第48話 ルヴォン川の渡河
二日目の昼前に、シュウ達は川を見下ろす丘の上にやって来ていた。見たところ川幅は百~二百メートルくらいだろうか。水面には秋の澄み渡る青空が映り、陽光にキラキラと輝いている。だが、水の色自体は黄褐色で、底を覗くことはできそうもない。一艘の平底の縦に長い船が、馬車を載せて川の中ほどを渡っているのが見えた。
船はもう一艘あり、手前の岸に半ば乗り上げ次の客を待っているようだ。その前には既に二台の馬車が止まっており、周りには旅人と思われ人々もいる。岸には渡し場だけでなく、幾つかの小屋が見え、集落のようになっていた。
「あはッ、シュウ見て。すっごい川だよ。船もいるのよ。ねぇ、あれで渡るんでしょ。早く乗ろうよ、楽しそう」
両手を上げて、はしゃぐフィオだが、シュウは渋い顔をする。
「渡し舟か。馬車ごと乗れるみたいだけど、順番待ちしてるな。これはひょっと昼過ぎまで乗れないかも」
「そうですね。私達も並んで待ちながら、交代でお昼を食べましょう。何やら船待ちの客向けにお店もあるようですし」
アヤナも同意し、渡るまでの予定を提案する。それに珍しく羊皮紙の束から目を上げたロレンツィオが続ける。
「ふむ。船があの速さで二艘あるなら、二つの鐘が鳴る間に、三から四便くらいであろう。それだけ時間があるのなら、私はどこかの木陰で考察を一つまとめよう」
ここには鐘はないけどね。そうシュウは思ったが、ツッコミはしなかった。ロレンツィオの見立てでは、街の神殿で鐘を鳴らす間隔、つまり季節にもよるが二時間くらい待ちそうという見込みなのだろう。二艘の船が順に往復して、三、四十分ごとに船が出る計算なら、そんなものかと納得する。
「なら、俺はそこの店でエールでも飲んで時間を潰すさ」
バルドには、渡し場前で旅人達が飲んでいるのが見えているようだ。二人の話を聞いて、アヤナの眉がピクリと上げ、口を開いた。
「お二人とも休憩は交代ですからね」
ロレンツィオとバルドは、少し顔を上げてアヤナを見たが、そのまま肯定も否定もせずに目を逸らした。
丘を下るにつれ、段々とざわめきが大きくなって来る。既に先ほどの船は岸を離れ、渡し場の管理小屋の前の順番待ちの馬車は一台になっていた。その周りには荷上げの人夫と思われる男達に商人達、神官の一団も見える。
手前には厩舎を備えた宿屋兼酒場と思われる大きめの建物があり、そこと管理小屋の間に何かの事務所と思われる小屋がある。あれは何だろうかと不思議に思うシュウだったが、そういえば渡河には税の徴収があると聞いていたので、徴税所のようなところかもしれない。
「取り合えず、あの渡し場まで行けばいいのかな」
「先にそこで税を払っておけ。ゴタつかれて、乗るのが遅くれたら敵わん」
シュウが仲間を見回すと、バルドが答えてくれた。シュウは彼に礼を言って、馬車を進める。酒場の入口からは、五、六人の旅人が休んでいるのが見えたが、そのまま前を通り過ぎて小屋へと向かった。年季を感じさせるが、しっかりとした作りの小屋は、扉も閉め切られていた。
「すいません。川を渡りたいのですが」
アヤナに手綱を渡して、御者台を降り、小屋の扉を開けるシュウ。中では机の上の書類を横にどけ、背もたれに寄りかかってエールを飲む男がいた。仕事中にアルコールを飲むのは日本では考えられないが、この世界ではこんな物なのだろう。すぐ後ろに剣が立て掛けられているのが、ちょっと怖い。
「ちょっと待ってろ」
男はカップを飲み終わってから、腰に剣を差し、何かの帳簿と木札を手に取って小屋を出て来る。彼はシュウ達を見回して、斧を担いだ巨漢のバルドに気付き、やや怯えた表情を見せる。それから小人族クルルボーの少女フィオに眉根を寄せ、服の上からでも大きいと分かったのかアヤナの胸を見て顔をニヤつかせる。
