第100話:ポンコツでも、好きでいてくれますか?
玄関のドアが、ゆっくりと開いた。
「……ただいま、です」
玲奈の声が、ほんの少しだけ震えていた。
でもその瞳は、まっすぐに悠真を見つめていた。
彼女の髪は、いつもより少し風に乱れていたけど――その表情には迷いがなかった。
「おかえり」
悠真は、まっすぐに言葉を返した。
それだけで、胸の奥がいっぱいになる。
「……ん。あの、帰ってきました。えっと……また、ここに住んでもいいでしょうか?」
「なに言ってんだよ。玲奈の場所は、最初からずっとここだろ」
玲奈の目に、涙がにじんだ。
「……そっか。よかった。迷惑じゃなかった、ですか?」
「迷惑だったら、部屋のゴミ捨てたりしねーよ」
玲奈はクスッと笑って、そしてふいに、頬を染めた。
「……あの」
彼女は両手で自分のスカートの裾をぎゅっと掴んだまま、顔を上げる。
「わたし、少しだけ……変わったと思います。前よりも、自分でできることが増えたし、
東京でもいろいろな人と話して、自分のダメなところも、少しだけ認められるようになりました」
「うん」
「でも、全部できるようになったわけじゃなくて……まだ、失敗するかもしれなくて……それでも」
深く息を吸って、彼女は言った。
「それでも、わたし――あなたのことが、好きです」
それは、まっすぐな告白。
あの日の夜、ふたりの距離が近づいたあの浜辺よりもずっと、強く、確かな想い。
「……俺も」
悠真は、玲奈の頭に手を伸ばす。
「生活能力ゼロで、すぐ迷子になって、スマホもまともに扱えないポンコツでも……ずっと好きだったよ」
玲奈の目から、大粒の涙がこぼれた。
「……バカです。そんなこと言われたら……また泣いちゃうじゃないですか」
「泣いていいよ。家、もうここなんだから」
「……じゃあ、泣きます。あと、ちょっとだけ……」
玲奈は、悠真の胸にそっと額をあずけた。
彼の手が、優しく彼女の頭を撫でる。
波の音も、風の音も、静かに鳴り続けていた。
玲奈が泣き止むまで、悠真はずっとその頭を撫でていた。
強がらず、素直に泣ける彼女が、今ここにいる――
それがただ、嬉しかった。
しばらくして、玲奈はようやく顔を上げた。
「……あの」
「ん?」
「やっぱり、帰ってくるって言ったら……掃除、してくれてたんですね」
玲奈が部屋の隅を指差す。
テーブルの上には、玲奈の好きなお菓子と、温かい麦茶が置かれていた。
「ま、まあな。……ちょっとくらいマシにしておかないと、また“ポンコツ同士”って言われかねねーし」
「ふふ……言いませんよ。今の悠真くん、ちゃんとしてます」
玲奈は笑ったあと、ちょこんとテーブルについた。
そして――お菓子の袋を開けた瞬間。
「……これ、わたしが東京でハマったやつ……!」
「え、マジで? 適当に選んだんだけど」
「もうっ……運命ですね」
玲奈が口を膨らませながら笑って、悠真の方へそっと寄り添う。
「――これからは、ふたりでちゃんと生活、していきたいです」
「一緒に?」
「はい。失敗もたぶんいっぱいすると思うけど……
でも、前よりはちゃんと、自分でやってみたいなって思えるようになったから」
悠真は、玲奈の頭をもう一度なでた。
それはもう、あの日の“仕方ないな”の撫で方じゃない。
「俺も、ちゃんと支えるよ。ポンコツでも、玲奈がいい」
「……うれしい」
――そして。
「……じゃあ、最初の家事は……一緒に、お風呂掃除からお願いしますっ」
「え、おい! 帰って早々それかよ!?」
「だってぇ……お風呂、久しぶりにふたりで入りたいなって思って……」
「バカ! そういうのはまず掃除してから……って、え、今なんて?」
「ふふっ♪ 内緒ですっ」
玲奈がいたずらっぽく笑って、逃げるように洗面所へと走り出す。
悠真は少し赤くなりながら、それでも立ち上がってあとを追った。
部屋には、いつもの日常が、また戻ってきていた。
でもそれは、もう“前と同じ”ではない。
ちゃんと進んだ、ふたりの新しい一歩だった。
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最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
玲奈と悠真の物語は、今日ここで一区切りを迎えます。
たくさんの失敗とすれ違いの中で、それでも「好き」が交差した二人。
そして、この日常の先に、きっとまた続いていく未来があると信じて。
この作品を、ここまで読んでくださったあなたに――心からの感謝を込めて。
これにて――完結。




