15話
ここはとある喫茶店。 俺はストローを口に咥えてグラスに注がれたアイスコーヒーを飲み干し、背もたれに全体重をかけてアンティーク調な内装を眺めていた。
俺の認識が間違っているなら謝罪しよう。 ただ改めて誰か教えてくれ。 これって盧達を尾行するのが目的なんだよな? 別に喫茶店で一之瀬の百合に対する熱弁を聞く集会とかじゃないよな?
入店してかれこれ一時間は彼女の愚痴を聞いている気がするのは俺の気のせいだろうか?
「でねでね! そもそもの入りはBLだったんだけど。 私は思うんだよね。 男と男を重ね合わせる時って何処かで男がメスになるところがあるんだよ。 最初はそれでも楽しめたんだけどふとした時に彼が彼女でない理由が女性のエゴなんじゃないのかって悟ってしまった訳」
「あぁ。 BLってボーイズラブの略だったのか。 そのBLからGL……ガールズラブ?への転身した理由がBLを読んだときに感じていた女性のエゴだったってこと?」
話の節々から彼女の略語を推測してその意図を汲み取ろうと努力するが如何せん早口で語る物だから要約が間に合わず頭がバーストしそうになる。
「そう!! さすが先輩は頭の回転が早いねぇ! 私はね、女の喜びは女が享受する物だと思うわけ! 男に感じさせていろんなシチュを楽しむのって結局女だと可哀想だとか、そんな勝手な理由じゃん! 知るかっての! 女なら女であることを愛して謳歌しろよってね!」
「それでGLに走ったのか」
「そ! 私は、、女なの。 女であることに誇りを持ってるから女を否定するのも、女である事を盾に女を肯定するのも、男に押し付けるのも嫌。 ただ、だからって男が女に性癖を押し付けるのも大っ嫌い」
再度ストローに口を付けて少し考えてみた。 確かに一之瀬の言わんとしている事はわかる。 世に出ているほとんどの恋愛作品は男が執筆した男女の恋愛漫画、小説がメインだろう。
結局は男の妄想に過ぎないし偏っているのは否定できないと思う。 完全に偏見だが少女漫画がほとんど話題にならない世の中、男の妄想に踊らされる女が気に入らないって結論に至るのは多少なりとも納得できる。
「じゃあ女同士ならいいのか? 結局そう言ったジャンルって男が書いてるから男女の恋愛漫画とかとあんまり変わらないんじゃないのか?」
「それは少し違います。 GLは恋愛に近い友愛なんですよ。 友情を含んだ親しさの上位互換。 邪な恋愛を描くなら基本万人受けする異性同士の恋愛を選ぶでしょ? ただそれでもGLを書くのはきっと、幻想、、夢をみたいんだからだと思うんです」
一之瀬はソフトドリンクを口につけてから意味深に視線を横に逸らす。
「だから私はGLが好きなんです。 夢は、夢のまま、綺麗なままでいいじゃないですか。 大切な親友を親愛で接して後悔ないように綺麗事で終わらせても何も悪くはないじゃないですか」
「そうか。 確かにそうかもな」
意味深な発言とともに表情を曇らせる一之瀬の隣でこれがデートなのかと疑問を感じながら、摩訶不可思議な恋と愛を培い人類がこれまで繁栄して来た奇跡に拍手喝采を送りたくなる。
目にも見えない相手の心情を理解して寄り添う行為は一種の幸運なのではないのだろうか。 疑い、裏切られ、それでも人を何処かで信じていられるのは環境によるもの。
いいな、羨ましいな。 そう言って独り指を咥えながら幼い自分の分身が瞼の裏側で何度も呟くのだ。 そしてそいつが現れると俺は何度も心で呟く。
そうだよな。 俺だってこんな猜疑心がなければきっと迷う事なく人を愛せていたのだろうからと。
瞼の裏側にはいつだってもしかしたらが見えているのに、瞼を開けたその先にはいつだって今しか映らない。 それが現実だ。 分かっている。 なのに未だに後ろの分岐点ばかりがチラつくんだ。
もしもあの時、あの場所で、ああ言っていればなんて。
「一之瀬はさ。 後悔してることすら綺麗な過去って割り切れているのか?」
ストローでかき回す氷だけが残ったグラス。 喫茶店のドアベルがカランと音を立てて新たなお客と外気温を店内に呼び込むと、少し溶けた氷が共鳴するように音を鳴らす。
「そんなの、無理に決まってるでしょ。 だから綺麗事が好きなんじゃないですか」
「そうか。 確かに、そんなものなのかもな」
「そんな物なんですよ! 人が何かに縋る習性があるように人魚だって同じ感性は持ち合わせていますので覚えておいてくださいね」
「わかった。 覚えとくよ。 それにしてもお前が恋愛を教えると豪語していたから少し疑っていたが、一之瀬も色々な経験をして今の結論に至ったんだよな。 凄いと思う、尊敬するよ」
「…………ん?」
純粋に尊敬している気持ちを伝えると、一之瀬が間の抜けた表情で視線を逸らしてストローを啜りだす。 あれ?もしかして俺の勘違いで人に教えられるほどの恋愛経験はないのか?
