20 砲台破壊1
1日を経て、泥濘がかなり乾燥し固まっていた。つまりはただの地面となったことを、アレックスは見て取る。
あの泥濘はあくまでカーンドックに依るものだったのだ。地面の変化がカーンドックの全滅を改めて知らしめてくれる。
「さて、貴方達にはあのネズミ達、ベラルーという魔物ですが、それの殲滅をお願いしたい」
ヘングツ砦の指揮官レーンにカドリが告げているところだった。
「何も恐れることはない。聖女メイヴェル様も神に祈り、貴方達に力を与えてくれているのですから」
しれっと嘘をつくのもカドリなのである。
眼下では変わらず塔の下から土塊を運び上げ、砲台を作り続ける二足歩行のネズミ型魔物のベラルーが作業をしていた。カーンドックという仲間を倒されて尚、動じずに自分の作業をしているところが、不気味ではある。
(それに、あの女)
アレックスは城壁の最上、設けられた舞台の上で、しゃがみこんで祈るふりをしているメイヴェル・モラントを睨む。純白のローブ姿の女がただしゃがんでいるだけだ。
(どうにかして、この戦い中に事故死を)
アレックスはまさにカドリの言うところの黒い感情に苛まれていた。
「はうっ」
また尻を鉄扇で叩かれて、アレックスはつかの間、殺意どころではなくなる。いい加減にしてほしい。
恨めしくなってアレックスはカドリの方を今度は睨みつける。
「まったく、血の気の多い従者だよ、君は」
鉄扇の下に浮かぶ苦笑いが作り物ではない方なので、アレックスもやむなく許すこととした。カドリ本人には言わないが、これは恩赦なのである。
「カドリ殿、私たちは?」
アレックスは無骨な鋼鉄製の兜を被りつつ尋ねる。
ベラルーをレーン達が倒すのであれば、何もすることがないのではないか。
なお兜は顔まですべてすっぽり覆って隠れるものだ。
(カドリ殿の言う、『凶々しい顔』を晒したくはないものね)
物自体は、一般の兵士が使うものなのであった。
「あれを見たまえ」
カドリが鉄扇で、砲台の一点を指し示す。
砲身の最後部、邪泥を放出する装置である。中心の魔石が煌々と赤い光を放っていた。アレックスですら分かる、おぞましい力を感じさせる。
(あれは、なんで?カーンドックは倒したのに)
アレックスは思わずカドリの端正な横顔を見つめる。
カーンドックの魔力を篭めて動かすのだと勝手に思い込んでいた。
「魔力自体はもともとかなり充溢させられていたからね。動くのはもう、昨日の段階で動かせたのだろう。ただ、一撃の下にこの砦を崩すには至らない、というだけでね。彼らは贅沢を言えばそうしたくて、まだ日数をかける気でいたが、どうやら昨日の戦いでもって、考えを改めたらしい」
肩をすくめてカドリが説明をしてくれる。
淡々とした話しぶりであり、少しは怖いと感じないのかとアレックスは思う。
「あれだけでも甚大な被害だ。負けないまでもね。だから我々は当然、あれを撃たせたくない。今日は我々にとって、発射を阻止して、完全に破壊する日なのだよ」
カドリの言う我々というのには、当然、自分も含まれているのだろう。
(いざ、凶化されてしまえば、あまり気にならないんだけど、今は)
半ば諦めにも似た気持ちで、アレックスはコブのように砲身の後ろにへばりついた魔石を眺める。
どう見ても魔力の塊だ。迂闊に触れて良いのだろうか。
(正直、怖いのだけど)
アレックスはちらりとカドリと魔石とを見比べる。
「あの、爆発することは」
ゆえに恐る恐る、アレックスはカドリに尋ねる。
「当然する。だが多分、大丈夫。君は私の非力で強化されていて、鎧でも守られているからね。きっと、ただ痛いだけさ」
さらりとカドリが答える。扇の陰で薄く笑みを浮かべていた。
(痛いのっ?!)
あまりにさらりと言われたのでアレックスは動揺してしまった。いつもどおり薄笑いのカドリではあるが。
カドリの言葉というのは正確なのだ。『きっと』というのも聞き逃さなかった。
(痛いじゃ済まないかもってこと?)
アレックスはさすがに恐ろしく思う。カドリへの信頼が裏目に出ている。絶対に大丈夫なら『絶対に』や『必ず』という言い方をしてくれるはずだ。
「大丈夫。必ず君なら出来る」
困ったような笑顔とともにカドリが断言してくれる。
自分の怖気が伝わってしまったようだ。
(ほら、今、必ずって。壊すところまでは絶対に出来そうなんだ)
アレックスはため息をついた。
そして大丈夫かどうかは、『多分』や『きっと』なのだ。
無事に戻れる保証はない。
(でも、それは本来、戦いに出るんなら当たり前に覚悟しておかなくちゃいけないこと)
ここに至って、アレックスは落ち着きを取り戻す。
(みんな、同じこと。カドリ殿との戦いでいろいろ、前は出来なかったことが出来たから。それも怪我1つしないで)
アレックスは覚悟を決め直す。両手で両方の頬を挟み、パンッと叩く。少しヒリヒリと痛みを覚える。気合を入れ直したのだ。
「すまない。私も極力、力を与え、強化するつもりだ。私の非力が君を少しは守ることだろう」
カドリがさらに言う。ある意味、いつもどおりの薄笑いであり、無表情と変わらない。
「多分きっと大丈夫だ」
また『きっと』とカドリが言うのだった。
(却って不安になるからやめて。口をしばらく閉じててほしい)
もう自分は覚悟を決めているのだから。
(あぁ、でも口を閉じると歌えなくなるものね)
八方塞がりだ。カドリが歌わないことにはどうにも出来ない、とアレックスですら思い始めていた。実力にも人柄にも内心では自分もカドリを頼り始めている。
(フォリア様を失っても、また、頼れる人が現れたのだから、私も幸せなのかもしれない)
レグダの前線での絶望からはカドリのお陰でマシにはなっている。思い、アレックスもまた密かに微笑むのであった。