第63話 死ぬのは誰か
コボルトの王は、入口に現れたグールを見て顔を引き攣らせた。解放に行かせた配下を食ったのだ。だが、大男を押し返し、剣の男に膝をつかせたのを見て考える。グールは制御できない怪物だが、今は侵入者を敵と認識している様子である。
ならば、グールには侵入者と順に戦わせ、潰し合わせたい。一番手ごわそうな大男は最後にぶつけ、先に男女と剣の男の始末をつけさせるのがいいだろう。とすると、大男をこちらで抑えておくか。彼は、残った配下に命令を下した。
グールに蹴り飛ばされたバルドは、立ち上がったが、その額には脂汗を流していた。コボルト達との戦闘で傷を負ったわけでも、疲労したわけでもない。グールの蹴りも大したダメージにはなっていなかった。しかし、木箱を開けた時、針が刺さった指が疼いた。
あれから僅かな痺れが広がって、体の動きを重くしていた。それは命の危険を感じさせるほどではない。コボルトなど、この状態でもいくらでも相手にできる自信はあった。だが、殲滅速度は確実に遅くなっていた。そして、グールに力負けした。勝てないとは思わないが、苦戦は免れないだろう。
そう考えていた時、再びコボルト達に取り囲まれた。どうやら、自分をグールのところに行かせないようにしているらしい。たったの五体なら容易い相手だが、それでも今は時間が掛かりそうだ。しかし、彼は思った。ロレンツィオやシュウが死ねば、コボルトの財宝は一人占めではないかと。
フィオは、グールが現れてから広場の隅に身を潜めていた。これまでのどさくさ紛れに、彼女の腰の袋には拾い集めた十五枚の金貨が入っていた。少しリスクはあるが、広間をすり抜け、逃げ出す自信はあった。彼女は、状況を観察し、ギリギリまで多くのお宝を持ち帰ろうとしていた。
シュウは、バルドを押し返し、ロレンツィオに膝を突かせたグールに恐れおののいていた。力でバルドに匹敵し、速さか技巧でロレンツィオを上回った。その上、爪には毒がある。しかも、人を食うらしいし、何より獣のような顔と赤い目が怖い。
ずっと深くで 覗く赤い目
舌がさぐる 息のぬくもり
骨のかけら ころんと落ちた
急に思い出せなかった、フィオの歌の最後のフレーズが記憶に蘇る。何が、ころんと落ちるの?シュウはもはやパニックを起こし掛ける。長っ。グールの舌が、牙の生えた口から伸び、べろんと宙を掻く。シュウを見ていたそれは、視線を僅かに横に移す。
何を見ている。自分の後ろにいるのは、アヤナ。彼女を狙っているのか。ダメだ。彼女みたいな若い子を、こんなところで死なせるわけにはいかない。日本では五十まで生きた自分だ。先に死ぬなら、自分であるべきだろう。
「コーヒー召喚」
グールの頭上にコーヒーカップが現れる。だが、それが落下する前に、グールはこちらに突っ込んで来た。ダメだ、間に合わない。前に立ちはだかり、彼女を守ろうとする。しかし、覚悟を決めた彼の前で、グールは消えた。きゃっ、と後ろで悲鳴が上がる。
振り返ると、アヤナが新しい服で前を隠し、座り込んでいた。彼女の視線は上を向いている。その視線を追ったシュウは驚愕した。アヤナの頭上のずっと上、天井付近の壁に、まるで蜘蛛のようにグールが張り付いていた。グールは一瞬で彼を飛び越していたのだ。
グールはそこから飛び降りて、アヤナに襲いかかる。彼女は服をグールの目の前に投げつけ、逃げようとする。しかし、グールはあっさりとそれを叩き落した。
「おおおっ」
シュウは雄たけびを上げて、長柄の杖を叩き付ける。しかし、グールは杖を片手で掴むと、シュウごと振って彼を壁に叩き付けた。ぐはっ。背中が痛い。下手をすると、あばら骨にひびが入っているかもしれない。目に涙の浮かぶシュウに、彼女の悲鳴が聞こえる。
見ると、グールは仰向けの彼女の肩をおさえて跨っていた。大きく開いた怪物の口から、尖った無数の牙がのぞき、涎が垂れる。食われる。だが、壁に叩き付けられた衝撃で、彼の体の動きは鈍い。コーヒー召喚はダメだ。あの位置ではアヤナにも熱湯を掛けてしまう。
何かないか。地面についた手を動かすと何かが当たる。これはゴミか?壁際に何かの骨や、皮、木片などのゴミとしか言えない物が寄せられている。分からないでもないが、今は関係がない。アヤナに視線を戻すと、グールがその長い舌で舐め回していた。驚くべきことに、その舌は一メートル以上ありそうだった。
シュウの頭には日本で見た動物番組が思い出された。ライオンなどの肉食動物は、獲物を狩った後、その相手を食べる前に舐めることがあるという。それは、小石や毛などを除いて綺麗にする為だとも、本能的に自分の優位を楽しむためだとも言われている。しかし、グールの場合には間違いなく後者だろう。
「いやあああぁ~」
