2話 衝動
無駄に深い呼吸をして、春の空気を胸いっぱいに吸い込んで歩く二週間ぶりの通学路。 春休みが短く助かったが、それはそれとして例年通りに体が重い。
飼い主に買われて凡そ三年そこら、基本的には何不自由ない生活を送らせてもらっているが長期休暇に関しては契約上、不要不急の外出は禁止となっている。
思い返せば去年の夏。 色々やりたくとも遠出やらの気分転換は出来ず、毎日の暇つぶしに気が狂うほどゲームをしたり勉強したり、代わり映えのしない日々を淡々と過ごす地獄の様な日々。
知識への探求自体は楽しくはあるのだが体を動かせないのは存外精神的に参るものだ。 特にアクティブだった身からすれば引きこもり生活なんて相性は最悪。
やっと外に出れてもエアコンによって温度管理がされた極楽空間での生活は想像以上に体を堕落させ、快適を当たり前と錯覚した肉体は外気温の過敏になって体が若干の暑い寒いに拒絶反応を起こすのだから困りものだ。
「く、相変わず体がだるい」
とは言え何も考えず、愚痴を言いながら登校できるのは身寄りがない俺を引き取ってくれた飼い主のおかげなのでこれ以上を望むのは失礼だ。
家族の死後、本当の身元引き受けである親戚に売り飛ばされ、人権を失った俺を飼い主はオークションで落札してくれた。 もし一之瀬誠ではない誰かに買われて血液生成機として生かされ続ける人生を強要されていたなら今日の太陽すら拝むことも叶わなかった事だろう。
誰に何を言われようが俺にとっては恩人で、感謝してもしきれない存在なのだ。
二〇〇一年に発生したアメリカ同時多発テロ、過去に起きた国内外でも類をみない飛行機のハイジャックを彷彿とさせる未遂事件が三年前、二〇三一年の十一月二十六日、上海発の福岡空港行きの飛行機で発生した。
この事件において皮肉にもテロリストを纏め指示を出していた男の名前は日露省吾、奇しくも俺と同姓同名で顔すら瓜二つの幼い日本人だった。
省吾はさまざまな世界の子供達と共にテロを決行。
結果は未遂で終わるがテロリストの殆どがその場で自決、飛行機は無事空港へと着陸に成功したが日露省吾のみは到着した救急車に運ばれたまま行方を眩ませた。
この事件によって操縦を行なっていたパイロット二名が頭を銃で撃たれ即死。
テロリストの拘束をした日露玲奈が銃弾を腹部と胸部に被弾し、死後硬直によってテロリストを一人を拘束したまま死亡。 同じく肩と腹部に被弾をした夫の日露涼夏は偶然にも飛行操縦士だった為その命を賭して乗客全員を救い着陸と同時に死亡。
結果として俺の両親とパイロット2名を除く全員の命が救われる結果となった。
この事件、乗客の証言からあくまで内容を把握していたのが日露省吾だっただけだったと推察され、拘束されたテロリストの子供は過去に行方不明になっていた外国籍の少女だった事が判明。
それからすぐに彼女以外の自害した子供たちも全員各国で行方不明になった少年少女だった事が明らかになり、ことの重大さは世界を震撼させる事となった。
このテロによる目的は未だに不明だが、少女の証言からしてこれは一国によって引き起こされた事件ではないという見方が世間では強まっている。
そしてこれは憶測なのだが、このテロの目的は俺から両親を奪う事だったのではないかと思っている。
あくまで仮説、根拠があるわけではない。 ただこの事件の最大の目的はテロによる無差別殺人ではなく、特殊な血液を持つ俺から庇護下を奪う事だったなら親戚に引き取られてすぐ売り飛ばされる事など色々と辻褄が合うのだ。
これは厨二病でも、非科学的な話夢物語をしているわけではない。
皮肉にも現実に確かに存在する極めて稀有な血液、その保有者が俺なのだ。
世界に存在する血液の主な種類はA型、B型、O型、AB型だが、そこから更に細かく分けると種類は凡そ三百種類を超える。
