251 黒い雲を呼ぶ3
空から降りてきたクロクモが大物たちを呑み込んで塵となす。その力も無限ではない。空を覆うクロクモが薄くなり、世界が仄かに明るくなる。
クロクモが揺れた。
2本目の筋が柱のように直立する。中層まで制圧出来たという合図だ。
(最下層までは、魔物だけならばクロクモが殲滅する)
だが、ゴーレムや瘴気だまりはどうにもならない。自分たちも同じく魔の物なのだから。
(だから、そのための聖女フォリアなのだ)
カドリは痛む足を無視してイビルスコルプの背中に立つ。
一旦は魔窟の中を空っぽにする。
「この大空すべてにおわす、英霊に我が魂の震えを送る。これが私の歓びである、と」
カドリは叫ぶ。
(もう一押しなのだが。我々は保つだろうか)
味方が、同胞がいよいよ少なくなってきた。
血に塗れた鉄鎖獅子が地面に転がっている。もう動かない。敵に見向きもされなくなった。つまり死んだのだ。
カミツキアブの遺体が各所に転がっている。
イビルスコルプの動きも群がられて鈍くなってきた。かなり痛めつけられているのだ。
オオツメコウモリが空から落ちてきた。身が焦げて鉤爪ではフレイムアイを数匹鷲掴みにしている。刺し違えになったのだろう。
グロンジュラが敵に纏わりつかれながらも駆け回る。だが、岩兵に剣を突き立てられているから、これももう長くはない。
(皆、よくやってくれた。私の力となり、歓びとなってくれたことは生涯、忘れない)
その生涯ももう長くはないだろう。自分も負傷している。そして最後は魔物に潰されるのだろうから。
立ち上がったところを、カドリはウィンバーに突撃された。傷めた踵では踏ん張ることも出来ない。
「うぬ」
カドリは唸る。
あえなくふっ飛ばされて、また宙に身を投げ出された。
このままでは地に落ちて背中から叩きつけられる。背骨をやられては踊れない。
まだ2本しか黒い筋が立っていなかった。
一番、手強い最下層をクロクモに制圧させたい。それまで自分の命を持たせなくてはならないのだが。
酷く一瞬を、長くゆっくりとしたものに感じられる。
視界の下には岩兵やカタウサギも群れているから、自分など身一つで落ちればひとたまりもない。容易く殺される。
(まだ死ねん。まだ私の役割を果たすのだ。空っぽの魔窟をせめて聖女に送らねば。私の贖罪だ)
ただでさえ苦労をかけ、苦しめた聖女フォリアに、また苦労をかけてしまう。
容易く魔窟を制覇させることが、自分のせめてもの罪滅ぼしなのだ。
しかし、落ちれば死ぬのに落ちていく。
岩兵が群がる。他の魔物も、歌っていた、魔力の多い自分を狙おうとするのだ。
「コロコロコロコロコロッ」
不意に甲高い鳴き声が戦場に轟く。
ゲンメイコオロギだ。鳴き声を聞かせて敵に幻を見せる。
一体何を見せたのか。一斉に全ての敵がゲンメイコオロギに群がっていく。
グロンジュラがカドリの周りにいた岩兵を脚で薙ぎ払い、そして息絶えてひっくり返った。
ゲンメイコオロギが誘き寄せた魔物らに押しつぶされて、敵の波の中に消える。
カドリは無事だ。痛む背中に耐えて立ち上がる。
同胞が命を投げ出した。背中の痛みなど、何だと言うのか。生きている証しだ。
(生きているなら、務めを果たさなくてはならない)
カドリは鉄扇を広げて薄く笑う。
「この命の輝きと燃焼を世界の記憶に焼き付ける」
カドリは歌い切った。
気付けば、澄み切った青空を背景に、3本の黒い煙の筋が立っている。
最下層までクロクモが掃除を終えた。もう大した敵が魔窟の中には残っていないはずだ。
しかし、自分の周りには、今度はレッサードラゴンが群れている。離れた所で戦っていたシークスジャッカルの群れが全滅していた。亡骸を貪り食われている。
憤怒がカドリの全身を咄嗟に覆う。
しかし、もう同胞も自分の力も残っていない。
(あぁ、もう、いいのか)
なんとなくカドリは思う。
役割を終えたのだから。もう死んでも良いのだ。
カドリとしての歴史も終わり、次の世代からはカドリも魔窟もいない歴史を人類は歩むこととなる。
イビルスコルプだけがまだ生きていた。かすかにハサミと口が動いている。
「好きにしたまえ、私はもう役割を終えた」
カドリは呟く。何も思い残すこともない。
(いや、アレックス。君を巻き込んたのは失敗だった。人生を歪めたし、私の未練となってしまった)
視界のどこにもアレックスなどいない。いないことにカドリは安堵する。
レッサードラゴンが迫ってきた。
白い線が一閃する。
「カドリ殿っ!」
アレックスだ。
レッサードラゴンの群れを一人で殲滅していく。腕を上げたものだ。自分の力を使っているとは言え、一匹にすら苦戦していた時期もあった。
「何をしに来たのかね?君はクビにしたのだ」
カドリは横たえられていた。アレックスが覗き込んでいる。ポロポロと涙を流していた。
戻ったことを反省しているのだろう。
「カドリ殿、すいません。解雇されてびっくりしたからって離れて一人にして怪我させて」
アレックスが泣きじゃくる。
別にそれで良かったのだ。悪いのは今、戻ってきて自分を助けたほうである。
「愛した女性をいつまでも雇っていられるかね」
背中が酷く痛むし、どこかしらかは流血している。
どうせ死ぬのだから、カドリはもういちいち言葉を繕わないことにした。
「君は解雇したのだ。どこへなりとも自由に行き給え」
そしてカドリは意識を手放すのだった。