頬を少し赤めた一之瀬の挙動不審な様子から察するに何か隠している気がする。
思い返せば一之瀬自身が自分の可愛さを自覚した上で人に好まれる態度をとっているのは見て取れたが、今日容姿を褒めた時の動揺っぷりからしてもしかして異性と付き合った事はないのではないのだろうか?
少しきな臭くなり訝しむような視線で彼女を見つめる。 一之瀬が人に好かれる能力を持っているのは確かだ、それは断言できる。 しかし当然だが人に好かれる能力があってもイコール恋愛経験があるとはならない。
「つかぬ事を聞くがお前って誰かと付き合ったこととかあるの?」
追加で注文していたコーヒーが到着し、味わうように少し口に含んでから軽く飲み込み質問をする。
「あるわけないですよ? 私には許嫁がいますし、そもそも陸に上がって来た時点で異種族との交際なんてあり得ませんから」
しれっと悪びれる様子もなく語る一之瀬は俺のコーヒーと共に運ばれてきたパフェを嬉しそうに一口頬張りならが答えた。 最初は少し問い詰めようと考えたが彼女の可愛らしい表情を見ると責め立てる気も失せる。
「断言できるほどにあり得ないのか」
異種族との交際。 一之瀬の親が国の中核を担う大企業の社長である事を鑑みれば人魚という存在が既に人間社会へと溶け込んで世界を牛耳っているのは想像に難くない。
彼女達人魚族にとって人間は世界を脅かす劣等種程度の認識なら交際に発展しないのも納得できる。
きっと人間がチンパンジーと交わらないのと一緒で大元の祖先が同じだとしても人魚からすれば人は恋愛対象とは別の存在なのだろう。
「お前、よく俺に恋愛を教えるなんて豪語したな。 ビックマウスにも程があるぞ」
「そこは私の知識で補います!」
「無理があるだろ。 そんな漫画やアニメで仕入れた知識は活用できます的なスタンスでこられても困るし、そもそもの説得力が皆無なんだよ」
「そんなに頭なでなでしないでください!」
可愛らしく頬を膨らませて不服そうにする一之瀬に対して笑いながら頭を撫でて接すればその度に許嫁のいる現実が胸をチクリと刺す。
「悪い悪い。 あれ? そう言えばあの二人どこ言った?」
「ふふーん! 任せてください! 私のレーダーは正確なので! あの、それよりも先輩。 先輩は今日のデート、楽しいですか?」
急に潮らしくなった一之瀬が神妙な面持ちで口元まで運んだスプーンを止めて視線を落とす。
普通ならここで気の利いた台詞の一つでもいうのが正解なんだろうけど、ここで助長するような発言をすれば調子に乗って次のデートを提案されかねない。
マグカップに残ったコーヒーを啜って、少し間を開けてから躊躇う本音を吐露する。
「尾行が楽しい訳ないだろ。 こんなにも可愛い彼女とデート出来るんだから俺はもっと甘酸っぱくってイチャイチャするようなのを期待してーー」
カップを置いて愚痴を吐く俺の言葉がさぞ気に入らなかったのだろう。 一之瀬は食べかけていたイチゴパフェの生クリームが乗っかったスプーンを俺の口に無理やり捩じ込み黙らせる。
「美味しいですか?」
温もりが残ったスプーンの熱で溶けた生クリームがイチゴソースと混ざり合い俺の口の中でじんわりと広がり自然と喉を通る。
「甘酸っぱいな」
赤面しながら精一杯の目で睨みつける一之瀬と視線が重なって心臓が一気に跳ね上がる。