荷台で本を読む貴族っぽい小ざっぱりした装いのロレンツィオに渋い顔を向け、そこに積まれた麻袋や縛り付けられた木箱に面倒そうな顔をした。
「お前達は商人か? それとも貴族の坊ちゃんの旅行か?」
「う~ん、そちらのロレンツィオさまの遊興の旅ですね。岩竜の森を見たいと言われていて、荷は旅の食料とロレンツィオさまの私物ですよ」
男がシュウに視線を戻すと、彼はアヤナのように話を合わせて適当に答える。男は、しばし考えているようだった。
「売り物じゃないんだな」
「はい。売ったりしたら怒られます」
恐らく、縄を解いて木箱を調べたり、ロレンツィオと揉めたりするのを嫌がっているのだろう。彼はもう一度、シュウ達を見回してから、帳簿に何かを書きはじめた。
「渡船料は一人銅貨十五枚、馬と馬車で銀貨二枚、通行税が銅貨七十五枚。合計で銀貨三枚半だ」
支払いを終えると、シュウは木札を受け取る。徴税済みの印のようで、船に乗る時に回収されるらしい。
列の最後に馬車をつけると、日焼けした中年の男がこちらへ歩いてきた。粗い麻の上着こそ荷運びの人足たちと変わらないが、腰に締めた幅広の革帯と下がる鍵束が、彼の立場を物語っている。おそらく、この渡し場の責任者だろう。
「木札を出してくれ」
「はい。どうぞ」
シュウは徴税所でもらった木札を差し出した。
「よし。それでおまえら、何人だ?」
「五人です」
ぶっきらぼうな声に、シュウも簡潔に答える。
「銀貨一枚半だ。待ちがいるからな。お前達の船は三つ後のだ」
代金を渡しながら、シュウは尋ねた。
「どれくらい掛かりそうですか?」
「二つの鐘の間くらいか、もうちょっと掛かるかもしれん。昼に休憩させるからな。順番になったら声を掛けてやるよ」
「分かりました。お願いします」
男は軽く手を振り、背を向けて戻っていく。シュウはその背を見送った。
「シュウ、私、川を見にいってくるね~」
そう言って馬車から離れていくフィオ。バルドはのっそりと酒場へと足を向け、ロレンツィオも荷台から降りる。
「皆さん、何か食べたらちゃんと戻ってきて下さいよ。交代してもらわないと、食料が無くなってたら、今晩から食事は抜きですからね」
アヤナが腰に手を当てて声を上げるが、それに答える者は誰もいない。それを見てシュウが苦笑する。しばらくして、前に並んでいる中年の女行商人が振り返って話しかけてきた。
「アンタ達は、あのお兄ちゃんのお付きか何かかい?」
「いえ、ただ一緒に旅をしてるだけですよ」
「へぇ、どこまで行くんだい」
「岩竜の森の近くですけど、ご存知ですか?」
「ああ、川を渡って一日、二日で見えてくるよ。あんなところに何の用だい」
「あの人があれでも神官でね。古い神殿があるとかないとかで調べたいんだと」
「へぇ、そんな話は聞いたこともないよ」
ここでアヤナが会話に割り込む。
「あの森の辺りは、盗賊とか怪物の噂はないんですか? 私、森なんて心配で」
「そんな人が通らないところに盗賊がいるとは思えないけど、狼くらいは出るだろうさ。それに森じゃ、どんな怪物が出ても不思議じゃ無いだろ」
「まあ、怖い」
そんな風に女二人で話していたが、どうやらコボルトの噂は広まっていないらしい。そうしている内に渋々といった雰囲気でロレンツィオとバルドが帰って来て、荷馬車の番を代わることになった。
二人が渡し場の酒場に入ると、湿った革の匂いと酢の香りが鼻を刺した。客はあまりおらず、談笑する行商のような男達が一組と、黙々と木匙を口へ運ぶ農夫が一人だけだった。どうやら昼は黒パンと煮込みスープしかないようで、それとエールを注文するとすぐに女給が運んできた。
