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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第2章 異世界生活編(読み飛ばし可)
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第11話 コーヒーギフト(2)

 シュウは顔に陽の光を感じて目を覚ました。柔らかな朝日が窓から差し込み、白楡の館亭の部屋を穏やかに照らしている。シュウが少し伸びをしながら首を巡らすと、ベッドの上で難しい顔をしながら手を動かしているアヤナの姿が目に入った。どうやら服を縫って修理しているようだった。


「おはよう。」シュウが声をかけると、アヤナは顔を上げることなく返事をした。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「おおっ。背中がバキバキだけど、森で地べたに寝るよりは何倍もましだよ。」


 アヤナはその言葉に小さく笑って、うなずいた。「ベッドも日本のと比べるべくもないけど、昨日よりはずっと楽でした。」


 服の補修が終わったアヤナは、シュウに向かって軽く言った。「起きる前に直せればよかったのだけど…ちょっと、後ろを向いててください。」シュウが慌てて後ろを向くと、衣擦れの音が静かに響いた。


「それ、昨日の服かい?」


「はい。私の服はもうこれしかないので。」


 気まずさを誤魔化すように尋ねたシュウだったが、アヤナの答えは固い声で返された。それ以上言葉を続けることなく、待っていると、やがてアヤナの声が聞こえた。「もういいです。」


 シュウが振り向くと、アヤナは一昨日着ていた自分の服を着ていた。ただし、その服は、正面の真ん中に上から下まで縫い目が付いていた。


 「この服は洗ってからお返ししますね。」アヤナはシュウの服を手にしながらそう言った。シュウは咄嗟に「そのままでいいよ」と言いそうになったが、それでは彼女が着た服を欲しがっているように誤解されるかもしれないと思い、言葉を飲み込んだ。


 「さて、朝食の間に少し話そうか?」シュウは気を取り直すように問いかけた。


 「そうですね。でもその前にコーヒーを出して下さい」アヤナも服の件を忘れるように微笑んで言った。


 「よし、そうしよう。コーヒー出ろ」シュウは一度両手を擦ってから、両掌を丸めてコップを持つような形にする。すると、丁度そこに収まるようにシュウに馴染みのある紙コップのコーヒーが二杯現れた。


 「どうぞ。」「ありがとうございます。」


 シュウがコーヒーを手渡すと、アヤナは受け取ってそっと口を付ける。シュウも同様に自分の口に持っていった。「ふ~ぅ、染みるなぁ」温かいコーヒーを口に含んでゆっくりと味わう。それは彼の会社の自販から出て来る様な安価な味だったが、世界が変わってしまった彼にとって安心できる味だった。

 ふとアヤナの様子を見ると、彼女はコーヒーを口から離し、その水面をじっと見ていた。「どうしたの?」シュウがそう聞くと、アヤナは顔を上げてシュウに聞き返した。


「このコーヒーって、この味しか出せないんですか?」


「えっ、口に合わなかった?」


「そうじゃなくて、この自販の紙コップのコーヒー、この一種類?一銘柄?しか出せない恩恵(ギフト)なのかなと。紙コップも飲んだらすぐ消えますよね」


「ああ、そうか。そこまで頭が回ってなかったよ」


「何か違うコーヒーに変える方法が」


「よし、やってみよう」


 アヤナが言い掛けたところで、シュウは違うコーヒーを出そうとやってみた。彼が出そうとしたのは、彼がたまに行っていたコーヒーチェーン店のコーヒーだ。白い陶器のソーサーに載ったカップに6割程入ったコーヒーだ。


「出た!」「......出ましたね」


 そのコーヒーは丁度彼が見ていた、荷物を入れる木箱の蓋の上に現れた。アヤナは話を遮られたのが不満だったのか、自分が変更方法を考察する前に気軽に別のコーヒーを出されてしまったのが悔しいのか、とにかく微妙な顔をしていた。

