18話
対峙した男の目には俺が普通の人間に見えていなかったのか?
恐る恐る長袖を捲り上げてその身に起こっている異常へと視線を落とせば、テロリストの言葉が現実味が帯びて頬が引き攣る。
「一体何が?」
体の内側から手首までびっしりと張り付いている鱗は人の姿ではなくまさしく人外。
目を疑いながら指の腹でそれを撫でてみれば触覚を感じ、神経が通っているのを肌で理解する。
何が起因して発現したのか定かでは無いが、可能性をあげるのであれば先祖返り、若しくは一之瀬が口付けをした際に言っていた契約によるものだろう。
さながら創作物の主人公のような展開は、いざ自分の身に起こると高揚感もなければ当然心も弾まない。
意外にも込み上げてきたのは虚脱した無力感だけだった。
「なんで、俺なんだよ」
他人を助けられる膨大な力もなければ責任も度胸もありはしない。
どれだけ人と違う境遇を歩もうと心なんてものは結局は人並みで、どこまで行っても十七歳なんだ。
この世の理不尽を受け入れる覚悟とか立ち向かう覚悟とか、そんな仰々しいものは持ち合わせていない。
逃げられるなら逃げたいさ。 挙手制なら譲ってやる。 不遜の力を与えられた重責に息が詰まる。
「クソ」
感覚のない被弾した左手を庇いながら何とかして一之瀬を背中におぶり先を急ぐ。
きっとこの現状を周りに説明したなら全員がお前は悪くないと慰めてくれるんだろう。
だけど違うんだ。 そうじゃないんだ。
殺された人々の屍をかき分けて進む血に塗れた道。 粘液のある赤いアスファルトは満身創痍の俺に訴えかけるんだよ。 お前だけなんで生き残ってんだよと。
ごめん、ごめん。 謝りながら進んでも新品の靴に染み込んだ彼らの後悔は俺だけ助かった事実を許さないように行くなと足を引っ張ってくるんだ。
「……っっっつ」
ふと転がったいたペンダントが足に当たり、蹴った衝撃でそれが開くとそこには俺が最初に気絶させたテロリストの仲睦まじい家族写真が入っていた。
人を平然と殺しておいて自分には帰るべき居場所があって、家族がいて、心配する誰かがいて、それなのに……
「なんで……だよ」
歯軋りで頬を歪め、俺はやり場を失った激情に胸を痛める。
帰りを待つ家族がいたから虐殺が正当化される事は決してあり得ない。 だってテロリストが殺した人々にも当然帰るべき家があり、待っている家族がいたのだから……。
「なんだよ。 なんなんだよ。 なんで……分からねぇんだよ」
悲痛に塗れた感傷を吐露する俺は現場に残された全てから目を逸らし、未だ穢れのない服を身に纏った盧を抱き抱えたまま血溜まりを踏みしめて二度と落ちない染まった足で前へと進む。
俺にはもう、分からない。
大切を知っている人間が平然と人の大切を奪うのは何故だ? 愛されなかった事が罪ならなぜ愛を育む? 一体この世の理不尽に対して誰を憎めばいい? なんで人は妬み、傷つけ、安心を得ようとする?
わからない。 何一つ、幼い俺には分からないんだ。
何度も歩く中でぶつかる死体に謝っているうちに気が付けば俺は彼らに一瞥すらしなくなっていた。 生に縋りながらも命を絶やした亡骸を見ても何も思えない。 今はただ助けると約束した言葉だけを原動力に進むだけ。
傷つきすぎて分からなくなっているだけだと思っていた。 だけどきっと違う。 足元に転がる死体に怯え、屈する事なくテロリストをねじ伏せれる俺は抜本的に何かが壊れているんだ。
何もかもが分からなくなりながら、ただ果たすべき盧の保護を優先して歩き続けていると不意に目に入った遠方の人混みに、両手を握って神にでも祈るような悲哀に満ちた姿をしている葛城が目に入った。
「かつ、らぎ」
「省吾!!!! 盧!!!!」
葛城はすぐに俺達の方に気が付きショッピングモールに釘つけの大衆を押し退けて急いで駆け寄ってくる。
「盧は……大丈夫なのか!?」
「多分、大丈夫だと、思う。 ただ気絶しているから早く、医者に見せた方がいい」
「あ、あぁ。 って、いや、それよりお前の方が重症だろ! すぐに救急車に……」
動揺している葛城をよそに、俺はそのまま盧を押し付けて再度脱出をしたショッピングモールの裏側、従業員出入り口の方へと踵を返す。
「ちょっと!!」
「悪りぃ。 俺、まだ助けないといけない奴がいるから行ってくるわ」
「何考えてんのよ……あんたが死ねば悲しむ人がいるって事理解しなさいよ!! 勇敢と無謀は違うのよ!!」
盧を押し付けられ、盧が生きていた喜びと俺がテロリストに占拠された建物へと再度向かおうとしている現状に錯乱する葛城が俺の袖を握って引き止める。
「ありがとな。 でも、俺の命より重たい命令があるんだよ。 盧が起きたらよろしくな」
