第4話 オッサン ミーツ ガール
「服を貸して下さい」
有無を言わせぬ声色で少女から声が掛かる。見ると少女は体を横向きにしゃがみ込んでいる。さっきまでゴブリンに跨っていたくせにちゃんと羞恥心はあるようだ。最大限に体を隠しているつもりか膝を閉じて片手で胸を隠してもう一方の手を開いて柴田に向けている。その手は服をくれという意味なのだろう。横向きなので形のいい尻のラインが丸見えだが、そんな事を言う場面ではないだろう。
「え、嫌だけど」「はぁ?何でですか」
しまった、つい本音が出た。別に少女の裸を見ていたいから服を貸さないわけではない。少女のスタイルは確かにいいが、50過ぎの柴田から見ればまだ子供である。つい目がいってしまった事は否定できないが、子供相手に発情すような歳ではなかった。
思わず拒否してしまったのは、血塗れ泥まみれの彼女に服を貸したら、その服はもう使い物にならなくなると思ってしまったからだ。だが少女の目が鋭く細まり、丁寧口調で物凄い罵声が垂れ流され続け、人格を否定された柴田の精神は崩壊しかけた。
「ち、違うんだ」
だいたい違わない時の言い訳が柴田の口から出る。
「まずは体を拭いたらどうだろう。何か変な生物の血も浴びてるからそのままじゃ病気も心配だし。あ、僕は向こうに行ってるから。そうだ、君の荷物とか着替えとかは」
「水と手ぬぐい」「あ、ああ、ここに置いとくから」
手拭いはこの際捨てても構わないとしても、「こんな森の中で水なんて簡単に手に入るのだろうか」と不安がよぎる。それでも、これ以上彼女の意向に逆らえば、今度は自分がゴブリンのように滅多刺しにされそうだ。柴田は慌てて、彼女が指し示す方向へ荷物を探しに向かった。
彼女とゴブリン達の跡はハッキリ残っていたので、彼女の荷物と思われる物はすぐに見つかった。落ちていたのはズタ袋に杖とショートソードと水袋。怒られそうなのでズタ袋の中身は見なかったが、彼女の持ち物はほとんど柴田と同じようだった。それらを拾った柴田は元の場所近くまで戻って来た。
「おーい、君の荷物っぽい物は見つかったぞ。近付いても大丈夫か」
不慮の事故が起きないように彼女の姿が見えない位置から声を掛け、彼女の返事を待った。
「こっちです。その石の上に荷物を置いて、もう一度向こうに行っていて下さい」
太い木の幹の後ろから身体は隠したまま顔と手だけを出して、人の腰ほどの高さの石の上を指さす。柴田は指示通りに石の上にズタ袋を置き、他の物は石の脇に置いて森へと戻った。森へ戻った柴田はそれでも彼女に背を向けて座り込んだ。自分の娘のような歳の少女を覗こうとは思わないし、訴えられたら人生終わると思ったからだ。
柴田は彼女から声が掛かるまで、彼女とは反対側を眺めた。森の木々の間を見回すが、電線がひとつも見当たらない。それは少女に会う前から何となく気付いていた事だ。柴田は少し暇が出来たので、自分が何故ここにいるのか考えた。
常識的に考えれば誰かに拉致されて富士の樹海とか、東北の山奥にでも捨てられたというところだろう。しかし、これまで電線も車の轍も山道すら見ていない。しかも映画のセットのような衣装に着替えさせられて、本物っぽいよくできた小道具まで持たされている。あの美少女ならともかく、オッサンを着替えさせても誰も得をしないだろう。拉致犯の目的が全然分からない。
それにさっきのゴブリンのような生物は何だったのか。頭を叩き割ってしまったが、特殊メイクをされた猿だったのだろうか。サイズ的に中に人間が入っているという事は絶対に無いが。あれがUMA(未確認生物)か宇宙人で、UFOに拉致されて街から離れた山奥に捨てられたという事だろうか。
「もういいです」
彼女の声を聞いて、柴田は彼女のところに戻った。彼女は先ほどの石の上に座っていた。土埃や返り血を落とした彼女は日本人形のような黒髪の美少女だった。着ている物は彼とほとんど同じだが、彼女が着ると映画の登場人物のように見えた。騎士とかの出るファンタジー物か十字軍なんかの歴史物の奴だ。
彼女に近付いた柴田はつい少女をジロジロと眺めてしまった事に気づいて、気まずい思いで一度視線を逸らしてから彼女の顔を見たが、彼女もそれ以上に柴田をじっくりと眺めていた。
柴田は彼女の顔に覚えは無いが、彼女の方は彼の名を呼んで助けを求めていたので彼を知っているのだろう。彼女ならここが何処か、何故彼がここに連れて来られたのか知っているかもしれない。柴田が何から彼女に聞くべきか迷っている内に、彼女の方から声を掛けられる。
「柴田さん……柴田修介さんですよね?」
彼女は眉をひそめ、じっと柴田の顔を見つめた後、視線を全身に移して確かめるように見回している。
「そうだけど……君は?」
「私は佐藤あやな。あなたと同じように日本から転生して来ました。
でも……もっとオジサンだと思ってたんですけど。失礼ですけど、今お幾つですか?」