 シュウは紙コップのコーヒーを一気飲みしてから、陶器のカップにそっと手を伸ばし、取っ手に指を入れると持ち上げた。


「の、飲むよ」「お願いします」


 アヤナに一言声を掛け、シュウは口を付けた。一口飲むとシュウは黙り込んだ。


「どうしたんですか」「ブラックだ」


 訝しんだアヤナが尋ねるとシュウは端的に答える。


「......砂糖、入れませんでしたもんね」


 アヤナがそれに同意する。しばし考えたシュウは、「砂糖出ろ」と言ったが何も変化はなかった。「僕、甘党なんだけどな」シュウの呟きに沈黙が続く。アヤナは頬に指を当ててしばらく虚空を見ていると、口を開いた。


「ソーサーに砂糖とミルクポット、ティースプーンの載ったコーヒーを出したらいいんじゃないですか?」


「おお、なるほど」


 アヤナの言葉に天啓を受けたような晴れやかな顔をしたシュウは、再び両の掌を擦り合わせてから木箱の蓋の上、ちょうど置き直したコーヒーソーサーの隣を見つめた。


「コーヒー出ろ」


 シュウがそう言った瞬間、砂糖とミルク、スプーン付きのコーヒーカップとソーサーが現れた。砂糖は3gの細い紙製のスティックで、ミルクはプラの小さなカップにビニールのラベルが貼ってある。ご丁寧に砂糖にもミルクにもシュウがよく行ったコーヒーチェーン店のロゴが入っている。


「よしよしよし、これは実験が必要だな」


 得意そうに言うシュウに、アヤナが待ったを掛ける。


「コーヒーなら色々出せるのは僥倖ですが、まずは朝食を食べに行きましょう。きっとホットドッグは出ないのですから」




 二人は実験を途中で切り上げ、階下へと降りた。昨日対応してくれた男ではなく、今日は宿の娘が給仕をしていた。彼女は明るい笑顔で二人を迎え、空いた席を示すと、スープの入った木の椀と、雑穀パンと酢漬けの野菜が載った木皿を手際よく運んできた。


 シュウとアヤナは席に座り、朝食に手を伸ばす。


「このスープ、昨日のですよね。具がほとんどありませんけど」とアヤナが少し不満げに言う。


「まあ、温め直されてるし、味が濃くなってるから悪くないんじゃないか」


 そう言いながら、シュウは雑穀パンをスープに浸してほぐし、口に運んだ。雑穀パンは、半分は昨日のものなのか硬くなっており、もう半分は今朝焼かれたのか、まだ少し温かい。


「この酢漬けの野菜はちょっと苦手だけどな」


 酸っぱい顔をするシュウに、アヤナは皿の上の野菜を一口つまみながら、澄まして言う。


「私は特に気になりませんが、少し酢が強いかもしれませんね。毎日新鮮な野菜を手に入れるのは高くつくので、こうして酢漬けにして食べるのが庶民の知恵なんでしょう。」


「う~ん、これに慣れなきゃいけないのか。それにこのエール、薄いビールみたいかな。苦みがなくてむしろ少し酸っぱいか。この辛みはショウガかなんかも入っているのかな」


 シュウは顔を顰めて残りの野菜を口に運び、出されたエールの杯をチビチビやった。


「朝からお酒もどうかと思いますし、薄いくらいでいいのではありませんか?」


「そういえば、アヤナはまだ未成年だろう。薄いとはいえアルコールはどうなんだ?」


「ここで飲めるお水が手軽に手に入るか分かりませんし、今更では」


「う~ん、それもそうか」


 二人は残りをさらりと食べきると、部屋へと戻った。




 シュウとアヤナは部屋でコーヒー召喚の実験をした。その結果いくつかの条件が分かった。まずコーヒーはホットもアイスも出せる。コーヒーのバリエーションはシュウが飲んだ記憶のある物ならどれでも出せるし、意図すれば水や湯の様に薄いコーヒーも出せる。

 コーヒーは二人分しか出せなかったが、これはその場にいる人数の制限の可能性があると推測した。また、一度出すとコーヒーを飲むかこぼすかしてコーヒーとカップが消滅するまで、次のコーヒーは出せない事が分かった。


「まあ、他にも話さなければいけない事もありますし、コーヒーの実験はここまでにしましょう。それにしてもこのフルーティーな酸味とほどよい苦み。芳醇なコクとナッツのような濃厚な甘み。私、これ好きですよ」


