18 砲台破壊着手前夜
アレックスは目を覚ました。
布団の中にいる。
(私はカーンドックと戦っていて、そして)
アレックスは日中の戦闘を思い返す。
嘘のように自分の身体が動いた。
カドリの同胞だというサグリヤンマのヤゴとも成虫とも上手く連携して、手強いカーンドックを順調に一匹ずつ仕留めていったのだ。
(確かに強かった。反撃もされて。魔術を撃たれて)
カドリの強化なしの自分であれば、どうなっていたのか。相性というものもあるので、槍使いの自分が平地で戦えば一匹ぐらいは倒せるだろう。
(でも、あれほどの動きは出来ない)
未だに自分の奮闘を思い返してなお、実感が湧かないのだった。
「目が覚めたか」
穏やかに微笑むカドリの顔が自分を見下ろしている。
(いつもの薄笑いより、ずっといい)
本当に自分の無事を喜んでくれているだけの顔が嬉しいと思うも、直後、アレックスはそう思った自分に腹が立った。
「申し訳ありません。ご面倒を」
事更に、思った以上に硬い声が出た。
アレックス自身も驚く。珍しくカドリも同様だ。
(騙されてはだめ。この人は簡単に、嘘の表情を作れるのだから)
アレックスは自分に言い聞かせる。不覚にも心奪われた自分が許せないのだった。
「何も、謝ることはない」
カドリもカドリで、自身の動揺を許せないらしい。ほんの一瞬だけ無表情になると、いつもの薄笑いを顔に貼り付けた。
やはり顔を自在に作れるのだ。ますますアレックスは自戒するのだった。
「君はよくやってくれた。カーンドックは昨日で殲滅出来たようだ。今朝も見ていたが、別の個体を補充された様子もない。予定どおりに今日は出来たんだ。アレックス、君の活躍のおかげだ。何も謝ることはないのだよ」
手放しで言葉の限り、カドリが自分をねぎらってくれる。表情とは裏腹に言葉には嘘がないように思えて、信用できるのだった。
(顔よりも言葉を信じられるっていうのも変な話だけど)
それに褒められるのはやはり、アレックスも嬉しいのだ。
「ありがとうございます。でも」
思うとおりに動くことが出来た。塔の外壁を直接上って、カーンドックの小部屋に忍び込んで槍で貫いたのだ。平時はそんな荒業は出来ない。
あくまでカドリの強化のおかげなのだった。
「言い忘れていたが、君でないと私もあそこまで強くは出来ない。君は自我が強いのだろう。別な人間に、同じことをすると理性と正気を生涯、失うこととなるのだよ」
さらりと怖いことをカドリが言い放つ。
「そんなものを私にかけていたのですか?」
じとりとした視線を向けてアレックスは指摘する。
内心では満更でもない。自分への信頼の裏返しとも取ることが出来るからだ。
「仕方ないだろう。私は味方を強く出来るが。裏を返すと誰かしらかは必要ということなのだから。そして、その誰かというのは君さ」
にこやかにカドリが言う。
(もう、この人は)
天性の人たらしなのだ。アレックスはため息をついた。
現にたしかにカーンドックを殲滅できてもいる。
(上手くやれた。戦いに勝った。それが大事なこと)
アレックスは思い、自分を納得させることとした。
聖女フォリアが既にこの国にはいないのである。一人一人が力を振り絞って、自分の大切なものを守らなくてはならない。
(でも、この人は他人のために力どころか命すら振り絞っている)
カドリを見ていると、なんとなく悲愴なものをすら、アレックスは感じさせられてしまうのであった。
「だから、君の回復を待って、戻り次第、また仕掛けようと思う。君の言うとおり、砲台が完成してしまうとおしまいだからね」
更にカドリが言ったところ、人の入ってくる気配がある。
初めてアレックスは自身が清潔な病室に寝かされていることに気付く。カドリがおそらく運んでくれたのだろう。
改めて、心の内でアレックスは感謝する。
「カドリさん、こんなところにいたんだ」
だが入ってきたのは信じられない人物だった。
「メイヴェル・モラント」
思わずアレックスは呼び捨てにしてしまう。更に上体を起こそうとして、カドリに優しく制された。
「あら、あなた、私の知り合い?」
名前を言い当てたことで、メイヴェルの興味を引いてしまう。
訝しげにメイヴェルが自分を見下ろしている。
「でも、私はあなたのこと知らないわね」