そして数多存在する血液型の中でも最も珍しいとされる血液こそが通称《Rh null》と呼ばれる黄金の血液で、その希少性は七十億人を超える世界人口の中でたったの五十人しか居ないいわば奇跡の血液。
そのたった五十人の中に運悪く選ばれたのが俺、日露省吾だ。
黄金の血液は唯一全ての抗体を持たない血液であり、全人類へと輸血が可能な超特異体質。
正直両親から聞かされた時はその希少性にあまりピントは来なかった。
今思えばそれは日本人だからなのだと思う。 日本では血液の価値が献血の影に潜み認知されづらいが、海外に於いてはその価値は計り知れず、相当な金額で取り引きされている。
言わずもがな俺も大衆と同じくその程度の認識だった。 しかしオークションにかけられた今ならわかる。
血液も内臓も、どの部位を取っても必要な誰かの代わりになれるこの躯体は人によっては喉から手が出るほど魅力的な物なのだ。
よく言えば全てを救える存在。
しかし、悪く言えば黄金の血液保持者は同じ血液を持つ者からしか輸血ができない為、与える事はできても与えられる事は決してない救われない存在でもある。
まさしく人類の代替品として生まれてきた存在、それがこの血液の保有者なのだ。
とにかく。 不幸中の幸いか。俺は日本に於ける最大財閥が一つ、一之瀬グループが社長の一之瀬誠に購入され、なんの因果か今も日本で運良く暮らせれている訳だ。
なぜ彼が俺を買ったのかは知らない。 そもそも詳しい事情を聞いてはいない。 ただ善意や同情でないのは確かだろう。
今は週に一度の適量の採血を求められているだけで、それ以外の生活については全て負担してくれているし、なんなら運動などは制限されている程度で誓約という誓約はあまりない。
言ってしまえば完全なる高待遇。
俺を育てて高値で売るつもりなのか、はたまた飼い主である一之瀬誠の代替品として買われただけなのか理由は定かではないが、今ある自由に関しては心から感謝している。
良くも悪くも今という平凡な日常を過ごせているのは、飼い主の温情があってこそだ。
きっと飼い主にとって俺なんてただの代替品、良くてもペット程度にしか思われてないかもしれないが、それでもこの恩は一生をかけて返すと心に決めている。
だから長期休暇などで自由が制限される事も仕方がないのだと割り切ってはいるつもりだ。
そう、仕方ないのだ。
特殊な血液を持って生まれた事、古くからの顔見知りである親戚が金に目が眩んで平気で俺を売り飛ばした事、オークションで……の事。
朝から憂鬱になりながら登校していると、不意に前方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「あ、省吾くん! おはよ!」
「おはよう、盧。 今日も元気だな」
変な夢を見てしまった所為で悶々と考えていたら、既に学校に着いていたようだ。 中庭に貼られたクラス替え名簿の張り紙に群がる生徒の中から盧が俺を見つけて駆け寄ってきた。
「おはよう、盧。 今日も元気だな」
「別にいつも通りだよ。 それより省吾くん何かあった? 顔色悪いけど、何か否や夢でも見たとか?」
ふわりと香るフローラルな柔軟剤、若干茶色がかった髪色が印象的なショートボブの彼女は夢にも出てきた同い年で腐れ縁の盧莉音、本人だ。
普段はふわふわとした雰囲気を醸し出していているが、相変わらず謎に俺に対する感だけは鋭く、意表を突かれてたじろいでしまう。
「少し昔の事を思い出してな。 それよりも葛城の姿が見えないけどどうした? お前の侍女だろ?」
いつも盧の周りを彷徨いている同級生の葛城千代乃の姿が見当たらず、俺が周囲を確認していると盧が少し呆れたような笑顔で俺の肩に指をさす。
