第12話 異世界の街は危険がいっぱい
「大通りの北側とはいえ、大通りからたった二つ隣の通りにあるんだよ。そこはギリギリ商業街に含まれるけど、ならず者が多く住み着いてて、治安が悪くなっているんだ。スリや強盗は当たり前、密輸や盗品の売買なんかも横行してる。犯罪組織の連中の出入りも多いからね」
「そんな場所が大通りの近くに……」シュウは思わず肩をすくめる。
「間違ってもあそこに足を踏み入れないことだね」女将は念を押すように言い切った。「逆に、大通りの東側は比較的治安がいいけどね……」女将は少し眉をひそめる。
「そこにはヴァンダル商会があるんだよ。商会主のラウルって男がまた厄介でね。あいつは強欲な上に高慢で、平民を見下してる。下手に目をつけられたら最後、難癖をつけられて、おかしな契約を結ばされる。そうなったら、全財産を奪われるどころか、最悪奴隷として売られちまうよ」
「そんなことして、領主は何も言わないんですか?」シュウが眉をひそめる。
「ラウルは抜け目ない男で、表向きは問題のない契約書を作ってるんだ。だから領主でも取り締まるのは難しいんだよ」
「つまり、関わらないのが一番、ということですね……」アヤナが静かに言う。
「その通りさ」女将は釘を刺すように言った。「最後に、領主のロスチャイルド男爵のことだけどね」
女将は食器を布巾で拭きながら、少し慎重な口調になった。
「あの人は貴族にしてはまともなほうさ。でもね、貴族と平民の感覚ってのは違うんだよ。たとえ善意でも、領主に失礼なことをすれば、厳しく罰せられる。何が失礼に当たるのか、こっちには分からないことも多いからね。」
シュウとアヤナは顔を見合わせた。
「権力者と知己を得れば商売もしやすいでしょうが、常識の違う権力者に不用意に近付くのは危険ですね」アヤナが静かに言う。
「その通りさ。まあ、普通に暮らしてる分には問題ないけどね」
女将がそう締めくくると、シュウとアヤナは、それぞれの情報を頭の中で整理しながら、互いに軽く頷き合う。
「それで、この街で俺たちにできそうな仕事って何かありませんか?」シュウは宿の女将に向かって尋ねた。女将は腕を組み、少し考え込むように視線を上げる。
「う~ん、朝早く広場や門に行けば日雇いの仕事はあるだろうね。でも荷運びとかの力仕事だからねえ。お嬢ちゃんはもちろん、お兄ちゃんもそんなに体が丈夫そうには見えないから、すぐに体を壊しちまうかもしれないよ」
シュウの体は異世界に来てから若返り、健康的な若者になっていた。しかし、街で見かけた肉体労働者たちは皆体格が大きく、厚い筋肉に覆われていた。彼らと比べると、自分はまだまだ貧弱に思えてしまう。おそらく、鍛えられていない者はすぐに体を壊し、働けなくなるのだろう。
「なるほど……引っ越しバイトを毎日やるようなもんか。それはしんどそうだな」シュウは顔を顰める。隣で話を聞いていたアヤナが口を挟んだ。
「私たちには無理ですね。他にそれほど力のいらない仕事はありませんか?」
女将はアヤナをじっと見てから、肩をすくめた。
「お嬢ちゃんなら酒場の給仕ができるだろうし、客の夜の相手をすれば、それだけ実入りもよくなるだろうけど」
「いや、それ以外で」
アヤナが反応するより先に、シュウが食い気味に否定する。そのあまりの速さに、女将は吹き出しそうになりながら続けた。
「まあ、神殿の神官が困ってる者や貧者に仕事を紹介してくれることもあるとは聞いたね。ただ、あれは荷運びよりずっと報酬が少ないし、それだけで二人で食べていくのは難しいだろうね。元々の知り合いでもいなきゃ、余所者がいきなりいい仕事につくなんてことはないのさ」
アヤナは難しい顔をして、小さく呟く。「やっぱり、現地の人の仕事をそのまま私たちがするのは難しいですね……」
少し考えた後、彼女は女将に新たな質問を投げかけた。
「街の広場なんかで食べ物や飲み物を売ろうとしたら、何か場所代を払ったり税を納める必要はありますか?」
女将は軽く首を振りながら答える。
「店を構えるんじゃなければ、そういうのはないね。ただし、毎週の市の日は場所の取り合いになるから、早く行かないといい場所は取れないよ。それ以外の日なら空いてるとは思うけど……客もあまり来ないだろうね」
アヤナは少し考え込んだあと、丁寧に礼を言った。
「そうですか。ありがとうございます。シュウ、あなたは何かまだ聞く事はありますか?」
「いや、今のところはもういいだろう」隣で話を聞いていたシュウは軽く肩をすくめる。それを見ていた女将が、くすりと笑った。
「あんた、完全に尻に敷かれてるね」
シュウは苦笑しながら頭をかき、「いや、たはは」と曖昧に笑うしかなかった。アヤナは気にする様子もなく、すぐに次の行動を決める。
「日雇いの仕事は早朝行かないとダメでしょうから、今日は神殿で仕事がもらえそうか聞きに行きましょう」
「ああ、分かったよ」シュウは拳を軽く握り直し、気持ちを引き締めるようにうなずいた。二人は一旦部屋で準備を整えると神殿へ向かい宿を後にした。
宿を出ると、朝の街はすでに活気づいていた。露店には果物や干し肉が並び、行商人の威勢のいい声が飛び交う。道端では農民が荷車に積んだ野菜を売り、近くの屋台ではスープを煮る湯気が立ち上っている。
