で気に入りの遊女がいたらしいんだ。だが、その遊女年頃もまぁまぁで年季明けも間近って言われててよ、まぁ大概は出費も嵩んでて年季明けなんて搾り取られるか病気になるまでしないと無いようなものだけど、世の中には変わったお方がいるもんで残りの借金も全部ちゃらにして年季明けと共にその遊女を身請けした人がいたわけよ」

「………」

 菊次郎は目でその先を促した。

「だが、その遊女の常客の1人の中に旦那が居たらしいんだ。普段なら飽きっぽい性格の成瀬の旦那だが今回ばかりは違った。まだまだ遊び始めたばかりの気に入りの遊女を横から掻っ攫われちまったんもんで、怒り狂ってその遊女を探しだしたそうなんだ」

「……その後、どうなったかは?知っているのか?」

「勿論。探し出した遊女と身請けした旦那とその家族を皆殺しにしたらしい。その時、血塗れになった旦那を目撃した人が言ったそうだ『人喰いの久慈郎』って」

 話終わると面屋は、菊次郎の背を思いっきり「パーンッ!」と叩いた。

「痛っ!?」

「驚いたか?まぁ、何処から何処までが本当の話か分からないがな。その話が本当なら、旦那もこんな所をあんな風に女引き連れて歩いてなんか無いだろさ」

 なんて悪趣味な、と心の内で悪態をつきつつ親父が指差す方を見れば、噂の成瀬久慈郎が数人の美女達を引き連れ境内を潜ってこちらに歩いて来るのが見えた。

「おーおー今日も相変わらず派手だなあの方は。……ただな、その遊女が死んだって言うのは本当らしい。その後も、噛み跡を付けられた女が何人か不審死や行方をくらましたって話もあるから兄ちゃんも気をつけなよ」

 そう言って、親父は次の獲物()を捕まえて次は別の噂話に花を咲かせていた。

 菊次郎は面を懐にしまい奥に進む人混みの流れに乗りながら歩き出す。目的の人物とは距離をとりながら気配を消して背後に回る。

 雑踏の中、微かな話し声が聞こえて来るがたわいも無い日常の会話だ。ただの縁日の風景の中の一コマに過ぎない。

 時々、屋台を見ている風を装いながら背後をつかず離れずついていく。途中、林檎飴ではなく珍しい葡萄飴が売っていたのでそれを舐めながら歩いていた。縁日に来て何も買わないのも怪しまれるからな。

 先程の面屋の話を思い出す。最初に犠牲になった遊女の後、確かに何人か不審死や行方知らずの女が数人いた。見た目は皆、最初の遊女に似ていて女性にしては背が高く細身。混血児である成瀬久慈郎も平均より身長があるので自分に合わせる為か、ただの好みかは分からないが噛み跡を付けられたのはそんな女性ばかりだった。今連れて歩いてる女性達も下駄を履いているとはいえ皆軒並み背が高い。

(……そろそろ潮時か)

 久慈郎達一行は寺の奥。今日の舞台でも観に来たのだろう。要人達の席は舞台の周りに用意はされているが、金を払えば一般でも入れる。まぁ、馬鹿高いが。菊次郎が屋台の少なくなった参道を引き返そうと踵を返すとまた地面が揺れた。しかも先程よりも強く揺れた為、菊次郎は思わず振らついて何かにぶつかった。

「おや?こんな所で奇遇だね菊」

「!!?」

 目の前には成瀬久慈郎。その人物が不敵な笑みを浮かべて振らつく菊次郎を両手で受け止めていた。

(ヤバっ、いつの間に……)

 そう思った時には遅く、そのまま草むらへ倒れ込む様にと連れ込まれた。

「私に何か用かい?」

 不敵な笑みのまま久慈郎は菊次郎を組み敷き上から跨がれ両手を押さえつけられた。夜の紅葉を照らす為の松明の灯りはここからでは少し遠い。

「俺はただ、近くで縁日があると聞いたから楽しんでいただけだが?」

 その証拠と言わんばかりに口に入った棒付きの葡萄飴を見せた。

「フン、そうかい?私達がここを訪れる前から居たようだけれど?随分と長い時間縁日を楽しんでいたようだね」

 菊次郎の指がほんの少しだけ反応した。あの時の事を言っているのか?丁度、面屋が指を指した時一瞬だけこちらを見た気がしたのは気のせいじゃなかったのか。

「そうだな、以外と目新しい屋台が出ていたもんで物珍しいかったよ」

 まったく興味がない物ばかりではあったが、強引にそう白を通すしかない。たとえ、本人にそれが嘘だと知られていようとも。

「…………」

「縁日の続きを楽しみたいんだ、早く退いてくれないか?成瀬様?」

 菊次郎は先程買った葡萄飴を口に含みカリッと噛み棒だけを口から引き抜き投げ捨てる。これで相手に武器はないと見せつける為でもあるが、上に跨る様に覆い被さっている成瀬久慈郎を下から睨み上げた。

「……フローレンスだ」

「?ふろ?なんだって?」

「私の異国での名前だ。フローレンスと言う」

 唐突に明かされた名前に菊次郎に一瞬隙が生まれた。その隙を見逃さず成瀬久慈郎は菊次郎の唇に自分の唇を乗せる。

「んっ!なにぃ……!?」

 菊次郎の口の中は葡萄飴と別の侵入者で満たされ、息苦しい。中では器用に砕けた飴がコロコロと転がされる。

 息苦しくて口の中の飴を吐き出そうとするが、逆に押し返され今度は深く生暖かい物が口の中を蹂躙してくる。

「はぁ、……ぁ、………ッ」

 離された互いの唇から細い糸が引く。それを久慈郎はペロリと舐めとった。

「良い顔だ……」

 瞳の奥で妖しい光が僅かに灯る。

「はぁ、はぁ、はぁ……ぅんッ!」

 やっと息が吸えると思ったら今度は跨ったままの体勢で久慈郎は腰をゆっくりと動かし始めた。

 着物の上からでも分かるくらい硬くなった自身のモノを菊次郎のソレに擦り付けてくる。

「んッ!……成瀬、様。俺は今、非番なんでご容赦をッ……」

 辛うじて菊次郎はそう放った。

「ならば菊、明日茶屋に迎えを出す。店主には私から言っておく茶屋ではなく私の屋敷だ、良いな?」

 久慈郎は着崩れた菊次郎の肌に視線を移す、首から鎖骨辺りを覗かせる白い肌はこの薄暗闇でも分かる程に薄らと赤く色付いて美味しそうだ。

 まるで新鮮な果実にでも齧り付くように久慈郎はその肌に歯をたてる。

「んッ!ウッ……グッ!!」

 噛みちぎる気か!と言わんばかりの力で噛まれ久慈郎の頭を自由になった手で押し退ける。

「……明日が、楽しみだ」

 そう言って、久慈郎は寺の奥へと姿を消した。その背が見えなくなり奥から歓声が上がると菊次郎も上体を起こし、噛まれた場所を指先で触る。

「随分とがっつりと付けてくれたな……」

 指先で触っても分かるくらいの歯型の跡が残っていた。深い為息を吐き、頭をバリバリと掻きむしる。

「はあ、……最悪だ」

 立ち上がり、乱れた着物を正す。羽織を肩に掛け、小腹も空いた事だし、帰りは屋台で何か買って帰ろうかと思った矢先。

 背後で枝が折れる音と共に大きな何かが落ちる音がした。

 一体何事かと振り向き、そこにいたのは見た事ない様な服を着た異国の少年がいた。

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