 アヤナはそう言うと、カップをそっと鼻に近づけ、目を閉じた。ふわりと立ち上る香りを、ゆっくりと吸い込む。白い陶器のカップとソーサーの縁には、シンプルながら品のある金の模様が施されていた。このコーヒーはシュウが帝都ホテルで開催された新技術のセミナーに参加した際、そこのラウンジで飲んだ物だ。

 高額だったがチェーン店のコーヒーと何が違うのかと、一度だけ興味本位で飲んだ事があった。


「そうだな。あ、僕はコーヒーに酸味とか要らない派なので、そこまでじゃないかな。まあ、それは置いとくとして……まずは仕事をどうするかかな?」


 ちなみにシュウも美味しいとは思ったものの、価格に見合う程ではないとそれきり飲むことは無かった。アヤナの味覚の解像度はシュウより高いと思われるが、召喚したコーヒーはシュウがイメージできない部分まで再現出来ているようだった。

 アヤナはカップを木箱の上のソーサーに置き、軽く息をついた。シュウも同じようにカップを置きく。部屋の中には、コーヒーの香りがまだほのかに漂っていた。


「それもありますけど、まずは近付いちゃいけない場所とか、トラブルになりそうなことを宿の人に聞きましょう」


 アヤナは指先を上に向けると回転させながら言った。考えを整理するように、ゆっくりと言葉を続ける。


「あとは、街で気を付けないといけない人物。危険な貴族とか商人とか、暴力団、宗教関係者とかも知っておいた方がいいですね。その上で、この街で仕事はどこで探せそうか聞くのはどうでしょう」


 シュウは腕を組み、少し考え込んだ。


「ああ、日本と違って、治安の悪い場所は本当にひどそうだからな。他にはないかな? 魔物とか、周囲の地理とか、国の名前とか情勢とか……」


 アヤナは軽く首を振る。


「街の外のことは最優先ではないので、機会があれば、それとなく聞いていきましょう」


 話がまとまると、シュウは立ち上がり、荷物の入った木箱に腰掛けていた体勢から軽く伸びをした。アヤナも立ち上がり、裾を払うと扉へと向かう。


「じゃあ、早速行きましょうか」




 二人は部屋を出て、木造の階段を軋ませながら降りていく。朝食の片付けが進む食堂にはまだ何人かの宿泊客が残っていた。旅人らしき男たちが数人、質素なパンと薄いスープを前にして話し込んでいる。厨房の奥では、何かを煮込む香りが漂っていた。


 カウンターの奥にいたのは、昨夜見かけた宿の女将だった。中年の女性で、どっしりとした体格に落ち着いた雰囲気がある。


「すみません、少しお話を伺ってもいいですか?」


 アヤナが礼儀正しく声をかけると、女将は手に持っていた布巾でカウンターを拭きながら顔を上げた。


「ん? どうしたんだい、お嬢ちゃん」


「この街について、少し知っておきたいことがありまして。たとえば、近寄らないほうがいい場所や、気をつけたほうがいい人たちについて……」


 女将は布巾をたたみながら、目を細めた。


「なるほどね、悪いところに首を突っ込まないようにってわけかい。それなら、まず……」


 二人は女将の言葉に耳を傾けた。宿の食堂の片隅、温かいスープの香りがまだ漂う中、女将は手際よく皿を片付けながら話し始めた。


「まず、この街には南北の街門と、それを繋ぐ大通りがあるんだよ。それで、街は東街と西街に分かれている。実際には南東街と北西街って言ったほうが正確だけどね」


 シュウとアヤナは頷きながら、女将の話に耳を傾ける。アヤナはメモを取るように指先を動かしながら、真剣な眼差しを向けた。


「それで、領主のロスチャイルド男爵の館は南の方にある。逆に北の街の一番外れには貧民街があってね。ここはひどいもんさ。貧乏人が集まるだけならまだしも、盗人やゴロツキも多い。犯罪者の逃げ込み先になっているし、治安が悪すぎて衛兵も滅多に踏み込まないよ」


「となると、あまり北には近寄らない方がいいですね」アヤナが確認するように呟いた。


「その通りだよ。ここは貧民街と同じ西街にあるけど、まだ貧民街からは少し離れてるからね。それでもあまり北の方には行かないほうがいい。そして大通り近くでも気をつけなきゃいけないのが――」


 女将は少し声を潜めた。


「朧幽霊横丁さ」

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