第30話 巨人殺し
クルルボーのフィオと会った翌日、市の日を迎えたアローデールの広場はにぎわっていた。街の人々に加え、周辺の村からも大勢が訪れ、いつも以上に露店が並び賑わいを見せていた。
この日、シュウとアヤナは屋台の出店を控え、客として市を歩くことにした。彼らが狙う顧客層は街の余裕のある住人だ。市の日は雑多な人が集まり過ぎ、適さないと判断したのだ。
今回で市を見るのは二度目だったが、見覚えのない露店もちらほらある。そんな中、シュウがふと足を止め、ある方向へと無意識に歩き出しかけたところで、アヤナが腕を掴んで制止する。
「シュウ、離れないで下さい。前も絡まれそうになりましたから」
「ああ、ゴメン。ほら、あの辺に鉄製品の店が固まっているじゃない。前は無かったと思って」
不安そうな顔をするアヤナに、頭を下げるシュウ。
「私も鍋を見たいですから、後で行きましょう。先にそこの露店の小壺を見せて下さい。仕分けもしたいですし、革袋から塩を出すのは使いづらくて」
「いや、後でも全然いいんだ」
二人はまず壺や雑貨の露店を見て回り、小物をいくつか買ったあとで、鉄器の露店へ向かった。そこには三軒の店が並んでおり、それぞれ鍋やフライパンなどの調理道具、鋤や鎌といった農具、そして武具を扱っているようだった。近づくにつれて鉄や錆び、煤のような匂いがかすかに漂ってくる。
アヤナは調理道具の方に足を向け、木箱の上に無造作に積まれた鍋やフライパンの山を覗き込んだ。手に取った鍋の縁を指でなぞり、底を軽く叩いて厚みを確かめる。一方、シュウは農具の前を通り過ぎ、武器の前で足を止めた。剣よりも短剣や手斧など手軽な物が多いだろうか。どれも使った形跡はなく、新品のようだ。
「前の市では見なかったけど、今回が初めて?」
声をかけた相手は、露店の店番をしていた若い男だった。年は二十代半ば、身なりは旅装束で、革の外套の下に動きやすい衣を着込んでいる。腰には帳簿らしきものが下げられており、商人の見習いかそれに近い立場のようだ。
「いや、うちはリヴェンベルクから来た商隊だよ。王都まで行く途中でね」
「リヴェンベルク?」
「おいおい、火と鉄の息づく街、我らが故郷リヴェンベルクを知らないのかい?」
「田舎に引っ込んで暮らしててね。アローデールに来たのも、まだひと月経っていないんだ」
「へぇ~、それならしょうがないか。リヴェンベルクはこの街から湿地を迂回して、北東に馬車で五日ほど行ったところにある鉱山街だよ」
「ほうほう。じゃあ、王都まではどれくらいかかる?」
「ん、王都も知らないのか」
「自分の村と、アローデールしか知らないんだ。実を言うと」
シュウは少し恥じたように言った。
「まあ、途中のフリーダルフでも二、三日は泊まるから、だいたい二週間くらいかね」
「待ってくれ。リヴェンベルク、アローデール、フリーダルフ、それと王都はこんな感じかい」
シュウは周囲を見回して乾いた木の枝を拾い、地面に自分のイメージする、それらの都市の位置を描いてみた。すると相手の男は、その一部を消して描き直す。
「いや、こことここは、こんな感じだな。ルヴォン川がこんなふうに流れていて」
「おう、これは凄い。ねぇ、アヤナ。ちょっと来てれないか」
こんな形で街の位置関係を知れるとは思っておらず、シュウは小さく笑ってアヤナを呼んだ。自分よりもアヤナの方が記憶力がいいので、これを覚えておいて欲しいと思ったからだ。いわゆる外付けハードディスクである。
「中鍋を買うことを決めたところだけど、どうかしたのですか。シュウ?」
「見てくれよ、これ」
「何ですか? 落書き?」
アヤナはすぐにそれと気づかず、泥遊びをする子供を見るような目をシュウに向けた。
「違うよ、これは地図なんだ。ほらここがアローデール。ここが彼らが来たリヴェンベルク……」
その言葉に、アヤナの目が一瞬だけ輝いた。アヤナは、若い男に顔を向けて問いかける。
