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9話


「ったく、急にぶっ倒れやがって」


 眠り姫の隣で一人ぼやいて肩を落とす夕焼け色の保健室。


 あれから一之瀬を背負って保健室へと向かうと、その場に運良く居合わせた先生に彼女を診てもらう事ができた。


 一応先生にはもう帰っても良いと言われたのだが俺にそんな勇気や度胸がなく、先生が用事で居なくなったあともその場で彼女が起きるのを待つしかできなかった。


 万が一彼女の身に何かあったら俺の今後、否、人生に大きく響きかねない。


 関わった以上は先生から何かしらの安心材料を提供してもらってからじゃないと帰れもしない。


「あれ? まだいたのか」


「心配だったので」


 職員会議を終えて気怠そうに戻ってきた先生からの質問に端的に言葉を返す。


 嘘では無いが変な気があるわけもない、寧ろ邪な、保身故の心配だ。


 心配を浮かべる俺の姿と相まって言葉の意図が先生に歪曲して伝わってしまったらしい。


 先生はほうほうと呟きながら気色の悪い笑顔を浮かべて近寄ってきた。


「うちの特異体質、二大巨塔のうち二人がまさかの恋仲だったとは……運命だねぇ、青春だねぇ」


「恋仲でもなんでもないですよ。 てか特異体質って、一之瀬も俺と同じなんですか?」


「んー。 あー、本人から何も聞いてないのか。 ……そうだよ、一之瀬はちょいと特別な存在でな。 ま、箱入り娘的な感じで不器用だが仲良くしてやってあげてほしい」


 先生に肩を叩かれながら期待を多分に含んだ眼差しで頼まれるが、そもそも俺にとって一之瀬は存在そのものが文字通りの地雷であり、踏まずに済むなら全力で避けたいのが本音だ。


「不器用なのはその通りなんでしょうね。 昨日初めて関わりましたけど理不尽ここに極まれりって感じで困ります。 けど、まぁ、今後も縁があれば普通に接してやりますよ」


「そうか、なら良かった」


 安堵した様子の先生は、ほっと息をついてから他の仕事があるからと言い残し再度保健室を後にした。


 残された二人だけの空間。 一之瀬の顔を覗き込みながら物思いに耽ってみる。


 きっと昨日までの俺だったら先生の言葉を軽視して関わることを拒絶していたと思う。


 当然だろ? こんな皮だけいい変人、長い目で見ても関わる事にリスクしかないのは目に見えているからな。


「ほんと、なんでかなぁ」


 面倒事には関わらない主義なのだが、どうしたものか。 心変わりのきっかけは間違いなく弓道部裏で向けられたあの目だろう。


 彼女の発言の全てが全て本当か嘘か定かではないが、彼女の云う人魚の言葉の意味が何かしらの病の別称だったならきっと辛い人生だったんだと思う。


 先生と別れてから眠る一之瀬の髪を指で撫でる。


 運んだ時よりもずっと頬が赤く熱っていて心配になるが先生は大丈夫と言っていたし、気にしすぎも良くないか。


「不器用にしては色々と捻くれ過ぎだとは思うが。 どうせこの性格だからクラスでは浮いて、友好関係とか絶望的だろうし、せめてもの情で話し相手くらいにはなってやるか」


 ほくそ笑んで久しぶりに自然と笑顔が零れ落ちると、俺の独り言にどこか不貞腐れた声が返ってくる。


「悪かったですね。 ひねくれ過ぎてて」


「起きてたのかよ。 てか憎まれ口叩く前に俺に感謝しろよ、まじで焦ったんだからな?」


 冗談混じりに感謝を催促してみるが、自尊心の具現化とも言える一之瀬には不満だったらしく相変わらずな様子でその場で布団に包まり俺に謝罪をしたくないという最大限の抵抗を見せつけてくる。


「ありがとう、ございます」


「あーはいはい。 どうせ感謝する気なんて……え?」


 なんとなく俺の中で固まりつつあった彼女に対する印象を覆す返答に、ただ驚きを隠せずに自分の耳を疑った。


 どうせ嫌味ったらしく偽善者に謝る気なんてない!とか言い訳してくると思っていた。


「ありがとうって言ったんです! 貴方のことは百合を邪魔するから嫌いだけど、でも助けられた相手に感謝しないほど自分の地位に胡座をかく気もないし驕り高ぶるつもりもないので」


 布団から勢いよく顔を出して俺の方を見つめる一之瀬の頬は未だに杏色で熱っぽい様子だが、その目は真剣で、彼女が純粋に感謝の言葉を述べているのだ理解して圧倒される。


「そうか。 はは、お前って本当はいいやつなのかもな」


 なんか彼女と話すと将来の事とか、自分の価値とか、色んなことを忘れて対等で話ができている気がして、つい自然と笑顔になってしまう。


 こんな感覚は初めてだ。 どうやら俺は彼女に対する考えを改めなければいけないようだ。


「何笑ってるんですか! もう、次に聞かれても絶対に言いませんからね!」


「悪い悪い。 それで、体調は大丈夫か?」


 純粋な感謝には純粋な心配を、俺の座右の銘は魚心あれば水心だから彼女が等身大で俺に接するなら、俺も嘘偽りなく彼女に接する様に心がける。 


「え、あ、はい。 なんとか。 それで、先輩、話の続きなんですけど……」


 話の続きというのは一之瀬が弓道部裏で俺に提案してきた盧と葛城の恋仲を邪魔しない代わりに疑似恋愛させてやるといった理不尽極まった提案のことだろう。


 何度考えても彼女の提案に乗るメリットは何一つとして無いわけだが、目の前で少し恥ずかしそうに話を掘り返す一之瀬の様子を見るとそれなりに勇気を出して言ったのが窺える。


「いいよ、お前の提案に乗ってやる。 ただし! あの二人が同じクラスである以上は今後行事とかもあるし絶対に関わらないって約束はできないから、自発的には近づかないって条件でもいいか?」


「仕方ないですね。 その点に関して言えば私の気持ちの問題なので一旦はそれで良いですよ」


 その点も何も全部お前の気持ちの問題だろと内心思いつつ、言っても話が面倒臭くなりそうなので小言は聞かなかった事にしてこれからよろしくと手を差し伸べると彼女もまた朗らかな表情で握手をしてきた。


「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 所詮は利害の一致に過ぎないが、こうして歪ながらも俺たちの交際はスタートを切る事になった。 



 それから一之瀬の家の使用人と思われる女性が彼女を迎えにきて、俺は一之瀬が車で帰るのを見送った後に一人帰路についてから一人で疑似恋愛について考えていた。


 どうせ盧とは疎遠になっていたんだろうし、流れで一之瀬の案を容認したまでは良かったのだがいざ付き合うとなった時に恋人とは何をするものなのか分からなく困ってしまう。 


「そもそもこれって世間一般でいう恋愛って枠で考えちゃいけないよな」


 単語の意味を無理に今の状況に当て嵌めて解釈しようとするから難しくなるのだ。


 これは俺が人を好きになる為の疑似恋愛であり、俺の根幹にある人間嫌いを克服して固まった思想からの脱却を目的としている。 つまり変に気負わずに俺はこの関係を利用すれば良いのだ。


 友人として遊んで、喧嘩して、仲直りして、人並みに心を開けばそれがいずれ人を好きになる気持ちを知るきっかけになるに違いない。


「ま、やるだけやってみるか」


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