51 赤い巨人
空気が少しひんやりとしてきた。一旦南へ下って、また北上してきたということが、殊更に意識される。
(まったく忙しいことだ)
カドリは鉄扇の陰で薄く笑う。
自分が先頭で、レアンが真ん中、アレックスが最後尾を歩く。並び順については3人で話し合って決めた。いざとなれば、魔術師のレアンを守ることの出来る配置だ。
「カドリ殿っ!敵があまりいませんっ!」
とても嬉しそうなアレックスの声が響いてきた。この従者は口を開けば、ここ最近、いつも嬉しそうなのである。
(君は敵がいたって楽しげではないか)
たしなめようと思ってカドリは振り向く。
言葉とは裏腹に各方向へきちんと警戒しているアレックスの姿がレアン越しに見えた。
「あまりってどういうことよ、あまりって」
同じく振り向いたので、カドリからは後頭部しか見えないレアンが指摘している。
艷やかな美しい黒髪だが、使う術式の魔光に染まってしまうらしい。
「少しいる」
なぜだか胸を張ってアレックスが言う。レアンが最初からアレックスにはぞんざいなので、アレックスも口調を崩すことにしたらしい。
「じゃ、とっとと倒してきなさいよ」
レアンがすかさず言う。カドリに対することについては、レアンもアレックスも、お互いに対するものとは随分と態度が違うのだが。
(放っておくと言い争いだからね)
カドリは苦笑いである。
「離れていいの?敵に襲われたら困るの、そっちでしょ?」
無表情にアレックスが応じる。
「前言撤回。じゃ、ちゃんと後ろについてて、身を挺してでも、私を守るのよ」
レアンが威張って告げるのだった。
「やだ。私はカドリ殿の従者なんだから、カドリ殿を守る。それこそ、身を挺してでも」
アレックスも負けじと言い返すのだった。
(そんなことは求めてはいない、というのだよ、まったく)
カドリはただ思うのであった。
(このまま聖女フォリアを連れ戻さなければ、いかに私でもジリ貧で。最後は死ぬかもしれない。そうなれば、アレックスはまた、自分で生きていかねばならないのだから)
厳しくするのも、どこか無防備で、慣れ親しんでしまうのも、甘ったれなアレックスに自立してほしいからだ。
「あら、愛の告白?」
レアンに冷やかされている。
不毛なやり取りだが、聞いていてカドリには不快ではない。同胞間のやり取りが円滑なのはいいことだ。
(レアンはまた別だ。この娘は、私がいないならいないで、そのままたくましく生きていくだろうから)
カドリはレアンを見て思っていた。
自分にはしおらしく、アレックスには露骨にぞんざいなのも、人間味があってカドリとしては嫌いではない。
(純朴な人間性で、それでいて心に傷を負ったアレックスともまた違う)
カドリは鉄扇の陰で思う。
仲間を失った、という共通点がこの2人にはあるのだが。
(おそらくレアンは心に傷など負っていない)
自分とアレックスに助けられたとき、戸惑いよりも安堵が勝っていた。カドリは見落としてはいない。
アレックスの時とは真逆だった。
(アレックスはまず驚き、私を一般人として見て戸惑い、次に心苦しそうだったな)
ウェイドンの村での悲壮な戦いから、ヘングツ砦での苦しい激闘を経て、随分と明るくなったものだ。
ギャアギャアと大声でレアンと言い合っている姿を見てカドリは思う。
人間の同胞が加わって嬉しいのだろう。
アレックスもグロンジュラやサグリヤンマ達には好かれているが、他の同胞にはまだアレックスを受け入れていない者も幾らかいる。
「なによ、あんた。すっとぼけて可愛くして。黙って格好良くしてりゃいいのよ。そういう、顔でしょ、あんたは」
レアンがアレックスの顔に指を突きつけて告げる。
何を可愛くしているのかと、アレックスに思っていたのは自分だけではなかったらしい。カドリも安心した。
「なんですかっ!顔は関係ないでしょう!」
憮然とした顔でアレックスが言い返す。
いよいよしょうもないやり取りになってきた。
カドリは睨み合っている両者のうち、アレックスの尻を鉄扇で引っ叩く。
「はうっ!」
不意を討たれたアレックスが言葉どおりに飛び上がった。
流石に、やりすぎただろうか。
「なんで私だけ」
恨めしげにアレックスが自分を見つめてくる。
「レアンを叩くわけにはいかないのだから、仕方ないだろう」
呆れてカドリは告げる。そもそも叩いてしまったことが問題だ、という話ではないのだろうか。
「私のお尻もだめです。やめてください」
アレックスが自らの尻を守りつつ言うのであった。
「本当は喜んでるくせに」
ボソッとレアンが言う。
「なんですか、2人して、私ばっかり」
とうとうアレックスがすっかり拗ねてしまう。
「いつも言っているとおり、気品と風格だよ。君に足りないのは。仲間が増えて嬉しいのは分かるが、はしゃぎ過ぎないように」
カドリはアレックスをたしなめるのであった。
「はしゃいでません」
しょんぼりとアレックスが言い返し、横を向いた。
「ふふっ」
ローブの袖で口元を押さえてレアンが笑っている。
ぷるぷると肩が震えているので、笑っているのは、一目瞭然なのだ。こちらは性悪なのである。
「君もお手柔らかに頼むよ。あれは、聖女の元護衛でいささか世間知らずだ。頭も固い」
カドリはレアンにも釘を差しておく。
(思い出すな。よくグロンジュラとアブレベントの間を仲裁したものだ)
他の同胞たちも、酷い時には生存競争を始めてしまう者たちもいたことを思えば、アレックスとレアンの諍いなど可愛いものだ。
「はーい」
レアンがまるで反省を見せずに告げ、身を寄せようとしてくる。
だが、アレックスがレアンの肩を掴んで、身を寄せるのを阻止した。
「何よ」
レアンが睨みつける。
「それはダメ」
ムンと唇を引き結んで、アレックスが言う。
「なんで?」
ニヤリと笑みを浮かべてレアンが尋ねてくる。怒るよりもどう見ても面白がっているようだ。
一体、何だというのか。別に女性から好意とともに身を寄せられることなど、カドリにはよくあることだ。
(まぁ、かといって、同胞からベタベタ触られて喜ぶ趣味も私にはないがね)
カドリは同胞2人の睨み合いを前にして、一歩、身を引いた。
「なんでも」
アレックスが子供みたいな言い返し方をした。
「なんの説明にもなってない」
すげなくレアンに言い返されていた。
だが、どういう気の強さなのか、アレックスがまた睨みつける。
「ププッ」
急に吹き出したのはレアンの方だった。
「冗談よ、冗談。からかってごめんね。あー、面白かった」
ひとしきり笑ってからレアンが言う。
「私は面白くない」
一方、変わらずアレックスが憮然とした顔のままだ。
ただ歩くだけでこの調子である。
(先が思いやられる)
カドリは思い、ふと進行方向を見た。
赤いものが山向こうにそびえ立つ。
目を細めた。
「あれか」
思わず呟いていた。
「うわ」
無防備な声をレアンがあげる。
アレックスが鋭い眼差しで赤くそびえる巨人を睨みつけていた。
「あれがズカイラーさ」
カドリはいつもどおりの姿勢で口元に扇を当てて告げる。
足元から土煙を上げて騎馬隊が駆けてきていた。
「た、助けてくれっ!」
誰にともなく、みっともない声で助けを求めるのが聞こえてきた。
「なによ、私等を見捨てておいてみっともない」
呆れた声でレアンが言うのであった。