「すごいわ。ねぇ、アナタ。ひょっとして岩竜の森もご存知かしら」
「ひゅぅ、美人さんじゃないか」
アヤナの顔を見た男は、目を丸くして口笛を吹いた。
「ありがとう。私はアヤナ、そっちが夫のシュウ。それでご存知?」
「なんだよ、夫婦か。ああ、あそこは南のグラウエンブルクの方じゃないかな。うちはアローデールより南には行かないからよく知らないけど」
若い男は少し肩を落としたが、それでも答えてくれた。
「ふぅん、でもアローデールは一番大きい街なんでしょ」
アヤナはそれに気づかぬ風で、問いを続ける。
「いや、そうでもないぜ。確かにうちのリヴェンベルクや畑しかないフリーダルフはここより小さいけど。王都はここの三倍はあるし、グラウエンブルクだってここより大きいって話だぜ、知らんけど」
「そんなことってあるの。でも、ふふっ、おかしいわ。フリーダルフは畑しかないって、それって村って事でしょう?」
「いや、フリーダルフは平野の中心なんだ。周りの村々から穀物が集まって来る。王都を食わせてるのはフリーダルフって話だぜ」
穀物の集積地ってことかしら、アヤナは小声で呟いた。
「そう、ただの村ではないのね。ここも十分土地が広いって思うけど」
「街だって言ってるだろ。アローデールはすぐ近くに森や湿地があるけど、フリーダルフ周辺はここよりずっと広いんだ。」
「嘘でしょう? この街も私の村より百倍は広いのよ!」
「美人さん、世界は広いんだぜ」
若い男が熱心にアヤナに演説するが、彼女の小芝居はひと段落ついたようだった。シュウが再び口を開く。
「でも、ここで売って、荷馬車の空いたところはどうするんだ。ここから平野が続くなら、空のままにしておく必要はないと思うけど」
「ああ、それはここで材木を買って積むのさ。王都やフリーダルフだって、無限に鉄が売れるわけじゃない。周りに森のないフリーダルフなら、木材もそれなりに売れるって、グハッ」
若い男が言い終わる前に、横からいきなり殴り飛ばされた。地面に転がった彼は、頬を押さえて呻く。
「何を」
シュウが殴った男を見ると、同じ隊商と思われる壮年の男だった。
「女におだてられて、飯の種をペラペラ喋るんじゃねぇ」
壮年の男はそう言うと、地面に描かれた地図を足で踏みつけてかき消した。街の情報も地図も、彼らにとっては貴重な営業秘密らしい。
「殴ることないじゃない」
アヤナが若い男を助け起こしながら言い返したが、壮年の男は睨み返した。
「あるね。飯の種を盗られれば、一家が飢えて死ぬことだったあるんだ」
「話を聞いただけで、何も盗んだりしてないわ」
「やめてくれ、俺が悪いんだ」
若い男は、抗議するアヤナを止める。それから起き上がって、壮年の男に頭を下げた。
「すいませんでした。旦那さま」
男たちは露店に戻り、話はそこで途切れた。二人は買い物を続ける気になれず、中鍋だけを買いその場を離れる。アヤナは振り返り、ぽつりと「ごめんなさい」と呟いた。
アヤナは中鍋を胸に抱えるようにして歩いていたが、どこか不機嫌そうに眉をひそめ、無言でいた。そんな様子に気づいたシュウは、なんとか機嫌を直してもらおうと声をかけた。
「そんなに気にすることないよ。怪我も大したことなさそうだったし、地理や街の情報が商人の営業秘密ってのも、まあ本当だろうしさ」
先ほどの光景を思い出してみると、助け起こされた男の頭はアヤナの片胸に押し当てられ、口元が緩んでいるように見えた。あれなら、殴られた分の対価としては十分ではなかろうか。シュウはそんなことを考えていたのだが。
「彼のことを気にしているわけでは無いの。常識が違うって分かっていたのに、警戒心が足りなかった自分に反省しているのよ」
自分たちのせいで男が殴られたことを引きずるでもなく、冷静に自分の落ち度を見つめているアヤナの姿に、シュウは静かに感心する。いや、彼女もすでに補償を払い済みなことに気づいているのだろう。そんな時、彼の視界に見覚えのある人物が映った。