葛城手を振り解いてからその怯えている頭に力の入らない右手を置き、張り詰めた表情をほぐすように笑ってみせる。
「分かっているさ、無謀な事ぐらい。 ただ、それでも、必ず守らないといけない約束がある」
飼い主との約束とは違う、あの子との約束。
『カノンを、お願い』
我ながらあり得ない行動原理だ。 俺の根本に巣食う身に覚えのない言葉が無謀だと分かっている俺を突き動かすのだから。
覚悟を決めて元来た道を辿るが、当然周囲にはテロリストが跋扈している。 これじゃあ同じ道からショッピングモールへ戻るのは厳しいだろう。
取り敢えず周辺を見渡して何処かから侵入できないか模索していると、偶然見つけた従業員用のトイレの小窓が少し開いていることに気がついた。 しかし高さは二mを超。 普通に侵入するのは難しい。
どうしたものかと少し首を傾げていると、後方からマスクをかけたテロリストが現れた。 そう。 マスクをつけているのだ。 だったらやる事は簡単。
俺は近くにあった非常用階段に身を潜めた後、男を死角から手刀で襲い、一発で気絶させた。
「持ってるのは無線機と耳栓? あとは拳銃に弾薬。 あくまで必要最低限ってところか、身分証明書とかあればよかったが特になさそうだな……」
完全に意識を失っている男の全身を物色してから身ぐるみを剥ぎ、近くの倉庫に押し込む。
ここからは時間との勝負。 片腕だけじゃ拘束もできていないから倉庫にいるテロリストが目を覚ませば俺の存在は知れ渡るだろう。
急いで拝借した衣服に袖を通そうとした時、先程まで身体に張り付いていた鱗は綺麗さっぱり無くなっていたことに気がつく。
見間違いか? いや、そんなことは無い。 確かに俺はテロリストの忌避の目を覚えている。
何はともあれ人の姿に戻れたのは幸いだ。
撃ち抜かれて未だ止血のできていない左腕を強く握り締め、大声を上げながらテロリストが密集する非常扉の前へと赴く。
「た、助けてくれ!! 向こうで銃を持った男に不意打ちされた!!」
きっと敵も仲間が襲撃を受けている現状に当惑して心に余裕は無いだろう。
一か八かで演技をして近づいてはみたが案の定、出血も相まってテロリストの動揺が仮面越しからでも見てとれた。
「おい大丈夫か!? 何があった? おい!! 返事をしろ!! 俺はこいつを手当てするために一度中に入る!! 全員警戒を怠るな!!」
え? みんなで俺を探しに行く流れじゃないの? てか手当てしてくれるほどに人情あるの?
気を失っているフリをしているので仮面越しに目を動かす事はできても意識があるのを悟られるので不用意に首が動かせない。
一応は目的通りショッピングモールへの潜入に成功はしたが、想定外のテロリストの善意に良心の呵責をほんの少し感じた。
「お前、何無茶してんだよ」
被弾した腕に包帯を巻いてくれるテロリストは優しい口調で尋ねてくるが、ここで変に声を出せば変装していることがバレかねない。
しかしここで何も言わないのはそれはそれで不自然だし困った。
言葉を詰まらせて、考えを巡らせていると応急処置をしてくれている男は俺を一瞥した後に深いため息を吐く。
「そうかい。 ま、所詮はゴロツキのかき集めでお前にも色々と事情があるのは分かる。 だが無謀はよくねぇ。 生きてなきゃ意味ないぞ?」
陽気な口調とは裏腹に言葉の中から見え隠れする悲壮感。
英語で所々しか聞き取れない中で気がつくと俺は無意識に彼へ質問をしていた。
「生きるのはそんなにえらい事なのか?」
「ああ! 偉いね! そして幸福なことだ! 俺ぁ昔、拉致されてな。 それから世界各地をたらい回しに被検体として散々体を弄られた。 本当にクソみたいな世界だと心底絶望した。 でも、それでも生きていてよかったって思ってるんだ」
「人の命を奪った上で成り立つ人生でもか?」
「それは。 どうだろうな」
仮面をつけているから男がどんな表情をしているか定かではない。 それなのに何故だろう。 俺には彼が今にも泣きそうに唇を震わせて笑顔を取り繕っているように見えて仕方なかった。
「ありがとう。 もう大丈夫だ」
「そうか。 じゃあまた後でな」
手当てを終えたテロリストは何処か名残惜しそうに言葉を詰まらせてからすぐに自分の持ち場へと戻っていた。
「何で。 おんなじ人間なんだよ。 何で、会話が出来ちまうんだよ……」
地べたに座り込んでいる俺は少し天井を見てから背中にあるコンクリート壁に後頭部を軽く叩きつけた。 戦いたくない。 でも、立ち上がらないと。
よろめく足取りでついさっき駆け降りた非常階段を登り彼女と逸れた三階フロアへと足を進める。
別にそこにいる一之瀬がいるなんて確証があるわけもなく。 当然だがとてつもなく広いフロア内のどこに隠れてい居るかなんて分かる筈がない。 じゃあ何で三階を目指しているのか?
