93 その頃オコンネル辺境伯領では2
「分かりました。でも、お兄様のご不在は、不安です」
マリーが眉を曇らせる。まだ弱冠14歳なのだ。
「安心しろ、完全な俺の代わりなど期待はしていない。お前はいつもどおりにしていればいいさ」
政務の実務をしろというのではない。それでも留守を伝えたのは、血縁だからだ。
「はい」
少しだけマリーの顔が明るくなる。
「とりあえず情勢は落ち着いている。今のうちにハロルドと連携を取れるようにしておかねばならん。長い目で見れば、必ず必要になってくる。ハロルドたちとの繋がりはな」
ベリーは指で机を叩きながら告げる。
(もし、王家とコトを構えるのなら)
税の減免も助勢も無い。腐りきった国など、このオコンネル辺境伯領には不要だ。同じ思いの北方領主がほとんどではないか。
中央も南も当てにならない。腐り切っている。
連携をするのなら北だ。
(北対南という構図を作り上げなくては、な)
束の間であろうと、平穏になりつつある時間を無駄にすることは出来ないのだ。
「カドリ様がいらっしゃるのなら、魔物への対処をハロルド伯爵閣下たちに、お願いできるのでは?」
そこは無邪気にマリーが言う。カドリへの好意も滲む言葉だ。
(奴もそう単純ではない)
悪い男ではないのだが、政治的信条があまりにも保守的すぎる。日々の言動からも政治的には王家寄りであることが明らかであり、行動の根底にはヘリック王子や王家への配慮が間違いなくあった。
『既に国はあるのだから、混乱は不要だ。民を犠牲にするだけだ』と何度、言われたことであろうか。学生時代からのやり取りをベリーは思い起こしていた。
(いざ、俺たちが王家とコトを構えれば、奴は間違いなく国を、その形を守ろうとする)
ベリーは腕組みしていた。その場合はあの強力な魔獣たちを操るカドリを敵に回すことにもなり、戦う事となるかもしれない。
(逆にカドリのことを考えれば、魔窟が強力であり、そちらへがかかわずらっている内に、国を打ち倒してしまうべきなんだが)
ベリーとしては悩ましいところなのであった。
北方領主の中では、中央に不満を持つものがほとんどの中、唯一、中立的なのがハロルドなのである。それは忠誠心というよりは、日々の仕事にいっぱいいっぱいで反抗心を持とうという発想すら、領主のハロルドに無いだけだとベリーは思っていた。
(きちんと説得すれば、ハロルドの奴はどうとでもなる。奴も苦しいだろうからな)
よくも悪くも単純で素直な男なのである。
「お兄様?」
知らず長考していた。
マリーが訝しげな顔をする。14歳の妹にはまだ、将来的なカドリとの訣別は話せない。
(グズグズしていると、お前を人質に取られかねんからな)
ベリーはチラリと思う。
容姿も可愛らしいマリーである。ヘリック王子の目に止まればどうなるか分からない。兄馬鹿かもしれないが危惧してしまう。
「いや、お前にも苦労をかける。兄としては心苦しい限りだ。お前の笑顔にどれだけの兵士たちが救われたか分からん。こんな情勢じゃ、人に笑顔を見せるだけでも大変だろう」
ベリーは思っていたのとは、また別な言葉を妹にかけた。本音と言えば本音なので、嘘とはまた違う。
「そんな。急にそんな優しいことをおっしゃられても、戸惑ってしまいます」
はにかむようにマリーが笑う。
家令や腹心の騎士も残していくから、実務においてマリーが困ることはない。父母もこの娘のためにも駆けつけてくれる手筈となっていた。
(カドリと対立することとなれば、マリーも落胆するだろうが)
ベリーとしては、古い友人についてもまだ、見切りをつけていない。
説得するのは無理でも戦わずに済ませることは出来るのではないか。
(だから、ムカデの女王とやらにも会っておきたいというのもある)
カドリ抜きで、しかし、軍勢まで従えているというのは別の才覚を持つ女性だとベリーには思える。
(それに、なぜだか気にかかる)
貴族でもないであろうに、軍勢を従えているというのが、なんとなくベリーの気に入っていた。
(あの槍使いやムカデの女王とやらを、こちらに引き込むことが出来れば、案外、カドリも意思を変えるかもしれない。奴は同胞を大事にしているからな)
カドリ本人と違って癖のない槍使いのこともベリーは思い起こす。分かりやすい人柄に見えた。
自身の同胞だという面々からも説得されれば、カドリも揺らぐのではないか。今までは思いつくこともなかった選択肢だ。これまで人間の同胞などカドリにはいなかったのだから。
(さすがに蜘蛛やムカデの説得は最初から不可能だからな)
カドリ不在というのはカドリの留守居役を懐柔する、この上ない好機でもあった。
「俺はムカデの女王とやらが気になってしょうがないんでな」
ベリーは笑って告げ、妹の凍りついた表情に気付く。
「え、女性にまるで興味を持たない、お兄様が?そんなおぞましい渾名の女性に惹かれるだなんて」
マリーが何やら誤解をしているようだ。年齢が年齢だからなのか、それとも本人の性格なのか。何でもかんでもそういうことに結びつけがちであることを、ベリーも失念していた。
「そうじゃない」
ベリーは否定し、しかし、思い直した。
「だが、この土地で使い物にならん、やわな貴族のご令嬢などよりは、余程マシかもしれんがな」
魔窟との戦いに明け暮れてきた日々を思い出し、ベリーは告げるのであった。




