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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第3章 巨人殺しの小領主編
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第28話 イザベラ・ロスチャイルド

 朝から恥をかいたシュウだったが、それで予定が変わる事も無く午前中は二人で広場に行き、コーヒーの屋台を開く。今日は市の日では無いので、広場に来る人はまばらで、昨日に比べると段違いに少ない。それでも近所に住む主婦たちがパンを買いに訪れたり、職人の弟子たちが屋台の食べ物を買いに来たりしていた。

 そんな中で始めた屋台だったが、広場に買い物に来た主婦たちに、アヤナが一杯、二杯と少しずつ売っていった。一方で、シュウが声を掛けた職人の弟子たちは、懐が寂しいのか、結局買うことはなかった。そうして時間が過ぎ、昼の鐘が鳴るまであと一時間ほどという頃、一人の男が屋台にやって来た。

 四十代くらいの小太りの男で、着ている服は使い込まれているものの、小ざっぱりとしており、身なりに気を遣っているのがわかる。堅実な商売をしている中堅の商人といったところだろうか。そういえば、昨日の客の中にいたような気がする――シュウはそう思いながら、男の様子をうかがった。


 男が目の前で来たところで、シュウの方から声をかけた。


 「いらっしゃい。昨日も来てくれましたよね。今日もハーブティーを一杯いかがですか?今日は銀貨一枚ですが」


 「む、昨日も言っていたが、高いな。だが、まあいい。一杯くれ」


 「ありがとうございます。すぐに淹れて来ます」


 シュウは一度テントの中に引っ込み、木のカップに入れたコーヒーを持って戻ってきた。アヤナが銀貨を受け取り、シュウが男にカップを手渡す。

 男はまず香りを確かめるように深く息を吸い、次に、舐めるようにわずかに口に含んだ。


 「ん、昨日よりも甘いな。これは砂糖か?」


 睨んでいるわけではないのだろうが、鋭い視線にシュウは思わず身構える。どう説明するか迷っていると、アヤナがさっと口を挟んだ。


 「すみません。故郷から持ってきたハーブなんですが、味にちょっとばらつきがあって。今日のは、たまたま少し甘めだったようですね」


 女子高生にフォローされて少し恥ずかしくなるシュウ。だが男は気にするそぶりも見せず、今度はアヤナに向き直った。


 「ハーブだけでこの甘さか? これは何というのだね。現物も見せてほしいのだが」


 「これは私達の故郷ではコーヒーと言っていました。でも、私達も商売なのでお見せ出来ません。お気に召したのでしたら、また飲みに来てくださいね」


 アヤナは笑顔のまま、鋭い視線にも物怖じせずに応じる。五十過ぎまで内勤しかしてこなかったシュウには、こんな客あしらいはとても真似できない。情けない気もするが、ここはアヤナに任せておくしかなかった。


 「むぅ。どうしてもダメかね」


 「はい。どうしてもダメです」


 アヤナは笑顔のまま、即答した。隣でその横顔を見ていたシュウは、ふと考える。ほんとにこの子、綺麗な顔してるよな……それでいて、あの度胸。すごい。


 「……なら、君たちはどこから来たんだね?」


 「東の方からです。私はアヤナ、夫はシュウです。あなたはこの街の商人ですよね。お名前は、何を商っているのですか?」


 「ふむ、それもそうか。俺はバジム。大通りに食品の店を構えている」


 「よろしくお願いします、バジムさん。私達、この街に来たばかりなので、いろいろ教えてもらえると嬉しいです」


 こうして、広場のコーヒー屋台は少しずつ客を増やしていった。最初の週は、少ない日は五杯、多い日でも十杯ほどだったが、それでも徐々に常連客がつき始める。午前のコーヒー屋台と午後の神殿での写本、このようなサイクルでシュウとアヤナの生活は回り始めた。




 屋台を始めて四日目。広場に買い物客がちらほらと集まり始める頃、あの主婦のグループがやって来た。市の日にリーダー格の女がコーヒーを試し、気に入ってくれたのがきっかけだったらしい。彼女が飲むとなると、グループ全員が注文してくれるのでありがたい。もっとも、中には苦い顔をしながら、しぶしぶ飲んでいる者もいるのだが。

 用意したテーブルは直径四十から五十センチほど。五人分のカップならなんとか置けるが、これ以上客が増えれば窮屈になってしまうだろう。アヤナは、客がさらに増えるようならテーブルをもう一台用意した方がいいと考えていた。

 このグループとはすでにある程度打ち解けており、アヤナも、彼女たちが話す街の買い物情報や噂話に、不躾にならない程度に加わるようにしていた。夫人達は姦しく談笑しており、アヤナはその話題の端々からこの街の暮らしや人々の様子を探っていた。




 そのときだった。広場のざわめきが、一瞬だけ、明らかに違う色を帯びた。馬の蹄が広場の地面を踏みしめ、落ち着いた色合いの四輪馬車が、広場の一角──宝飾品の店の前に静かに停まった。その扉には黒地に銀の波と白い車輪、ガチョウの紋章が刻まれていた。