スープの表面に浮かぶ油が、部屋の中へと差し込んだ陽の光を受けてきらめいた。
「このスープ、酸っぱ塩辛くて、ちょっとトロみがありますね。それに魚も入っていますよ」
アヤナが匙をかき混ぜながら目を細める。
「本当だ。こっちで食べるのは初めてだね」
シュウも白い切り身をすくって口に運ぶ。酸味のあとに、脂とハーブの風味が広がった。
「すいません、この魚って何ですか?」
呼び止められた店の女が、手を拭いながら笑う。
「ああ、それは鯉だよ。近くの池で飼ってるのさ」
「へぇ、飼ったりできるんですね」
シュウは養殖していると聞いて、意外に思う。もっと近代になってからのイメージがあったからだ。スープの酸味が身体の芯まで染みわたる。
「懐かしいですね。アローデールまで二日も無いのに、向こうでは見ませんでしたし」
「だね。なんだか味噌汁が恋しくなってきたよ」
久しぶりの魚料理をゆっくり味わった二人は、木椀の底まで飲み干すと、日差しのまぶしい渡し場へと戻っていった。
シュウ達が戻ってしばらくすると、ようやく彼らの番になった。荷馬車を船の上へと押し上げ、ちょうど中央に差しかかったところで船の人夫が手を上げて止める。彼は慣れた手つきで車輪の前に木片を差し込み、転がらぬよう押さえる。
客はシュウ達のほか、行商や農夫らしき旅人が五人ほど。先ほどの女行商人の姿はもうなかった。係留索が解かれ、船が静かに岸を離れる。二人の船員は櫓も竿も持たず、ただ船首の滑車がきぃと鳴った。対岸へ渡る綱が張られており、船は川の流れに押されて、斜めに滑るように進み出す。
「シュウ、すごいよ。船が進んで行く!」
フィオが喝采を上げる。滑車がぎしりと鳴り、船底がゆっくりと軋む。パシャリと水が跳ね、馬がそれに反応してブフッと鼻を鳴らす。シュウとアヤナは、それを落ち着かせようと撫でながら、流れる景色に目を向ける。
渡し場には次の馬車や旅人が待っていたが、その姿もみるみる遠ざかっていく。上流を見れば、淡い緑から黄褐色へのグラデーションを帯び、連なる丘の中へと真っ直ぐに伸びて行き、下流は蛇行して左手の丘の陰へと消えていった。
「ちょっと風が冷たいけど、渓流下りみたいで楽しいね。ずっと平原で見渡しはいいし、気分がいいよ。深呼吸でもしようかな。あっ、いま魚が跳ねたよ」
「本当ですか? 確かに気持ちがいいですね。あちらにカモの親子もいますよ」
二人が川面を眺めていたとき、不意に船がぐらりと揺れた。
「あっ」
手綱を握っていたアヤナは踏みとどまったが、両手を放していたシュウはよろめき、咄嗟に何かを掴む。柔らかく、それでいて弾力もあり、大きくて安心感のある感触。何とか転ぶのを免れたシュウが自分が掴んだ物を見ると、それはアヤナの胸だった。
「そこは掴むところではありません。落ち着いたなら放して下さい」
視線を上げて彼女の顔を見る。冷や汗をたらすシュウに、アヤナは冷え切った目をしながらそう言った。
「ご、ゴメン。それにしても流木か何かが、ぶつかったのかな。全然気づかなかったけど」
謝罪と共に速やかに話を変えるシュウ。そんな彼に噛み束から顔を上げないまま、ロレンツィオが答えた。
「恐らく川底の形のせいで、流れが変わり、ちょうどその境を越えたのだろう」
「ああ、アンタ達は初めてかい? そこはいつも揺れるんだ。ちょっと面白いだろう」
そう言って、一緒に乗り込んだ行商の男が笑った。
「そ、そうですね。はははっ」
「私は、ちっとも面白くありませんけどね」
シュウが男に同調して愛想笑いを浮かべるが、アヤナはどこまでも辛辣だった。
「わ~っ、もう着くよ~」
アヤナの剣呑な声色に気づかないまま、フィオが声を上げる。見れば、対岸がもうすぐそこまで迫っていた。