「省吾くん、後ろ」
そう盧に言われてなんの気無しに振り返ろうとした瞬間、左横腹の肋骨下付近を的確に肘打ちされ、内臓への直接攻撃を受ける。
「こんのバカ! 誰が侍女だ! 私はるーりおんの親友だっつうの!!」
そう言って突然エルボーをかまして来たこの低身長でやたらと肉付きが良い武闘派こそが葛城千代乃だ。
黒く艶のある長髪は枝毛が無くよく手入れされており、可愛らしい赤色のシュシュで纏めたポニーテイルが少しだけ幼さを醸し出している男勝りで活発な性格の少女。
喋らなければ可愛い。 動かなければ清楚。 所属していた弓道部での佇まいは凛として美しかったとか。 彼女の性格を知らない野郎共からすればまさに絵に描いた純和風美人その物だろう。
「ちーちゃん。 その呼び方はやめてよ!」
「可愛いじゃん。 るーりおん。」
「恥ずかしいよ!」
頬を真っ赤に染めた盧が葛城に対してポコポコと攻撃をしては、そんな盧を遇らいながら頭を撫でる姿は夫婦漫才そのものだ。
「いや待て待て、お前俺の大切な体に何やってくれてんの? マジで殺す気?」
「肘打ち。 殺す気」
「答えてくれてありがとう。 お前がお前だと今日も認知できて嬉しいよ」
淡白な答えにはらわたが煮え繰り返りそうになりながらも、必死に笑顔で皮肉を伝えてみるが葛城は相変わらずの冷めた目で俺を見下しながら一言キモいと吐き捨てた。
なんだコイツ。 喧嘩売ってんのか?
「てか日露、あんたまじで顔色悪いじゃん。 大丈夫なの?」
「そうだよ! 私ちょっと省吾くん保健室に運んでくるからちーちゃんは先に教室行ってて!」
「なら私もてつだ……」
「いいから!!」
少しだけ怒気の籠った声に圧倒された葛城を置いて、盧は俺の腕を引かれながらその場を後にした。
別に普段と変わらないノリで会話をしていたのに何が盧の気に触れたのか俺と葛城は一切心当たりがなく、二人して放心状態になった。
盧が葛城に対して不機嫌な態度を取るなんて久しぶりに見た……中学の時以来か?
俺たち以外にもその場にいた多くの生徒達も驚きを隠せずに目を丸くしている。
それもその筈、うちの学校では盧と葛城は仲が良いことで有名で、それこそとある界隈ではガチ百合として有名なカップリングだとかなんとか。
当の本人たちは別に付き合ってる訳ないんだろうし、俺もその事を知っているから普段通り友人として変わらず接してはいるが。
まぁ周りが二人の事を百合だと勘違いするのも理解はできる。
毎日昼食を食べさせあったりして間接キスは当たり前、毎日手を繋いで一緒に登下校。 優しく包容力に満ちた盧に対して強気で男勝りの葛城は確かにお似合いだ。
だがまぁ。 正直な話、俺はそう言ったものに対して若干抵抗があり、理解はできるが納得はできていない人種なので、噂については話半分に思ってるし、その界隈の人に配慮とかする気は毛ほどもないが。
「なんか喧嘩させてごめんな」
腕に抱きつかれながら歩く廊下で、俺は盧の胸が腕に思いっきり当たっている事など気にもせず、ただ心からの謝意を伝える。
「そうだよ! 二人とも何にもわかってない!! 何かあったらどうするの!!」
未だ憤りが治る気配のない盧は可愛らしく頬を膨らませながら声を荒げてその場で突然立ち止まり、俺の胸へと勢いよく飛び込んで背中に短い腕を回して顔を埋める。
「もし!! もし何かあったら省吾くん死んじゃうんだよ……私は二人の事が何よりも大切なの!! だから冗談でもやっちゃいけないよ、私、省吾くんとお別れしちゃうなんて嫌だよ」
「大袈裟だな。 そこまで脆くねぇよ。 クラス替え次第では別々になるだろ」
「自覚して!!」
自覚しているつもりなんだけど、とは言える雰囲気ではないよな。
