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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第3章 巨人殺しの小領主編
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第43話 星を眺めて

 森の中を風が通り抜け、枝葉が微かに擦れる。その微妙な緊張を破るようにアヤナが口を開いた。


 「バルド様、取りあえずその左腕の手当てをしましょう」


 その声で、張りつめていた空気がわずかにほどけた。シュウが改めてバルドを見ると、左腕の袖が肘のあたりまで裂け、そこから血が滲み出している。森の薄闇の中でもはっきりと分かるほど赤く、布に吸い込まれた血が黒ずんでいた。


 「ああ、頼む」


 疲労を帯びた低い声だった。


 「袖は切り取りますけど、いいですね」


 バルドが頷くと、アヤナは短剣を抜き、ためらいもなく布地を裂いた。水袋の口を開けて、慎重に水をかける。冷たい水が血に混じって地面に落ち、湿った土に赤い筋を作った。バルドは顔をしかめたが、声は漏らさない。


 「水が十分にないので、後で水場を見つけたらやり直しましょう」


 アヤナは背嚢から手拭いを取り出し、裂いて包帯代わりにした。細い指先で器用に結び目を作り、血の流れを止めると、ようやく小さく息をつく。手当てが終わるのを見届けたシュウが、アヤナを見てからバルドに問いかける。


 「どこか水場はありますか。手当てのやり直しにしろ、水の補給にしろ綺麗な水が必要なのですが」


 「ああ、こっちだ。ついて来い」


 バルドはじんわりと血が染み出す左腕の手拭いを見てから、立ち上がった。それから腰に下げた肉厚の短剣を引き抜くと、藪を切り開きながら道を外れて進みだした。シュウとアヤナは互いに目を合わせて頷くと、バルドの後ろに付いて森の中へと踏み入るのだった。




 それから森の奥に泉を見つけた三人は、バルドの手当てをやり直し、それぞれの水袋の水を満たした。その後もバルドの先導で森を進む。太陽が木々の隙間に沈みかけた頃、ようやく立ち止まった。

 村から十分離れたと思われる森の奥、岩肌が突き出した陰を選んで、火を焚く。炎は小さく、煙が上に逃げるように乾いた枝を選んだ。村から見えぬよう、慎重に。それからアヤナは荷をほどき、背嚢から干し肉を取り出す。シュウはタマネギを切り、旅鍋に放り込んだ。じわりと広がる香ばしい匂いに、ようやく人心地がつく。

 ちなみに荷物の分担は全てアヤナの仕切りによって行われたが、タマネギが全て自分の背嚢に入れられたことに、若干の不満を持つシュウであった。だが、シュウはそれよりも重要な問題を、質素な夕食ながら腰を落ち着けたこの場で聞く事にした。


 「バルド様、ブランシュモンの奴らは追ってきますかね」


 「ふん、俺を追い出せれば満足するだろ」


 そう言いながらバルドは、荒っぽくスープをズズッと啜った。シュウはアヤナに手渡された黒パンの端を、短剣で切り取ってスープに浸ける。スープから取り出したパンを口に放り込んで、バルドの答えを少し頭の中で反芻させた。それから再度バルドへ問うた。


 「領主を止めちゃっていいんですか。未練とかは?」


 「もう終わった事だ」


 「そうですか……」


 この男は、自分の村を手放したことにどれくらいの痛痒を感じているのだろうか。自分だって三ヶ月程度とはいえ村を発展させるために頑張ったので、この結果を悔しく思っている。横をチラリと見れば、アヤナも渋い顔だ。しかし、バルドの厳めしい顔はいつも通りで、それがシュウには少しばかり憎らしく思えた。

 何にしろ、まずはアローデールまで逃げのびて、それからゼロから生活を立て直さなければならないだろう。憂鬱な気分に引き込まれそうになっていると、自分の袖が引かれているのに気付く。見ればそんなことをするのは、当然ながら隣の美少女である。


 「シュウ、アレを飲んで星でも眺めましょう」


 そうだった。後ろ向きになっても仕方がない。シュウはバルドの視線を自分の背で遮りながら、背嚢から取り出したふりをしてコーヒーを召喚し、アヤナに手渡す。沸かしてもいないのに、湯気が出ると怪しまれるだろうから、少し暖かいくらいにしておいた。

 それから自分の分も出してから、火の方へと振り返って木のコップをアヤナへと掲げる。彼女も微笑んで軽くコップを持ち上げる。口を付けると、その香りが鼻へ抜け、口の中に心を落ち着けるコクと苦味が広がった。それが体に沁み渡ると、何だか昼から逃げ続けた疲労も抜けているようである。

 見上げれば、岩を中心に木枝の天井が丸く穴を開け、星空が見えていた。東京では薄ぼんやりとしか見えなかった星の光が、刺すように鋭く見える。深いコントラストの美しい光景が、心のモヤモヤを吹き飛ばし、魂が宇宙に引き込まれ自由に飛んでいけるような気がした。


