31 テルルク村1
レックス率いる兵士の一団とともにフォリアはマコーニー伯爵領へと向かっていた。
(良い人そうだったし)
フォリアは途中、訪れたマコーニー伯爵自身の住まう館に滞在する。
申し訳なるぐらいの腰の低さで手を取られ、自分の非力を詫び続けていた。手を貸すことを即決できたのはマコーニー伯爵自身の領民たちへの思いが伝わってきたからだ。
(助けたくなるぐらいの善良さだったから)
まるで、マコーニー伯爵の人柄を反映するかのように、牧歌的でのどかなマコーニー伯爵の領地であった。
緑の草原が青々と広がり、背の低い木々が所々に見える。時折、牛や羊を放し飼いにしている様子も見えた、本当に平和な光景だ。
「本当に、こんなのどかなところに魔物が?」
訝しく思い、フォリアは呟く。魔物や魔獣の出る地域では家畜の放し飼いなどできない。
頭では魔物のことを考えていないと、羞恥心と照れくささとで爆発しそうだ。
「少々、おかしい気もしますが、マコーニー伯爵は嘘をつくような人物ではありません」
レックスも当然、宿泊に際して、マコーニー伯爵から部屋を割り振られた。問題はマコーニー伯爵の判断でフォリアと相部屋とされ、当然にレックスが快諾したことである。『婚約ということですから』なぜか初老のマコーニー伯爵からは当然だと言わんばかりに言われたのであった。
「どうかしましたか?」
訝しげにレックスが尋ねてくる。
今までにもレックスから好意を臆面もなく、そして面と向かって言われてはきたものの。男女のことは何もなく、今までに何かを迫られたこともなかった。
(逆に殿下は大丈夫なのかしら?)
フォリアはわざとらしく自分を見ていた眼差しを外すレックスを見て思う。
(殿下も殿下で照れくさそうなのに)
つい笑いだしたいぐらいなのだった。
「私、こういう静かなところも好きみたいです」
フォリアも窓の外に視線をそらして告げる。
実際のところはのどかにしている場合ではない。
「明日、ここを出て、テルルク村へと向かいます。私とフォリア殿だけの冒険としゃれこみたかったのですが」
冗談めかしてレックスが言う。
「それは、だめです」
なぜか弱りきった声でフォリアが応じる。声は消え入りそうだ。
「殿下と私、マコーニー伯爵閣下に気を使っていただいて、ただでさえ肩身が狭いのに。すいません」
フォリアは申し訳なくなって誰にともなく謝罪する。
「私たちだけ、特別に、ここまでは野宿じゃなくて御屋敷なので」
すっかりフォリアはまた後ろめたくなったのである。ベルナレク王国にいた頃には当然、自分も護衛団と一緒に野営し、かつ野宿だったのだ。
「いえ、ここに来るまでは私達も一緒に野営していたではないですか」
なぜだか苦笑いしてレックスが応じる。
「そんなのは、当たり前です」
ふんと鼻息荒く、フォリアは言い切るのであった。
自分たちは遊びに来たのではないのである。
「つくづくたくましい御方だ」
不思議と褒められている気がしない。
フォリアは首を傾げる。『たくましい』というのはなかなか素敵な言葉のはずなのだが。
「殿下、マコーニー伯爵から追加の情報はありませんか?あと、現地の状況も、もっと詳しく知りたいです」
フォリアは話題を変えた。目的地に近づいた分、詳しい情報も得られるはずだ。
「やはり巨大なヘビの魔物だそうだ。そして、目撃した村の人が少しずつ攫われている。数人で一緒にいても、気付くと誰かがいなくなる。攫われなかったほうの人がヘビを見た直後に連れが消えた、と。そう証言しているよ」
レックスが真面目な顔を作って説明してくれた。
「不思議ですよね。ヘビの魔物なら、なんの種類であれ、大型のものはまず、人間を丸呑みにしているはずです」
フォリアもヘビの魔物と聞いて、マコーニー伯爵領に至るまでの道中、ずっと記憶を探っていた。
(いくつか、候補は浮かぶのだけど。ちょっと確信にはまだ至らない。カガミカガチだと嫌だわ)
神聖魔術の光線を白銀の鱗で跳ね返してしまうのである。自分としては相性の悪い相手だ。
「でも、カガミカガチならとても目立つし、それがそんな唐突にあらわれるかしら」
フォリアは小声で呟く。
ブレイダー帝国の北部にある『魔窟』から溢れた魔物だとして、そこからマコーニー伯爵領に至るまでの道中で、まったく目撃情報がなかったのである。
(ほかの貴族様の領地でも、皇族の直轄領でもまったくそんな話はなかった)
フォリアは連日、地図とにらめっこしてきたのである。そして、立ち寄った村々でも、誰も彼も白い大蛇など見ていない。
フォリアはちらりとレックスを見る。そしてため息をついた。
のほほんと、自分の顔を眺めていて、魔物のことなど意に介していない。
(殿下は何も違和感を感じないみたい)
ブレイダー帝国での魔物討伐というのは、こんなものなのかもしれない。
(強いんだから大丈夫、みたいな感じ。足元をすくわれないといいのだけど)
フォリアは違和感を拭いきれないまま、湯浴みで旅の垢を落とし、寝床につく。幸い、寝台は別であった。レックスもさすがに照れくさいのか、目をそらしてばかりである。だが、自分も同じだ。
「殿下、おやすみなさい」
フォリアは呟き、就寝するのであった。