23 そのころブレイダー帝国では
ちょうどカドリがヘングツ砦で激闘を繰り広げていた頃、ブレイダー帝国では皇太子レックス皇子が父親のフリグス3世に呼び出されていたところだった。
(本当にここまで来ることが出来た)
レックスは父帝の執務室へ向かいながら感慨を抱く。執務前の早朝である。父とて忙しいのだ。
(あれはまだ私が14歳だったか)
国境付近へ避暑に出かけた際、魔物に襲われた。ベラルーという二足歩行のネズミであり、今の自分であればどうということはない相手だ。
だが、14歳の時は違う。
(今でもまだ、あのときのフォリア殿も思い浮かべることが簡単に出来る)
颯爽とあらわれた純白のローブを纏う、当時同じく14歳の聖女フォリアが、輝く神聖魔術でもって滅してくれたのである。
今となっては国境を破ったのだから、ベルナレク王国内で問題にならないわけがなかった。責められもしただろうに、そんなことはおくびにも出さず。ただ感謝するレックスに、はにかむような笑顔で応じてくれていたのだある。
(あの時から完全に惚れていた)
フォリア以外の女性になど見向きも出来なくなって、しかし、フォリアがよりにもよって隣国の王太子の婚約者だった。
自分も皇太子であり、世継ぎを作るためにも純愛のための独身など許されない立場である。酷く心配した父帝からは『18歳となってなお、フォリアとどうにもなれなければ、父の選ぶ相手と問答無用で結婚する』ことを約束させられた。
(それだって、立場を思えば酷く甘い)
レックスは苦笑いしつつ、辿り着いた父の執務室の扉をノックする。
「入りなさい」
父のフリグス3世が告げる。自分と親子として話すときには従者も間には入れない。
(今日は、父と子として話をするぞ、ということか)
直接、声を聞けたことでレックスは察する。
「失礼します」
果たして、執務室に入ると満面の笑顔で、自分と同じく青髪の皇帝が、迎えてくれた。
「よくやった。本当に、どうなることかと思っていたが。長年、隣国で国と民のために尽くしてきた、不遇の女性をよく連れてきた」
いつもは厳かな皇帝の顔を崩さない父のフリグス3世が破顔して告げる。
本当はベルナレク王国内における聖女フォリアの不遇やヘリック王子による婚約破棄を、予期していたのかもしれない。だから、条件付きで保険をかけておきつつ、自分の我が儘を呑んでいたのだ。
(そういう意味では強かな父だった)
レックスはちらりと思う。
「ありがとうございます」
だが、指摘することでもない。レックスは跪いて告げる。
「今日は喜ぶただの父親だ。そういう礼式はいらない」
皇帝自らがそう言うので、レックスも立ち上がる。
「彼女ならば、次代の国母として悪くない」
手放しで父帝がフォリアを褒めてくれる。
「ベルナレクでは生まれの低さを問題とされたようです」
レックスは敢えて父を試すようなことを言ってしまうのだった。これは、ブレイダー帝国でも問題とされかねない、フォリアの不利かもしれない点だ。
実際は当然、惚れ込んでいる。白銀のきらめく髪色に、宝石と見間違うばかりの紫色の瞳。
(かつて、国境で救われたときと変わらない、可憐な姿だった)
旅の途中でも何度となく、浮かれ過ぎて感情が暴走しかけた。
手を伸ばして、どこかしらかを触れそうになるは、つい先日には扉が開け放たれているのをいいことに、客室にまで入り込んでしまうは、である。
フォリア本人が気付いていないところで、何度も侍女にたしなめられていたのだった。
「確かに一見して、お前の言う通り、美しくも可憐な少女だった。私もあと20歳、若ければな」
父親も父親で愚かなことを言う程度には、聖女フォリアの亡命を喜んでいるのである。フォリアの出自など無駄な懸念だった。
「そんなことより、父上。先日も、この皇城でも魔獣の襲撃を受けました。警戒を強化したいのです」
レックスはしたかった話を切り出した。呼び出された立場だが、いずれするつもりでもあったのだ。
ベルナレク王国内や国境で襲われるのと、絶対的に安全なはずの皇城で襲われるのとでは、わけが違う。
「どうも、魔獣使いのようなのです」
さらに加えてカドリは告げる。
「ベルナレクのカドリだな」
重々しく父帝が頷く。どうやらカドリを知っているらしい。
「ご存知だったのですか?」
レックスは驚いて尋ねる。
自分は知らなかった。それでも面と向かって対峙したときの恐怖は忘れられない。想い人の前でなければ、自分は逃げ出していたかもしれないほどだ。
「ベルナレクの奥の手のようなものだが。聖女と違い、魔窟を封じることが出来ん。だから聖女を連れ戻そうと必死なのだろう」
父帝がさらに説明してくれた。
(必死なのは分かる)
レックスも頷いた。自分も眼前で平身低頭されている。
「ベルナレクのヘリックは彼女を魔物討伐の道具ぐらいにしか見ておりません。別の令嬢を妻とし、フォリア殿のことは道具として酷使するつもりなのです」
