6 元聖女の護衛
自分は何をしているのだろう。
白く塗った、柄まで鋼の槍を担いだままアレックスは思った。護るべき聖女フォリアを隣国へと送り出し、仲間たちも失っている。
肋や肩には、まだジンジンと痛みが残っていた。軽鎧の上からとはいえ、岩兵の打撃をまともに受けたのだ。
「既に戦線はウェイドンの村まで退がっている。あそこで味方と合流して防衛の拠点としよう」
水色のヒラヒラした衣装に身を包んだ若い男、カドリが告げる。
(決定権はあなたにあるの?)
どういう立場で拠点と定めているのか。分からないアレックスとしては曖昧に頷くしかない。
カドリも返事や反応など求めていないようだ。背中を向けたまま、森の中を先に立って、スタスタと歩いていく。
(何者なの?カドリって。雨乞いだって言ってるけど)
自分で自分を雨乞いだと自称する男に会ったのは生まれて初めてだ。
どう見ても華奢な背中だが、自分や仲間が単体でも手こずっていた岩兵を、一撃で叩き砕く実力を見せた。
「なぜ、我々を助けに?」
生き残ったのは自分一人だ。
ちくりと胸に痛むものを感じつつ、アレックスは尋ねた。
戦士の集まりであり、武器の効かない相手は聖女フォリアに任せきりだった自分たちにとって、岩兵の群がる戦場はあまりに厳しい。
岩兵に囲まれて、一人、また一人と討たれていったのである。
「打算だよ、すまないが」
本当に申し訳無さそうな声でカドリが答えた。
「君たち、聖女の元護衛団は屈強な戦士の集まりだから、私としては前衛にほしかった。捨て石のように無駄遣いをするのは余りに愚かだと思っただけなのさ」
身も蓋もないカドリの言い方が、この場ではアレックスにとってむしろ好ましかった。取り繕うような言葉のほうが反発してしまう。
「今はもう、私ただ1人です。あなたの期待するような働きは出来ないかもしれません。聖女様は出国され、仲間は皆、死にました」
むしろ聖女フォリアについては、自分たちが背中を押して送り出したのだ。
聖女フォリア本人は、隣国の皇子からの求愛を受け入れることに最後まで迷っていた。あとに残される自分たちや教会、信者のみならず国民たちのことを気にかけていたのである。
(あのまま、この国にいたら、下僕のように生命まで、ボロクズみたいに、あの王子と女に搾り取られていたんだろうから)
聖女フォリア本人以外、皆が危惧していたことである。平民出身ということだけで、内心、貴族たちに蔑まれていたのが聖女フォリアなのであった。
それでも働きと能力を主張し、王子との婚約にまで持ち込めたのは、神聖教会教主の働きによる。王子の婚約者、未来の王妃という身分を持たせることで聖女フォリアを守ろうとしたのだ。
(それもあの、鉄鎖獅子の失敗1つで覆された)
何事にも優先して、国のために尽くしてきた少女が、惨めな辱めを受けた上、酷使されるであろうことを、アレックス達の方が受け入れられなかったのだ。
「アレックスだけでも助けることが出来て良かったよ。1人と2人とでは大違いだから。私には優れた前衛が必要なのさ」
背中を向けたままカドリが言う。こうして背中を見せていても、得体のしれない怖さを感じる相手だ。
それでいて、会ったばかりの自分を信用して、無防備に背中を晒してくれているのだ、とも思える態度だった。
「仲間の死に、間に合うことが出来なくてすまない」
そして、謝罪するのだった。
おそらく今後、他の誰からも謝罪を得られることはない。
アレックスは適切な回答を見つけることが出来ないまま、ただ俯く。
レグダの前線基地からウェイドンの村へと至る。
外郭を柵で囲われており、入口が見当たらない。如何なる外からの侵入もさせない、という防衛への強い気概を感じさせるものの、自分たちは困ってしまう。
「どうしますか?カドリ殿」
その気になればどうとでも入ることは出来るのだが、アレックスは一応、問いかける。
「うーん、困ったね」
振り向くカドリが端正な顔に苦笑いを貼り付けて言う。
力づけたくなるような、庇護欲を掻き立てるような不思議な笑顔だ。
(この人、魅了する術でも使っているの?)