石畳を進むにつれ、通りの喧騒は次第に静まり、石造りの建物が目立ち始める。やがて、神殿が姿を現した。質素ながら威厳のある造りで、入口の上には宗教的な紋様が刻まれている。扉の脇には古びた石碑が立っていたが、刻まれた文字は風化しつつあった。
神殿の入口は少し高く、石の階段がその段差を上るために設けられていた。階段の端には身なりの貧しい老人が座り込み、通行人に向かって施しを求める小さな声が聞こえてくる。神官や信徒らしき人々が行き交い、時折祈りの声が響く。
二人は階段を上がり、神殿の扉を押し開けた。内部は薄暗く、静寂に包まれている。高い天井からは淡い光が差し込み、石の床にその光が細長く伸びていた。空気はひんやりと澄んでおり、神殿内の静けさが一層の神聖さを感じさせる。
二人は慎重に足を進め、奥へと向かった。通路の先には祭壇があり、その手前には数人の神官が作業をしている。白と灰色の衣をまとった彼らは、二人の来訪に気づくと、穏やかな視線を向けた。
一人の神官が近づいてくる。年の頃は四十代ほど、端正な顔立ちで、落ち着いた雰囲気を持つ男だ。
「ようこそ。この神殿に何か御用でしょうか?」
シュウが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「仕事を探しているのですが、ここで仕事を貰えるかもしれないと聞いたもので」
神官は一瞬考え込むように目を細めたが、すぐに口を開いた。
「そうですね……読み書きはできますか?」
アヤナが頷いた。
「村で習いました。でも、どの程度のものが必要なのか分からないので、何かお仕事に使う書類を見せていただけますか?」
神官は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに頷く。
「読み書きができるなら、写本の手伝いをお願いしたいのですが、何か蔵書を持って来ましょう。しばらくここでお待ち下さい」
そう言って彼は神殿の奥へと引っ込んでしまい、5分くらいして幾つかの書類を手に持って戻って来た。「大事な物ですから、取り扱いには注意して下さいね」そう言いながら彼は机の上に書類を広げる。
それは厚みのある羊皮紙で、それぞれには何かの物語の一部や法的文章、学術の論説等が記されている。シュウとアヤナはそれらに顔を近づけて、順番に見ていった。
「……読めますし、内容も理解できます。」
しばらくしてアヤナそう言うと、神官は満足げに頷いた。
「それは良かった。読み書きのできる者は少ないのですが、神殿には多くの文章があり、それらは写本を作らないといつか失われてしまいますから。」
アヤナとシュウは顔を見合わせ、軽く頷いた。
「写本の仕事、ぜひお願いします。」
しばらくして、アヤナがそう言うと、神官は満足げに頷いた。
「では、午後から始めましょう。ただ、今はまだ時間がありますね。」
彼は顎に手を当て、少し考えるような仕草を見せた。
「ちょうど今、神官の一人が従僕たちを連れて薬草の採取に行っていますが……」
「それは近くでやっているんですか?」シュウが尋ねる。
「この街の北と東に沼沢地がありましてね。領主様が管理されている泥炭場があるのですが、そこでは薬草も採れるんです。なので、定期的に人をやって採取させています。今日は北側で採取しているはずなので、街から一時間もかかりません。ただ、昼には戻ってくる予定ですから、今から向かっても時間はあまりないでしょう。2~3日後もまた行くので、興味があればその時にでも。」
「それは報酬はもらえるんですか?」アヤナが聞いた。
「そうですね。従僕たちには、一回につき銅貨50枚から、多いときで銀貨1枚ほど渡しています。」
「ふーん……500円から1000円くらいね。本当にお小遣い程度。でも、神殿とのつながりができるし、役に立つ植物の知識も得られるなら、ちょっと興味はあるかも。」アヤナは小声で考え込む。
「あの、沼沢地って危険はないですか?」シュウは少し不安そうに尋ねた。
神官はくすりと笑う。
「ふふ、沼なので足を取られたり、うっかり落ちるとヒルに貼り付かれることもありますし、時々ヘビに噛まれる者も出ますね。でも、まあ、そういうものでしょう。」
それを聞いたアヤナは思わず顔をしかめたが、すぐに取り繕うように言った。
「そ、そうですか。またお願いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。」
「そ、そうだな。」シュウもやや引きつつ頷く。
そして、神官に話しかけようとして、ふと名前を聞いていないことに気づく。
「あの、僕たち……えっと……」
言葉に詰まるシュウを見て、神官は察したように口を開いた。
「ああ、私はデニスです。正午の鐘が鳴って、昼ご飯を食べ終わった頃に来てください。」
「ありがとうございます、デニスさん。」
シュウはアヤナに目を向け、確認するように視線を送る。彼女が小さく頷いたのを見て、しっかりと返事をした。
「ではまた、後ほど。」
こうして、二人は一旦神殿を出ることにした。