あまりに非道な目論見にレックスは憮然として告げる。政治家としては必ずしも間違いではないのかもしれないが、自分は当然、受け入れられない。
「お前のやったことは正しいし、人を見る目のない者から、聖女を救い出してくれるような男に育ったことは素直に嬉しい。だが、カドリは手強いな」
苦笑いして父帝が首を傾げる。
「それでも、だ。カドリのことを差し引いても、真の聖女が我が国を選び、さらにはお前を選んだというなら、それは重大なことだ」
やはり自分の父親なのだ。聖女フォリアに与えたベルナレク王国の仕打ちには義憤を感じているのだろう。
「ここで何もせず、一人の女性を、まして、惚れた相手を見捨てて帰ってきたなら、たとえ一人息子でも廃嫡していたところだ」
豪快に笑って父親が言うのであった。
さらに今後の細々としたフォリアに関する行事の日程などを詰めてから、レックスは父の前を辞す。
そのままの足でフォリアのいる客間を目指した。今回は入る前にフォリアの起床を侍女に確認する。
「おはようございます」
レックスに対し、金糸で縁取りされた純白のローブ姿のフォリアが笑顔を見せてくれた。
「おはようございます。昨夜は眠れましたか」
可憐な表情にレックスは心を奪われる。
夜、さすがに同部屋というわけにはいかない。だが魔獣の襲撃が心配だ。本当は常にフォリアの傍にいたいのだった。
「ええ。ふかふかのお布団で。すごい綺麗で」
とても嬉しそうにフォリアが報告してくれる。いつも似たような返しをしてくれるのだった。
レックスとしては、たかだか布団で喜んでくれるフォリアの姿が微笑ましい。それでいて、ベルナレク王国からどのような扱いを受けていたのかと腹立たしくもあった。
「私、ベルナレク王国では、魔物討伐で遠征することも多くて、だから、野宿も多かったんです」
何かを察したのか、フォリアが説明してくれた。
(あぁ、だから、旅の途中も野宿をものともせず、宿屋を素直に大喜びしてくれたのか)
たくましく魔獣との戦いでも動じない、冷静で凛々しい姿に、レックスはさらなる恋情を募らせていたのだった。
「殿下」
侍女の一人、コニスが呼びかけてくる。
「フォリア様はどのような暮らしをされてきたのですか?こんなにもお美しいのに、お召し物がローブばかりで。御本人もそれしか身に着けませんし」
確かに訝しくも思うだろう。
首を傾げて『別に良いのに』と零すフォリアを一旦、部屋に置いたまま、コニスを連れてレックスは廊下に出る。
「うん。ベルナレクには美しさの価値が分かる人間がいないらしい。ただの魔物討伐の道具にフォリア殿はされていたんだ」
身近に接し続けるコニスには最低限を伝えておこうとレックスは判断した。
「まぁ」
コニスが目を見張る。フォリアが親しみやすいように同年の侍女をつけた。よく気のつく娘であり、口も硬いから吹聴して回ることもない。
「あんなにもお美しいのに」
フォリアのいる室内をチラチラと見てコニスが言う。
「何でも聖女ではあるが、平民の出というだけで、王子から粗雑に扱われてきたのさ」
ダメ押しのつもりでレックスは言うのだった。
「あの、急にお二人共、どうしたんですか?」
ヒョコッと扉からフォリアが顔を出す。
(あぁ、可愛い)
はからずもレックスは不意打ちに癒やされてしまうのだった。
「フォリア様をもっと美しく着飾らせたいというお話です」
満面の笑顔でコニスが断言する。
「ええっ、そんなっ、私なんて、このローブで十分です」
フォリアが恐縮して縮こまる。
(これはこれで可愛いのでもういいか。私が死んでしまう)
レックスはレックスで阿呆なことを思うのだった。
「殿下、大丈夫ですか?色んな意味で」
通常なら不敬な言葉をコニスが告げる。
じとりとした視線を向けられてしまった。
「うん、大丈夫だ。せっかく、もうこの皇城にフォリア殿をお連れできたんだ。ヘリックになど渡すものか」
独占欲をむき出しにして、レックスは思わず告げてしまった。
「あぁ、もう、殿下は駄目ですね」
コニスが結論付けて、一人、恐縮して悶絶していたフォリアの方へと向き直る。
「フォリア様、皇帝陛下との面会もあるので、さすがにローブはいけません。殿下の面子のためにもお召替えは絶対に必須です」
コニスがきちんと道理を説いてくれた。
「殿下の面子のため。それなら、はい、分かりました」
頬を赤く染めて、フォリアが頷いてくれた。
(私のためにフォリア様が遠慮をしないでくれた)
心の内でいちいち喜んでしまうレックスであった。おまけに照れてしまっているフォリアがまたいちいち可愛いのである。
「とりあえず、お二人が思い合っていて、ほうっておくと惚気合ってばかりで、話がまったく進まないことがよく分かりました」
呆れ果ててコニスが告げるのであった。