19 決起集会
一人になって、アレックスはヘングツ砦内を歩き回っていた。
砦内の雰囲気が微妙であることに、歩き始めてすぐ気付かされる。
「ありがとうございました、すごい、活躍でしたね。見惚れてしまいましたよ」
時折、大胆にも自分へ声をかけてくれる兵士もいるほど、カドリによるカーンドック殲滅には湧いているのだった。戦う前より明るい顔の兵士がずいぶんと増えている。
「あの女、どう見ても。それに、王子殿下の婚約者だとかで、生意気な我が儘ばかりらしい。本当に聖女なのかよ」
逆に雰囲気の悪くなる材料も出現してしまって、砦内は微妙な雰囲気となったのだった。自国から本物の聖女を失う羽目になった、諸悪の根源なのである。
(それはそう。偽物だもの。それはこれからも絶対に変わらない。絶対に信じてはダメ)
アレックスは耳に入ってきた言葉に対して思う。
いっそ、自分も雑談の輪の中に加わって、カドリやメイヴェルの薄汚い目論見を暴露してやりたいぐらいだ。
耳に入る噂では、城壁の上に据えられた祭壇でメイヴェルが祈りを捧げてくれることで、味方は鼓舞され、敵が弱体化するのだという。
(どこかで見た光景。誰かさんが祭壇で歌っていたけど、あのときは)
皮肉たっぷりに、アレックスは思うのである。
(でも)
一方で、アレックスはカドリらの目論見を暴露したくない気持ちもあるのであった。
「だが、カドリ殿もいる。この砦はとりあえず大丈夫だ」
誰かが言っているのも聞こえてきた。それも一人ではない。老若男女、兵士も住民も誰かしらかがメイヴェルを批判するたび、最後はカドリで納得するのである。
一定以上の人数がカドリを頼りとしているのだ。
(メイヴェル・モラントはともかく、カドリ殿のことは)
自分も怒りを覚えたものの、カドリについてはすべてを否定するつもりになれないのだった。
(私も信用して、うん。信用してしまっているから)
カドリの行動も言葉も、『人々を守り、助けよう』という思いに裏打ちされていて、ぶれずに矛盾がない。
メイヴェル・モラントに、手柄を与えて偽聖女として成立させることも、カドリにとっては救国のために本気で必要なことなのだろう。
(そんなわけ、ないのに。でも、私では論破できない)
アレックスはため息をつく。カドリにだけ、腹を立てているのではない。槍以外からきしで、口の上手くない自分にも腹を立てている。
(たちの悪いことに、カドリ殿は本気だから。一生懸命なのも、分かる)
本人は『歌って舞っているだけだ』という。その実、魔獣を呼び出し、自分を強化することにはかなりの力を使っているようだ、とアレックスも今回で知った。
カーンドック殲滅の後、その場に倒れて眠っていたらしい。
(それでも私より先に目を覚まして、見守ってくれていた)
メイヴェルのことさえなければ、尊敬の念しか抱かないはずの相手だった。
アレックスは改めてそう思う。
だが、全てにおいて完璧なはずの人間などいない。
(耐えるしか、ないか)
アレックスは結論を出し、ため息をついた。
どの道、自分たちは本物の聖女を送り出した人間なのだ。後のことでとやかく言うのも間違っている気がしてきた。
(本当に、癪だけど)
確かにカドリの言うとおり、今、ベルナレク王国の人々には、たとえ偽りの聖女であっても、希望が必要なのかもしれない。
(人が生き延びるためにしている努力に口を挟む権利は、私にはない)
改めて、アレックスは自身に言い聞かせるのだった。
「今更、私が、フォリア様について、どうこう出来るわけじゃないものね」
今頃は、長年の労苦も報いられて、ブレイダー帝国で悠々自適に過ごしているはずだ。
レックス皇子のフォリアを見る目は、完全に女性に惚れ込んでいる男のそれであり、何も心配はないように思えた。
アレックスは歩き回る内、意を決して今度はカドリを探そうかと思う。
侘びるだの、謝るだのということではない。
(おそらく、あの人も何も気にしていないだろうから)
