2 平身低頭
カドリは控室を出た。
宴はまだ続いている。騒がしさに背中を向けて、カドリは王宮各所の守衛に聖女フォリアの居所を尋ねて回った。
(王宮も広い。まだ出てはいないと思ってはいたが)
カドリは胸騒ぎを覚えつつ、目撃情報のあった庭園を目指す。見知らぬ男がそちらへ連れて行ったのだという。
庭園には、月の見えるきれいな白い花の並ぶ花壇、その脇には四阿もある。男女が親しむには、とても雰囲気の良い場所だった。
(まったく)
カドリは走りながら扇子で口元を隠す。
ぶつぶつと文句を呟きながら駆け続ける。庭園を楽しむことなど出来ない。
人の気配を感知した。誰何されても止まらない。
自分はカドリなのだ。
「真の聖女フォリアッ!この私っ、ブレイダー帝国皇太子レックスの妻となっていただきたいっ!」
白く一片の曇もない満月を背に、青い髪の貴公子が跪いて立ちすくむ聖女フォリアに求愛している。まだ若く、均整の取れた身体つきをした美男子だ。
「えっ、そんなっ、私っ」
口元を両手で塞ぎ、聖女フォリアが美しい顔に驚きをあらわにしていた。この少女にとっては戸惑うことの連続なのだ。
(まぁ無理もない。私も驚いている)
生国の王太子に婚約破棄された直後には、隣国の皇太子に求愛されているのだ。驚かない方がおかしい。
(私の危惧が正に的中した格好じゃないか)
自身もこれを警戒していたのだが、本当に起こると驚いてしまう。
「美しく、聖女であるあなたをぞんざいに扱う国になど、身を置いていてはいけません。どうか、私と一緒に来てはいただけませんか?」
ブレイダー帝国の皇太子レックスが頭を垂れたまま告げる。確か今年で18歳、聖女フォリアと同い年のはずだ。
カドリは頭の中で情報を纏めていた。自分にも一応の情報網ぐらいはある。
(まったく色恋沙汰の話も、自国の貴族令嬢と婚約したという話もなかったが、まさかこれを狙っていたのか?)
カドリはもはや呆れ果てていた。レックスの態度に嘘偽りがあるようにも見えない。女性に惚れ込んだ男の姿以上のものではなかった。
どこぞの王太子に見習わせたい純情ではある。
聖女フォリアの方もほんのりと頬を赤らめていて、満更ではないようだ。どこか運命的な恋人同士の出逢いにすら見えるのだが。
(隣国になど、聖女を奪わせてなるものか)
ぞんざいに扱っているのはヘリック王子の一存だ。婚約破棄されて聖女の呼称を奪われかけただけではないか。生国を捨てるほどのものとは、カドリにとっては思えない。
カドリは2人に近付いていく。
「お待ち下さいっ!」
大声で甘い雰囲気をぶち壊してやった。自分は大声も出せるのである。
「なんだ、君は」
すかさず立ち上がってレックス皇子が言う。手を剣の柄にかけている。
相手が帯剣していることに、カドリは今になって気付いた。
「無礼を承知で申し上げます。どうか、聖女フォリアに慈悲を乞いたく」
両膝をつき、額を地面に打ちつけてカドリは懇願する。
自国では王侯貴族にも対等な話し方をしても良い自分だが、相手は今、隣国の皇太子なのだ。直言すら許されない相手である。ゆえにカドリは聖女フォリアに向けて言うのだった。
「ええっ、そんな、今度は一体」
さらなる戸惑いに見舞われる聖女フォリア。優しげで可憐な顔を自分とレックスへ交互に向けているようだ。動く気配でなんとなく、平伏したままでも分かる。
(神聖魔術の腕前はともかく、それ以外はごく普通の少女だからな)
頭を下げたままカドリは思う。
「何卒、御慈悲を。この国の者は皆、聖女様の御力に疑いなど持っておりません。王子殿下とて、一時の気の迷いで仰っただけです」
あんな周到な破談劇が『一時の気の迷い』のわけがない。
あえてカドリは墓穴を掘った。レックス皇子が嘲ってくれればいい。誰であれ、人を嘲る姿は醜いものだ。聖女フォリアに醜い嘲りの姿を見せて、出会って早々に幻滅されてくれれば有り難い。
「浮気相手まで伴った、あれは確信犯でしょう。あなたが何者で、この国でどれほどの人かも知らないが、あなたの言うことは余りに空虚ですよ」
しかし、レックス皇子があくまで冷静かつ丁重な態度を崩さない。むしろ頼りになりそうな姿ではないか。
カドリに対してすら礼儀正しいのだ。見苦しい姿をさらけ出させる作戦は失敗に終わった。
「私は歯牙ない雨乞いでございます。庶民を代表して、物を申しているつもりです。聖女フォリア様は王子殿下一人の非礼のために、国民全てを見捨てると仰るのですか?」
カドリは平伏したまま告げる。
作戦変更だ。レックス皇子が手強い。ゆえに今度は聖女フォリアの良心を衝く。
「そ、それは、でも」
狙いどおりに聖女フォリアが良心の呵責に苦しみ、言葉に詰まる。
『我が身可愛さに国民を見捨てるのか』という問いはその心を抉るはずだ。自分の読みは正しかった。
このままレックス皇子と口約束でも婚約しようものなら、正当にこの国を出ることとなってしまう。手と手を取り合ってベルナレク王国を出てしまえば後に残された国民には苦行が待っている。