アレックスは戸惑いつつ思う。
ほぼ初対面の相手に本来、抱くような感覚ではない。天然の人たらしなのかもしれない。
いざとなったら、強硬的に入ることなど容易いのだ。殊更にアレックスはそんなことへと思考を逃す。
コホン、とアレックスは咳払いを1つした。
「失礼、貴方がたは?」
2人で立ち往生していると、年嵩の兵士が1人、柵の向こう側から歩み寄ってきた。
「私は見ての通り、カドリ。こちらは聖女フォリアの元護衛、槍使いのアレックスです」
カドリが自己紹介を一手に引き受けてくれた。
話すのが得意ではないアレックスとしては有り難い。
「おおっ、あなたがあのカドリ殿ですかっ、心強い。いえ、心強いのですが」
年嵩の兵士が困った顔をする。
まだ相手の名前すらアレックスには分からない。カドリに訊いてもらいたかった。
「あ、失礼を。私はヒールドといいます」
困惑が伝わったらしい。ヒールドが名乗る。
「ここで生き残った者では一番、軍での階級が上なので指揮を執っております。レグダの前線では兵士長をしておりました」
基本的にアレックスは仲間たちと固まって行動していたので、ヒールドとの面識はない。レグダの戦線の総指揮官もどうやら生命を落としたようだ。
ヒールドが封鎖されていた柵の1点を示して誘う。よく見ると鍵があるだけで開けられるようになっていた。
「ヒールド殿、不躾で悪いが随分と士気が低いようだが?」
村の敷地に入るなり、遠慮がちにカドリが問う。
「はい。恥ずかしながら非戦闘員も余りに多く、増援どころか補給すら滞っているため、もはや、我々も村人たちもここを捨てるしかないか、と言い出す者すらいる始末で」
ヒールドが率直に報告してくれた。最初の困惑は、諦めたところに、カドリという心強い存在があらわれたので、気持ちの持っていきようがヒールドの中で難しくなったせいだろう。
(そもそも私たちだって)
アレックスも思い返していた。聖女フォリアの出奔によるもう1つの弊害だ。ここの人々に限らず、粘り強さを失い始めている。
(或いは私達のように)
やけっぱちのようになって、絶望的な戦いに身を投じてしまう者もいる。
聖女フォリアの元護衛団である自分たちも、ウェイドンの村やレグダの兵士たちのやる気のなさに絶望してしまったのだ。
(この人たちも踏ん張ってくれていれば、皆は)
この村のせいで仲間たちは死んだようなものではないかと思えて、アレックスは腹が立った。
「だが私も来ました。力になれるかと思いますが」
どこまでも丁寧な口調でカドリが言う。
本当に力になれるのか。アレックスもカドリの実力についてはよく知らない。
雨乞いだと言っていた。
(雨でも降らせるつもり?それは役に立つの?)
一部の水を苦手とする魔物には有効かもしれない。
アレックスは思うもすぐに打ち消す。極端に水を苦手とする魔物などそう多くはない。
「しかし、カドリ殿お一人の力でこの苦境をひっくり返せるとは、私には思えません」
ヒールドも同感なのか、暗い顔で首を横に振った。
「カドリの歴史は古い。皆さんの想像すら超える古の術も幾らか持っております。一戦でいい。私に任せてくれませんか?」
カドリが微笑んで言う。口元に閉じた扇子を当てているが口の端などは動いているのが見える。
「それに、ここで助力せよ、はヘリック王子の命令なのです。私も一戦はしないと面目が立たないのですよ」
更にヘリック王子の名前までカドリが持ち出した。
何か凶々しいものを、アレックスはカドリから感じる。なんとなく自分も戦わなくてはならないように思えてしまう。
(ヘリック王子、あの方は、許せない人)
自分にとっては本来、怨敵なのである。
(それなのに私はここで応じのためになる戦いに身を投じるつもりでいる)
アレックスは戸惑いを覚える。
(扇の内側でカドリ殿が私にも何かをした?)
首を横に振って、自分の思考に付き纏うものを、アレックスは物理的に振り払おうとした。
ふと、カドリを見る。
穏やかな眼差しだが、嘲笑っているようにも見えた。
「分かりました。私もあなたとともに戦います。お任せください」
まるで棒読みだ。いかにも言わされているかのような口調で、しかし、間違いなくヒールドが戦うことを了承した。
「ええ、ありがとうございます。宜しくお願い致しますよ」
カドリが本当に感謝しているかのような口調と微笑みで頷く。
自分は何か酷い茶番を見せられている。アレックスにはそう思えてならないのであった。