 まずメイド服を着た少女が手早く降り、続いて現れたのは──思わず視線を奪われるほど、際立った存在だった。

 長い金髪を丁寧に束ね、クリーム色のドレスに落ち着いた淡い青のボレロを羽織った少女。ゆったりとした動作で馬車を下りるその所作には、確かな教養と気品がにじみ出ている。通りの誰もが目を向けるなか、少女はメイドを従えて迷いなく宝飾品の店に入っていった。

 店の前には護衛の男たちが立ち、よく訓練された雰囲気で周囲の目を牽制している。革の胸当てには馬車と同じ紋章が付いている。以前も見かけた馬車と少女だが、その風格から察するに、相当に身分の高い人物に違いない。


 「アレはどなたですか?」


 アヤナが主婦たちに尋ねると、リーダーが少し間を置いてから、誇らしげに答えた。


 「この街の領主、ロスチャイルド男爵のご令嬢、イザベラ様よ。やんごとなき身分の方々は、お屋敷に商人を招くことが多いのだけど、あの方は時々自ら街の店へ足を運ばれるの」


 シュウは以前、アヤナが「イザベラのような人物とコネを作って、できることを増やしたい」と言っていたのを思い出した。この世界において、シュウとアヤナは庶民どころか「移民」に過ぎない。おそらく、もともとこの街に住んでいた人々よりも、社会的な制限は多いだろう。

 アヤナが望むような、現代日本に近い生活を送ろうとすれば、何段階ものステップアップが必要になる。その道を正攻法で進もうとすれば、十年では足りず、一生かけても達成できないかもしれない。なぜなら、この世界の九十九パーセントの人々は、生まれた時の身分のまま一生を終えるのだから。

 その壁を越えるには、上の身分の者に引き上げてもらうほどの価値を示すか、世界を変えるような、あるいは英雄と呼ばれるほどの偉業を成し遂げるしかないのではないか。あるいは――世紀の大悪党になるか。


 シュウがそんな妄想にふけっている間、アヤナは主婦たちからロスチャイルド男爵やイザベラ、この街を含む男爵領についての話を聞き出していた。それは神殿の書物で見た情報とも重なるが、実際に住民の口から語られる情報にはまた別の重みがある。

 このアローデールの街の人口は、おおよそ三千人。男爵領は、街の周囲に点在する十から二十の農村を含み、南北三十キロ、東西十五キロほどの広さだという。かつて魔物に襲われた森で木に登って見た、あの広大な平野――あれが男爵の領地ということか。

 数字よりも印象的だったのは、シュウの記憶に残るあの異世界の雄大な風景だ。それをまるごと所有する男爵の力に、改めて圧倒された。これほどの権力があれば、シュウとアヤナの望む生活も実現できるかもしれない。そして、それが自分達の目標なのだろうか。シュウは、そのあまりの壮大さに、ブルリと身を震わせた。




 主婦たちは三十分ほど話し込んでいただろうか。現代日本では、一部の専業主婦が午前中いっぱいファミレスでおしゃべりしていると聞いたことがあるが、この世界の主婦たちにそんな余裕はなさそうだ。仕事に戻らなければと、次々に屋台を離れていった。

 やっぱり日本は豊かなんだな――とシュウが思いながら、何気なく馬車が止められている宝飾品の店の方を見やると、ちょうどイザベラが店から出てくるところだった。日本にいたときのシュウの視力は、調子の良い日で0.8、疲れていると0.6を下回ることもあった。だが若返ったせいか、今は倍くらいよく見える気がする。

 コーヒー屋台から宝飾品の店までは、だいたい十メートル。昔の感覚と比べると、五メートルかそこらにいるかのようによく見えた。イザベラ様の肌は白く透き通り、日焼けもシミもない。庶民とは比べものにならないほど手入れされた艶やかな金髪に、高い知性を感じさせる青い瞳。文句なしに美しかった。


 シュウは彼女を見て、もちろんとても美しいと思ったが、それ以上に「違う生き物」のような隔絶を感じた。それは、食べ物や生活環境の違いが積み重なって生まれたものなのだろう。感慨に耽るシュウ。そんなとき、彼女と目が合った気がした。

 ――ヤバイ。

 吸い込まれそうな瞳を、ずっと見ていたいという衝動をかろうじて抑え、シュウは反射的に跪いた。庶民、ましてや移民の自分たちが、貴族の娘を不躾に見つめていれば、トラブルに発展しかねない。地面から目を離さないようにしていると、隣でアヤナも同じように礼をしていることが分かった。

 そのまま、カタカタと馬車の音が遠ざかっていくのを聞きながら、二人は動かずにいた。やがて馬車が広場を出ていくのを感じてから、シュウはようやく立ち上がり、深いため息をついた。

――良かった。セーフだ。

 しかし、次の瞬間、隣のアヤナに言われたひと言が、冷や汗となって背中を伝った。その声には、突き放すような冷たさも、咎めるような怒気もなく、淡々とした調子でこう告げられた。


 「ダメですよ、シュウ。いくら美人さんでも、そんなに凝視しては。日本なら変な人だと逃げられるだけで済みますが、ここでは殺されかねませんから」


 「ああ、ごめん。もっと気を付けるよ。特に貴族には」


 貴族とトラブルを起こせば、自分だけでなくアヤナも死活問題になるだろう。シュウは彼女に深く頭を下げた。その様子にアヤナは微笑み、それ以上の追及は無かった。

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