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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第2章 異世界生活編(読み飛ばし可)
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第21話 借家の掃除

 借家の賃貸借契約を終えたシュウとアヤナは、家主のエルドが白楡の館亭を立ち去るのを見送ってから、今日の予定を立て直す事にした。


 「さて、今日はコーヒーの屋台ってどうしようか?」そう言うシュウに、顎に人差し指を当ててアヤナは少し考えてから口を開く。


 「そうですね。午後は神殿で写本の仕事がありますし、折角家を借りたのにまた宿に泊まるのもムダですし、午前はコーヒーの屋台は止めて今夜寝れるように掃除をしましょう」


 そんな風に話し合っている二人に、借家の契約に立ち会った女将が声を掛けた。


 「昼までに返しに来るなら、箒くらい貸してやるよ。それにもう捨てようと思ってる襤褸切れもあるから、それも持っていいよ。そいつは返さなくていいから」


 「あ、ありがとうございます」 「ありがとうございます。」女将の申し出にシュウが礼を言うと、それにアヤナも重ねて礼を言う。二人は白楡しらにれの館亭の裏口で、女将から茅を束ねた箒を一本と、襤褸切れを受け取って先ほど内見した借家へと戻る事にした。




 借家にたどり着いたシュウとアヤナは、まず窓を順に開けていった。固くなった木枠がぎしりと音を立てながら押し開かれ、閉め切られていた小屋に外の風が流れ込む。長くよどんでいた空気がゆるやかに動き出し、新鮮な空気と入れ替わっていく。

 それからアヤナは梯子を上り、屋根裏へと顔を出した。頭をかがめながら中に入り、手にした箒で天井の隅から埃を掃き落としていく。干からびた蜘蛛の巣が梁に絡みつき、舞い落ちる埃が陽光のなかで霞のように揺れていた。

 その間、シュウは一階の床に散らばっていた古びた木片、割れた陶器の欠片、煤けた布切れなどを黙々と拾い集めていった。煮炊き場の端には燃え残った薪の芯や折れた柄杓の柄まで転がっており、炭で手を黒くしながらも、それらも一つ一つ片付けていった。


 「う~ん、意外とガラクタが転がっているな。」


 そうつぶやきながら、不要物を一抱えごとに裏庭へ運び出し、端の地面に掘られたくぼみに放り込んでいく。いずれ土をかぶせて埋めるつもりだった。


 屋根裏の埃を掃き終えたアヤナは、手ぬぐいで汗をぬぐい、梯子を降りると水桶を持って近くの井戸へ向かった。桶にたっぷりと水を汲み、それを慎重に運んで再び屋根裏へ。

 今度は濡らした襤褸切れで梁や床板をざっと拭いていく。埃の粒が布ににじみ、ぬかるんだ木肌がところどころ顔を出した。まだ薄汚れた部分は残っていたが、最低限の清潔さを感じられる程度には片づき、アヤナはようやくひと息ついた。


 その間、シュウは一階の掃除に取りかかっていた。まず箒を持ち、天井の梁や壁にたまった埃を払い落としていく。はらはらと灰混じりの埃が舞い落ちるたび、彼は小さく咳払いをしながら場所を移った。

 ひととおり終えると、今度は床の掃き掃除に移り、煮炊き場から部屋の隅へと残った埃や細かな塵を箒で追い立てていく。土間に溜まったそれらを戸口の方へと掃き寄せ、裏庭へと吐き出す頃には、額にうっすらと汗が滲んでいた。


 やがてアヤナが下りてきて、桶に残った水で布を濡らしながら言った。


 「シュウ、上は終わりました。下も拭き始めて大丈夫ですか」


 「お疲れ様、アヤナ。僕も拭くから布を貰えるかい。」


 二人はそれぞれ壁や柱に向かい、濡らした布で手早く汚れを拭き取っていった。全体をざっと一通り拭いたあと、残されていたテーブルと椅子、囲炉裏の周囲や汚れの目立つ柱などは、少し念入りにこすっていく。

