9 魔物迎撃
カドリにはどうやら、魔力を声に乗せて聞かせた他者を扇動する能力があるようだ。相手の意志を操るのだから恐ろしい能力なのだが。
(それもほんの触りだって)
アレックスは、祭壇の上で歌いながら舞うカドリを眺めて思う。
自身もまた魔物への憎悪や闘気がこみ上げてきて、今にも暴れ出したくなったのだった。抗おうとしたところ、頭にガクンッ、と揺すぶられたような衝撃を錯覚したので、流されたほうが身体には優しいのかもしれない。
アレックスは自らも白塗りの槍を手に取って、柵の方へと向かう。なんとなく機の熟してきたきたような、いよいよだ、という感じがする。
(不思議な人)
アレックスはカドリについてちらりと思う。
別に問答無用で兵士や村人たちを意のままにすることも出来るのではないか。
それでも一応は説明し、納得させようとしてから術を使っていた。
「雨乞いだなんて、信じられない。雨とは関係ないじゃない」
アレックスは独り言を呟く。雨を呼ぶべく歌と舞を磨いたことで得た、副産物とでも言うのだろうか。
柵に張り付いている兵士たちも、後ろで援護すべく構えている村人たちも高揚している。
兵士は剣と盾を装備して前衛を務め、後方では村人たちが弓や投石を準備して集まるという布陣だ。
「来るなら来いっ!」
兵士長のヒールドが剣を振り回して叫ぶ。呼応して他にも数人が雄叫びを上げる。何度も繰り返されてきた光景だ。
(カドリ殿の術の以前はもっと冷静な人に見えたのだけど)
ヒールドに限らず異様な熱気の中にある人々を横目にアレックスは思うのだった。
村の中央からは絶えずカドリの歌声が聞こえてくる。まるで誰かを呪ってボソボソと呟いているような調子なのだが、なぜだか耳には届き、頭の中へと侵入しようとしてくるのだ。
(歌なの?これは)
魅了されたかのようにうっとりと、時折カドリの方を見やる人々に、アレックスはゾワリと寒気を覚えた。
槍を持つ手に意識を集中させて自我を保つ。
自分も頑固さを捨て去って抵抗をやめれば、皆と同じ高揚の中に身を浸らせることが出来るのだろうか。それはそれで悍ましくも甘美なものに思えた。
「その方が楽なのかもしれないけど」
呟くのと同時だった。
「魔物が来たぞぉっ!」
右の方から誰かが叫ぶ。
カドリが戦意を高揚させていたのは、このためなのだ。
敵の襲来を喜ぶかのような雄叫びが地を震わせる。
(ちょうどいい)
こちらは戦意も集中力も十分に高められている。
如何にしてカドリがこの頃合いを測っていたのか、チラリと気になるものの、すぐにアレックスは頭から振り払った。
もう戦うのだ。
柵の向こう、くすんだ灰色のうさぎ型魔物の群れが姿をあらわした。背中に甲羅を持ち、牙も生やしており、本来のウサギの持つ、愛玩動物のような可愛らしさはどこにもない。
(カタウサギの群れ)
岩のような甲羅、土属性の魔物だ。甲羅は防御だけではなく、攻撃にも活かされる。丸まって体当たりをしてくるのだ。
集団であらわれると厄介な魔物だった。岩の弾丸による攻撃が連続して襲ってくるようなものだからだ。木製の柵など、初撃を防ぐくらいにしか役立たない。
あっという間に柵を砕かれ、折られてしまう。
「突撃だぁっ!」
兵士長ヒールドの号令一下、兵士たちが怯まずに柵の内側から飛び出していく。
アレックスも打って出た。
「うおおおおっ」
兵士たちが盾や柵の残骸で突進を防ぎ、着地したカタウサギから順に片付けていく。
甲羅を物ともせず、難なく仕留めているように見えた。
「しっ!」
アレックスも突き出した自らの槍が、容易くカタウサギの甲羅ごと貫いたことに驚く。柄まで聖銀で出来た槍であり、もともと魔物には有効ではあった。
(それでも、今まではこうはならなかった)
カタウサギの甲羅ごと貫くなどという荒業は出来なかった。今までは苦労して甲羅以外の急所を狙っていたのだ。
しかもまぐれではない。次々と自分はカタウサギを甲羅ごと容易く仕留めている。
「故に私は黒い雲を呼ぶ」
ゾワリとカドリの歌が耳に侵入してくる。
敵の魔物があらわれてなお、カドリが変わらず歌い続けていた。
不思議と力が湧いてくるような気がして、アレックスは更に連続して、全力の突きを放つ。
(そうだ、敵が脆くなるわけはない。私の、今、出している力が異常なんだ)
兵士によっては、有り余る力で甲羅を叩いたせいで、剣がボロボロの者すらいた。自分の槍だけは高級なだけあって、力を篭めれば篭めた分だけ応えてくれる。