 「墨を落としたような漆黒の空と、輝く星々。この瞬間が」


 ついシュウの口を突いて出た言葉を、隣から鈴を鳴らすような美しい声が引き継ぐ。


 「世界を名作にする、ですか?」


 そこには天の川から降りて来た織姫のような、長い黒髪の少女が微笑んでいた。その瞳は強い意志を湛えて、星よりも輝いて見えた。シュウは彼女となら、村の一つくらい失っても頑張れる気がした。




 翌朝、簡単な朝食を済ませた三人は、再びバルドを先頭に森を切り開きながら進んだ。積もった枯草の上を、僅かな藪の隙間を縫うように進むと、やがて街道に出た。薄曇りの秋空の下、遥かと奥に金色に輝く麦畑が見える。森での緊張感が、木の葉が揺れる音と遠くの鳥の声に混ざり、ようやく緩んだ。

 昼過ぎに街道に出て、一つ目の集落を抜ける。この辺りの集落は小さいものが多く、シュウとアヤナが春の終わりに通り抜けた時は、草臥れた印象だった。しかし、無事収穫を終えたのか、今はほっとしたような、安堵したような雰囲気があった。

 それから2つ目の集落に辿り着く前に、ロバを引いた中年の男が街道をやって来るのに出会った。小太りで、あまり綺麗な恰好の男ではない。彼の引くロバも、体のあちこちの毛が白く、老いてみすぼらしいものだったが、それが荷物をいっぱい背負わされ、恨みがましい目で歩いていた。


 「それは干し肉か?」


 バルドに声を掛けられて、男は震え上がっているようだった。そもそもが見えた時から、こちらを警戒しているようだったし、バルドのような男がいつ強盗に変わるか心配するのは当然のことかもしれない。それでも男はバルドの機嫌をみるように答えた。


 「へい」


 やっとそう言った男だが、バルドにジロリと見られると、言いわけをするように言葉を足した。


 「今は懐が温かくなって、集落でも売れることが多いもんで」


 「そうか。そうだな」


 愛想笑いを浮かべる男に、バルドはもう目を向ける事もなくすれ違った。シュウとアヤナもそれに続く。周囲が景気良さそうにしているこの時期に、何も持たずに歩く自分達はどんな風に見えているのだろうと思うシュウだったが、それは無意味だと頭から振り払った。




 次の日の街道では、周囲の森が少しずつ途切れ、代わりに遠くまで見渡せる平原が広がっていた。昼近く、柔らかな秋の陽に包まれながら、彼らは小さな集落に立ち寄る。井戸でシュウが水を汲んでいると、街道の彼らが来た方から荷馬車が一台近づいてきた。荷台には小麦が山のように積まれているようだった。

 御者台の男は井戸の近くまでくると馬を止め、ゆっくりと降りる。彼は荷台から桶を取り出すと、シュウの後ろに並んだ。


 「リヴェンベルクから来たんですか?」


 シュウは場所を空ける時に聞いてみた。


 「いんや。もっと手前の集落さ」


 男は水を汲みながら答えた。


 「荷は小麦でしょう。アローデールまで運ぶんですか?リヴェンベルクの方が近いでしょうに」


 「昔馴染みと約束があるんでね」


 男はシュウと話しながらも、桶を水で満たして馬の前へと持っていく。


 「街道はどうでした? 何か変わったことはありませんでしたか?」


 「いつも通りさ、ってすげぇ自分じゃねぇか。ひゅ~」


 アヤナが声を掛けると、男は目を見開いて口笛を吹く。さり気なくフードをかぶっていたが、ちょうど正面から見てしまったのだろう。


 「ありがとう。シュウ、あなたも妻が褒められて誇らしいでしょう」


 さらりと言うアヤナ。


 「何だよ。旦那がいるのか」


 「それで、何も物騒な話は聞きませんでした? どこかの村が山賊に襲われたとか、どこかの領主様同士が小競り合いをしたとか? こちらは徒歩なもので、耳を大きくしていないといけないんですよ」


 「はぁ~、どこも平和なものだよ。俺が通り過ぎた翌日に、戦争を始めたとかでない限りね」


 「そうですか。ありがとうございます」


 御者から離れた二人は、バルドが腰を下ろした木柵のところへと行く。バルドは黒パンを噛み千切っていた。


 「バルドさん」


 シュウがそう言うと、バルドがシュウを睨む。


 「もう、あなたに雇われているわけでは無いので、そう呼ばせてもらいます。それで、リヴェンベルクの方から来た御者によると、あなたの村の話はあまり広がっていないようです」


 バルドが、ふむと顎を掻く。


 「これならもう、旅を急ぐ必要はなさそうですね」


 「そうだね。後はアローデールまで無事に着くだけかな」


 そう言って、シュウとアヤナはお互いの考えを確認し合った。



 その日の夕方、三人はこれまでよりも大きな村に着いた。広場の中央では、男たちが焚火の薪を積み上げ、奥には粗末ながら祭壇らしき台が据えられている。手前では、女たちが敷物を広げていた。

