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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第3章 巨人殺しの小領主編
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第32話 オーツ麦とアイスコーヒー

 朝靄の残るアローデールの街を、シュウとアヤナは並んで歩いていた。


 市場が開かれた昨日の喧騒はすでに遠く、今朝の道はまだ朝露にしっとりと濡れ、踏みならされた土の上に荷車の轍が残っていた。店先に木箱を並べ始めた商人たちの動きとともに、街は静かに息を吹き返しつつあった。焼きたてのパンや温め直した雑炊の香りが、かすかに鼻をくすぐる。

 まずは相場を探ろうと、二人は中央通り沿いの一軒の店の前で足を止めた。そこでは数人の男たちが荷馬車から穀物袋を下ろし、順に店の奥へ運び込んでいる。地面に麦粒がわずかにこぼれているのが見え、ここが穀物を扱う店だと察しがついた。

 ひさしの下で荷を調べていた初老の商人がこちらに気づき、目を細めた。


 「すいません、こちらは穀物を扱っているんですよね」


 「ああ、そうだよ」


 シュウが控えめに切り出すと、商人は頷いて手を止めた。


 「実は、オーツ麦を手放したい人がいまして。今の買い取りってどんなものでしょうか?」


 「今の時期じゃ、秋口の半値がいいところだな。冬越しのオーツ麦は傷んでるのが多いし、今年は小麦や大麦もまだ残ってるから、買い手はあまりいないだろう。昨日も大男が馬車一台分持って来たが」


 「傷んでたんですか?」


 「そこまで悪くなかったがね。まとめて銀貨四十五枚と言ったら、怒って帰ってったよ」




 続いて二人が足を運んだのは、中央通りから一本入った通り沿いの店だった。店舗の横に小さな倉庫を一棟持ち、そこで荷馬車から荷物の積み下ろしをしていた。店先で麦粒を掃いていた少年に、アヤナが声をかける。


 「ねぇ君、忙しいところ悪いんだけどちょっといい?」


 少年はアヤナよりも背が低く、彼女は目線を合わせるように屈んで少年の答えを待つ。


 「はい、何ですか」


 少年は、下向きなってぽよんと揺れるアヤナの胸に目を奪われながら、赤い顔をして答えた。


 「ここで、オーツ麦が一袋いくらで売れそうか分かるかな?」


 アヤナは少年の様子を気にも留めず、問いを続ける。少年は少し考えてから口を開いたが、まだ顔の赤みは引いていなかった。


 「そうですね。銀貨一枚と銅貨二十五枚から四十枚くらいだと思いますよ。昨日来た大柄な男に、そう言っていましたから間違いありません。その人は渋い顔して帰っていきましたよ」


 なるほど、店舗を持っている穀物商では平時の五~六割でしか売れないのね、アヤナは少年の答えに少し考えてから礼微笑む。


 「ありがとう。お仕事がんばってね」


 「はい。お気をつけて」


 アヤナは少年に礼を言い、二人はその場を離れた。少年はまだ赤い顔をしながら、ぼうっとアヤナを見送っていた。罪作りな女だ、そう思ったシュウだが、口に出さない分別は持っていた。シュウはアヤナの横顔を見たが、その笑顔が働く少年を微笑ましく思っているのか、揶揄っているのか分からなかった。




 次に、二人は街の宿屋、兵舎、厩を回ってみた。穀物商ほどのまとまった量は望めなくても、日常的に食料を扱う場所なら、少しでも引き取り手が見つかるかもしれない。そう考えたからだった。


 「客の朝のポリッジに使うから、銀貨一枚と銅九十で買ってもいいよ。膨らむから一袋で十分だけど」


 「うちのオートミールは、腹ペコ共がガツガツ食いやがるからな。銀貨一枚と銅八十なら三袋まで買ってやるよ」


 「兵の主食は黒パンと粥だが、備蓄はある。買うとしても、銀貨一枚と銅六十以上は出せんぞ」


 「一袋銀貨一枚と銅四十なら飼い馬の飼料に使ってやるよ」


 受け取った反応は、だいたいどこもこんなところだった。買い手もチラホラと見つかり、値段も穀物商よりはマシだが、取引できる量は限られていた。とはいえ、一か所で馬車一台分をまとめて売るのは難しそうでも、複数の先に分けて話を進めれば、十分に現実的な線ではある。