「先輩が望んだでしょ? ふふ、可愛い」
仕返しと言わんばかりにご満悦そうな彼女は大袈裟に口を開き残ったパフェをそのスプーンで食して舌鼓を打つ。
本当に敵わないな。 悶絶しながら両目を閉じて頬に手を当てる一之瀬の姿はこれ以上にない程幸せそうで、誰かと囲む食卓の懐かしさに多幸感を覚え、気がつくと無意識に頬が緩んでいた。
「何ニヤついてるんですか? もしかしてもう一口狙ってます? あげませんよ?」
頬杖を着いて愛おしそうに見つめていた俺の視線がパフェを狙った物だと勘違いした一ノ瀬が、食い意地を張って変な警戒をしてくる。
「いらんから早よ食え」
柔和な口調で急かす俺に疑念の眼差しを向ける一之瀬。 食後の会計はもちろん割り勘。 半分は払えと言った時の一之瀬は少し不満そうだったがこれでも頑張って捻出した大金だから寧ろ感謝して欲しい。
毎月飼い主から支給されている生活費を節約してコツコツと貯めた貯金が一瞬で財布から飛んでいくのは心苦しいがこれも勉強代だと割り切って支払いを済ませて外に出た。
「先輩ってケチなんですか?」
「ケチじゃねぇ。 貧乏なんだよ。 てか盧と葛城の姿を完全に見失ったが本当に大丈夫なのか?」
「もちろんです! まぁ一〇分後には見つかってますからご安心を!」
ほんとかなぁ。 未だにその謎の自信に疑念を感じながら、取り敢えず本人が問題ないと言い切る自称アホ毛センサーを頼りにショッピングモールを歩き回った。
洋服を選んでみたり、クレープを食べたり、一之瀬は必死に盧と葛城を探してる雰囲気を醸し出していたが俺からすればただデートしていただけの様な気がする。
「結局四時間経ったが見つからなかったな」
気がつけば夕暮れ、よくわからないデートは終盤に差し掛かっていた。
「いえ! 絶対に彼女達はこの付近にいるはずなんです!」
「それ何回目だよ! てか一之瀬こっちみ?」
近くで買った屋台のクレープを頬張っている一之瀬は自分の口元についたソースに気が付いていない様子だったので、仕方なく持っていたハンカチを彼女の口元に添えて拭ってやった。
「せっかく可愛いんだから気をつけろよな」
突然過ぎて驚かせてしまったのだろう。 一之瀬は顔を真っ赤にして、な、という一言を連呼しつつ一気に後退りして距離を取り、かと思えば次は近づいてきて俺の口元に自分のポケットから出したハンカチを押し当ててきた。
「仕返しです」
「お、おぉ。 さんきゅ」
「「…………」」
近づく顔、吸い込まれるように美しい青い瞳とその中に咲く一輪のピンクの瞳孔。 このまま唇を重ねそうになると一之瀬はくすくすと冗談ぽく苦笑いをする。
「期待しました?」
「お前なぁ」
「あー暑い暑い」
不格好な作り笑いをした後に、相当恥ずかしかったのか両手で頬を扇いで動揺を見せる。
「自分からやっておいて恥ずかしくなるなよ」
「先輩だって動揺してるじゃないですか!」
「当たり前だろう。 お前みたいな美少女にここまでされて意識するなって方が無理があるだろ」
正論を言い放つ一之瀬に対して俺も強がって言い返すが、どうやら反射的に返した俺の言葉が一之瀬にとって会心の一撃だったみたいだ。 その場で開いた口を波打たせながら目を潤ませて静止してしまう。
「先輩のばか!! この女たらし!!」
