第15話 コーヒー販売計画
シュウとアヤナは広場に戻ると、昼食をどうするかを相談し始めた。昼食に屋台を利用しようとする人々のせいか、先程よりも広場には人が増えていた。エール屋とパン屋の他には、ソーセージを売る屋台、パイを売る屋台、スープを売る屋台がある。
それぞれの近くには荷物運びの人たちが地面に座り込んで荷物を置いて食べていたり、少し離れて商人っぽい人が立って食べていたり、職人街で見た職人の弟子のような少年達が屋台で買った品を持ち帰るのが見える。
「何を食べようか。僕はソーセージかパイが気になるんだけど」シュウはソーセージの脂したたる肉の焼ける香ばしい匂いと、少し臭みのある肉パイの匂いが気になっていた。シュウにそう言われたアヤナは、逆の答えを返す。「私はパイかスープがいいですね。ソーセージはちょっと脂っこい感じがして遠慮したいです。」
「じゃあ今日はパイにしようか。」「ですね。」シュウが妥協案を提案すると、アヤナもすぐに同意した。二人が屋台に近付くと、店主がパイが並べられた大きな鉄板の前に立ち、忙しそうに焼きながら、通り過ぎる人々に声をかけていた。
先ほどの買い物をアヤナ任せにしていたシュウは、こここそはと店主に声をかけた。「すみません、パイの中身って何ですか?」
店主は顔を上げて笑顔を見せ、「肉パイは羊、野菜パイはタマネギとリーキとキャベツだ。肉パイはいい匂いだろう。ジューシーでうまいぞ。それに野菜パイもタマネギの甘みとリーキの爽やかさ、キャベツの食べ応えがあってこれもうまい。肉パイは銀貨2枚で、野菜パイは銀貨1枚だぜ。」と答えた。
「リーキって知ってる?」シュウは聞きなれない名前に、こっそりとアヤナに聞いた。「ヨーロッパの野菜ですね。長ネギに近いでしょうか」アヤナも小声で答えると、それを見ていた店主が顔を顰めて言った。「おいおい、イチャつくなら他でやってくれ。」
「じゃあ、僕は肉のパイを下さい。」店主の言葉をスルーしてシュウが言うと、アヤナも顔色を変えることなく続けた。「では私は野菜パイをもらいます」二人は銀貨を払ってパイをそれぞれ受け取ると、どこで食べようかと周囲を見回した。
近くでは荷物運びの人たちが地面に座り込んで荷物を置いて食べていたが、彼らはアヤナにジロジロと不躾な視線を送っていた。二人は顔を見合わせるとそこに混じるのは避け、神殿の軒下で立ちながら食べることに決めた。
シュウは肉パイを一口食べようとしたが、ふと思いついてアヤナに提案した。「なあ、せっかくだから半分ずつ交換して両方食べないか?」それを聞いたアヤナは、ちょっと考えてから手に持った野菜パイを半分に千切ってシュウに差し出す。
「いいですよ。でも、私は肉のパイを半分も要らないので小さめにして下さい」「お、いいのかい。じゃあ、これで。」シュウはアヤナの言葉を聞いて、自分の分から3割くらいを千切ってアヤナが差し出した。二人はそれぞれ両手に違うパイを持って食べ始める。
アヤナは野菜パイと肉のパイを一口ずつ食べてから感想を言う。「私はやっぱり野菜のパイの方が好きですね。キャベツの歯ごたえとタマネギの甘みがいい感じです。肉のパイはちょっと脂と匂いがキツくて、胡椒でもあればもっと臭みが消えると思うのですが」
これに対してシュウも両方を食べてから、「僕は野菜パイも好きだけど、やっぱり肉パイの方が旨味があって満足感があって好きかな。なんなら今からでも戻すかい。」と言った。それに対してアヤナは素の表情で、「いえ、それは結構です。」と答えた。
「ああ、ごめん。流石に食べ掛けはダメだよね。」シュウはそう言って謝った。シュウは50過ぎのおっさんの食べ掛けなんて、女子高生に食べさせていいわけないよなと反省する。アヤナは「私、家族の食べ掛けでも食べないので、気にしないで下さい。」とフォローした。
