第44話 厄介な奴ら
バルドの村を出てから、というより逃げ出してから4日、シュウとアヤナはアローデールに戻って来ていた。バルドとは同道したが、シュウは彼にも気を抜けなかった。村を出たところで、アヤナを脅そうとしているようにも見えたからだ。
「バルド様、村のことは残念でしたが、一日も早く再起されますことをお祈り申し上げます。これは些少ですがお納めください。銀貨が百枚入っています」
シュウは、アローデールに入った時点でバルドに別れを切り出した。ここまでの道中で、アヤナとも相談したことだった。手渡したのは日本円にして、およそ十万円。二人も手持ちが少ない中、誠意ともいえるし、しばらくやっていける金を渡して、別れを確かなものにしたいという意図もあった。
「俺を厄介払いしようってのか?」
その通りだが、シュウも、もちろんそうは言わない。
「ご縁があれば、またどこかでお会いできるでしょう。その時はよろしくお願いします」
バルドは上から睨むように見るが、シュウは何を怒っているのか分からず、戸惑っているかのような顔をして見つめ返す。内心ではビビりまくっているが、ここは気持ちよく分かれたという体裁を保つために頑張った。バルドはそれ以上何も言わずに、金を受け取って去っていった。
だが、あの巨躯が背を向けた時、シュウは、近いうちにまた会うことになる気がした。
それから二人はまず、白楡の館亭で部屋を取った。女将にはバルドの村の様子や、そこを出ることになった経緯を正直に話した。日本的な考えで、前の職場を悪く言うのは、と遠慮して曖昧にしていると、他から変に伝わって誤解されるのも危険だと思ったからだ。
ところが、着くのが遅かったせいで、夕食はもう用意できないと言われてしまった。確かに彼らが街に着いたのは日暮れ近くになっていたし、宿の夕食の時間も近かったので仕方が無いだろう。二人は夕暮れが近づく街へと出て行った。
二人が店を探していると、突然シュウの首に腕が回される。驚く彼と、それに気付いて振り返るアヤナに声が掛けられた。
「よおっ、一緒に飯でも食おうぜ。この街には知り合いが少なくてな」
「バルドさん」 「バルドだって?」
それは先ほど別れたバルドだった。
「ちょっと、放して下さいよ」
「まあ、いいじゃねぇか。そこでいいだろう」
そう言って、グイグイとシュウを近くの店へと連れ込むバルド。
「あっ、その店は、……大変よろしくない」
アヤナの表情が歪む。彼女の呼び掛けは無視され、二人は店へと吸い込まれてしまった。仕方なく、店の入り口をくぐるアヤナ。その店の看板には、茶色い鹿が後ろを向き、白い尻を突き出しているような絵が描かれていた。
「モハ・モフ・ヒュム(でか尻、おめでとう)!」
見覚えのある小太りの男がアヤナに気付き、この店のお決まりのセリフを投げかけてきた。アヤナの眉が吊り上がる。その男は以前も見た羽根飾り付きの狩人帽をかぶり、ターンを決めながら注文を取りに来る。シュウが適当に注文した。
しばらくして料理とエールが運ばれると、三人はしばし無言で皿に向かった。猪の肉は焦げの香ばしさと脂の匂いが混じり、旅の疲れた胃にしみる。周囲の客たちが陽気に騒ぐ中、この卓だけが静まり返っていた。やがてシュウが口を開く。
「村を取り戻すのに国は力を貸さないって言いますが、逆に領主が村を奪われたことで、お咎めとかはないんですか?」
「小さな村など誰も気にせん。むしろブランシュモンのクッソたれが、お高く留まったリヴェンベルクのクソどもとよろしくやるだろうさ」
じゃあ、アンタはこれからどうするんだ。そう口に出掛かったが、シュウはその言葉を飲み込んだ。この物騒な男と、これ以上関わりたくないという気持ちがあったからだ。だが、自分達の努力が無駄になったことに、少しくらい詫びの気持ちを見せてもいいのではとも思う。
