16話
親族に売られ、人権を無くしたあの日。 檻の中へ放り込まれ、服を剥がされ、まともな食事すら与えられないたったオークションに至るまでの数日の出来事。
「さっさと入れ!! この化け物が!!」
全てを諦めていた俺の檻の隣に突如として放り込まれたのは首輪をつけられた少女だった。
俺と同じように売られたのか、はたまた拉致されたのか。 詳細については知らないし興味もなかったが、同様に相当不遇な目に遭ったのは確かだろう。
「いや! 帰りたい! おうちに返して!! ねぇ!!」
鬱陶しい。 それが彼女に対する第一印象だった。 全てを諦めた俺とは対照的に感情をむき出して、助けてと張り詰めた声で泣き喚いていたのを覚えている。
「お前どこからきたんだよ?」
きっかけはただ耳障りな泣き声を止める為だった。 適当に話をしていればそのうち泣き止んで今よりは居心地の良い空間になる気がした。
「私は、私は……ーーー。 遠くの海から来たの。 あなたは?」
「俺は省吾。 宮崎から色々あって此処に」
「宮崎? 宮崎ってどこ?」
異様に日本語が達者だからてっきり日本人だとばかり思っていた。
「日本って国の南側にある場所。 君こそ遠くの海って言ってたけどもしかして外人さん?」
「私は、海で捕まって……」
海で捕まる? 何を言っているんだ? 訝しむ様に少女の方を見つめていると、世界が答え合わせをするかのように月明かりでその姿を照らし出し、闇に隠されたベールを剥がす。
鱗に覆われた身体。 尾骶骨付近から突出している龍の様に長く艶美な尻尾は光を乱反射させてその存在感をアピールする。
「海って……アルエ。 君は一体何者なんだ?」
「あ。 もしかして人間さんでしたか? すみません。 てっきり同族だとばかり……」
彼女の靡く頭髪はつい見入ってしまう程に美しく。 その色合いは晴天の空の下から雲を通して覗き込んだ霞む淡い青緑色で、柔和な目尻からは人柄の良さが滲み出ている。
「私は人魚族族長ミスライアの一人娘。 クロノ・アーリス・アルエです」
「人魚、族?」
アルエ、なんで俺は君の事を今の今まで忘れていたんだ? 間違いない。 俺は一之瀬と出会う以前に他の人魚の少女と出会っていた。
一日一食未満の投げ捨てられる残飯を貪り、揺れる海上から何度目かの月明かりを見つめて、空腹に脳を支配される地獄の日々の中、確かに君は俺の隣にいた。
あと何日、あと何時間。 あと何秒。 あと、あと……
目の前にある小窓から雲の流れを目の端から端へと瞳孔でスライドさせ、永遠のように続く停滞した時間の流れを視覚で認識する日々。
「ね、もしここを出られたら、、、、」
適当な相槌しか打たない俺を大層気に入ったのか、アルエはいつものように俺の手を握って寂しさを紛らわせるように夢物語の希望論を語りだす。
「あぁ、そうだな」
最初は耳心地の悪かったその声も自ずと心地よく感じ始めて、やがて俺は彼女の夢物語に混ざる様になっていた。
あれをしよう。 これをしよう。 あれじゃダメだ。 なら一緒に……
絶望の中の幸せ、なんだかんだ俺は幸せだったんだと思う。 語る未来への希望、愛おしく感じる彼女の笑顔、本当に運命を感じた。
ずっと一緒にいたい。 いつしか思考回路は馬鹿で無邪気な夢物語に犯されていた。
「大丈夫! 絶対に此処を抜け出して世界を旅しよう!」
「うん! 約束だよ!」
握り合った手、誓った約束が履行されることは永遠に訪れない。
何故ならあの乾いた発砲音が彼女の声を世界から奪ったから。
「君を。 守らないと……」
現実と過去の記憶を頭痛という名のスプーンでぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような最悪な感覚。 左手で髪の毛を握り締めてなんとか一之瀬に状況を説明摩る為に声を絞り出す。
「……わかりました。 今だけは先輩に従います。 でも、ちゃんと後で説明してくださいね?」
そう言って突然勢いよく抱きついてきた一之瀬が俺の耳元で優しく甘い声を囁けば、途端に全身の震えと頭痛がピタリと止まり我に返った。
「わかったよ。 約束だ」
俺の手を強く握り締めた一之瀬と走り出して数刻、如何やら俺の判断は遅かったらしい。 息を呑む光景、後方から雪崩のように押し寄せてくるのは血走った目の有象無象の人波み。
「急ぐぞ!!」
「うん!!」
急いで出口の方へと向かうがヒールを履いていた一之瀬は全力で走ることができず、呆気なく人混みへと呑み込まれて強く握っていたはずの手は簡単に解けてしまう。
「先輩!!」
「クッソ!! 一之瀬!! 」
完全に見失った状況下、嫌な予感に焦りながら必死で一之瀬の名前を叫び続けていたその時、胸元に柔らかな感触を感じ、視線を下げるとそこには見覚えのある姿があった。
「お前、盧か?」
「省吾くん!? なんで!? 一之瀬さんは?」
盧の言い方からして今日、俺と一之瀬がショッピングモールに一緒にいた事がバレてる感じか。 あれ? そう言えば俺たちが歩いていた後ろから盧が流れてきたかような。