それからシュウは野菜パイを、アヤナは肉のパイを先に食べて片手を空けた。そこまではあまりおしゃべりをせずに食べていたが、そこでアヤナが口を開いた。「シュウ、こっそりコーヒーを出して下さい。コップはさっきの木工職人の店にあった杯のようなので、中身は私のお気に入りの帝都ホテルコーヒーで。」
シュウは周りを見回して、こちらに注目している者がいないのを確認してから広場を背に、空いた手に集中する。「う~ん、そんなに上手くいくかな。….コーヒー出ろ。お、出た。」シュウが念じると、片手に店で見た木のカップが現れる。
「アヤナ、はい。カップは思った通りだけど、味は自分で確認してよ。」シュウがそう言ってカップを渡すと、アヤナはニッコリ笑って礼を言って受け取った。「ありがとうございます。」シュウは空いた片手に自分用のコーヒーを出す。カップはアヤナと同じだが、中身は彼の会社の自販の物だ。
シュウとアヤナは、パイを頬張りながらコーヒーを楽しむ。「やっぱりこっちの食べ物に比べて、シュウのコーヒーは格別ですね。この洗練された繊細さはこの時代では出せない味でしょう。」アヤナが味わいながら絶賛すると、それにシュウが同意する。「まあ、品種改良以前だから、こっちの食物は野生に近い苦みや渋みが残っていて、甘みも少ないもんな。ふ~ぅ、染みるなぁ」
口の中に残る肉パイの脂の旨味をコーヒーで喉に流し込んだシュウは、何かアヤナがニヤニヤしながらこちらを見ている事に気づく。それで何を言いたいのか察した彼は、一つ咳払いして恥ずかしそうに言った。「コホン、この瞬間が世界を名作にする」シュウは横目でチラリとアヤナを見る。
それを聞いたアヤナは口に手を当てながら噴き出していた。「ふふ、私は言えなんて言ってませんよ」「いや、ちょっと、それは無いだろう」慌てるシュウにアヤナは言葉を続ける。「でも、この世界でこの味を楽しめるなんて、やっぱり凄い事です。絶対誰にもマネの出来ない事ですよ。」
そう言われたシュウは少し落ち着いて、少し胸を張るように言う。「まあ、こんな危険な世界だから、何か特殊能力を貰えるなら剣で戦えば超強いとか、強力な魔法が使えるとかの方が良いんだろうけど。幸せを感じるのはこんな能力かもしれないね」
「日本にいた頃なら、コーヒー1つにこんな事を考えたりしなかったんですけどね。やっぱり現代日本は安全で、面白い物が沢山あって、幸せに満ちていたんですね。」そう言うアヤナの目は輝いていた。それを聞いたシュウは日本を思い出す。
「まあ、日本にいる時、いろいろ悩んだり苦しんだりはしてたけど、それって他の人が持っている物は全部自分も手放したくないって執着していたからかな。手放しても飢えるとか殺されるって訳じゃ無かったのに、自分で自分を追い込んでたのかな。コーヒー一杯がこんなに旨いのに。」
「はいはい、そこで陰に入らないで下さい。そんな事より現実的な話をしましょう。とにかく、シュウのコーヒーはここでは飛びぬけていて、時間が掛かっても売れない心配は無いでしょう。ですから、問題は売れすぎて犯罪者や権力者に目を付けられない程度に抑える事です」
アヤナの言葉がシュウを現実に引き戻す。「ああ、そうか。売れすぎも良くないって事だな」シュウは暇な時間に見ていた無料の小説投稿サイトを思い出す。いや、シュウはスマホを見ていると目が疲れるので、見るよりも読み上げソフトで聞きながら移動や仕事をしていたのだが。
そう言った話では、異世界に転生して生産系チートを身に着けた主人公達は、権力者に捕まって製造機になるのを避けていた。まあ、いい権力者に保護されて大金持ちになる例も多かったが、ここの権力者がどんなタイプか分からないので、慎重に動いた方が良いだろうとシュウは考えた。
シュウが考えを巡らせて、それがまとまったタイミングでアヤナが話を続けた。どうやら彼の顔を見ながら、彼の考えが一段落するのを待っていたらしい。「それで味はシュウの好きな紙コップの自販のコーヒーを、薄くしたくらいでいいと思います。」
