229 怨念1
「メイヴェル・モラント」
レアンは声に出して呟く。さすがに声が掠れていた。思わぬ出来事だからだ。
隣に立つベリー・オコンネルも驚いている。
王都を攻め落とすまで会うことは無いと思っていた。
(他人を盾にして、きっと自分は悪くないとか馬鹿なこと言ってさ)
ヘリック王太子と一緒になって北を虐げてきた張本人であり、見苦しく逃れようとするものと、レアンは思ってきたのである。
(これがあの、メイヴェル・モラント?)
今、目の前で跪いているのは、レアンの知るメイヴェル・モラントとは、まるで別人のような態度だ。
頭の悪そうな話し方も態度も取らない。身につけているのも派手なドレスでも、品のない偽聖女としてのローブでもなかった。
(いや、メイヴェルは本当はこうだったのかもしれない。ただ、馬鹿なだけじゃなかった)
偽聖女としての功績づくりの際、やけに割り切ったような物言いをしていた気がする。
(馬鹿な生き方をするって決めて、馬鹿な生き方をしていたのかしら?そんな感じ)
レアンはじっとメイヴェルの背中を見おろして思い返していた。
「これは驚いた」
対して、嘲るような調子でベリーが切り出した。
「君はヘリックと一緒になって、聖女フォリアを追い、北が苦しむ原因を作った。それが今、ノコノコと我々の前にあらわれるなど。裁きだと?処刑以外に何があるというのかな?多くの命と幸せが君のせいで失われたというのに。君の命でも足りないぐらいだ」
今にも剣を抜きそうな殺気でベリーが告げる。憎しみを隠そうともしない。
(そりゃ、ベリー閣下の立場ならそう。冷静ではいられないわよね)
レアンはただ、まじまじとメイヴェルを眺め続けていた。
自分は聖女フォリアのことなど、どうでもいい。同胞であるアレックスの元雇用主とだけは聞いている。
(人並みに怯えているのね。こうしてみると大それたことなんて、出来なさそうな、そんな女に見える)
カタカタとメイヴェルの華奢な肩が揺れていた。
震えているのだ。
怖くないわけがない。間違いなく恨みを抱いており、敵である自分たちの軍営に単身、丸腰で乗り込んできたのだから。
「どうお詫びしても足りないのは分かっております。それでも謝罪を可能な限り、するべきだと。私はあまりに愚かでした。私を王宮に送り込んで、権力争いにばかりかまけていた父も同罪です。これは、父からの親書です」
メイヴェルが上体を起こし、懐から書状を取り出した。簡素なものだが複雑な封印が為されている。
「ふむ。確かにモラント公爵の封だな」
ベリーが頷く。こういうところは長く貴族だったベリー・オコンネル辺境伯の方が詳しい。
レアンはただ2人のやり取りを眺めていた。
(これがメイヴェルの本性か)
年相応に臆病でもあり、話し方も普通だ。粘りつくような変な話し方ではない。
(あの態度は作られたもので、愚か者の王太子をたぶらかして、媚びるためだった?)
そんな風に生きると決めていたのだろう。だが、そんな生き方で、ろくな結末にならない、とまでは分からなくて、今、自分自身を愚かだったと言っているのではないか。
レアンはメイヴェルの心の内を類推していた。
「ほーうっ」
メイヴェルの書状に目を通したベリーが頓狂な声を上げる。
悪い笑い方をしていた。もし本当に自分の夫となるのであれば、似つかわしいかもしれない。唇の端を吊り上げてニヤリと笑うのである。
「どうしたんですか?悪い笑い方をして」
レアンは婚約者越しに書状を覗き込む。
(あら、綺麗な字)
肩越しなので読みづらいが読めた。それだけ読みやすい文字だったのである。
「へーぇ」
そして読んだ上で自分も笑う。悪い顔をしているかもしれない。
「君も悪い笑い方だよ」
愛おしげにベリーが指摘してくる。
「そりゃ、今更、アレックスみたいに無邪気には笑えませんよ」
素っ気なくレアンは笑みを引っ込めた。所詮、自分とベリーとは似た者同士なのだ。
「本気なのかな?娘の助命のために、権勢はおろか爵位も領地も諦めると?財産も、か」
ベリーがメイヴェルを見下ろして告げる。
書状の内容は、モラント公爵個人ではあるが全面降伏であった。
(つまり本格的に戦う前から、ベルナレク王家にとって、最大の味方であるはずのモラント公爵が、ベルナレク王国は負けると確信しているってことね)
戦った上で負けてからの降伏では命まで全てを失う。戦う前にいち早く降伏しておけば恨みは買わない。
賢い選択だ。レアンはモラント公爵家の父娘をそのように見ていた。
「それだけのことを、我々はしましたから」
メイヴェルがあくまで殊勝なことを言う。
「そのとおりだ。財物などでは、到底、贖うことが出来ないような過ちをお前たちは犯したのだ」
冷酷にベリーが告げる。直接、被害を受けたのはベリーの治める北部なのであった。