悲鳴を上げるアヤナ。だが、噛みつかれる前に僅かに時間ができた。彼はやっと戻って来た体の感覚に、身を起こそうとする。その時、コボルトのゴミの中についた手に、硬い感触を感じる。掴み取ると、それはロレンツィオが持つような長剣だった。
装飾のない、武骨な抜身の長剣だが、長杖や小剣よりマシかもしれない。シュウは、それを両手で持つと、切っ先をグールへ向け、低い姿勢で飛び出した。いよいよ舌を引っ込め、彼女に噛み付こうとしていたグールだが、彼の気配に気づいたのか振り返る。
グールが飛び込んで来たシュウの剣先を片手で掴んだ。バルドを蹴り飛ばし、ロレンツィオの剣を弾き、シュウを片手で杖ごと放り投げた膂力である。止められた、と思ったシュウだが、掴まれた剣はグールの手の中を滑り、そのまま止まることなく押し込まれて行く。
咄嗟にグールはしっかりと構え直し、両手で剣の刃を掴んだ。しかし、それでも止まることなく、握った手の間からは白い煙が上がる。
「うおおおおっ」
シュウは気合いを入れる。どう考えても奇跡のような千載一遇のチャンスである。これを逃せば自分もアヤナも殺されるだろう。シュウは、日本で生きた五十年でも、この世界での半年間でも、かってないほどの全力を込めて押し込んだ。ついに刃先はグールの胸に届き、刺し貫いた。
「グギャァアアア~ッ、ラ=ジルヴェルタール・エルナイアス・ヴァル=ハルディム……マル=カナス・バルバロイ……!」
明らかにコボルト達とは違う言語で断末魔を上げるグール。剣の刺さった胸からも白い煙が上がる。最後にグールは、片手で胸を押さえ、もう一方の手を天へと掲げ、それから崩れ落ちるのだった。
「た、倒したのか?」
倒す気で刺した。それでもシュウには、あの怪物を自分が倒したことが信じられなかった。しばし、呆然としていると、声が掛かる。
「シュウ」
アヤナの声だ。彼女へ振り返るシュウ。
「アヤナ」
そこには、ボロボロの服で片手で身体を隠しながら、それでも微笑む彼女の姿があった。そして、彼女は指さす。
「それ、取って下さい」
見ると、彼女が着替えようとした服が落ちている。ああ、と言ってそれを拾い、手渡すシュウ。そこでさらに別の人物が声を掛けた。
「ほう、グールを倒したのか」
それはバルドだった。ふと見回すが、まわりに生きているコボルトはいない。どうやら、コボルトを倒し切ったようだ。ロレンツィオは前と同じ所でしゃがみ込んでいる。そういえば、麻痺毒を受けたと言っていたか。何にせよ、やっと終わったのか。安堵の息を吐こうとしていると、アヤナが鋭い声を上げる。
「シュウ!」
驚いて彼女を見ると、彼女の顔は驚愕を浮かべていた。身体の前を着替えの服で隠しながら、ある方向を指さしている。その方向を見ると、フィオが倒れていた。
「フィオ!」
彼はフィオに駆け寄って様子を見る。彼女は大きく背中を切られ、血を流していた。コボルトがこんな大きな傷を負わせたのだろうか。何にしろ手当てが必要だろう。アヤナを呼ばなくては。そう思って振り返ると、すぐ後ろにバルドが立っていた。何故か彼の目がギラギラしているように感じた。
「バルドさん、フィオが斬られています」
「そうだな」
焦る彼に対して、バルドは淡々と返す。
「早く手当てをしないと」
「その必要はない」
シュウは彼の言葉に耳を疑った。
「何を言っているんですか」
「その必要はない。財宝は見つかった。小人はもう不要だから始末した」
そこでシュウは気付く。ロレンツィオはグールの毒を受けて動けない。フィオは斬られて倒れている。アヤナはもともと戦力外。つまり、バルド以外で動けるのは自分しかいない。
「僕たちを殺して、コボルトの宝を一人占めするつもりですか?」
「そうだ」
ハッキリと宣言される。彼から漏れる殺気が、本気だと示していた。
「いつから、そんな事を考えていたのですか?」
「さっきだな。特に障害がないことに気付いたんでな」
そこまで言って、バルドは大斧を横に引く。横薙ぎが来る。そう判断したシュウは、彼を注視したまま後ろへ下がっていく。バルドは横薙ぎの構えのまま、前に出る。すぐに攻撃して来ないのは、自分がコボルトやグールを倒すような奥の手を持っている、と考えているからだろうか。
シュウはバルドの頭上にコーヒーを召喚することを考えた。だが、グールに通じなかった。巨人殺しの名声を持ち、歴戦の勇者であるバルドなら、なおさらだ。余程の不意を突かなければ、簡単に跳ねのけられるだろう。
幸い、コボルトの時も、グールの時も、彼は他のコボルト達と戦っていたので、コーヒーの召喚については、あまり見ていないか、全く見ていないだろう。初見である事だけが、こちらの優位性である。彼の隙を見つけて、ただの1回で大ダメージを与えなければいけない。シュウは必死に考えた。