「え、そんなの売れるかな?」味を抑える話はしていたが、それはマズくし過ぎではないかとシュウは驚いた。「10人に飲んでもらって、また飲もうとする人が1人くらいでちょうどいいと思います。それ以上だと、商売になると思って誰かが目を付けるでしょう。他の人からは何でアレが売れるか不思議がられるくらいで良いのです。」
納得のいかないシュウはアヤナに聞き返した。「でも、それじゃ僕たちも商売にならないんじゃない?」これに対してアヤナは説明を続ける。「私は屋台を情報収集の場にしようと考えています。コーヒーを提供し、この街や外の情報を集める。儲けは生活費くらいで良いと考えています。」
「ふむ。」シュウが頷くとアヤナがさらに言葉を加えた。「私達はまず、この世界についての知識を集めなければいけません。それを集めながらこの世界でどう生きていくか考えた方が良いと思います。ハッキリ言って普通に労働して手に入る収入では、満足な生活はできそうにありませんから」
これを聞いてシュウは考えた。自分はこの世界に来て、結構ワクワクしたり楽しんだりしていたが、慣れてみると衛生状況、住環境、食事、娯楽などやっぱり現代日本からほど遠いレベルにここで生きるのが嫌になって来るかもしれない。
女性のアヤナは男のシュウよりも、よりそういう部分は気になるだろうし、実際昨日からもたびたびそういう発言も聞く。「ひょっとしてアヤナは、裕福な商人とか貴族とかを目指しているのかい」シュウが聞くとアヤナはあっさり肯定した。「そうですね。この世界の庶民の暮らしで一生を終えるというのは、ちょっと無理だと思います」
シュウとアヤナがそんな風に話し合っていると、広場のざわめきの中に、馬蹄の規則正しい音が混じり始めた。人々が道を開けると、木目を活かした落ち着いた色合いの四輪馬車が、ゆっくりと広場へと入ってきた。扉には黒地に銀の波を背景に左下に白い車輪、右上に飛び立つガチョウの紋章が刻まれ、車体の縁にはさりげないく湖畔と葦の彫刻が施されている。
二頭の馬に引かれたその馬車は、華美ではないが、細部の作りには品位が感じられた。御者は質素ながら手入れの行き届いた服をまとい、手綱を器用にさばいている。馬車の後方と側には、馬車と同じ紋章入りの革の胸当てを付けた護衛の兵士が二人ずつ付き従い、そのまま広場の宝石の看板が掲げられた店の前で静かに停止した。
しばらくして、御者が素早く降り、馬車の扉を開けた。中から姿を現したのは、上質な布で仕立てられた青みがかったドレスをまとい、繊細なレースの手袋をはめた若い女性だった。
陽の光を受けて輝く長い金髪が、ふわりと揺れる。すっとした鼻筋と整った顔立ちは、広場を行き交う人々の視線を自然と引きつけた。彼女の後には、質素な服を着た侍女が控えめに付き従い、二人はそのまま宝飾店の入り口へと向かう。
同時に、護衛の兵士のうち二人が先に進み、店の扉の前で周囲を警戒するように立った。残りの二人は馬車のそばに留まり、近づく者がいないか目を光らせている。シュウが金糸の髪の少女に目が吸い寄せられていると、隣から声が掛かる。
「金髪の西洋美人ですね。シュウはああいうのが好みですか?」アヤナはどこか楽しげな口調で言う。嫉妬というより、ただからかっているだけのようだ。
シュウは肩をすくめて答える。「綺麗な子だとは思うけど、外国人が好みかどうかなんて考えたこともないよ。それより、アヤナがコネを作りたいのは、ああいう人たちじゃないのか?」
アヤナはすぐに表情を切り替え、淡々とした口調で応じた。
「そうですね。今の格好で近づけば門前払いどころか、この世界じゃ投獄や打ち首の可能性までありますけど……。いずれはスポンサーになってもらいたいですね」
その時、アヤナの瞳が鋭く光った。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
第16話以降は書き溜めてから投稿を再開しますので、1ヶ月~数ヶ月ほど長い目でお待ちいただければ幸いです。