 煤で黒ずんだ木肌に、かすかに元の色が戻るのを見るたび、シュウの顔には疲れの中にもわずかな達成感が浮かんでいた。対してアヤナは納得いかないのか、やや不満げな表情を浮かべている。


 作業を終えた頃、外から昼の鐘の音が聞こえて来た。


 「ま、今はこんなところかな。」


 「そうですね。寝るだけなら十分でしょう。あとは帰りに寝床用の藁を買ってきましょう」


 二人は布を桶に放り込むと、簡単に手や顔の汚れを取ってから戸締りをして家を出た。二人は白楡の館亭まで戻ると、箒を返して女将に礼を言い、それから神殿前の広場へ向かうのだった。




 中央広場に戻って来た二人は、広場を見回して屋台を探す。出ている店はいつもと同じ、エール屋とソーセージ屋、パン、パイ、スープの5つだ。


 「少し時間が遅くなってしまいましたね。あまりデニスさんをお待たせするのも申し訳ないですから、今日はいつもより簡単に済ませましょうか」


 「ああ、じゃあ。あのパンを買ってみようか。まだ食べた事ないし、たまにはパンとコーヒーだけでもいいんじゃないか」


 パン屋の屋台の前まで行くと、アヤナがパンを一個、シュウがパンを2個買った。それを広場の端、周りに人がいない場所まで移動した。そこでアヤナは周囲を見回し、シュウの前に立つと自分の身体を使ってさりげなくシュウの手元を隠す。


 「今のうち、やってください」


 「よし、君はいつもの帝都ホテルのだね」


 シュウも素早く周りを見回してから、アヤナの頷きを見てコーヒーを手元に召喚する。木製のマグに入っているが、中身は日本の帝都ホテルのコーヒーと同じ味だ。それをアヤナに手渡してから、シュウは今度は自分のコーヒーを出す。同じ木製マグだが、中身はシュウが通ったコーヒーチェーン店ステラバックスの味だ。

 二人は片手に木製のマグ、もう一方に買ったばかりのパンを持って、広場の隅に立ったまま食べ始める。パンは焼いてから時間が経っているようで冷めていたが、シュウの出したコーヒーは湯気が立ち、香ばしい香りが立ちのぼっていた。

 パンの表面は少し乾いて固くなっていたので、二人はコーヒーでパンをふやかしながら、胃に流し込んでいく。パンは日本のパンのような小麦100%ではなく、ライ麦やその他の雑穀も混じりかつ荒く挽かれているので、コーヒーでふやかしてもまだ飲み込み辛かった。


 「やっぱり、こっちのパンはモソモソするな」シュウがパンにかじりつきながらぼやく。


 「良いではありませんか。その方が太り辛いですよ」アヤナは落ち着いた口調で言いながら、自分のパンを一口食べる。


 「ああ、そうだね。こっちじゃちょっと、太りたくても太れそうもないけど」日本で一度、中年太りを経験したシュウは、太るという言葉に少し気分が落ち込んで、つい余計な事を加えてしまう。


 「いつでも節制は大事ですよ」「へいへい」 アヤナの小言めいた忠告に、シュウは肩をすくめてふざけ気味に返す。案の定、アヤナから冷たい視線が飛んできた。シュウはその視線を誤魔化すように、温くなったコーヒーをゴクリと飲み込んでから、ぽつりとこぼした。


 「この瞬間が世界を名作にする」


 その言葉は空しく広場に消えていった。




 パンを食べ終えると、二人は広場を抜けて神殿へ向かった。昼を過ぎて陽の角度が変わり、神殿の白い石壁には長い影が伸びている。扉をくぐって中へ入ると、静かな回廊の奥に神官デニスの姿があった。彼はいつものように簡素なローブをまとい、写本室の鍵を手にして二人を迎え入れる。


 「今日もよろしくお願いします」


 シュウとアヤナは軽く会釈して席につき、それぞれ筆とインク壺を整え始めた。




 羊皮紙に羽根ペンが走るたび、乾きかけたインクの香りがかすかに立ちのぼる。写本室には、三人の筆音だけが静かに響いていた。アヤナは集中した面持ちで、文字を一つひとつ確かめるように無駄のない運びで筆を進めていた。