「生命あっての物種ですよ、フォリア殿。この男の言う通りなら」
やはり手強いのはレックス皇子である。
本当は物理的に黙らせたい。だが、さすがに隣国の皇太子には手を出しづらかった。ベルナレク王国もブレイダー帝国そのものを敵に回す国力は無い。
「既に大勢の面前で破談したあなたを元の立場には戻せない。そして何も庇護のない、立場の弱くなったあなたをこの国のためと称して、その力も生命も全て搾り取るつもりなのです」
とうとうとレックス皇子が言葉を並べる。
正にヘリック王子の目論んでいた筋書きそのままだった。
(くっ、こんな男によりにもよって求愛されているとは、つくづく私も運がない)
とんだ誤算をカドリは内心で嘆く。
無論、事の発端はヘリック王子の軽挙によるのだが。
聖女フォリア1人なら言葉ででも実力行使ででも、どうとでも出来たのだ。
(とっとと確保しなかった、私も甘い)
カドリは自嘲する。
「ではブレイダー帝国は違うのでしょうか?聖女の力を求めていることは同じなのでは?同じ使われるなら隣国と生国、どちらを聖女フォリア様は選ばれますか?」
カドリは平伏したまま厳しい2択をフォリアに迫る。
ただでさえ婚約破棄されて、聖女としての身分も奪われて憔悴しているところなのだ。
「それは、私は」
聖女フォリアが完全に弱りきった声音を漏らす。
いかに力があるとはいえ、他人に言われて戦ってきた少女に過ぎない。
まして現在、魔窟からの魔物に晒されているのはベルナレク王国の方なのだ。聖女フォリアとしては、いかに先行きが苦しいものと分かりきっていても、ベルナレク王国を選ぶしかない。
(少なくとも論理的にはそのはずだ)
カドリは勝利を確信する。
「騙されてはいけません」
だが、レックス皇子が屈しない。
「この男は、あなたの慈悲深い人間性を利用して苦しめているだけです。この男の言う、この国の庶民はそう弱くはありますまい」
カドリですら思わぬことを、レックス皇子が断言する。
「何を、根も葉もないことを仰るのです?この国の何を隣国の皇太子様がご存じなのか、いやはや」
平伏したままカドリはさらに皮肉を言うしかなかった。
「君、私のつけていた護衛を一体どうしたのだ?」
レックスが明確に自分へ向けて、嫌な質問を向けてくる。
カドリは庶民の代表ということにされたようだ。
ただ黙って平伏するしかない。弱者とフォリアに思わせなくてはならないのだから。
「答えられないか?そうだろうね。歯牙ない雨乞いですら、屈強な私の護衛20名を突破するようなのが、この国の庶民なのだろう?」
レックスの指摘に嫌な汗が止まらなくなった。
カドリは頭の中で、上手く言い逃れられないか思考を必死で巡らせる。
「ええっ!そんな、20名も?兵士の人を?」
素直に聖女フォリアがびっくりしている。
声には若干の怯えすら滲ませていた。
ここへ来る途中で確かに20名に邪魔されたので無力化してやったのである。
「さすがに他国の皇太子である私には手を出すわけにはいかず、平伏してフォリア殿の同情を誘うという卑劣な策に出たようだが。私は騙されないし、騙させもしない」
レックスが毅然とした態度で言い放つ。論破されかけているどころか、自分は引き立て役にされつつあった。
無力化しようにも簡単にはいかないだろう。
(この男のほうが、先の護衛20名よりもよっぽど腕が立つ)
1つだけはレックス皇子の言葉は的外れなのだ。皇族だから、というだけの理由で手出しをしていないわけではない。
「それにそもそも、フォリア殿が討伐に失敗したという鉄鎖獅子はどうしたのだ?もう、この世にはいないのではないか?誰か別の者が倒したのだろう?それは自称『真なる聖女』とやらのメイヴェル嬢ではない。別の誰かだ」
最もなことをいうレックス。頭がかなり切れるようだ。まさか鉄鎖獅子のことにまで言及されるとはカドリも思わなかった。
(よほど聖女フォリアを妻にしたいと見える)
熱意がただ利用しようとだけしている人間のものではない。
また、1つ間違っているのだが、いちいち指摘することではない、些事なのであった。
「私はただ、フォリア殿に想いを寄せてきた。魔物との戦いでの凛とした、それでいて美しい姿を国境でたまたま目の当たりにしたのさ。そして、惚れた女性が自由の身となったのだ。この好機を逃すわけにはいかない。まして、私が身を引けば、待つのはフォリア殿の破滅だ。そんなものは」
思わず、さすがのカドリもレックスの声に込められた熱烈な恋慕に顔を上げてしまった。
唇を噛んでなにか耐えるような顔のレックスである。
「聖女フォリア殿。私の全てを今すぐに受け止めてほしいなどとは申しません。ただ、どうか御身のためにも、私のこの手を取って、この国をともに脱出してください」
ここまでの言葉と誠意を見せられては、打算でしかない自分には勝ち目がなかった。
(くっ、別のやり方を取るしかない、か)
それも出来れば取りたくなかった手段だ。
結局、聖女フォリアがとったのは、頬を真っ赤に染めて自分への好意を隠せない、レックス皇子の手であった。