答えは単純で、ただ何となくそこにいる気がするからだ。 我ながら根拠もない直感を信じて死地へ赴くなんて呆れてしまう。 ここまでくると馬鹿を通り越して命知らずの自殺志望者。
まさか自分がこんな人間だったなんて、俺は俺の行動力が恐ろしいよ。
多分。 あそこかな。 彼女がいるであろう居場所へと向かう最善最短ルート。 従業員通路を抜けて向かうのは三階フロアのアパレルショップ。
「本当に、ショッピングモールでバイトしといて良かった」
歩き回っているテロリストの数は五人で一之瀬がいるであろうアパレルショップの目の前にはうち一人が立ち止まっている。
正直一之瀬がこのフロアに確実に居るという確信があるのなら三階のテロリストを全員不意打ちで排除するのも手だが現状絶対的な確証がない以上変にテロリストを間引くのはリスクが大きい。
現に俺が盧を逃した出入り口には一〇分足らずで他のテロリストが配置されていた。 まぁそのお陰でバックヤードの人員は非常に少なく三階までの移動は容易だったのだが。
何方にせよ倉庫に押し入れたテロリストが見つかるのは時間の問題。 最悪を見越して既にバレて無線を通して俺の存在がテロリストの耳に入っていると仮定して行動するのが妥当。
それ故にこれ以上不用意にテロリストを刺激すれば今捕まっている一階の人質の命にも関わってくる可能性が出てくる。
「取り敢えず行くだけ行くか」
止まらない汗を拭いながら俺は息を殺してなんとか目的のアパレルショップへと辿り着く。 直感ではコートが陳列している壁の下段に居る気がするのだが……まさかな。
期待せずに固唾を飲んで並べられたコートを開いてみると、案の定と言うか、まさかと言うか。 自分の直感に恐ろしさを感じながらそっと怯える少女に手を差し伸べる。
「迎えに来たぞ」
「せん、ぱい」
緊張の糸が解けたのか一之瀬は堰き止めていた感情を解放する様に抱きついて声を殺しながら俺の胸の中で涙を滲ませた。
「遅くなって悪かったな。 もう大丈夫って言ってやりたい所なんだがこう見えて俺も結構瀕死でな。 一応確認なんだが能力を使って姿を消すこととかってできるか?」
「一応私だけならできなくはないのですが……血が足らないです」
「そうか、良かった」
一之瀬が視線を泳がせながら申し訳なさそうに言い淀む中、俺は彼女の口を俺のうなじに押し付けて優しく微笑みながら言葉を続ける。
「飲め。 俺が囮になるからすぐに能力使って逃げろ。 外に出たら警察に事情を説明して保護してもらえ」
「いや! 嫌です! 私は先輩と一緒に……」
「大丈夫だ。 お前の彼氏を信じろよ」
根拠がない自信を誇張して、ただ安心させるためにいつもの様に笑顔を作ってそっと頭に手を乗せて撫でてあげると彼女は今にも泣きそうに目を潤ませながら涙声で俺の頸に噛み付いた。
『わかりました。 でも、絶対に死なないで下さい』
後になって思えばこの時に一之瀬は俺が自分の命を諦めていた事を察し、さりげなく人魚の力を行使したのかも知れないけどこの時はそんな事どうでも良かった。
「当たり前だ。 まだ命は惜しいからな」




