4 暗雲
聖女が東へと去った。ブレイダー帝国を目指している。
(既にかなり王都から離れてしまった)
既に10日近くが経過している。カドリはヘリック王子について各所の情勢の把握に努めざるを得なかった。
今は青い服を身に着けた伝令がヘリック王子に報告をしているのを脇で聞いている。青い制服は北方オコンネル辺境伯領のものだ。魔窟にもっとも近い地方だった。
「くそっ!どうなってる!たった10日だぞっ?なぜ魔物が増えているんだ?」
きれいな赤髪をかき乱して、ヘリック王子が声を荒げる。
(当然だろ。そろそろ聖女の加護を更新する時期じゃないか)
そんなことすら忘れていたらしいヘリック王子に、カドリはげんなりする。
今までにも先んじて何度かカドリも、この伝令と同じ危惧を聞かせていたのだが。話半分にしか聞いてくれていなかったようだ。
(所詮、カドリの言う事だからな)
カドリは軽んじられるのも仕方のない我が身を自嘲するのだった。
「北方、レグダの前線で食い止めてはおりますが、魔物の数があまりにも多く、崩壊しかけております。至急、中央から援軍を、と辺境伯閣下ご自身からの要請です」
伝令が緊張した顔で告げる。
聖女が絶えず、結界を維持してきたから、魔物の数が抑えられていたのだ。出てきた魔物を倒すだけが聖女の効能ではないのである。
(私も良くなかったが)
当然、引き止めに失敗した自分にも責任はある、とカドリは思っていた。
「もういい、分かった。貴様は帰れ」
ヘリック王子が苛立ちもあらわに、伝令を手振りで退出させた。
「すまなかったね。聖女の出奔を阻止できなくて」
カドリは人目がなくなるや告げる。
(同胞もやられてしまったか)
出てしまった犠牲について、カドリは痛恨の思いを抱く。
すぐに動けて追いつけそうな同胞がオオツメコウモリだけだった。厄介なレックス皇子についても、魔獣の襲撃による事故死を偽装したかったから、郊外で襲撃するも返り討ちとなったのである。
(彼は勇敢に過ぎた)
首尾よく追いついて単身で突っ込み、聖女フォリアとレックス皇子の連携に敗れた。
(応援が行くまで、尾行してくれるだけで良かったのだが)
今はまた、行方を見失い、他の同胞とともに捜索するところからやり直しとなっている。
「いい、まさか即日持ち去られるとはな。それも他国の皇子などに。あの女め」
ヘリック王子が、侍らせているメイヴェル公爵令嬢の肩に手を回して告げる。『もちさられる』と言うあたり、最早聖女フォリアを人間としては見ていないのであった。
「ほいほいと渡りに船、とばかりについていくなどとはな。もう少しはこの国に愛着があるか、と思ってはいたが」
恥も外聞もないことを、ヘリック王子が吐き捨てる。そもそも始まりは自分自身の方なのだが特に思うところはないらしい。
「そうよぉ、あの平民女が悪いのよぉ。カドリさんは悪くないわぁ」
ケタケタと笑って、メイヴェル公爵令嬢が口添えしてくれた。まったく嬉しくはないのだが。この女性の価値観は独特だ。
昼日中からイチャイチャとくっついているのだった。
「誰が悪いにせよ、厄介なことに変わりはない。今まではただ魔物の出た土地に聖女フォリアを放り込めば解決だった。これからはそうもいかない」
カドリは冷静に告げて話の軌道を修正する。問題は常に何をどうするかなのだ。責任の所在ではない。
今、もっとも火急の報せを寄越しているのは北方のオコンネル辺境伯領だ。想定を遥かに上回る数と強度の地属性を中心とした魔物に襲われているとのこと。
イワガネタマムシなどの大物も目撃されている。
(このまま放置しては、人間の領土が押し込まれて減る)
カドリは危機感を抱いていた。
聖女フォリアの出奔により、血を流すのは一般の兵士や国民なのだ。
「現地の軍にやらせればいいさ。持ちこたえるだけ持ちこたえさせて。全滅したら王都の軍を送り込んでやる。オコンネル辺境伯が無能なのが悪いのさ」
ヘリック王子が他人事のように言う。もともと当代のベリー・オコンネル辺境伯とヘリック王子とは折り合いが悪い。顔を合わせれば罵り合う仲だった。
(こんなのでも一国の王子で次代の国王だからな)
カドリは思うも反抗しようとすら思わなかった。カドリにそんなことは許されない。
(上などいくら愚物でも構わない)
王侯貴族といった政治家が秩序を体現し、教会や聖女といった面々が信仰を集めて人々の力と成す。
(では、私はどうか)
自分はただの雨乞いだ。人々のために雨を呼ぶ。人々のために、というのはカドリ歴代の共通認識だ。
人々もまた農耕をするに際して、カドリがいないと困るから領地を与え食わせてきたという歴史がある。人のためにならないカドリなど不要なのだ。
