7 祭壇
カドリは口元を扇で隠したまま、村の各所を回った。お供のように槍使いのアレックスを連れている。さりげなく周囲によく注意を払っているようであり、護衛としては有能に思えた。
「カドリ殿、具体的な方策は?」
勢い込んで後ろからアレックスが尋ねてくる。
ことの発端はヘリック王子による聖女フォリア糾弾とはいえ、直接、仲間たちを手に掛けたのは魔物たちだ。復讐心のようなものを抱いているのだろう。
「誰かしら?あの人たちは」
うっとりしたような声を耳が拾う。
戦えない人間は、さらに内地へ疎開させた。だが村にはまだ若い女性なども救護や食事のため、何人かあえて残ってくれている。
アレックスも自分も容姿が整っているから、どうしても人目を引いてしまうのだった。
淡い桃色の髪に薄い紫色の瞳を持つアレックスに対し、自分は髪も瞳も空色だ。カドリは歴史上、皆、同じ髪と瞳の色をしている。
「私は君と主従の間柄ではないよ。年も近いようだし、口調は対等にしてほしいな」
扇の陰で苦笑いを作って、カドリはまず指摘した。どんな感情であれ、常に薄ら笑いを浮かべるよう、訓練は受けている。
(むしろ、私のほうが守ってもらっているのだから、こちらが敬語を使うべきかな?)
カドリは思い、生真面目そうなアレックスの反応を想像して今度は本当に笑ってしまう。
自分は武器を持つことも許されない家系だった。アレックスのように長物の武器を、格好良く使いこなす人生がまばゆく感じられる。
(柄まで白く塗られた鋼の槍か)
いかにも格好の良い武器である。カドリはちらりと一瞥して思うのだった。
「そういうわけには。私は生命を救われていますし」
どこか居心地が悪そうにアレックスが告げる。少しモジモジしているところなどは若者らしくて、見栄えの良さにそぐわないのだった。
「助けたのは打算だ、と言ったはずだよ。恩に感じることなどない」
はっきりとカドリは言い切った。
「私は接近戦で魔物と渡り合うのが苦手だ。あのときは不意を討ったから倒せた。君のような戦士についてもらえると心強いのだよ」
歩きながらカドリは告げる。
村の中は時折、自分たちに見惚れる人こそいるものの、全体的に忙しく動き回っている印象だ。時には単独で出現した魔物と、兵士とが柵越しに戦っている姿も見られた。
「分かりました。ですが、私はどなたに対しても似たような話し方ですから。その、実はカドリ殿に限ったことでもないので」
突き詰めれば失礼になると思っているのかアレックスが口ごもる。見え透いた嘘だった。親しい相手にこの話し方をする人間はそうそういない。
「すまない。いいんだ。話し方なんて些細なものなのだから。お互い、話しやすい話し方でいこう」
カドリは笑って告げる。
自分は家系ゆえに、その気になれば、王族とも対等に話せるのだが、逆もまた然りだ。カドリに対しては誰でもぞんざいな口調を使っても良いのである。
一方でカドリ個人としては、敬意を覚えるか、或いは必要に駆られるかで丁寧な話し方をすることもあった。
(アレックスとは長い付き合いになるかもしれないから)
歩きながらカドリは思うのだった。
聖女をこのまま失えば、果てしのない魔物との戦いとなる。カドリ自身も力尽きるまで戦うつもりであった。
一方、アレックスはアレックスで聖女フォリアの帰還ということでもない限り、帰る場所も仲間もいないのではないか。聖女の元護衛団というのは身寄りのない子供を引き取った教会が戦士に仕立てあげて、構成しているのだから。
(これも、何かの縁だ)
カドリは本人に嫌がられでもしない限りは、自分がアレックスを召し抱えるつもりでいた。ちょっとした給金で兵士一人を養えるぐらいの収入は担保されている。細かい待遇については、働きを見て決めるつもりだ。
「ところで傷の具合はどうだい?」
カドリは意図的に話題を変えた。
肋など複数箇所を手負っていたらしい。初めは歩くのも辛そうに見えたのだが。
「おかげさまで従軍していたヒーラーから、応急処置も受けられましたし、動くのに支障はありません」
力強くアレックスが断言した。生真面目な顔である。
「分かった、よろしく頼むよ」
言ってもどうせ無茶をするような人柄に思えてならなくて、カドリは苦笑いだ。見るからに生真面目で責任感が強そうなのだ。
コクン、とやはり笑いもせずに硬い表情でアレックスが頷く。
村の中を一周して、また中央に戻ってきた。
兵士長のヒールドを通じて、村人たちに頼んでいた作業がある。
「これは?」
丸太を組み上げる作業をしている人々を見て、アレックスが尋ねてくる。
「祭壇だよ」
他の何物でもない。端的にカドリは答えた。
高さ半ペイク(約2メートル)ほどの高さに、同じく一辺が半ペイク(約2メートル)ほどの正方形の台を乗せてある。
「装飾は適当で構いません。あくまで臨時のものですから」