 一方のシュウは、慎重に文字の形や筆順を確認しながら、眉間に皴を寄せてゆっくりと進めている。筆先が紙に触れるたび、わずかに息を整えるような仕草があった。

 向かいの席では神官デニスもまた、黙々と自らの写本作業に取り組んでいたが、ふと手を止めて、穏やかに口を開いた。


 「そういえば、借家を探しているようでしたが。何か進展はありましたか?」


 シュウはペンを止めて、顔を上げるとデニスに向かって言った。


 「ちょうど今日の午前中、宿の女将に紹介されまして……」「コホン」


 シュウがペンを止めた事に気づいたアヤナは、咳払いで注意を促し自分がペンを動かしながら説明を引き継いだ。


 「宿の近くだったので、そのまま見に行きまして。気に入ったので借りる事にしました。女将が家主を宿に呼んでくれて、すぐに契約して。それから最低限、今日から寝れるように掃除をしてからこちらに来ました」


 どうやらアヤナは写本を続けながら会話が出来るようだった。会話をするとペンが止まってしまうシュウは、アヤナの意図を汲んで黙って写本を続ける事にした。


 「どの辺りか聞いても……」


 「街の外壁沿いで……」


 「あの辺りは……」


 二人の会話を背景にシュウは写本に集中する。三人の手が動き、しばらくして室内に聞こえる音はまた羊皮紙をこする静かな筆音だけへと変わっていった。




 シュウが今日写していたのは、この地域の出来事を綴った数十年前の年代記だった。頁の片隅に、小人族『クルルボー』に関する記述が挟まっていた。

 「……ファンタジーのお約束みたいな種族だな」シュウは思わず心の中でそう呟く。どこか陽気で、すばしこくて、宴好き。まるでゲームの中に出てくるホビットのようだ。

 記録によれば、この街の近くに彼らの里はないものの、ごく稀にクルルボーの商人や旅人が街を訪れることもあるという。アヤナは「実在するならちょっと見てみたいですね」と興味を示しながらも、筆を進めていった。


 結局この日、アヤナは羊皮紙三枚を書き上げたのに対し、シュウが終えたのは一枚半だった。作業を終えた二人は、デニスから銀貨十二枚を受け取った。さらに、二人がどこかで寝床用の藁を買おうとしていると知ったデニスは、神殿にあった少し古い藁を分けてくれた。二人は礼を言い、それぞれが藁を背負って神殿を後にした。






 神殿の扉を後にしたシュウとアヤナは、黄昏の通りに出た。空は茜色に染まり、石畳の隙間に影が伸びている。


 「……夕飯、どうしようか?」


 シュウがぼそりと呟く。借りたばかりの家には森で使った小鍋くらいしかなく、薪すらない。アヤナも肩をすくめた。


 「料理するにも火がないですし、市の日でもないと食材も揃わないでしょう。新しい家にお引越しですから、今日ぐらいはどこかでテイクアウトしても良いのではないでしょうか」


 「うん、まあそうだよね」


 シュウの隣を歩くアヤナは、唇に人差し指を当てている。きっと、どこで買うか考えているのだろう。シュウはそんな事を考えながら、自分でもどこで買うか考えてみる。ふと広場を見ると、ソーセージとエール、スープの屋台が無くなっているが、パンとパイの屋台はまだ片付けている最中だった。


 「……パンとパイ、まだ残っているみたいですね」


 どうやら、アヤナもシュウと同時に気づいたようだ。


 「何があるか見に行こう」「そうですね」




 結局二人は、屋台に残っていた肉のパイを一つと、野菜のパイを二つ、昼に食べたものと同じロールパンのような片手に収まるサイズのパンを三個買って帰る事にした。パイは大きな葉のようなものに包まれていたが、パンは客が袋を持って来る前提なのか剥き出しだったので、背負い袋に入れて帰った。

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