「誰がバカだ! この男たらし!」
「先輩は!! 本当に!! 本当に本当に本当に!! もぉ〜〜〜!! もぉ! 今日はこれ以上近づいちゃダメです!!」
苦悶した様に地団駄を踏みながら、歩幅一歩分の距離を取ると謎の境界線を敷いて拒絶される。
その後はお互い意識しあって会話が続かないまま、付かず離れずの距離感を保ちショッピングモールを意味もなくただ適当に歩き回った。
距離を取られているのに気まずく無い沈黙は微睡のような心地よく、この時の俺はいつもなら人混みに嫌気がさす外出も一之瀬とだったら案外悪くないかもしれないなんて分不相応にも人並みの幸せを噛み締めていた。
諦めかけていた人並みの幸せと人並みの人生。
不自由の中にある自由をほんの少しでも触れた矢先、幸せは一瞬で絶望へと誘われる。
そうか。 そうだよな。 だって俺の人生だもんな。 きっと神様はこう言っているんだ。
そんな幸せ(もの)お前には無用の長物だって。
空気を揺らすパンっと乾いた発砲音が鼓膜を揺らし、吹き抜け構造の商業ビルに遅れて香る硝煙が鼻腔の奥を燻れば、夢の終わりを脳が瞬時に理解する。
「なんの音ですかね? って! えちょっと!! 先輩?」
何が起こったのか分からない様子の一之瀬は不思議そうに人差し指を顎に当ててあざとく反応する。 きっと何も知らない、聞いたこともない人間からすれば何かのイベントでも始まったのか程度なんだろう。
全身から噴き出す汗と震える手、恐怖を隠しきれない本能に突き動かされた俺は周囲の視線など全く気にせず一之瀬の手を握りしめて一目散に走り出す。
間違いない。 俺はあの音を知っている。 だってあの音は……
『ありがと、生きてーー』
まただ。 また知らない記憶が激しい頭痛と共に突発的に現れて俺の思考を邪魔する。 なんでこんな重大な時に限って平衡感覚を狂わせるんだよ。
急がないと取り返しがつかない事になる。 分かっている。 わかっているのに走り出した足が絡まってまともに前に進めない。
気がつくと周囲はその異常を察知したのか騒めき立ち、錯乱した人々の悲鳴が伝播して平穏の終わりを告げる。
「たい……先輩痛いです!!」
一之瀬が無言で取り乱した俺に対し、怒号似た言葉を言い放ち、腕を振り解いてから両手で俺の両頬をパチンと叩いた。
「何が起きてるのか、知ってるなら説明してください!!」
振り返ったその時、俺が握っていた彼女の左手首が縛られた様に鬱血していることに気がつき、少し理性を取り戻せた。
「先輩。 説明してくれないとわかんないです」
「逃げるんだ……」
「それはわかりますが、一旦落ち着いてください」
俺の手を両手で優しく握り込む一之瀬は気丈に振る舞いながらも体を震わせていた。 当然だ。 デートしていた男が突然自分の手を引っ張り走り出したら怖いに決まってる。
改めて深呼吸をした後、平常心を装って一之瀬を不安にさせないよう最大限の努力をして懇願する。
「分からない。 でも……あの発砲音は本物だ。 何度も聞いた、何度も。 聞き間違えるはずがない。 だから、頼む。 今だけは信じて付いて来てくれ」
たった一発の銃声でこじ開けられた忘れたふりをしていた記憶の蓋。
『生きて。 生きて。』
銃声によりフラッシュバックするのは意識の彼方へと忘却された筈の泡沫の記憶。