「いや、まあ……50過ぎだから、間違いなくオジサンだけどさ。
その転生って。そういうのはいいから、僕がどうしてここにいるのか教えてくれないかな?」
その答えに、少女は難しい表情を浮かべ、再び柴田の顔や体をじっくり見回した。そして、小さく首をかしげながら言う。
「うーん……柴田さん、今のあなたはどう見ても50過ぎには見えません。私と同じくらい、行ってても20代くらいにしか見えませんよ。」
「そんなバカな……」柴田は思わず呟き、無意識に自分の手に視線を落とした。そういえばまるで他人のもののよう手肌が綺麗なっており、その手で触れた顔の皮膚も異常にスベスベしていた事を思い出した。「……ひょっとして、本当に……?」恐る恐る頬に触れると、やはり驚くほどみずみずしく弾力がある。「どうなってんだ、これ……」
「柴田さんは女神様からこの世界の事を聞いて無いんですか」
「女神って何だ」と柴田は思った。頭の片隅に「異世界転生」という言葉が浮かぶが、その可能性をあえて無視した。肌が綺麗になったのも宇宙人の改造がいい方に働いたと考えれば、これで家まで帰れれば俺得で終わりだ。そんな事を頭の中でグルグル考えていると、少女の声が柴田を現実に引き戻す。
「ひょっとして異世界転生の話も聞いてない、いえ女神さまに会っていないんですか」
「異世界転生とか女神って、君は本気でそんな事を言っているのか」
柴田は自分でも考えないようにしていた異世界転生という言葉を聞いて、咄嗟に否定してしまった。
「柴田さんは日本でサラリーマンをしていたと思いますが、ここに来るまでの最後の記憶は何ですか」
そう言われて柴田は記憶を辿る。今日は会社に行く前から頭痛がしていて体調が悪かった。市販の風邪薬を飲んでいたが、昼を過ぎても寒気がして頭もぼうっとして仕事にならなかったので、上司に早退のメールを出して帰った気がする。
会社を出たのが何時だかは覚えていないが、とにかく会社を出て電車に乗って、最寄り駅で降りて自宅に向かっていたような。そういえば途中で何かにぶつかった気がする。その後、何故かギフトが何だとか言われて。凄く明るい、眩しいところで。
でも体調が悪い時って、スーパーやデパートの売り場くらいの蛍光灯でも眩しい事もあるよな。それでもギフト売り場なら買うのは自分のハズなのに、何故か自分がギフトにコーヒーを貰ったような。その辺りは頭痛の中で見た変な夢だったのかもしれない。
結局、柴田は少女に言われるがままに覚えている事を全部話した。そして全てを聞き終えた彼女は口を開いた。
「私達は死にました。私は道路に跳び出した小さな女の子を助けて歩道に戻ろうとしたところ、丁度あなたが歩道への入口を塞ぐように立っていて。女の子は助かったようですが、私達は道路側に落ちて一緒にトラックにはねられたんです」
「いや、そんな。俺が死んだ?それに俺が歩道を塞いだって」
柴田は信じられないという気持ちと共に、少し前から予想していた可能性が現実になるのを感じた。
「本来、私達はそのまま死ぬハズでしたが、私が助けた女の子が実は幼い女神だったようです。神界に呼ばれた私は女神さまからその功績で別世界に転生させてもらえると聞きました。あなたはそのオマケですね。一応あなたの死にも幼い女神様が関わっているので」
少女はそこまで言うと柴田を真っ直ぐに見つめる。
「ですがこの世界は私達の世界で中世レベルの文明しかない野蛮な土地で、しかも人里離れた森には魔物が跋扈する危険な世界でもあります。ですから私としては少なくとも安全が担保されるまで、あなたと協力したいと考えています」
柴田は少女の言葉の全てを信じたわけでは無いが、取り合えず彼女の話を全部聞く事にした。
「イマイチ信じられないが、君が女神様に会ったというなら他に何か聞いていないか。転生がその幼い女神を助けた褒美というなら、こんな危険な世界に送るのは罰のようにも思えるが」
「女神としては生き返らせる事が大きな褒美と考えている様でした。そして転生させる事ができるのはここだけだったようです。あとは私は女神から恩恵としてバリアを貰ったハズでしたが、全然使えませんでした」
柴田はさっきまでの彼女の恰好を思い出し、確かにバリアのような物があれば、あんなにボロボロにされはしないだろうと考えた。
「柴田さんは夢でギフトにコーヒーをもらったと言っていましたが、それが女神さまと会ったときの事なんじゃないですか。コーヒーという恩恵がどんなものか分かりませんが」
「コーヒーが恩恵?コーヒーでも出せるのか?まさか」
「ちょっとやってみたらどうですか」
「えっ、やってみろって」
柴田は困惑したが、言われるがままとりあえずやってみた。
「コーヒー出ろ」
柴田がそう言うと目の前に紙コップが現れ、そして地面に落下した。落ち葉の積もった地面にぽさっと落ちて、中の黒茶色の液体が零れた。
「出たな」「出ましたね」