 収穫祭だろうか。これまで通った小さな集落では、喜ぶ様子はあれど、祭りまではしていなかった。このくらいの規模の村なら、余裕もあるのだろうとシュウは思った。

 三人が広場に近付くと、数人の村人が手を止めてこちらを見た。特にバルドの逞しい体格と背に負った斧が目を引いたのだろう。年配の男がひとり、様子をうかがいながら近づいてくる。


 「バルド様、どうしてこのような村に?」


 「アローデールに少し用事があるのですよ。それで、今日泊まる所を貸しては頂けませんか」


 口を開いたのはシュウだった。この旅の間、集落を通るたびに行われるやり取りだが、話を早めるためにシュウが対応している。バルドは黙って収穫祭の準備を眺めていた。

 男はバルドを恐るように窺いながら、迷う素振りを見せる。収穫祭を邪魔されたくはないが、追い出そうとして暴れられたら困ると考えているのかもしれない。シュウがアヤナに相談しようとした瞬間、彼女が口を開いた。


 「少しですが、こちらをどうぞ。収穫祭なのでしょう。ほんの気持ちですので」


 彼女は背嚢から胡桃と乾燥豆、昨日すれ違った男から買った干し肉を取り出して渡した。男の顔がほころび、村はずれの空き家へ案内してくれた。夜になったら収穫祭に参加できるよう話をつけておくから、探してほしい、とも言われた。


 空き家に入って休む三人。陽が暮れる頃、笛や太鼓の音が聞こえてきたので外に出た。少し離れた家からでも、広場の焚火に火がつけられたのが分かる。澄んだ夜風に乗って、陽気なざわめきが聞こえてきた。

 広場に近づくと、焚火を挟んで片側には木彫りの像を祭った祭壇があり、反対側の敷物の上では村人たちが食事を楽しんでいた。村人たちは警戒していたが、空き家に案内してくれた男が手招きしてくれたので、そちらへ向かう。

 男は彼らを指さして、隣の年配の男と何事か話す。それから村人達が座る敷物の端へと案内した。


 「お客人、こんな田舎の村だから大したもてなしも出来ないが、楽しんでいってくれよ」


 話していると、男の妻らしい小太りの女性が三人分の食べ物を運んできた。木の深皿には、煮込み野菜のスープかポリッジのようなものがよそわれ、平皿に焼いたカブとニンジン、少しの焼いた鶏肉が載せられていた。そのあと男が、三人分のエールを持って来てくれた。

 村人たちはすでに食事や歓談を楽しんでおり、大人たちは近づいてこなかった。シュウが周囲を眺めると、子供たちが遠巻きにバルドを見ている。屈強な英雄に話しかけたいが、怖くもあるのだろう。シュウは敷物の端に座り直し、子供たちに手招きした。恐る恐る近づく子供たちに、シュウは話しかける。


 「こんばんは。この村はいいところだね」


 「うん、そうだよ。ねえ、後ろの人は巨人殺しのバルド様って本当?」


 仲間から前へと押し出された少年が、おっかなびっくり聞いてきた。そうだよ、とシュウが答えるとそれだけで子供たちは盛り上がった。いつの間にか、焚火の周りでは若い村人達が踊り出したが、シュウはその間も子供たちに村の話を聞いたり、旅の話をしたりして過ごした。


 「ねえ、これから長老がお話をしてくれるんだ。一緒に行かない?」


 「へえ、面白そうだね。是非案内してくれよ」


 「じゃあ、付いて来て」


 少年たちに誘われ、シュウとアヤナはついて行く。バルドはその場に残ることを選んだ。祭壇近くに座る老人の周りに子供たちが集まり、シュウたちは少し離れて話を聞く。老人は彼らを一瞥するものの、すぐに子供たちに話し始めた。二人は邪魔にならないよう、少し離れて話しを聞いた。

 若者が踊り、大人が歓談する中、子供たちの相手をするのはこの老人らしい。話は、村人がコボルトのいる洞窟に迷い込み、宝を見つけて帰るというもの。単純だが、子供たちは目を輝かせて聞いていた。フィオのコボルドの宝探しを思い出したシュウは、子供たちが帰った後、老人に声を掛けた。


 「コボルトが宝を蓄えてるって話、本当ですか?」


 「もちろんじゃよ。昔からコボルドが宝を蓄えていた話はたくさんある」


 「へぇ、コボルドってどこにいるんですか」


 「山や森の奥におるらしいが、場所が分かれば誰かが宝を取りに行くじゃろ」


 自信満々の老人に、シュウは感心した。フィオの話も本当だったのかもしれない。冒険に満ちたこの世界を思い、シュウは胸が高鳴るのを感じた。

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