「村の運営を手伝う話はパーになったけど、今日は旅の疲れも溜っているし、ゆっくりしようか」
「これから冬に向けて街の環境や市場も変わるでしょうから、明日からはその辺りを調べましょう」
微妙な当て擦りを含んだシュウの言葉も、バルドは聞こえている様子もなく、新しい肉を無造作に噛み千切る。アヤナも前半は無視して行動を確認する。そんな折、不意に近くの席から声が掛かった。
「ふむ。村を奪われた領主とその従者か。よくある話だな」
驚いたシュウが相手を見ると、それは皴一つない白いシャツを、着帳面に襟元まできっちり止めた男だった。
「それよりリヴェンベルクの近くにいたなら、その辺りで古い神殿や遺跡を見たことはないかね」
「何ですか、あなたは」
突然話し掛けられた上、どうにも自分達を軽く見るように言い方にカチンときたシュウ。だが、身なりはいいし、まさかこんな庶民向けの酒場に貴族がいるとは思えないが、念のため少し抑え気味聞き返した。バルドはすっかり無視することに決めたようで、結局シュウが相手をすることになった。
「質問をしているのは私なのだが、まあいい。私が誰かとか、何故聞いたとかは、君が私の質問に答えてからだ。聞く、答える、聞く、答える、会話とはそういうものだよ。聞く、聞く、は言葉を知らない牛馬と同じなのだ」
それを聞いたシュウは、何だコイツはと思った。理屈は合っているようで、そもそも会話を始める前に、互いが誰かを知るという工程をすっ飛ばしている。礼儀を知らないのか、礼儀を払うつもりがないのか。とにかく、日本なら無視するのが一番だろうが、実はこの街の大物だったりすると困る。
「この人、確か神官のロレンツィオさんです。デニスさんと書写をしている時に、シュウが写している書類を突然持っていった」
シュウが対応に迷っていると、アヤナが彼の袖を引き、小声で教えてくれた。そういえば、変わり者の研究者みたいな奴がいた気がする。神官とはいえ、貴族家の子弟だったような。最初からそのつもりとはいえ、やはり穏便にお引き取り頂こう。
「僕たちが知る限り、古い神殿や遺跡なんてものはありませんでしたよ。ロレンツィオさん」
「そうか。ならいい」
名前を言い当てれば、何か反応があるかとも思ったが、何も無いのでシュウは拍子抜けしてしまう。自分から話し掛けて来たくせに、ロレンツィオは既に興味を失ったようで、こちらを見てもいなかった。もうお手上げだと、アヤナに手を上げて見せた時、ちょうど店の扉が開き、軽い足音が近づいてきた。
店の空気が一瞬和らいだ気がし、バルドがその姿勢のまま目先だけを店の扉、シュウの後ろの方へと向け、ロレンツィオもチラリと横目でそれを確認する。
「ああっ、シュウ。こんなところにいた!」
それは少女のような声であり、実際声の主は少女のような姿をしていた。しかし、彼女は人間ではなく、クルルボーという小人族であった。
「君はフィオ。どうしてここへ」
「シュウを探してたのよ」
「春からずっと、この街にいたのかい?」
「そうよ、誰も一緒に行ってくれなかったの。でも、シュウなら一緒に行ってくれるのよ」
シュウとフィオの話を横から聞いていたアヤナが、ここで口を挟んだ。
「フィオ、あなたまだコボルトの宝を諦めていなかったの?」
「わたし、コボルトの宝を見てみたいのよ」
「コボルトの宝?」 「それはもしや、ジルバータール王朝の」
アヤナとフィオの言葉に、これまで動かなかったバルドの体が僅かに傾き、こちらに興味を失っていたロレンツィオの瞳が光を増したように思えた。
「それは何だ」「それはどこにある」
「それは……」
バルドとロレンツィオ、二人の男に詰め寄るように聞かれ、言いよどむアヤナ。そこにシュウが割って入って二人に説明する。