身体が思ったとおりに、いや、思っていた以上によく動く。
数十匹のカタウサギをあっという間に片付けてしまっていた。
「よおおおしっ!」
兵士長ヒールドの雄叫びに呼応して、皆が武器を掲げる。
第一波を退けたのだ。
「私の黒い怒りを、恨みを、憎しみを、雨のごとく降らせてくれることを祈って。少しでも、誰か、何かを傷つけて。その傷跡が私の心を癒やしてくれることを願って」
カドリの綺麗な、澄んだ歌声が響く。
声音とは裏腹に、歌詞は悪意に満ちた、誰かを呪っているかのようなものだが、1つ1つの音をカドリが大切に心を込めて発しているのだった。
「今度は岩兵だっ!岩兵どもが攻めてきたぞっ!」
森の中、木々の間から茶色い身体が覗く。
(ついに本命が来た)
アレックスは槍を低く構える。
全身が岩で出来た身体。身体は成人男性と同じくらいでマチマチだが、とかく頑丈で武器で倒すことは難しい。ざっと100体は下らないだろうか。
(皆も、手こずって、数に押されて。一人、また一人って死んでいった)
アレックスにとっては仲間の仇である。
20名いた仲間たちの一人一人の死に様を、アレックスは思い出す。
(皆、無念だった。聖女様も送り出す羽目になって。長く、この国のために戦い続けてきたのに)
どす黒い感情が心の内側からフツフツと湧き上がり溢れてくる。
「故に私は黒い雲を呼ぶ」
なにか誘惑するかのようにカドリの歌が繰り返す。
「忌まわしい青空を塗り潰して、私の色でこの世界を塗り潰すため。この心を乱すものを許さないため。一切を許せない私の心がどこまでも広がりますように。私は許さない」
カドリの歌声が拍子をつけて、節に乗せて、震えていた。
「私も許さない」
アレックスも呟く。
憎しみとともに、剣を振りかざして向かってくる岩兵に槍を突き出す。
細かい戦術などは考えていない。眼の前にあらわれた憎い敵は突き殺すに限るのである。
(叩き砕いてでも、私は槍で倒す)
心に決めていたアレックスではあるが。
(嘘っ)
ガツンッ、硬い音ともに槍が岩兵の身体を貫く。
核にも傷をつけていたのか。目前に迫っていた岩兵の身体が崩れて砂となった。
「このっ!」
先の岩兵の背後から迫っていた、また別の岩兵を槍の柄で打ち払う。
驚くことに岩兵の重たい身体が吹っ飛んだ。
吹っ飛ばしたアレックスの方が驚いてしまう。
「うおおおおっ」
自分だけではない。
数人がかりではあるが、兵士たちが寄ってたかって、岩兵の身体を叩いて砕く。
村人たちも大きめの石を軽々と放って援護している。中には女性の姿もあった。
(嘘っ、どうなってるの?)
アレックスは我が目を疑っていた。
精鋭だった自分たちですら、一体一体に手こずるような有り様だった。
今は、半数近くが一般人という集団でありながら、岩兵の群れを圧倒している。
「故に私は黒い雲を呼ぶ」
またカドリの歌声が耳に染み入ってくる。
ふと、アレックスは自らの両腕を見た。薄く黒い煙のようなものが包みこんでいる。
(何?これ?)
驚いてアレックスは辺りを見回した。
兵士も村人も凶々しい黒い煙に付き纏われている。背中か腹か、覆っている部位の違いこそあるものの。
黒い煙、カドリの歌う黒い雲を連想させた。
(カドリ殿が呼んだ黒い雲は、仲間を強化し、凶々しくする)
視界に入る岩兵を、片端からアレックスは核を貫き、叩き砕いていく。
仲間の仇が相手なのだ。どす黒いものに身を任せてもいい、とアレックスは思っていた。
(違う、おかしい、それだけじゃない)
岩でできているにしても、あまりに岩兵の動きが鈍く、抵抗が消極的だ。大人しくやられるがまま殴られ続けている。
(カタウサギも弱かった)
見ると岩兵たちにも黒い煙が張り付いていた。
「味方を強化して、相手を弱化させる」
ただ雨を呼ぶためだけの歌ではないようだ。
アレックスはカドリの恐ろしさを悟った。彼我の戦力差が、いるのといないのとでは、大違いだ。
視界にあらわれた3桁を超える岩兵が全てただの砂煙となった。
(終わった?)
アレックスはあたりを見回す。付近にいた魔物たちが全て襲ってきたであろうに、あまりに呆気なく終わった。
魔物の波を全て倒しきれたのではないか。
だが、まだ早かった。
「イワガネタマムシだっ!」
誰かが叫ぶ。
言われてアレックスも上を見る。
木々の上から憎々しげに自分たちを見下ろす双眸を、アレックスはしっかりと受け止めるのであった。