57 カドリの決断2
翌日、カドリは宿屋の外で顔を洗っていた。既に陽は上り、村人たちも耕作を始めている。
日々の暮らしを人々が送るのは極めて大事なことだ。カドリは昔からそう信じていた。穏やかな1日の始まりに心が安らぐ。
だが、宿屋の中からは騒がしいやり取りが聞こえてくるのであった。
「あんたっ!少しはちょっと、早く起きなさいよ!宿屋の人が毎朝、困ってるのよ!朝ご飯を用意して待ってくれてるのに、ぜんっぜん、起きてこないって!」
レアンがアレックスを叱り飛ばしている。
「仕方ないじゃないですかっ!とっても眠かったんですから!」
負けじとアレックスが怒鳴り返している。
寝坊したアレックスのせいで宿屋の人が迷惑したらしい。どう考えても悪いのはアレックスの方なのだが、レアン相手だと素直に謝らないのである。
カドリはため息をついて宿屋の中に入った。きれいに整えられた、小さいながら気持ちの良い木造の宿屋である。
2人が言い争っているのは玄関のすぐ目の前だった。
「君はまた、叩かれたいのかね」
アレックスの後ろに立ってカドリは囁く。
ビクッと身を震わせてから、頬を赤らめてアレックスが逃げるように距離を取った。
「嫌です。やめてください」
アレックスが尻を守りながら言う。まるで自分のほうが被害者のような所作だ。
だが、悪いのは寝坊するアレックスの方である。レアンも呆れ顔だ。
(まったく、その可愛くするのをやめなさい)
カドリはため息をついて思うのであった。
実力に対して、あまりに不釣り合いなのである。凛として気高くしていてほしいのだが。
「お尻はだめです」
重ねてアレックスが言う。
「なによ、2人でいちゃついちゃって」
レアンが何を誤解しているのか、口を尖らせて告げる。
あくまで従者とその雇い主という間柄だ。いちゃついているわけでは断じてない。
(なんなら、君も私の顧問魔術師として雇い入れるつもりだが)
カドリはちらりと思うのだった。レアンについては、そもそもハロルドの下を離れてくれるかどうかという問題もあるのだが。
「仲良くしろとは言わないが、上手く連携を取ってくれると私としては嬉しいね」
カドリは2人を見て告げる。
「はーい」
形だけはきちんと返事をするのが性悪のレアンである。
アレックスについては、ただそっぽだ。2人とも17歳だか18歳なのだという。あまりに若い。
「レアン、君はハロルドに雇われている魔術師なのだろう?戻るのかな?」
カドリは一向に自分から離れようとしなかったレアンに確認のつもりで尋ねる。
「それならもう、ヘイドン経由で辞表を送りましたよ。私、もうハロルド伯爵の私兵ではありません」
しれっとレアンが告げる。
「今後もカドリ様と行動を共にしたいです。ご迷惑でなければ、ですけど」
レアンがさらに肩をすくめて続けた。
「嫌です。迷惑です。どこかに行ってください」
アレックスがすかさず、ポツリとこぼす。
せっかくのレアンの厚情に対してあまりに失礼である。
「はうっ」
結局、カドリはアレックスの尻を叩くこととなった。
「見苦しい憎まれ口はやめなさい」
カドリは真面目にアレックスを叱る。
「だって、この人、いつも私をからかうし、カドリ殿には媚びるし」
アレックスが不満げに尻を押さえて言う。不平たらたらという態度である。
「それの何が悪いのよ。あんたが馬鹿正直過ぎるのよ」
レアンが小馬鹿にしたような口調で言う。
「レアンもお手柔らかに頼む。いい加減、分かっただろう。この従者は愚直なのさ」
カドリは取り出すつもりで告げた。
「それに、私は少し、この国を離れるから、君たち2人で留守を連携して守らなくてはならないのだよ」
カドリは2人に今日、切り出すつもりだった、腹案を告げる。
2人が同時に固まった。
「ええっ!そんなっ!とうとうカドリ殿まで、この国を見捨てるんですかっ?」
まずとんでもないことを言うのが、阿呆にして愚か者のアレックスである。もし聖女フォリアのことを引き合いに出しているのなら、そちらは自分たちで送り出したのではないか。
「私がいつそんなことを言ったのか。君は説明しなくてはならない」
カドリは仏頂面を作って、冷たく言い放ってやった。
「本当、お馬鹿ね。あたしが文句を言いそこねたじゃないの。もう忘れたの?私、カドリ様と一緒にいたくて、仕事を辞めたばかりなのよ?」
レアンも恨めしげに自分を見て告げる。
「だって」
アレックスが自分とレアンとを見比べて口ごもる。
「まったく、お馬鹿な相棒ね。先が思いやられるっていうのよ」
先に諦めたのは、頭の回転が早いレアンであった。
「私、あなたを相棒にしたくありません」
硬い声でアレックスが言う。
「私がしてやるって言ってんの。カドリ様はね、留守にするから、その間、ベルナレク王国を保たせろって仰ってるのよ。責任重大よ、私ら」
レアンが愚か者に対して、噛み砕いた説明を施してくれた。
「そんなの無理です。厳しいです」
アレックスが今度はびっくりした顔をした。
「まぁね。あたし一人じゃまず無理。で、あんたは馬鹿すぎて無理。だから力を合わせるしかないのよ、あたしらは」
レアンが現実を突きつける。
「なるべく早く戻るよ。その間は2人で同胞とともに、この地を守り抜くのだ。頼んだよ」
カドリは2人を交互に見て告げる。
「同胞?」
レアンが首を傾げる。そして廊下に設置された窓の外を見た。
「あら?アブレベントがいるわね。あの子をつけてもらえるなら、なんとか出来るかも。アレックスよりよほどしっかりしてるんだから」
なかなか正確な分析をするレアンである。
アレックスも窓の外を見やった。
「サグリヤンマ!」
アレックスも嬉しそうに声を上げた。
本当はアレックスにはグロンジュラを組ませるべきなのかもしれない。だが、レアンにアブレベントを当てるしかない以上、仲間割れを避けるため、サグリヤンマが最適なのだった。
「彼は、サグリヤンマの中でも歴戦の雄だ。アレックス、君は彼の言うことをしっかりと聴いて、助けてもらうように」
カドリはあえてそう告げた。
実際のところ、アレックスならば強化を施しておけばレアンよりも戦闘では強い。
索敵と判断に優れたサグリヤンマをつけたのはそういうことだ。
「分かりました。カドリ殿、その、お気をつけて」
臆面もなく、自分を心配するのもアレックスの悪いところだ。心が動きそうになる。
「あぁ、分かったよ」
ゆえにカドリは一言だけを2人に残して、ブレイダー帝国へと向かうのであった。