丁重に、カドリは自身よりも年長の男たちに告げる。壮年の男たちが柵に防衛のため張り付いているので、作業をしているのは割合に高齢男性なのだ。日頃から農作業に従事しているからか、歳の割に逞しく日焼けしている。
「本当にこれで守ってくださるんで?」
村人の一人が訝しげに問いかけてきた。『これを作ればあのカドリが村を救ってくれる』とでも言って、ヒールドが言うことを聞かせているのだろう。
「その助けには間違いなくなります」
カドリにしてみれば、現段階ではそう答えを留めるしかなかった。
(私は聖女ではない。そもそも性別も違う。おまけに邪悪なものだときてる)
カドリは自身について、そう認識している。だから手段を選ばず、並行して聖女連れ戻しも画策しているのだった。
聖女という存在は全て民の希望や期待を肩代わりしている。代わりに神聖なる力を持つ。対して雨乞いの自分には出来ることが限られている。
(私は直接、敵を攻撃する手段に乏しいからね)
自分一人の力など知れている。村という、それなりに大きくて大切なものを守るなら、実際に住む人々からも相応の力を借りたい。
アレックスがもの問いたげな顔をしていた。
さりげなくカドリはアレックスを連れて、村人たちから離れる。
「最後は自分だよ。誰しも、自分の力で自分の問題を解決するしかない。少なくとも私はそう信じている」
小声でカドリはアレックスに告げる。
「考え方としては賛同出来ますが」
アレックスが槍を左肩に担いだまま、首を右方に傾げる。
全てを言わずとも、考えていることは分かった。
カドリの考え方それ自体は正しいのだとしても、他の人がそのとおりにしなくてはならないのか。決してそんなことはないのである。
(そこを自分の考え通りに進めるのが力量というもので、私には幸い、それをする能力は与えられている)
カドリは思いつつ、口元に当てていた扇子を閉じてまた広げる。
戦線を維持できるのか具体的にどうしていくのか。どうも考えがあるのは、この場では自分だけらしい。
夕方頃になって、祭壇が完成した。
「よし」
カドリは満足して頷きつつ、祭壇の上に立った。足場を確認しつつ、扇子を翳して舞ってみる。
激しい動きも幾らか試してみたが、軋む等の問題はない。
「これで本当に、魔物を一掃出来るのですか?」
兵士長のヒールドが近づいてきて尋ねる。訝しげな顔だ。
「私は歌います。皆さんが少しでも有利になるように。そして、魔物が少しでも不利になるように」
カドリは舞を止め、扇を口元に当てて告げる。
「あなたは歌うだけ?戦うのは我々ですか?」
騙されたとでも感じたのか。ヒールドが色をなす。大声を聞きつけて、他の兵士や村人たちも集まってくる。
(では、私1人に戦え、とでも?)
なかなかの理不尽にカドリは笑い出したくなる。自分の発する言葉の意味を、少しは考えてほしい。
「ここウェイドンの村は、暮らす皆さんの村、兵士の方々が守るべき場所です。村人の皆さんは何年も何世代もかけて開墾してきた。兵士の皆さんは命を賭して守り抜いてきた。そこを魔物共は破壊し、滅ぼそうという。それを皆様は許せますか?黒い感情が湧いては来ませんか?」
所詮、言葉などきっかけに過ぎない。力としては微々たるものだが、一方で相手の心のどこかを刺激する。
カドリは村人と兵士とを見比べて問いかけた。扇を傾けて魔力を発し、声が良く、全体へ通るように仕向ける。
口惜しくないわけがない。村人たちの中から歯ぎしりやうめき声が聞こえてくる。許せない、敵が憎い、という間違いなく黒い感情だ。
「兵士の皆さん。聖女はもういない。この国を見捨てました。国を、民を守ることのできるのは、もはや皆さんしかいません。我々は最早、何かを頼って戦う事はできないのです」
更にカドリは主に兵士たちに向けて告げる。
命を賭けて戦っても救いのない。そんな戦いが眼前に出現したのだ。あまりの理不尽に兵士たちも怒りをすら覚えている。
言葉など飾りだ。
自分の言葉にどれほどの説得力があるのか。カドリは過信をしておらず、当てにしすぎることもない。自分の魔力を、黒い感情とともに、声に乗せて周囲に流す。更に祭壇という設備がカドリの力を倍加させる。
今までに魔物との戦いで何度も駆使してきた技術だった。
「ここは俺達の村だっ!俺達が守るっ!」
村人の誰かが叫ぶ。
「ここで魔物を食い止めて弾き返してやるっ!俺達の力を見せるぞっ!」
兵士長のヒールドも剣を掲げて叫ぶ。
「な、これは一体?」
急に戦意を高揚させた村人と兵士を目の当たりにし、アレックスがたじろいで尋ねてくる。
額を押さえて顔をしかめてもいた。当然、アレックスの戦意も刺激してやったのだが。割合に理性を保っている。耐性があるのか精神が強いのか。
(それだけ、強固に術をかけても正気を保っていられるということでもある)
密かにカドリはほくそえむ。
「もともとあった、皆さんの戦意と魔物への憎悪を刺激した。私の力のほんの触りだよ」
祭壇の上からカドリは告げるのだった。