19話
死なないで……か。 きっとこの状況じゃ難しいだろうな。
歯に噛んで伝えた気持ちは嘘ではないが、片腕を負傷した状態でテロリストに見つかることなく一之瀬を探し出せた事すら紛れもない奇跡なのに、ここから脱出となると流石に無理がある。
嘘をつくのは心苦しいが、ここで不用意に生きて帰るのは難しいなんて吐露したなら間違いなく彼女は俺と一緒に残ると駄々をこねるに違いない。
本当はお互い遺恨なくこの場で話し合うのがベストなのは分かっている。 しかしそんな悠長な時間が現状ない以上、こうするしか他に彼女を助ける道がないのだ。
俺の首元で吸血中の一之瀬の背中に右手を回してこれが最後なのだと少し強く抱きしめる。
「先輩! ちょっと痛いです!」
「ちょっと仕返し」
「冗談言ってる場合ですか?」
背後からカツンと乾いた音が響き渡る中で意識を通路に向けながらも、不安を煽らないようにゆっくりと一之瀬を引き剥がし、非常階段の方を指さす。
「あそこから下に行けるから、一階に着いたらトイレの窓から逃げろ。 きっと外の警備は手薄になっているからなんとかなる筈だ」
「はい。 あの。 先輩。 本当に、無理だけはしないでくださいね」
「お互いな」
名残惜しそうに握っていた手を離す一之瀬はそう言い残すと、人魚の力を行使して俺の目の前から姿を消した。 人魚なのは百も承知だったのだが、何度見てもその能力には驚かされる。
一之瀬が消えるまでの一部始終を見届けた後に俺は時間稼ぎをする為にテロリストの前へと出る覚悟を決め、徐に仮面を装着してから通路へと出た瞬間。
「これでなんとか」
「なると思ったか?」
ボソリと溢れた本音に応えるように遠方から言葉と銃弾が放たれる。
今まで全く気付かなかった通路を徘徊していたテロリストとは別の気配、急いで振り返るが反応が遅れた。 発砲音と同時に躯体を横に逸らし、なんとか致命傷は避けられたものの右足の太腿には鈍い痛みがじんわりと広がる。
放たれた弾は三発、一発は俺に被弾したが、残りの二発は別に居たテロリストの頭部と肩に着弾。
躊躇うことなく放たれた殺意、狙撃手との距離は凡そ五十mほどだろうか。
「あれ? もしかして避けられた? まぁいいや。 上の言うこと聞かないやつなんて殺した方がこの業界の為だ」
歩きながら人を狙うには余りにも距離があり過ぎるし、仮にその場で立ち止まって俺を狙ったとしても仲間に着弾している時点で見捨てる前提で発砲した可能性が高い。
前者なら銃の扱いに慣れた元軍人レベルの強者。 後者なら目的の為なら手段を選ばない冷静さと冷徹さを併せ持つ強者だろう。
前者でも後者でも状況は最悪、その技術力と仲間を殺す事すら厭わない精神力からして外で対峙したテロリストとは一線を画しているのは明白だ。
「悪運にも程があるだろ」
本音を言うならこの場から一目散に逃げたい。 逃げたいけど俺がテロリストの前に姿を表した理由は一之瀬を逃す為で、自分の命可愛さに退くなんて絶対に有り得ない。
てか今背を向けても逃げでもしたら即刻足を撃ち抜かれて殺されるだろうな。
天運ここに尽きたかと固唾を呑み込みふぅっと息は吐き捨てて覚悟を決める。
だったらやることは一つ。 例え奴に傷一つ与えられずこの行動が文字通りの無駄な足掻きだったとしても、俺は俺の成すべきことを成す!
被弾していない左足に力を溜め込み臨戦体制を取っている俺をよそに、危機感のないテロリストは特に狙撃を外したことを気に止む様子も無く、大きな欠伸をしながら気怠そうに此方へとやって来る。
「人魚ちゃん発見だと思ったんだが、間に合わなかったか。 ミスったな、君を追いかけていれば見つけられるって聞いてたのに……まさかあのおっさん嘘こきやがったか?」
野太い声堂々とした筋骨隆々なシルエット。 人魚の存在を知っている感じテロ組織の中でも地位は上の方だろう。 まさかとは思うが今回の襲撃を実行したテロリストの実行犯か?
