38 消え去る聖女
レックスはフォリアとともにあてがわれた宿屋にいた。決して広くはない一室、寝台にちょこんとフォリアが座り込んでいる。
(難しいな)
塵一つなく掃き清められた一室を見渡してレックスは思う。
(わざわざ私とフォリア殿のためにあつらえた部屋だ)
自分は皇太子なのだ。どうしても気を使わせてしまう身分なのだった。フォリアといると意識させられてしまう。
当然のこととして今まで享受してきたことの一つ一つが、本当は当然のものではない。誰かに苦労させたり、気を使わせたりしたことの末のものなのである。
「殿下、夜風を浴びたいです」
フォリアが自分の視線に気付くと、微笑んで告げた。唐突にも思えるがずっと座り込んでいるのも気が塞ぐというのも分かる。
(何か考え込んでいる様子だが)
レックスも日中からのフォリアの変化には気づいていた。
話をしていても、時々、考え込んでいる顔をする。
何も懸念が無かった時とは明らかに会話の反応が違う。1拍ほど遅い。
このはっきりした願望にもなにかあるのかもしれなかった。
「2人で少し、歩きませんか?」
重ねてフォリアが笑顔を見せる。
「ええ」
レックスは笑顔に絆されて、その度、思考を中断させられてしまう。
(私が傍にいれば、いいか)
狙われている危険な立場のフォリアなのだが、レックスは思うのだった。
2人で宿屋を出る。予定にない行動だ。誰もついてはこない。
月が出ていた。星もはっきりと見える。空気が澄んでいるのだ。
「のどかな良いところですね」
自分を見上げてフォリアが言う。
月明かりの下、さわさわと風に草の揺れる音がする。
(何か、今回は妙だ)
レックスもフォリアと話すうち、思うようになっていた。
だが、具体的には分からない。バーガンとする話も剣士ギースの失踪までは呑気なものだった。
(いつもの巡視の延長ぐらいに思っていたからな、私からして)
なんとなくフォリアの笑顔にも不穏なものを感じる。思い詰めて、覚悟を決めたかのような。戦う人間の顔なのだった。
いつの間にか村を守る木柵の近くにまでやってきている。
「すごい、星が綺麗」
目を閉じたフォリアが、柵の内側で土の盛り上がった場所に立った。
同時にシュルシュルと音がする。
「なっ」
音につられてそちらをレックスは見る。
視界の隅に白銀の光、思った時にはもう、剣を抜き放っていた。
木柵の向こう、小高い丘の上。月光を弾き返す白銀の鱗を持つ大蛇がとぐろを巻いている。金色の瞳で自分たちを眺めている様子だ。
体長は3ペレク(約6メートル)はあるだろうか。人一人分くらいの太さもある。呑み込まれればひとたまりもない。
「敵襲っ!」
大声をレックスはあげた。
更に警笛を吹く。甲高い音がこだまし、村の各所に明かりが点いた。
「フォリア殿っ!」
どう倒すのか。連携しなくてはならない。レックスは呼びかける。
だが返事がない。
隣を見ると姿もない。
(やられたっ!)
レックスは気づき、カッと全身の血が沸騰したように感じる。
まんまと敵に攫われてしまったのだ。自分自身で聞いていたにも関わらず、シロヘビに気を取られてしまったせいである。
「殿下っ!」
バーガン達が駆け寄ってきた。
「フォリア殿が攫われたっ!」
レックスはフォリアの立っていた位置に至り、そこに穴の空いていることに気付く。
「殿下っ!大蛇が!」
蛇の魔獣が自分たちの方へと這い寄ってきていた。どう見ても守り神ではない、魔獣だ。
月光を弾き返しながら迫る姿には強烈な圧力を受ける。かなりの強敵だ。
「くそっ!どうすればっ!」
斬るしかない。だが、斬っている間にフォリアがどうなってしまうのか。
焦る気持ちに揺れているうちに、柵の近くにまで大蛇が迫る。
フォリアを追いかけたいが、そんな間があるのか。抜き身の剣を手にしたまま、レックスは迷う。戦闘中に迷うなど初めてのことだ。
「殿下は迷うことなどないっ!蛇の相手は我々がしますっ!殿下は聖女様を追ってくださいっ!」
バーガンが弓に矢を番え、怒鳴りつけてきた。
「だが」
レックスは穴とバーガンとを見比べる。
「惚れた相手を救えずして、何が一国の皇帝なのかっ!」
更にバーガンが叫ぶ。
兵士たちもどんどんと集まってくる。バーガンの前を固め始めた。
バーガンが目まぐるしく腕を動かし、矢の雨を降らせ始める。兵士たちがバーガンの足元に矢筒を並べ始めていた。
瞬く間に矢筒が1つ、空になってしまう。
「あの敵は私が止めるので、殿下は聖女フォリア様の救出に専念してください」
先より幾分、低い声音でバーガンが言う。
話しながらも腕の動きは止まらない。一人で雨のように矢を降らせていた。頑丈な鱗のせいで致命傷こそ与えられないものの、絶えず当たり続ける矢がかなり煩わしいらしい。
時折、蛇行させることには成功していた。
「分かった」
レックスは意を決した。
足元の穴に身を投じるよりほかない。
(中に何が待っているかも分からない。だが、フォリア殿はまさにそこに引き摺り込まれたのだ)
敵の狙いは今にして思えば、最初からフォリアだったのに、決まっている。つまり、この魔獣共はすべてカドリの仕掛けだ。
(グズグズしていたら、地の下からベルナレクに連れ戻されかねない)
レックスは焦燥感に駆られながら、抜き身の剣を手にしたまま、狭い穴の中に身を投じるのであった。