何食わぬ顔でまた傍に控えていて、便利に使ってもらえればいいとアレックスは思う。
「城壁のどこかかと思ってたんだけど」
だが、なかなか見つからず、探し回るうちに日が沈んでしまった。
辺りが暗くなる中で、城壁の各所で篝火が焚かれる。敵の側も火やら得体の知れない灯りやらが点けられていた。
城壁の上をいくら探してもカドリがいないので、アレックスは城壁を下りて、なんとなく練兵場へと向かう。
「君には迷惑をかける。いや、負担と言うべきか」
ふとカドリの声が響く。
暗闇の中だった。自分に向けられたものではない。
「わかっている。彼らの方から我々に、何かを報いてくれるなどということは、断じて無いだろうね」
相手からの返答が聞こえぬまま、またカドリの声が答えていた。
誰と話しているのか。
アレックスは怖いもの見たさに近づいてしまう。
(なっ)
思わず息を呑む。
数百人が訓練をする練兵場に無数の魔獣がたむろしている。中心にいるのはカドリだ。黒黒とした闇の中にあって、空に浮かぶものもいれば、地面から頭だけを出しているものもいる。
ウェイドンの村で共闘したグロンジュラに、会ったばかりのサグリヤンマたちもいた。
カドリと自分以外は魔獣たちばかりだ。
(全部、これは、カドリ殿の?)
アレックスは闇の中へと目を凝らす。漠然と魔獣だと思っていたものたち。それぞれムカデや四つ足の獣であった。
カーンドックとの戦いで犠牲を出したから、何か魔獣の同胞たちに話をする必要にでも、カドリが駆られたのであろうか。
「おや、人払いはしていたのだが」
前触れもなくカドリが告げて、こちらを向く。色白の妖しいほどに美しい顔が自分を捉えた。怪物に見られたような怖気をアレックスは覚える。
「あぁ、なんだ、アレックスか。君は入れて当然だ。何をしている?君も同胞だ。早くこちらへ来たまえ」
肩の力を抜いて、珍しくカドリが無心の笑みを見せてくれて、不覚にもアレックスもまた安心してしまう。
本当は誰も近寄れないはずだったらしい。
「いえ、その。カドリ殿、先程の、話は、取り乱して」
蒸し返さないと決めていたことを、アレックスはつい口に出してしまう。結局のところ、やはり気まずいのであった。何か決着をつけないと落ち着かない。
「メイヴェル嬢を前にして、君が心中、穏やかではいられないことぐらい、分かりきっている。私にとっては、どうということもない。出来れば君にも気にしないでもらいたいね」
まるで意に介さないカドリなのであった。いつもどおり口元に当てた扇の下で薄く笑っている。
(あ、これは、いつもの作り笑い)
なんとなくアレックスにも分かるようになったのだった。
「分かりました。これは、何をなさっていたんですか?」
アレックスは魔獣たちとカドリとを見比べて尋ねる。
無機質な魔獣たちの目が怖い。だが共闘した縁なのか、グロンジュラとサグリヤンマたちが幾分かは優しく、アレックスの周りに集まってきてくれた。
(間に入ろうとしてくれてるの?)
自分も共闘した仲だから微笑ましく思う。
「明日も厳しい戦いになる。同胞と語らいたくてね」
カドリなりの決起集会だったようだ。
「あなたの同胞にも犠牲が出るのに。それなのに、手柄をあの女に渡してしまうんですか?」
思わずアレックスはメイヴェルのことに言及してしまう。どう考えてもカドリにとっては、メイヴェルよりも魔獣たちの方が大切な筈なのではないか。
「いいんだよ。私も、私の同胞たちも、人間が好きだからね。誰に手柄がいくか、など些細なことさ」
涼しい顔のまま意外な返しを、カドリが寄越すのだった。
「醜いところも、黒いところも、恥ずべきところも幾らでもあるが、総じて、それでも人間というのは面白いからね」
クックッ、とカドリが笑いを噛み殺して告げる。
(どういうこと?)
それでもカドリが挙げたのは好きになれるようには、思えないところばかりだ。
訝しく思いつつもアレックスは、カドリの同胞の魔獣たちに圧倒されて、それ以上言い募ることが出来ないのであった。