まぁいい。 どちらにしろ危険であることに変わりはない。
今はただ呼吸を整えて集中力を極限に研ぎ澄ませろ。 与えられるのはたったの一撃。 それに全てを込めるんだ。
捉えるべき敵は緑に照らされた非常口の蛍光灯の真下。
通路で鳴り響く警報ベルが脳内の生命危機とリンクする刹那。
間合いに男が入ってくる。 同時に地面が陥没するほどの蹴りで飛びかかり残された右手から拳を放ち先制攻撃を仕掛ける、が、間違いなく急所を狙った拳は空を切る。
何が起こったのか分からなかった。
ただそこにあるのは男が当然のように俺の背後に回り込んでいる事実だけ。
「それにしても驚いたよ。 宮島から連絡が途絶えたか外に行けば、まさか片腕負傷した奴があからさまな演技をしながら現れるんだもんな」
「お前、まさか俺を手当てした男か?」
「ご明察! あの時は試すように英語話して悪かったな!」
右手を上げて気さくに謝罪する男の発言に一気に血の気が引く。 こいつ、まさか俺の変装を見破った上でここにまでずっと後をつけていたのか? だとしたらテロリストに遭遇しなかった幸運はコイツが仕掛けた罠?
「んじゃ。 悪いが死んでくれ」
スッと上げた右手と拳銃。 そこから間髪入れずに放たれた銃弾が俺の仮面に擦り即座に理解をする。 俺はこの男には決して勝てないと。
いや、そんなの銃撃された時点で分かりきっていた事か。 多勢に無勢で身体はボロボロ、さっき男へと繰り出した一撃で左足も筋肉がはち切れてもう一歩も動かすことができない。
万事休す。 しかし、それでも時間稼ぎならまだできる。
「あぁ。 人魚ってのは分からないが……外のテロリストは俺がやった。 ただの正当防衛だけどな」
「そうか。 ってお前、まさか。 く、あっははははは!! おいおい、そんなことあるのかよ! お前ってやつは本当に……同情しちまうよ」
ハラハラと壊れる仮面とそこから露になる俺の顔がそこまで可笑しかったのか。 目が合うや否やテロリストは突然笑い出し、知人のような素振りで声をかけてくる。
当然だが俺は裏社会の人間となんて一切面識は無い。 もし一方的に知られているとすれば俺が売買されたオークション会場だろうか。
「悪いがテロリストと面識なんて一切ないんだが?」
「そうか、マスクつけてちゃわかるもんも分からねぇよな」
やけに嬉しそうな声音。 テロリストの言い方からして俺もコイツを知っているのか?
取り敢えず今は平常心を装い、時間稼ぎがバレないような受け答えを徹していると、男は昂った様子で頭全体を覆い隠していた仮面を外してその素顔を曝け出す。
「初対面だが、俺の顔は覚えているだろ?」
ニヤリと笑った口元と見下すような目付き。 その素顔を見た瞬間全身の血の気が引いていくのが分かる。
「なんで、お前が……」
「なんでって俺が聞きてェよ。 ま、此処まで来ると縁ってやつだ、金の卵ちゃん。 別に気にすんなって。 お前が俺を恨む様に俺もお前を憎んでる」
初対面にも関わらず腹の奥から込み上げてくる憎悪は今までに感じた事のない憤りで、全身を通う血液が沸騰する程に激り、圧倒的なまでの殺意が腹の底から湧いてくる。
「だがまぁ今回は、いや。 今回も運が悪かったな。 お前には価値がある。 俺と違ってお前を欲してる連中は山ほど居るんだよ。 だから今回も俺の金になってくれや」
瀕死の体では勝てる筈もない相手だと頭では理解しているのに俺の本能は命を顧みずに敵意を剥き出しにし、気がつくと荒々しくテロリストを罵倒していた。
「く、ははは。 勝手だな? 人から散々搾取し続けて不幸を撒き散らしたテロリストの癖に、自分に悲劇が降り掛かれば一丁前に他人のせいか? ダッセェなぁ!? なぁ!! 日露省吾!!!!」
