26 式典前夜
カドリたちがオコンネル辺境伯領にて美味しい食事を供されていた頃、元ベルナレク王国の聖女フォリアは塔の一室から皇都ヴェストゥルの夜景を見下ろしていた。
(毎日見てても、きれい)
ポツポツと煌めく民家の灯りが星のようだ。
「信じられない。こんな生活」
ポツリとフォリアは零す。自分の元護衛がガツガツと食事を貪っているとは夢にも思わず、今、自分の遇されている快適さに申し訳無さすら覚えた。
(私は、人々を助ける側で、それが喜びだった。それなのに)
今は助けられてここにいて、つい先日も魔獣の襲撃から守られている。
(今度は私を迎え入れる、そういう式典をしてくださるって)
いよいよ自分はベルナレク王国の人間ではなく、ブレイダー帝国の人間になるということだ。
流されるままにここに至り、ただ恵まれた境遇を甘受している。釈然としないのだった。
「私、こんなことでいいのかしら?」
フォリアは自問する。
ベルナレク王国が危惧していたとおり、苦境にあるという。侍女コニスやレックス皇子から教えてもらえた。
(それも私が鉄鎖獅子に負けて、魔窟をそのままにして、国を出る羽目になったから)
レックス皇子に声をかけてもらえたとき、安堵してしまった自分。そして今も露骨に気持ちを向けてもらえている。
(レックス殿下を困らせたくはない。今も良くしてくれる人たちのことも)
そちらを思うと、言われるまま突き進むのが正しい気もしつつ、ベルナレク王国のことを思うと後ろめたい。
思いを巡らせていると、客室出入り口の扉の向こう、人の気配がした。
(もう、こんな時間)
不覚にもフォリアはまた喜びかけて自分を戒める。 「フォリア殿、よろしいですか?」
レックス皇子の声だった。
眠りにつく前の一時、侍女コニス同伴で欠かさず挨拶に来てくれる。
挨拶だけのこともあるが、二言三言、言葉を交わすこともあった。まだ戸惑っている自分を気遣って、まめに顔を出し、声をかけに来てくれているのだ。
(ただ、私と一緒にいることを喜んでくれてる。それは私ですら分かって。正直、私も嬉しいのだけど)
ベルナレク王国を出てから魔獣に襲われる度、卓越した剣技を披露してくれる。
特にサグリヤンマ10数匹を単独で撃破してしまった際には目を疑った。そんな皇子から思いを寄せられている。夢のようなことだ。
「はい」
どう返すのが正解なのか分からぬまま、フォリアは声を上げた。レックス皇子の勇姿を思い出すにつけ、物思いに耽りそうになる。
「失礼します」
いそいそとコニスを伴って、レックスが客室へと入ってくる。
「すいません、その、私」
自分でも何を謝っているのか分からない。それでも座って応対はしたくない。
「また、ローブ姿ですね」
ボソリとコニスが零す。栗色の髪をした同い年の侍女だ。レックス抜きであればとても話しやすい。とりとめもない相談にもここまで根気よく乗ってもらっている。
(それでも私は)
煮えきらない自分にうんざりしつつあった。
来てもらって、何かをしてもらってばかりで受け身なのだ。自分はこんな人間だっただろうか。
「いえ」
心配そうにレックスが自分の顔をしげしげと見つめる。
「浮かない顔ですね。何か悩み事ですか?」
ズバリとレックスには言い当てられてしまう。この皇子がいかに自分をよく見ているか。フォリアは思い知らされてばかりである。
「とても良くして頂いているのに、悩みなんて」
言いつつも自分で浮かない顔をしている自覚があった。
(こんな顔じゃだめ。心配させちゃうだけなのに)
口には出せないまま、ますますフォリアは縮こまる。
「そうですか」
レックスまで困り顔だ。落ち込む要素など、本当はどこにもないのである。
自分は何をしているのだろうか。
「フォリア様は特にすることがなくて、退屈なんじゃないですか?」
見かねたコニスが助け舟を出してくれた。
だが『退屈だ』などと他人の口から聞かされるとなお不謹慎であり、情けなくてならない。
「どんなに良くしてもらえたって、役割が何も無いのでは、辛いんじゃないですか?」
自分とレックスとを見比べてコニスがさらに付け加える。
「そういうものなのかな」
レックスが悩ましげに言う。
自分を大事にしようというのが、言葉だけではなく伝わってくるから、フォリアとしては心苦しかった。
「もし、私でもすることがないのは辛いです。フォリア様は贅沢がしたいとか、美しく着飾りたいとか、美味しいもの食べたいとか、そういう欲もなければ。趣味がなにかあるわけでもないみたいですし」
コニスに言われてみると、自分の人生は寂しく、味気ないものである。
「そんじょそこらの貴族のご令嬢とかとは違うんですから。お仕事がないっていうのも、辛いのかもしれません」
だが、ここまで言ってもらえると自分も当たっている気がしてきた。
「確かに、私、お世話になってばかりで、ちょっとその、心苦しいっていうのはあります」
フォリアは素直に思うままを述べることが出来た。励ますようにコニスが手を握ってくれる。
「それで、ちょっと、こんな顔しちゃって、図々しいですよね」
そこはやはり申し訳無いのであった。
「なるほど。では、私が何かフォリア殿の仕事を探して参ります」
胸を叩いてレックスが言う。
「殿下、そういう問題じゃありません」
即座にコニスがたしなめてくれるのだった。
(確かに役割だって仕事だって、わざわざ取り繕ってもらうものじゃない)
フォリアはふうっとため息をついた。
自分の立場は他国から来た元聖女に過ぎない。
(では聖女って何かってこと。そもそも私はどうしたいの?)
話してみて、心も頭もすっきりとした。すっきりとした頭で考えると見えてくるものもある。
「殿下、私は」
フォリアはレックスに向けて笑顔を作った。
「なんですか?」
若干、身構えてレックスが応じる。
生真面目な顔に好感をフォリアは覚えた。
(私はたぶん、殿下に惹かれ始めてる。それは、数日分のことだから、まだ大きくはない、と思うけど)
また良いところを目の当たりにする内、ますます惹かれるようになるだろう、とフォリアは思えた。
(そんな殿下に、私は、負けていられない)
気後れするような自分でいたくないというのが、目下の自分が抱いている正直な気持ちだ。
「私はベルナレク王国では聖女と呼ばれていて。神聖魔術が使えます」
分かり切ったことを、あえてフォリアは告げた。
「まだ具体的なことは浮かんできませんけど、私の力、お役立てください」
フォリアは静かに頭を下げる。
ベルナレク王国ほどではないにせよ、ブレイダー帝国でも魔物や魔獣の出没する地区や時期のあることだろう。そこで躊躇なく人々のために戦える自分でありたい、とフォリアは思うのだった。