故にカドリには没個性的であることが求められた。カドリの家に生まれ跡を継ぐとなった子供は、長ずると個人としての名前を失い、ただ『カドリ』となるのである。
蔑まれて、便利に使われてきた一族である反面、カドリとしては便利であることが誉れなのだった。
「そういうわけにもいかない。問題がオコンネル辺境伯領だけに留まらないだろう。他の地域でも魔物は現れうるし、そうなればそちらにも増援を送る羽目になる。といって、オコンネル辺境伯領の崩壊とともに、なし崩しに他の地方も魔物に荒らされる。そうなればもう、国の崩壊だぞ」
仕方なくカドリはヘリック王子の言葉に正面から反論するのだった。
「真面目だなぁ、カドリは」
ヘリック王子の呑気な返しに、メイヴェル公爵令嬢がクスクスと笑みをこぼす。
「人命がかかっているからね」
カドリとしては当然のことなのだった。
「聖女と殿下がどうあれ、そこで暮らし、魔物と対峙している人々には関係がない。ただ、それぞれの戦いがあるだけだ」
更に思うままカドリは、言葉を紡ぐ。
敬意を払われることはない。つまり言葉になんの重みもないのだから、好き放題に言っても構わないということだった。
言葉や口調の面で自由である代わりに、ヘリック王子の心にもまるで響かないのだ。
「実はもう、私の方で対策は打っておいたんだよ。聖女のいなくなった教会に兵団がいただろう?あの連中を激戦区に送り込んでやったよ。聖女の出国を認めてやる代わりに出せってね。教主のやつの顔が見ものだったよ。聖女と兵団を天秤にかける羽目になってね。酷い顔をしていたよ」
得意げにヘリック王子が自らの為した悪手を披露してくれた。
(私にはそんな悪趣味はないな)
カドリは言葉を飲み込む。
聖女フォリアも一人きりで戦ってきたわけではない。護衛の戦士団が20名ほどつけられていた。それらは全てもとを正せば教会の信者たちである。ヘリック王子が勝手に動かせる兵士たちではなかった。
(恫喝した、か)
つまり、聖女フォリアの出国を表向きは認めるということで、言うことをきかせたわけだ。聖女フォリアの無事を信じて、戦士団自身も了解したのだろう。
(まぁ、私にはなんの関係もないがな、そんな約束は)
あくまで王子と教主との約束であり、カドリ達にはまるで関係のないことだった。
「やはり、あの伝令の言う通り、レグダの戦線かな?」
王都北部の地勢を思い浮かべてカドリは尋ねる。
「いや、そこから更に押し込まれて、ウェイドンの村にまで前線は後退した」
さらりとヘリック王子が言う。
既に国土を幾らか削り取られていたということではないか。
「ま、聖女の家来共はまだ森の中で粘っているらしいぞ。あんなところで踏みとどまって何がしたいのやら。理解に苦しむな」
村人など一般人に犠牲を出したくないから退がらずにいるのだろう。カドリにはよく分かる考えなのだが、ヘリック王子には分からないらしい。クックッと笑い声を漏らしている。
「笑い事じゃないぞ、殿下。百戦錬磨の屈強な戦士たちだ。無駄遣いしていい戦力じゃない。もっと有効に使わないと」
カドリはさすがに諌めるのだった。
長年、人心を集めてきた聖女フォリアに、ヘリック王子が嫉妬している向きもある。長年、こじらせていた思いであり、聖女フォリアの関わっていたもの全てが憎たらしくてしょうがないらしい。
「あの女以外を主君と認めない、頑迷な連中さ。使い捨てにするより他、ないじゃないか。私の指示を聞かないのだから。カドリ、君とは違うよ、君とは。君は本当にこの国を思って、私に力を貸してくれているじゃないか」
使いこなせない以上は、反逆されるぐらいなら死なせる。ある意味、筋は通っているのだった。
代々、カドリは王族に害をなさない。これも長年の決まり事だった。幼いうちに王国の世継ぎと未来のカドリとは面通しされて学友となる。
「だが」
カドリは言葉に詰まる。やはり聖女の護衛団、戦力としては惜しいのだった。使い方次第では20名でしかない一方、20名以上の戦力ともなり得る。
「そんなに言うなら君が行ってこいよ」
ヘリック王子が若干うんざりした調子で告げる。
予定通りではあった。聖女がいない以上、新たな解決策は自分を放り込むことだ。カドリも力を尽くすしかない。
(出来るか分からないが、やるしかないか)
自分は、凶々しいものだ。それでも役には立てるかもしれない。
「君が魔物を撃退してくればいいじゃないか」
事もなげに言うヘリック王子の言葉にカドリは頷いた。
「分かった。私に任せてくれ」
こうして、カドリはヘリック王子の命令を受けて、北方のオコンネル辺境伯領へと旅立つのであった。