目の前に姿を現した男の名前は日露省吾。 あゝ、覚えているとも、お前のこと忘れた日は一日たりともありはしない。 国際指名手配犯であり、俺と同姓同名で、挙句顔まで瓜二つ。
「あ? 何も知らねぇやつは声がデカくて羨ましいな?」
額に血管を浮かべる日露は目の前で身動きが取れない俺に銃口を突きつける。 普通なら萎縮する状況だがだからなんだ? 構うものか。
「知ってるに決まってるだろ? お前があの飛行機テロで俺から両親と当たり前の人生を奪った元凶なんだからな。 ほら、撃てよ。 一思いに殺せよ。」
臆する事なく身体を引き摺り俺は向けられた銃口に額をぴたりとくっ付けて俺と同じ顔の男を覗き込む。
「どうした? 生きてる人間の頭に銃口を押し付けて殺したことがないのか? どいつもコイツも、命を奪う覚悟がたらねぇんじゃねぇのか??」
忘れる訳ない、忘れてたまるかよ。 もう長くない命だからこそ、俺はお前の目の前で、トラウマになって死んでやる。 一生その引き金を引いた事を後悔しろ。
睨みつける眼差しに臆した日露は引き金を引く事なく舌打ちをして銃を下げようとするが、そんな行動、俺は決して許さない。 唯一動く右手で銃体を握り額に密着させたまま離さない。
「……狂ってやがる」
「おいおい、命の価値を軽んじてるのはお互い様だろ? まぁ一点だけ違うとすれば、お前は俺と真逆で他人の命だけを軽んじているってところだけだろうけどな」
「あ”あ”!! お前に何が分かるって言うんだよ!!」
「お前よりは命の価値をわかってるっつてんだろーが!!」
グルグルと回る視界。
暗く渦巻く憎しみの果てに正常な判断ができないほどに錯乱していたそんな時、突然一之瀬の言葉が脳裏に過ぎって胸がスッと楽になる。
『絶対に死なないでください』
何なんだよ。 ったく。 お前はいつも無茶苦茶で、俺の気持ちを掻き乱すから困る。
断線していた脳内プラグが突如として再接続を始め、今更になって生きるための最善策を思案し始める。
「俺が悪いのかよ? 俺が……お前さえ居なければ俺がお前だったのに!! もう何もかもめんどくせぇ。 せっかくの金の卵だが。 そんなに死にてェなら殺してやるよ」
生きる為? はは。 どう足掻いても間に合わないだろ。 銃口との距離はゼロ。 憤慨している日露を相手に俺は冷静になった思考で瞼を閉じてほくそ笑む。
「あはは。 本当に、大切だったんだなぁ」
たった一ヶ月程度の付き合いだったけど俺は彼女が人間として結構好きだったんだと思う。 知らない感情を気づかせてくれた。 俺を外に連れ出してくれた。 久しぶりだったんだ。 自由ってのを体感したのは。
走馬灯のように思い出す一之瀬と過ごした日々。 日露がその引き金を引こうとした瞬間、後方から聞き慣れた声が俺をこの世界に引き留めようとする。
「先輩!! いや、いや!!」
逃げたはずの一之瀬がなんで泣きながら俺に手を伸ばしているんだ?
これは夢か、幻か、はたまた未だ俺の見ている走馬灯か。 いや。 今更そんなことは何だっていい。 もう一度君に会えた。 それだけで満足だ。
でも……。
「なんで戻ってきたんだよこの馬鹿。 お前が生きなきゃ意味ないだろ」
久しぶりに流れた涙。 自然と出てきた言葉。 作り笑いが消え失せ、伏せていた瞼がふと軽くなる。
そっか。 父さんと母さんが命を投げ打ってまで乗客を全員を守り抜いたのは……
振り向く間もなかった。
ただ何が起こったのかは明白で、向けられた銃がパン。と乾いた音を立てて俺の人生を奪ったんだ。




