第13話 中央広場
二人は神殿を出ると、広場を見渡した。ここは街の中央広場で、大通りに面している。広場の一角には神殿のほか、役所らしき建物が二つあり、商人風の人々が出入りしていた。また、金貨や宝石が描かれた看板を吊るす商店や、某スポーツカーメーカーのエンブレムを思わせる跳ね馬の看板が掲げられた建物もあった。
広場にはいくつか屋台が並んでいたが、その数は広場の広さに対してかなり少なく、どこか閑散とした印象を受ける。それでも、パンを売る屋台には何人かの主婦が列を作り、談笑しながら順番を待っていた。他の屋台も昼食の時間に向けて、せわしなく準備を進めている。
シュウはそんな様子を眺めながら、ぼそりと呟いた。「中世ヨーロッパっぽい街並みだけど……ドイツやフランスの観光地だったら観光客でいっぱいなのに、さすがに人が少ないね。現代よりも人口が少ないせいかな? 広場の広さに比べて屋台の数も少ないし。」
アヤナは周囲を見回しながら答える。「今日は市が開かれていないからでしょう。」そう言いながら、ふと視線を止めた。「ねぇ、シュウ。あれ。」
シュウは彼女の視線を追い、目を細める。「ん、ああ。何か飲み物を売ってるみたいだね。ひょっとして喉が渇いた?」
広場の隅には横に大きな樽を三つ並べた屋台があった。その傍らで担いでいたと思われる荷物を下ろして何人かの荷役夫がジョッキを片手に休んでいた。
アヤナは少し身を乗り出し、興味深げにその屋台を見つめる。「そうじゃなくて、ここでコーヒーを売るのもいいんじゃないかしら?」
シュウはアヤナの返しに納得した様に見たあと、腕を組んで考え込む。「うーん……落ち着いて考えてみないと、それが本当にいいか分からないな。それに、勝手に売っていいものなのか?」
アヤナは悩む様子のシュウをよそに、軽い調子で言う。「まずは、広場で屋台を出すのに何が必要なのか、あの店で聞いてみましょう。」
シュウはそれもそうだと納得したように頷いた。「そうだね。まずは聞いてみてから考えよう。」
こうして、二人は屋台へと向かうことにした。
二人は屋台に近づき、アヤナが店主に声を掛けた。
「こんにちは。こちらでは何を売っているのですか?」
店主は樽を指さしながら答える。「見ての通り、エールだよ。1杯銅貨3枚だけど、飲んでいかないかい?」
エールと聞いた二人は、今朝の朝食を思い出し、一瞬表情をこわばらせた。しかし、すぐに気を取り直したアヤナが店主に微笑みかける。
「う~ん、二人で一杯でいいかしら。ね、あなた? ここに来たばかりで、いろいろと物入りですし。」
「なんだい、しみったれたことを……ほらよ。」
店主は面白くなさそうに顔をしかめながらも、アヤナから銅貨を受け取ると、樽から木製のジョッキへエールを注ぎ、ぶっきらぼうに差し出した。アヤナはジョッキを受け取ると、そっと口をつけ、ほんの一口だけ舐めるように飲む。そして、すぐにシュウへ手渡した。
シュウはジョッキを受け取り、中の液体をじっと見つめる。生温いエールが揺れるのを眺めながら、これを全部飲まなければいけないのかと思い、心の中でそっと顔をしかめた。アヤナはそんなシュウには目もくれず、何気ない様子で話を切り出す。
「市の日じゃないにしても屋台の数が少ないわね。もっといろいろな店が出ていてもおかしくない気がするけど……。ひょっとして屋台を出すには場所代とかが結構高いの?」
店主は鼻を鳴らし、腕を組んで答える。
「変なことに興味を持つなぁ。場所代は銅貨2枚だから、別に高くはねぇさ。でも、通りに店もあるんだし、わざわざここに買いに来る奴はそう多くねぇ。市の日以外は客なんてほとんど来ねぇから、店が沢山あったって売れやしねぇよ。」
アヤナは少し納得がいかない様子で、さらに問いかけた。「でも、喉が渇いたら何か飲もうとする人は多いでしょ。飲み物ならそれなりに売れるんじゃない」
店主は呆れたように鼻を鳴らし、広場の一角を指さして言った。「あそこに井戸があるだろ。わざわざ金を出して買う奴なんて、そういねぇよ。」
「ああ、なるほど。」
ようやくエールを飲み終えたシュウが、何気なく納得したように呟いた。自分がいろいろ聞き出そうとしてるのを横目に、ただ飲んでいただけのシュウがそこだけ口を出したものだから、アヤナはジロリと睨んだ。シュウはそれに気づいて身を縮こまらせた。エールを渡したのはアヤナなのだが。
「それはそうね。ところで場所代って誰が集めてるの?」アヤナは肩を竦めるようにしてから、店主に尋ねた。
「そりゃ、商業ギルドだろうが。そこにあんだろ」店主は広場の端にある役所のような建物を顎で示した。時折、商人らしき人々が出入りしている。
「ああ、あそこが商業ギルドなのね。ありがとう。それじゃ。」アヤナは礼を言いながら、シュウが持っていたジョッキを店主に返した。シュウも続けて、「あ、美味かったです」と口にしたが、どうにも心のこもっていない声だった。
「じゃあ、次は商業ギルドに行くんだね。」エール屋を離れながら、シュウがアヤナに尋ねる。
「ええ。コーヒーの屋台を出すかどうか決める前に、まずは出店にどれくらい費用がかかるのか確認しないといけませんから。」アヤナが冷静に答えた。
「なるほど、じゃあ行こうか。」シュウは納得し、ギルドの方へと歩き出した。
