92 その頃オコンネル辺境伯領では
カドリの向かったハロルド伯爵領が粘り強く持ち堪えている。それ自体は驚くには当たらない。予想の出来たことだ。
それどころか襲来する魔物たちに対し、攻勢に転じつつあるという報告もあった。それでもなお、驚くには当たらない。
(カドリの助勢というのは、それほどのものだ)
軍勢を差し向けるよりも、余程の助けになる、とベリー・オコンネル辺境伯は思っていた。オコンネル辺境伯領も比較的、一時よりも落ち着いている。今は、執務室で各所からの報告を取りまとめていた。
落ち着いているとはいっても、自分は忙しい。報告に目を通せるのは日が暮れてからだった。夜の闇が城の外を静かに包みこんでいる。最前線では静かさとは程遠い情勢だというのに。
(だが、だいぶ状況がマシになった。一時的かもしれんが)
自身ですら武器を取って戦っていたところ、ハロルド伯爵領が攻勢に転じたからか。オコンネル辺境伯領まで魔物が減った。
「ズカイラーに続き、ヘイムウッドまで撃破するとは」
ベリーは報告書に目を通して嘆息する。
ともに巨大で強力な魔物だ。カドリ抜きのオコンネル辺境伯領の方に来ていたなら、どうなっていたか分からない。
(それだけ、強力な魔物が出てくるぐらい、瘴気が酷いということでもある)
ベリーとしても、なおマシになったとはいえ気を抜ける状況ではない。
「ムカデの女王、か」
2大魔物撃破について、最大の功労者なのだという。カドリ抜きでの偉業ということで、これによりベリーはカドリ不在を知ったのである。
(本来なら、国を代表する魔術師の偉業だが)
地方に眠っていた、というには、余りにも強力過ぎる。
レアンという名らしい。頼りないハロルド伯爵に代わって、北の戦線を一手にまとめ上げた手腕も異常だ。騎馬、歩兵併せて数千単位の軍勢を率いているとも報告が来ていた。
(妙齢の女性で、それは美しいとも噂されているが)
あだ名があだ名である。ベリーも想像するに、ついムカデの顔をそのまま思い浮かべて魔術師に当てはめてしまうようなザマだ。
(これだけ人を惹きつけるのだ。そのままムカデというわけもあるまいに)
ベリーは苦笑いを浮かべてしまうのであった。
「カドリとは別にそんな人間が眠っていたと?いや、カドリが一枚噛んでいると考えるほうが自然だ」
ベリーは声に出して呟く。カドリが見出した人材ということなのだろう。ムカデというのも、いかにもカドリの使う魔獣を思わせる。
遠慮がちにノックの音が響く。
「お兄様?夜分に申し訳ありません」
妹のマリーが呼びかけてくる。自分が呼びつけていたのだ。謝るには当たらない。話しておかねばならないことが幾つかあるのであった。
「入りなさい」
ベリーは許可した。
黄色いドレス姿の少女が執務室に入ってくる。華奢な体格のどこに自分と同じ武骨な血が流れているのかと。疑問に思うほどだ。
「お兄様、こんな時間まで。根を詰め過ぎではありませんか?」
眉を曇らせてマリーが言う。
明るく闊達な性格と負傷した兵士の治療に勤しむ姿から『オコンネル辺境伯領の太陽』とも称される少女だ。
(しかも、それだけじゃない)
マリーの作ったスープには不思議な力があると噂されていた。主に炊き出しを受けた兵士たちの評判である。
(だが、聖女でもなんでもない、娘のはずだからな)
単純に料理が美味いというだけのことかもしれない。
ベリーは思い直すのであった。
「お兄様、お夜食でも、召し上がってくださいね」
手に盆をマリーは持っていた。湯気の立つスープの皿が載っている。
「ありがとう。いただくよ」
ベリーは微笑んで立ち上がり、盆を妹から受け取った。
机に戻ってスープを食べ始める。野菜を煮込んだもののようだ。確かに体の内側から力がこみ上げてくるような感じを受ける。
(馬鹿な。ただ空きっ腹にモノが入って、温かくなっただけだ)
ベリーは自ら馬鹿げた感慨を打ち消した。
「俺は、ハロルド伯爵領へ向かおうと思う」
ベリーは妹を呼びつけた本題を切り出した。
特に許可を得るでもなく、来客用のソファに妹が腰掛けている。
予想はできていたのか。特に驚いているような様子は無い。ただ瞳には不安が覗く。揺らぐような光が見えた。
「大丈夫だ。父上と母上もお元気なのだからな」
ベリーは笑って告げる。数年前に領主を引退し、オイレン城よりも南方の城で静かな暮らしを送っていた。
オイレン城付近にまで魔物が至れば、特に依頼をせずとも防衛のために立ち上がるだろう。
(だが、そこは既にこちらから事情は説明してあるんだがな)
さすがにマリー一人に、領主としての責務を丸投げするわけにはいかないのであった。
(まだ幼いながら、民からの人気が高いのは良いんだが)
自分との血縁ということを別にしても、『オコンネル辺境伯領の太陽』と呼ばれるだけのことはあった。
(それは、俺の後ろ盾があってのものだったが。留守となれば、それはなくなる。それでもマリーがこの情勢でどれだけ保たせられるかは未知数だ)
ベリーも領主として、無責任なことは出来ないのだが。
それでも自分には西へ向かうべき理由があるのであった。