 また、穀物商のある商業地区で今日、バルドの姿を見た者はいなかったが、宿や兵舎のある城門近くの城壁沿いでは見かけたという話がいくつかあった。もっとも、今日は誰かと話している様子はなく、どこへ向かったのかは分からなかったのだが。




 二人は城門近くの宿の裏手にある路地の一角で腰を下ろした。倉庫との間に石造りの低い縁台のような段があり、その縁に腰かける。建物が日差しを遮り、人通りはあるが目立つこともない。静かな空気の中、短い休憩にはちょうどよかった。


 「宿なら一袋銀貨一枚と銅貨七十枚から九十枚。でも馬車一台をまとめて買えるほどの買い手はいないから、神殿に出来るだけ引き取ってもらって、残りは兵舎というところかしら。厩は店と同じく捨て値になってしまいますし」


 「そうだね。それとバルドはこっちの方に来たらしいけど、いないな。はい、アイスコーヒー。ミルクとガムシロ入りだよ」


 シュウが差し出したのは、氷の浮かんだコーヒー入りの木のコップだった。透明なグラスに入れたいところだが、この世界では変に目立ってしまうだろう。そのため、あえて木のコップで召喚していた。


 「ありがとうございます、シュウ。値段の調査は十分ですが、肝心のバルドを見付けないと……ってこれ、氷入りじゃないですか」


 「ああ、やってみたら出せたんだ」


 得意げな様子のシュウ。アヤナはそれを受け取ると、迷いなく口を付けた。のどの奥へとコクコクと音を立てながら流し込んでいく。そのたびに細い喉元が上下し、白い肌を伝った汗の一筋が顎から首筋をなぞり、襟の内へと吸い込まれていった。


 「これは……甘くて冷たくて、すごく美味しいです。氷まで出せるなら、他にも色々応用できそうですね」


 「そ、そうだろう、そうだろう。歩き回った後の一休みには、これがいいと思ったんだ」


  アヤナの飲む様子を満足げに見ていたシュウだったが、途中からその喉の動きに目を奪われてしまった。うっすらと汗に濡れた首筋が妙に色っぽく、つい見とれてしまう。そこへ言葉を返されてハッと我に返り、咄嗟に誤魔化すように饒舌になったのが、我ながら情けない。

 気を取り直して、シュウも自分の分に口をつける。冷たさと、やや濃いめの甘さが喉を潤し、じわりと疲れが引いていく。朝から三時間以上も歩き続けた体に、ようやく一息ついた実感が戻ってきた。そうしてシュウが再びバルドの行方について話そうとした、そのときだった。すぐ近くから、馬の小さな嘶きが聞こえた。




 二人は思わず顔を見合わせる。振り向いた先、宿の倉庫と隣の建物の間に挟まれた路地の奥に、何かが見えた。そこはシュウ達のいる場所よりも影が濃いせいで見づらくなっており、二人はそこにあるものに気付かなかった。


 「馬車?」とアヤナがつぶやき、シュウが無言でうなずく。


 目を凝らすと、それは間違いなく荷馬車だった。荷台には、まるで穀物でも詰まっていそうな麻袋が、限界まで積まれている。そして、その麻袋の上に、大柄な人影がごろりと寝そべっていた。まさか、と思う。だが、どこかで見たことがある気もする。

 二人は慎重に荷馬車へと近づいた。馬車の向こうにはややくたびれた様子の馬が一頭、じっと立っている。革製の曳き綱が、胸当てから車体のくびきにしっかりと繋がれており、先ほどの嘶きはこの馬のものらしかった。

 だが、二人の注意を惹いたのは、やはりその上だった。荷台の麻袋の山、その上に寝そべるのは、堂々たる体格、日に焼けた褐色の肌、肩にかかる乱れた黒髪。そして、傍らには無造作に置かれた片刃の大斧。


 バルドだった。あの、群衆の中を悠然と突き進んでいた巨漢が、今は荷台の上に片膝を立て、腕を枕にして眠っている。体の大きさに荷台が明らかに足りておらず、麻袋の隙間に無理やり収まっている姿は、どこか滑稽ですらあった。