ギルドの建物はしっかりとした石造りで、大きな木製の扉が据えられている。扉を押し開けると、中は広々としており、受付のカウンターがいくつか並んでいた。奥には帳簿を広げた書記らしき人物が座っており、壁際には数人の商人風の男たちが談笑しながら順番を待っている。
二人は受付の一つに向かい、対応していた若い書記官に声をかけた。
「すみません。私たち、広場で屋台を出すことを考えているのですが、こちらで出店の管理をされていると聞きました。それと、そもそもこのギルドはどういう役割を持っているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
アヤナが丁寧に尋ねると、書記官は顔を上げ、にこりと笑った。
「商業ギルドの業務についてですね。ここでは商人の登録や取引の仲介、物資の管理などを行っています。広場や市場での商売の手続きも当ギルドが取り仕切っており、屋台の利用許可もこちらで受け付けています」
「それで、その屋台の許可について詳しく教えていただけますか?」
シュウが続けると、書記官は慣れた様子で説明を始めた。
「屋台の許可を得るには、まず場所代が1日につき銅貨3枚かかります。また、申請のための書類費用として銅貨8枚、それに保証金として銀貨1枚と銅貨5枚が必要です。この保証金は、問題がなければ屋台を閉める際に返還されます」
シュウとアヤナは顔を見合わせる。想定していたよりも初期費用がかかるようだった。
「なるほど……。保証金というのは具体的にどういう用途なんでしょうか?」
アヤナが確認すると、書記官は淡々と答えた。
「屋台の利用者がルールを守らなかった場合や、広場の清掃費用が発生した場合に備えるものです。特に市の日以外は屋台の撤去を怠る者もいるため、そうした対策として設けられています」
「そういうことですか……。ありがとうございます。もう少し検討してみます。」
アヤナは丁寧に礼を述べると、隣のシュウに尋ねた。「あなたは、何かまだ聞きたいことはありますか?」
「いや、大丈夫です」シュウは特に考えることなくそう返す。
「そう、では私達はこれで。申請の時にはまたよろしくお願いします」そう言ってもう一度軽く頭を下げ、二人はギルドを後にした。
しばらく歩いていると、アヤナがシュウにぼやくように言った。
「シュウ、私ばかり考えるのではなく、あなたにももう少し考えてほしいのですけど。何しろ、三回り近く年上なのですから」
シュウは気まずそうに頭を掻いた。「ああ、ごめん。何だか楽しそうに小芝居してたから、任せておこうかと思ってさ」
アヤナは不満げに眉をひそめる。「小芝居って、私は速やかに情報を集めようとしていただけですが」
「だから悪かったって。で、これからどこに行くの?」シュウは慌てて謝りつつ、話を変えようとした。
「もう……」アヤナはまだ納得がいかない様子だったが、ため息をつくと話を続けた。
「服を見に行きます。この前を繕った服しかないので」
シュウとアヤナは大通りを歩きながら、目の前に立つ古びた建物の看板を見上げた。看板にはドレスの絵が描かれている。アヤナは少し迷ったように店の扉を開け、中に入った。店内は清潔で、ところどころに布地や糸がきれいに並べられている。柔らかな光が差し込む室内には、何人かの仕立て職人が忙しく作業をしている。
「いらっしゃいませ、美しいお嬢さん。仕立屋 黄金針へようこそ。私は店主のルーカスです」店主の年配の男性は、アヤナを見て微笑んだ。その言葉にアヤナは少し驚きつつも、顔を赤らめながら返事をした。「ありがとうございます。私はアヤナ、隣は夫のシュウです」
「アヤナさんに素敵な服をお作りできますよ。どういったご用途の服が必要でいらっしゃいますか?」店主は穏やかな口調で尋ねた。後ろから付いて入ったシュウはスルーである。
アヤナは少し考えてから言った。「これからの季節に合う服が欲しいんです。動きやすくて丈夫な物がいいのですが。」
店主は頷きながら、棚から紙に書かれたデザイン画を取り出し、それをアヤナに見せた。「こちらのリネンのロングドレスは、春から夏にかけてとても快適に着ていただけますよ。」
デザイン画には軽やかなリネンで作られたロングドレスが描かれており、そのシルエットがアヤナにぴったりだろうと店主は自信を持って勧めた。
「お値段は銀貨40枚でございます。」店主は穏やかに見積もりを告げた。
アヤナは少し考えてから、少し戸惑ったように言った。「40枚……少し高いですね。もう少し安くならないでしょうか?」
店主はややうなずき、「それでは、生地のランクを少し下げてみましょう。」と言いながら、別の棚から少し安価な生地を取り出し、再度見積もりを出した。「これで銀貨20枚となります。いかがでしょう?」
アヤナはしばらく黙ってその金額を考え、顔をしかめながら言った。「それでも少し高いですね。」
店主は軽く肩をすくめ、「もしご予算が限られているのであれば、職人街の仕立屋に行ってみるのも一つの手です。そちらの店はもっと手頃な価格で提供しているところが多いです。」と提案した。
「職人街?」アヤナが尋ねると、店主は親切に場所を教えてくれた。「はい、あちらのエリアにはいくつか仕立屋があるので、きっとご希望に合ったものが見つかるでしょう。」
シュウはアヤナに目を向け、「職人街か……それなら一度行ってみるのもいいかもしれないな。」と言った。
アヤナは少し考えてから頷き、「そうですね。もう少し探してみます。」と答え、店を後にした。