きっと俺の事情を知る数少ない人間である盧だからこそ、初めて俺の体調が悪い姿を見て心の底から恐ろしくなってしまったのだろう。
「心配してくれてありがとうな。」
人に大切にされるっていうのはこれ程までに心が暖かくなるものなのかと彼女の思いを噛み締めながら朗らかに微笑み、優しく胸の中にいる盧の頭を撫でる。
「省吾。 ごめんね、突然取り乱しちゃって」
「気にすんな」
もしかしたら人の為に行動出来る彼女とだったら、生前の両親に無償で与えられた愛と言うものが何だったのか思い出せる事ができるかもしれない。
我ながら呆れてしまう。 散々裏切られ続け、利用され続けてきた人生なのに、俺はまだ他人に期待しているんだ。
「それに葛城だって俺の顔色が悪いって気がついた時に申し訳なさそうな反応してたしきっとアイツも反省してるよ」
「だから余計に許せなかったんだけど。 もう!! 私が怒ってる理由に本当に分かってる?」
どことなく漂う小動物感に俺は堪らずその小さな頭をもう一度撫でる。
やっと人を大切に思う事ができるかもしれないと思えた矢先が始業式なんて我ながら本当に気付くのが遅すぎる。
今日から俺たちは高校二年生、先ほどはクラス名簿すら見る間も無く盧に引っ張られて中庭を後にしたから誰と同じクラスなのかもわかっていないが、きっと今年も盧とおんなじクラスになる確率は低いだろう。
当然だが同じクラスにならなければ盧と関わる機会も少なくなる。 彼女は校内でも有名な美少女の一人だから新しいクラスでは男子生徒達の猛アプローチは必然だろう。
少し、心がもやつく。 このまま盧と過ごす時間が減って知らない奴と彼女が付き合うことにでもなったら俺は後悔する。 だったらいっそ今日のうちに彼女に告白をしてしまおう。
「わかってるよ。 ありがとう。 それでさ、話変わるんだけど今日の放課後って時間ある?」
「放課後? 時間?」
俺の言葉を聞いた瞬間に蒸気を上げながら熟れた杏の様に真っ赤に頬を染める盧は動揺した様子でそそくさと距離を取り、周囲を見渡しながら校舎の柱に身を隠して小さく頷いた。
「……あるけど……なに?」
「少し伝えたい事があるんだが、ここじゃあれだから放課後、始業式が終わった後に体育館裏で待っててくれないか? 誰にも言わないでくれると助かる」
別にここで付き合って欲しいと言っても俺的には何ら問題はないのだが、以前親友が嬉々としながら恋愛はその場のシチュエーションによって結果が左右されると語っていたのでどうせだから実践してみる事にした。
正直それが結果に大きな影響を与える理屈が俺には全く理解できないが、そこら辺は告白される側の気持ちの問題なんだろう。
しかしこれ程までに距離を取られるなんて、むしろ怪しまれてないか?
衝動的に告白する流れを作ってしまったが告白までの流れすらタイミングがあったのではと焦りを滲ませていると、盧は隠れていた柱から姿を現して俺の方を一瞥してからすぐに目を逸らし階段の方へと駆けていく。
「今日は多分始業式終わったら全員下校だろうから、明日でも、いい?」
きっと盧なりに俺の体調を気遣っての提案なのだろう。 別に告白を焦る必要もないし今日は告白をする約束だけしておけば十分か。
「じゃあ明日の放課後、十六時三十分に体育館裏で」
「分かった。 明日の放課後、体育館裏で待ってるね。 じゃあ、ここ! 保健室だから後は一人で大丈夫だよね! また後でね!」
手を振りながら教室に戻ってしまう盧は俺が付き合って欲しいと思っている事に気がついている様子に見えたが、きっと気のせいだろう。 てかまたって言った? もしかしておんなじクラスなのか?
「まさかな」
そう思いながら俺はさっきから背中にひしひしと感じる殺意もきっと気のせいなのだと言い聞かせて今日の始業式は保健室で休む事にした。