「逸れた……てかなんで一之瀬がいたことを知ってるんだ? もしかして会ったのか!?」
肩を強く握りしめて俺が差し迫った表情で凄むと、盧は申し訳なさそうに首を振り、動揺した勢いで全てを話す。
「えっ、あの、会ってはなくって。 その、二人がデートしてるの見つけて……ちーちゃんと一緒に後ろで見てて、」
なるほど。 つまり四時間かけても見つからなかった理由は盧と葛城が俺と一之瀬のデートをつけていたからで、尾行する予定が尾行されていたのか。
「あー大体察したわ。 それで葛城は?」
「省吾くんと一緒でこの人混みで逸れちゃって……ねぇ、さっきの銃声だよね? 私たち死んじゃうのかな?」
「大丈夫だ。 絶対に」
その場で泣き出す盧を慰めるように優しく抱き寄せて頭を撫でて宥める。 盧が取り乱すのも無理ない、本来テロに巻き込まれるなんて宝くじにでも当たる程の低確率な非現実だ。
俺だって両親がテロに巻き込まれただけで実際に遭遇するのは初めて。 今気丈に振る舞えているのも盧が目の前にいるからで、冷静さを装ってはいるが思考は錯乱している。
飼い主が言っていた色んな輩が襲ってくるという言葉の意味はきっとこの状況を示唆していたのだろう。
だとしたら下で発砲した連中の目的は人魚である一之瀬か。 連中が一之瀬を見つかる前に探し出して守ることが現状における最優先事項。 しかし、だからと言って目の前にいる盧をほっとく事もできない。
どうすればいい? どうすれば? 盧と一緒に一之瀬を探すか? いや、この場での集団行動は危険だ。
確実に守れる自信がないのに盧を連れ回すのはリスクが大きすぎるし、仮に一之瀬を見つけたとして三人で占領された建物から脱出するのは不可能に近いだろう。
喧嘩で培ったのは近接戦のみで相手が銃を持っている以上、守れても一人が限界。 いや、そもそも守れるのか? ただの一般人である俺が?
不安と焦りで思考がまとまらない中、不意に思い出したのは一之瀬と夜の海でした約束だった。
『私を信じてもし周りに人がいたら人の命を優先してください。 そしてその後私を見つけ出してください。』
なんの根拠もない彼女の言葉が、何故か思考にプログラミングされた様に俺が今なすべき事を決定付ける。
仮にも一之瀬は人魚で特殊な力を持っているから最悪テロリストに遭遇しても時間稼ぎ程度は出来るだろうし、運悪く捕らえられたとしても人魚なんて特別な存在、死体よりも生捕を優先するに決まってる。
「安心しろ。 俺がついてるから、取り敢えず安全なところに一緒に逃げるぞ」
ならば今は盧を逃がすことが最優先だ。
これ以上迷っている時間はない。 テロリストはまず警察との交渉材料に人質を取るだろう。 しかし、ここはショッピングモール。 統率の取れない大勢の人質を取ることはかえってテロリストにとってリスクになる。
なら奴らがまず行うとすればショッピングモールの出入り口の封鎖と、一般人の間引きだ。
俺がテロリストなら人の目を一番集めるショッピングモールの正面出入り口に人を配置し、逃げ惑う数人を見せしめとして射殺。 そうすれば店内に残された人々はこう思うだろう。 逃げればと死ぬと。
これなら大勢を恐怖で従わせる事ができ、尚且つ数も減らせるまさに一石二鳥だ。
となれば一番安全性が高い狙い目は従業員出口。
「待って! ちーちゃんが……」
「葛城がこんなことで怖気付いて動けなるやつだと思うか? あいつはタフだから安心しろ。 それに葛城のことはお前が一番よく知ってるだろ? だったら親友を信じろよ」
これ以上の混乱を防ぐために優しい口調を意識して励ますと、盧は何も言わずに泣きながら静かに頷き、俺はそんな彼女を横目に強引に手を引いて近くの従業員専用通路へと逃げ込みバックヤードを駆け抜ける。
「なんで、助けてくれるの? 私、あの時、省吾くんを裏切ったんだよ」
「知ってる」
「だったら!!」
そこまで言いかけた盧の方を振り返り、俺は間髪入れずに彼女の頬を打って憤りを抑えながらその愚痴愚痴と甘ったれた弱音を吐く盧を睨みつけて近寄る。
「だったらなんだ? 一之瀬を助けるために盧を見捨てろって言うのか? 無茶言うなよ。 俺はお前に助けられた恩を返してないし、何よりお前のことを大切に思っている」
「でも、私……省吾が周りに裏切られて、傷つけられてたことを知ってた。 知ってたのに……」
「今更御託を並べて許しなんて乞うな。 過去は何も変わりゃしない。 俺は俺の気持ちを優先して、盧は盧の気持ちを優先した。 だったら胸張って生きろよ。 お前が何を思ってるかなんて知りたくないけど、ただ俺はどんな結果になっても良いからお前に気持ちを伝えるために呼び出した。 それだけだ」
「わた、私は、あの時……」
「もう良いから。 今は生きることだけ考えろ。 お前は死ねば悲しむに人がいっぱい居るんだからな」
今にも泣きそうな瞳を潤ませた盧の手を俺は一瞥すらせず再度強引に引っ張って止めていた足を動かす。




