第1話 アヤナという少女
佐藤あやなは、東京都内でも指折りの進学校に通う高校三年生だった。
彼女は優秀な生徒で全国模試でも常に上位に名前が挙がり、またディベート部に所属して昨年は選手の一人として全国大会にも出場している。また生徒会長も務め、効率的かつスムーズに物事を進める運営能力と何事にも積極的な性格は学内でも高い評価を得ていた。
また彼女は細面で美しい顔立ちで、きっちりと揃えられた前髪と背中まで伸びた艶やかな黒髪も相まって和風お姫様の様だった。それでいてモデルか女優の様にスタイルが良く、手足が長く腰が細い一方で、程よく胸が豊かで形の良い尻をしていたので、男女ともにファンも多かった。
ただし、そんな完璧に見える彼女も自分の名前にちょっとしたコンプレックスを持っていた。それは佐藤という苗字が日本で鈴木に次いで2番目に多く平凡感がある、あくまでも彼女の感性で、ということと、中学の頃に同じ学校の男子に「佐藤あやなって、AV女優にいそうな名前だよな」と言われた事である。
当然その男子は佐藤あやな、アヤナを激怒させ、彼女から話を聞いた中学女子全体から中学を卒業するまでガン無視されることになったのだが。
そんなアヤナが学校の帰り道、いつもの通りを歩いていると、車道を挟んだ反対側の歩道で見かけたことのない小さな女の子が歩いているのが目に入った。幼女は幼い顔にふわふわの髪を揺らして、楽しそうにスキップしながら歩いていた。その姿があまりに愛らしくて、アヤナは自然と目で追いかけてしまう。
すると、幼女もアヤナに気付いたようで、にこっと笑うと可愛らしく手を振ってくる。「あ…!」思わず彼女も手を振り返す。彼女の心は一瞬、あたたかく和やかになるようだった。
だが次の瞬間、幼女はアヤナに向かって走り出した。車道のガードレールの切れ目から小さな体が飛び出す。「危ない!」アヤナは心臓がドクンと跳ね上がり、気がつくと自分も道路に向かって駆け出していた。
視界の端で、トラックがこちらに迫ってくるのが見えた。エンジン音が耳を打ち、アヤナの足は更に加速する。胸が早鐘のように打ち、頭は焦りにかき乱されながらも、無我夢中で幼女の方へと突っ走った。
アヤナは、あと少しで幼女に手が届くというところで、反対側の歩道からふらりと出てきた中年男性に気づいたが、止まることができなかった。「あっ!」衝撃が走り、彼にぶつかってしまう。ふたりの体が一瞬よろめき、アヤナはそのまま力なく車道へと押し戻されていった。
迫りくるトラックのエンジン音が耳の奥で響く。ブレーキ音が響くが、重い車体は止まりきらない。アヤナの視界が暗くなり、意識が遠ざかっていく中、幼女の笑顔だけが最後に浮かび、彼女はそのまま意識を失った。
アヤナが目を覚ますと、そこは見たこともない光景だった。周囲は淡い金色の光に包まれており、床は白い雲のように柔らかい。目の前には、スーツをビシッと着こなした端正な顔立ちの女性が立っている。女性は冷静で品のある口調で話し始めた。
「目が覚めましたか?アヤナさん。私はこの神界を統べる女神です。今回、貴女が幼い女神を助けてくれた功績に報い、恩恵を与えて新たな世界へ転生させようと思っています」
アヤナは女神の言葉に戸惑いながらも、真剣な眼差しで話を聞いていた。どうやらここは現世ではないらしい。女神は続ける。
「貴女が転生する世界は、ヨーロッパの中世に近い文明レベルですが、魔法や魔物が存在する世界です。危険も多いでしょう。さて、転生の際にどのような恩恵が欲しいですか?」
アヤナはその世界について根掘り葉掘り女神から聞いた後、はっきりとした声で答えた。
「……危険な世界だっていうなら、全てのダメージから身を守る、絶対のバリアをください」
すると女神は少し考え込み、首をかしげて微笑んだ。
「…残念ですが、貴女の功績でもそのような強力な恩恵を与えることはできません」
アヤナは一瞬眉をひそめると、ふと思い当たった。
「じゃあ、私がぶつかったあの男性…あの人はどうなったんですか?」
女神は少し言いにくそうに答えた。
「彼は貴女と一緒に倒れ込み…同じように命を落としました」
「なら、その人も転生させるべきですよね?だって、彼は幼い女神の救助に巻き込まれて亡くなったんですから」
女神は少しだけ驚いた表情を浮かべ、そしてあきらめたようにうなずいた。
「…確かにそれも一理ありますね。では、その男性も貴女と共に転生させることにしましょう」
アヤナはここぞとばかりに続けた。
「それなら、私が彼のせいで逃げられなかったのだから、彼が受けるはずの力の一部を私に譲渡してもいいはずです。…その分も含めて、私に絶対のバリアをください」
女神は一瞬固まり、肩を落としつつ彼女を見つめた。
「…それは良いのですか?彼が受けるべき恩恵を貴女に分けるというのは…」
アヤナは真っ直ぐな目で、力強くうなずいた。
「彼は私の死に対して賠償責任があるし、私の提案のお陰で転生出来たという恩もあるから問題ないわ。だから、その分もください」
女神は面倒そうに小さくため息をつくと、仕方ないといった表情でうなずく。
「良いならいいのです。では、そのようにしましょう。ついでに異世界でしばらく生活できる物資も用意しておきましたので、それを持っていきなさい」
「そういえば」アヤナは思い出したように言う。
「あの人も同じ所に転生されるのですか、あの人の名前は」
女神はアヤナの言葉を遮って言った。
「ええ、同じ場所に転生されますよ。彼の名前は柴田修介。もういいですね」
そう言うと女神はこれ以上議論はしたくないという風に手を軽く振り、あたりが明るい光に包まれる。アヤナの視界は再び暗転した。