記憶を一通り探り終えてから、メイヴェルが結論づけた。
メイヴェルが着ているのは、戦場には不似合いな白いドレスである。
アレックスには、聖女フォリアの護衛として付き添った宴会などで過去に見たことがあるのだった。実際に会って言葉を交わしたことはないのである。
「この者は私の従者でアレックスと言います。槍の達人ですよ」
自分に目配せしてカドリが告げる。そういうことにしておけ、ということらしい。
そこは別に構わないので、とりあえずアレックスは頷く。
(でも、なぜ、こんなところにメイヴェル・モラントが)
疑問が拭えないのであった。
「そう、よろしくね」
じろじろと一通り自分のことを勘ぐるような眼差しを向けてから、メイヴェルが視線を外した。自分への興味を、もう失ったらしい。
聖女フォリアを送り出す要因の1つとなった女だ。アレックスとしては顔を見ているだけでもはらわたが煮えくり返るような思いである。
しかし、本当に何をしに来たのか。答えはすぐに分かった。
「そんなことより、ここの魔物をやっつけた手柄を、全部、私のものにしてもらえるので、本当に間違いないのね?」
信じられないようなことをメイヴェルが言い放つ。
思わずアレックスはカドリを見た。
絶句してしまい、咄嗟には何も言えない。
「えぇ、厄介なものは我々で仕留めておきましたが。派手なところは残してありますので」
薄笑いを鉄扇で隠したまま、常と変わらぬ口調でカドリが応じる。
「えぇ、良かったわ。これで私も祈っているふりをしているだけで、聖女ということになるのね」
嫌な笑顔で、メイヴェルが汚らわしいことを言う。
(この女っ!)
カッとなってアレックスは自らの槍を探した。顔面を貫いてやりたい。だが見当たらなかった。どうやら気絶している間に、カドリがどこかにしまったらしい。
(なら、首を絞めてでも)
知らずアレックスは殺気を放ってしまったのかもしれない。
「はうっ」
カドリに尻の横を鉄扇で叩かれた。思わずアレックスは変な声をあげてしまう。
「あら、あなた達、どういう関係なの?」
ケタケタと笑ってメイヴェルが言う。
「あくまで従者ですよ」
カドリが端的に述べる。
人前で尻を叩くような間柄でそんなものは通らない。アレックスは恨めしい思いでカドリを睨む。先日といい、この男は自分を何だと思っているのだろうか。
「あはは、ま、そういうことにしといてあげる。じゃ、後はよろしく」
笑顔で念押しをして、メイヴェルが部屋を後にする。
「どういうことです?」
アレックスはメイヴェルの姿が消えるのを待って、カドリに追及する。
「とりあえず形だけのものであっても、聖女はいたほうがいい。メイヴェル嬢がそれをしてくれるというなら、してもらおうと思ってね。我々では出来ないし、彼女には公爵令嬢にして、王子の新たな婚約者という箔もある」
カドリが当然のような顔で酷いことをいう。
「あなたは聖女を何だと思っているのですかっ!」
思わずアレックスは声を荒げて咎める。腹が立ってならない。
ましてその『形だけの聖女』というのが、よりにもよってメイヴェル・モラントなのだ。不満に思わないわけがない。
「君の経歴で腹が立つのは承知だが、他に選択肢が無いのでね。必要なことだよ。人々には偽物でも聖女が必要だ。そして実際の仕事は我々がやるしかない」
カドリには人の心がないのではないか。
腹立ちの余り、耐えかねてアレックスは立ち上がる。
これ以上、カドリと話をしたくない。むしろ、どうにかして暴露してやりたいぐらいだ。
「あなたの、人々を守る、という思いはこんな欺瞞に支えられているのですか?」
それでもアレックスはぶつけずにはいられなかった。
「私は欺瞞を使ってでも、守りたいのだよ。綺麗事をいくら並べても、いざ死の危機に直面している人にはなんの救いになる?」
カドリが表情を変えずに言う。
自分の不満など、さしたることでもないのだ、と態度で示されているかのようだ。
とにかく離れた方がいい。なぜだかアレックスは本気で、本当にカドリを軽蔑することとなるのも怖いのだった。
背中を向けて歩きだしても、引き留めようともしてこない。
「君の気持ちは、分からないでもない。頭を冷やしてきなさい」
カドリの声が背中から追いかけてくるのであった。