「アレ、フィオじゃないか」
シュウの視線を追ったアヤナだったが、そのときにはもうクルルボーの少女の姿は消えていた。
「そうかしら。いないようだけど」
「今、あっちにいたんだ。ちょっと行ってみよう」
シュウは話題を変えようと、わざと明るい声でアヤナを急かした。
「別に今日、彼女に会う必要はないのだけど」
アヤナは肩をすくめると、渋々といった様子でシュウの後に続いた。
人波を縫うように進みながら、シュウはきょろきょろとあたりを見回す。
「おっかしいなぁ。この辺にいたんだけど」
「もう諦めましょう。それにしても、人が多いわね」
市はますます賑わい、露店からは威勢のいい掛け声が飛び交っている。人の流れは詰まりながらも途切れることがない。そんな中、突然ざわ、と人波が二手に割れた。
背を向けていたシュウがそちらに目をやると、通りの向こうから歩いてきたのは、場違いなほど巨大な男だった。肩まで伸びた乱れ髪、日に焼けた褐色の顔、背には装飾のない片刃の大斧を背負っている。歩くたびに革の胴着の金具が鈍く鳴り、堂々と肩を張って群衆の中を突き進んできた。
「……何あれ、人なの?」
アヤナが声を潜める。周囲の人々も息を呑み、視線を逸らして彼から離れていった。誰も声をかけようとせず、近づくことさえ避けている。まるで人ではなく肉食獣みたいだ。その男のただならぬ威圧感に、シュウも自然と後ずさった。男は彼らに目もくれず、人波を裂きながら通り過ぎていった。
しばらくしてフィオを見つけるのを諦め、買い物を再開しようとしていたシュウとアヤナだったが、通りすがりに聞こえてきた会話に思わず足を止めた。おそらく塩漬け野菜と干し肉を扱う店だろう。客待ちをしているはずの店主達だが、並べられた商品の裏に座り込み、会話に夢中になっていた。
「なあ、さっきの見たか? あれ、巨人殺しのバルドだろ」
「見た見た。何でもこの時期にオーツ麦を売りに来たんだってよ。穀物商の店に持ち込んだらしいが、相手にされなかったって。それで今度は市の行商に売ろうとしたが、そっちもダメだったってよ」
「はぁ? 今売るって、去年の夏に取れた奴だろ。もうすぐ新しいのが取れるってのに、そんな古いの買う奴がいるのか?」
「いや~、英雄さまもご領地は上手く回せてないみたいでさ。かなり金に困っているらしいぜ。」
「それにしたって、余ってるなら去年のうち売ればいいのに」
「それが領民に冬の間に飯を切り詰めさせて、残ったのを売りに来たんだって」
「うわ~、そりゃ善良で真面目な農夫達にはご愁傷様だな」
「全くだ。彼らには俺の塩漬けを分けてやりたいよ。有料だがな!」
「「わっはっは」」
店主たちは商品に目を配りながらも、噂話を続けていた。シュウとアヤナは歩き去るフリをして距離を取り、別の露店の陰でその会話に耳を澄ませる。
少しして、シュウが低く呟いた。「あまりお近付きになりたくないな」
「お近づきになりたいですね」と、アヤナが同時に言い放つ。瞳がキラリと輝いていた。
「えっ!? でも金に困っているなら、アヤナが期待するようなスポンサーにはなれないと思うし、何より怖そうだよ」
アヤナの言葉にシュウは驚き、思わず聞き返し。
「もちろん、ちゃんと調べなきゃいけませんけど。麦の売り先を見つけられれば、恩を売って食い込めそうじゃないですか」
「う~ん、領地経営のコンサルのような事を考えてるんだろけど、素人にできるものだとは思えないなぁ。仮にアヤナがデリバティブとか先進的な知識を持っていたとして、ここで必要なのはコネとかそういう泥臭い奴だと思う。それにコボルトの宝はどうするんだい?」
「もちろん、両方検討しますよ。でも農村の運営と怪物退治と、シュウはどちらができそうですか?」
アヤナは両手の先を繋げて、顔の前でシーソーのように上下させながら、不安そうに顔をしかめるシュウを、パチパチとまばたきしながら見上げた。