 「……いたな」とシュウがぽつりと呟くと、「……いましたね」とアヤナも静かに応じた。


 「ふがっ――!」


 突然、鈍い鼾が空気を震わせ、二人は小さく跳ねる。


 「うおっ」「きゃっ」


 その瞬間、さっきまでピクリとも動かなかった巨体が、まるで弾かれたように跳ね起き、次の瞬間には、片手に握られた大斧の刃がシュウの眼前に突きつけられていた。


 「……誰だ、お前ら。物取りか?」


 声音は低く、荒れていた。だがその目は鋭く、獣のように光っていた。さっきまで気配すら感じなかった男の迫力に、シュウとアヤナはまるでライオンに睨まれた小鹿のように動けず、ただ固まっていた。


 「当たりか。では、死ね」


 バルドが斧を振り上げた時、とっさにシュウがアヤナの前に出て声を上げた。


 「待って下さい、バルドさん! 僕たち、お手伝いができると思うんです!」


 「ああ?」


 バルドは訝しげに眉をひそめたが、とりあえず斧を下ろしてくれた。鋭い視線のまま、静かに問う。


 「言ってみろ」


 ふうっ、とシュウは一息吐いて安堵したが、いざとなるとどこから話せばいいかわからない。言葉が出てこないシュウを見かねたアヤナが、静かに前に出る。


 「私たち、村では荘園の管理をしていました。でも、親族に乗っ取られて追い出されて、アローデールに仕事を探しに来たのです」


 おいおい、そこから話すのか。そう思うシュウだったが、ノリノリで話し始めたアヤナに口を挟む事はなかった。


 「それで、もしバルドさまが村の管理でお困りなら、私達がお手伝いできるのではと思いまして。手始めにそちらのオーツ麦の売り先をお探しできると思いますが、いかがでしょうか?」


 スラスラと出て来るアヤナの語り口に舌を巻くシュウ。バルドの様子を窺うアヤナ。彼はそれを聞いて難しそうな顔をしていたが、やがて考えがまとまったのか口を開く。その手が荷台の麦の袋をぽんと叩いた。


 「いいだろう。この荷台の麦を銀貨百枚で売ったら、雇ってやる」


 「無理です」


 アヤナの即答に、シュウの目が思わず見開かれた。


 「何だと」


 怒声を上げるバルドの言葉を遮って、アヤナは畳みかけるように続ける。


 「オーツ麦の相場は袋一つで銀貨二枚半、馬車一台なら銀貨八十枚が相場でしょう。ただし、それは秋の収穫直後の話です。冬を越したオーツ麦は痛みも早く、時期的にも他の穀物や豆などが不足しない限り買い増す者は少ないでしょう」


 「……ぐっ」バルドが小さく呻いた。思い当たる節があるのだろう。


 「実際、私たちが調べた限りでは、店の買値は一袋銀貨一枚銅貨二十五枚から五十枚、馬車一台で銀貨四十枚から四十五枚が限度です」


 「それじゃ、ここまで来た甲斐がねぇだろう!」


 「でもそれが今の相場なんです。バルド様もご自分で店に持ち込んで、同じ話を聞いたのでありませんか?」


 なおも、怒鳴りつけるバルドにアヤナは冷静に答える。これにはバルドも悔し気に黙った。


 「でも、私たちなら、それより高く買ってくれる人を見つけられます」


 「嘘を付くな。俺は昨日、一昨日と、この街中の店を回ったのだぞ」


 バルドはアヤナに詰問するように言い放った。しかし、アヤナはどこまでも冷静だった。


 「本当ですか? 穀物商にしか行っていないのではありませんか? 宿屋など、実際にオーツ麦を使う側なら穀物商より高く買ってくれるところもあります。馬車一台まるごと売れるわけではありませんが、数袋ずつ高い買い手を探して売れば、穀物商より十分高値で売り切れるでしょう。私達なら銀貨五十枚以上を集める自信があります」


 「クソが、たったそれだけか」


 バルドの口から呪詛が漏れる。


 「では、穀物商に銀貨四十枚で売りますか?」


 それからしばらくバルドは怒りの形相と難しい顔の間を何度も行き来して、最後には諦めたような顔になってからアヤナにポツリと言った。


 「分かった。任せる」


 バルドはそう言って、再び麻袋の上にどっかりと座り込んだ。

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