「彼女はフィオ、旅好きなクルルボーです。実は以前、彼女にコボルトの宝を取りに行こうと誘われたんですよ。グラウエンブルクの方にある岩竜の森らしいのですが」
「クルルボー、そこへ案内しろ」
途端にバルドが食いついた。
「なるほど、なるほど、それは興味深い」
それに続くロレンツィオ。シュウは、何だか明日にでも行きそうな二人の雰囲気に、これを止めようとした。フィオのコボルトの宝探しは危険度も何も分かっていないのだ。だが、シュウが口を開く前にフィオが歓声を上げた。
「シュウのお友達なら大歓迎なのよ。大きくて強そうだし、よかったわ。じゃあ、明日には出発よ」
「いや、まだ僕たちは行くとは」
「待ってフィオ。少なくとも準備に一日は掛かるわ。だから出発は明後日の夜明け。南門に集合にしましょう」
「え?」
シュウはフィオが話を進めるのを止めようとした。しかし、シュウの袖が後ろから引かれ、気をそらされた隙にアヤナが話を進めてしまった。
「分かった。明後日だな」
「ふむふむ、私もそれで結構だよ」
戸惑うシュウに、バルドとロレンツィオが同意してしまう。
「よーしっ、コボルトの宝探検隊は明後日出発だーっ!」
パチパチ
大喜びして腕を振り上げるフィオに、アヤナが拍手で応じた。バルドが満足気に腕を組んで二人を眺め、ロレンツィオが長めの髪をかき上げ微かに口の端を吊り上げる。ついでに、ウィリアム・テルコスプレの小太り給仕は、クルリと回転して「モハ・モフ・ヒュム!」と高らかに宣言した。
もう、この場の全員で行く流れとなってしまったが、シュウは小声でアヤナに聞かずにはいられなかった。もっとも、この場で小声で話す意味があるのかは疑問だが。
「アヤナ、前は用心しようと言ってたじゃない」
隣り合うシュウとアヤナがヒソヒソと話しても、正面に座るバルドは気にすることなくエールを飲み続け、その隣に座るフィオもニンマリしながら猪肉を頬張っていた。
「そうですね。でも今は状況が大きく変わりました。ロレンツィオさんが加わるなら男手は増えますし、バルドさんの戦力を当てにできる内に、運試しも良いのではありませんか?」
アヤナは僅かに考える様子を見せるも、すぐにシュウに答えた。
「う~ん、俺はまあいいけど、アヤナが運任せというのも意外な気がするね」
シュウは、まだ少し納得がいかないという風に言葉を続ける。
「行商のようなことをしてチマチマ稼ぐこともできますが、それでさえ街道でも街中でも危険が伴います。護衛を雇うなら利益はもっと減りますし、そもそも信用できる護衛を雇えるかという問題もあります」
そう言いながら、アヤナはチーズを千切って、皿の端の空いたところに並べていく。
「何をするにもリスクがあるなら、一回でリターンが多い方が良いでしょう」
そして、全てをフォークで刺して口へと運び、それから悪戯っぽく微笑んだ。
「そう言われると、そんな気もする。でも、もうちょっと準備期間を取った方が良くない?」
シュウは、ほとんど降参していたが、最後の抵抗とばかりに時間稼ぎを提案する。
「今なら収穫直後で食料も安いですし、出発するにはいい時期です。でも冬に入れば状況は逆になり、街の行き来も困難になる可能性すらあるでしょう。来年の春などと言っていると、冬の間の生活が心配ですし、なら早く行って早く帰る方が良いと思います」
「う~ん、そこまで考えているなら、僕から異論はないよ」
シュウは一人で何度かうなずいてから、そう言った。その答えに、アヤナもほっとしたように目元を緩める。
「良かった。でも、そう言ってくれると思っていました」
シュウはアヤナ、バルド、フィオ、ロレンツィオを見る。誰もの目に、まだ見ぬ宝の輝きが焔のように映っていた。彼は一人、肩を竦めた。




